3つの柱 

2018年12月17日(月) 23時25分
新しい自分用のホームページをつくると宣言しました。その中で柱になるのはずばり!

@演劇
これはそうでしょう当然でしょう。今の自分そのものです。

A算命学
これは丸4年学校に通い学習を続けてきました最古のサイエンスです また別で説明します。

B農業
説明不要

ブログ移転の季節 

2018年12月17日(月) 23時18分
2004年ごろから始めたこのブログも、近頃は更新されることもなく、本廣真吾はもう死んでしまったのではないかと思われている方もいらっしゃると思います。

そうなんです、実際この10年ぐらいは死んでいたも同然です。成長はしていましたけど。

新しいことはじめなきゃと思いつつ、自分との対話だけで世の中に何も残せておりません。世の中は情報発信、発信、発信が推奨されておりますが、その波に乗るのは怠け者の自分には負担です。

生きる意味なんてない?
いやあるんですよそれが。

フィンガーライムという植物の栽培を始めようと、大学時代の友人で農業をやってる子に苗木育成を依頼しました。野菜育てたい。生きるってことは育てるってこと。それは人間じゃなくてもいい。

やりたいことがあるっていいですねぇ。
知性を追求することってなんて楽しいのでしょう。

漠然と続けてきたこのブログもそろそろおしまいを迎えようとしています。消滅する前の最後の輝きを今放っているところです。

新しいことを始めよう。
新しい場所で。

そう、自分のホームページを作ります。
今度はちゃんと、方向性のある、わかりやすくかみ砕ける場所を。

もう散文を書き散らかすのはおしまいだ。
乱痴気騒ぎもおしまいだ。

もとひろ

圧倒的没頭 

2018年12月17日(月) 23時06分
周囲の人たちに支えられてあなたは輝けるのですよ と 神様から言われたとします。

だったら集団の中で 僕は生活した方がいいんだなと思い 会社に属することを選択するのが一般的な考え方だと思います。

しかしそれがフリーランスだとしても達成出来るのでは!?というのが、2018年12月の今日の発見です。

そうなんですフリーになりたいのです。

圧倒的な努力があれば出来ないことはないという格言があるようですが、それは確かにそうだよなぁと思います。

好きなことで食えないのは、それほど好きじゃないからだよ という言葉も、なるほどまさにそうだと思います。

誘惑が多すぎるのですこの惑星は。

誘惑を断つというのは、やらないことを決めることだと思います これも常に大事だと言われていることです分かっています分かっていますよ。

圧倒的に何かをやるきっかけをどうやって作るか。算命学に相談だ。

そうです、宣言します。僕は算命学を世に広めるために残りの人生の30パーセントぐらいを使います。かなり高い割合です。圧倒的にやりたいものです。

ただまずは明日の公演をしっかりやろう。グレイクリスマス、三越劇場にて、12/19までやってます。

もとひろ

世直しについて 

2016年09月06日(火) 20時25分
以前、暴力の必要性について書いた記事があるのですが、改めてその考えを書いてみたくなったので書きます。

暴力=武力ではないことをお断りした上で、
暴力=言葉を駆使した建設的な議論だと定義したいと思います。

人を批判することが悪のように扱われ、それなりの強い意志を持っている人間にとっては生きづらい世の中になっておりますが、あなたはそんなこと、ないですか?

『全てが丸く収まるように、相手を傷つけないようにして、お金を儲けて幸せに暮らしていきましょう』学校教育でそんな教えが流行っているのだとしたら、困りました。。

一度きりの人生を大自然が与えてくれた。
一人一人意思がある。強い意志もあれば弱い意志もあるけれど、譲れない意見というものはあるのではないですか。

他人の命は奪っちゃダメ。それはそうね。
でも相手と自分が高められるための暴力は必要です。昨日の記事が若干攻撃的だったので、その言い訳として今日こういう文章を書いています。

他人が傷つくか傷つかないかのギリギリの議論をしていかないと、いい世の中になんかなるわけがない。世直しなんかできるわけがない。

鈴木忠志に別の若者が質問しました。
「なんで演劇を始めたんですか?」
鈴木忠志は答えた。
「僕は最初、世直しをしたいと思って演劇を始めたんですよ」

鈴木さん、あなたの口からそれを聞けたことが本当に嬉しかった。あなたの本を読んで感じた魅力がそこに詰まっていた。

世直しってなんでしょう。
革命を起こすとか、世の中をひっくり返すとかそんなことじゃない。
地道な活動が必要なんです。研ぎ澄まされた志を基にして、批判の批判に耐えながら、しかし周囲を巻き込んで行動をしていくことが必要なんです。

理想の状態なんてない。
常に動いていることが、強いて言うなら理想でしょう。

今は、止まっていませんか。
動いていますか。

活発なように見える経済でさえも、止まっているように見えます。

止まってたら、普通腐るよね。
腐ったら、におうよね。

においませんか?
なんかにおいますね。

循環させましょう。
過去に戻ることを恐れない。ぶつかることを恐れない。止まることをもっと恐れたい。思考を止めないでください本当に。

お金も回しましょう。
回る仕組みを作りましょう。みんなが大好きなお金の理想的な姿を考えましょうよ。

どうぞよろしく。
これから習い事に行ってきます。

本廣真吾

売れない俳優になる勇気 

2016年09月05日(月) 21時13分
いままであまり大事に思わなかったのですが
やっぱり大事なことなので伝えます。

僕は売れません。
というか売れない方がいいと思います。
売れちゃダメだと思います。
売れることを絶対に阻止しなきゃいけないと思います。

もし僕が売れてしまったら、
本廣真吾は「夢破れたり!残念!!」と思って哀れんでください。
お葬式をしてください。

僕をこれまで業界に売り込まなかった劇団に感謝です。
本当にありがとう、僕を売ってくれなくて。
僕の思想がこの段階までこれたのは
劇団と、周囲の環境のおかげです。

また突飛なことを

そう思ったあなた
社会に汚れているようなので
ZARDの曲を聴いて改めてください↓
https://www.youtube.com/watch?v=8n1T9sXaCHI

本道に戻ります。
先月、富山の山奥で行われた演劇祭に行ってきました。
主催は鈴木忠志。70代後半のおじいちゃんです。
演劇界にいて彼を知らない人はいないと思いますが、
僕は去年の暮れまで知りませんでした。御免。

彼の著作に惚れて、彼の劇団に電話したのは今年の一月。
「スズキメソッド」という魅力的な肉体精神訓練がありまして、それを習得したい旨、彼の劇団に伝えましたところ、「うちのお芝居を見たことはありますか?」と聞かれ、素直にノーと答えました。あちらサイドの言い分では、芝居を見たこともないのに訓練を受けたいなどありえないこと。まず一度、芝居を見に来てくださいとのこと。
ははん、なるほど、わかった、見に行くよ。
電話に出たのは制作サイドの方だろう。
彼女はきっと、光速より速い俳優の想像力の威力を知らないのだ。
舞台を見たことがないと話にならない?
ふざけるな!著作を読んだだけで人間のすごさはわかるのだ!
俳優とは想像することに長けた、想像することに命を懸けてる存在なのだ!
その俳優を目の前にしてよくそんなことが言えたもんだ!
それを知らないでよく劇団の制作をやっていられるな!

でも彼女の意見を尊重して、夏の、8月に行われる演劇祭を観に行ったわけです。
1人で行ったら演劇人失格なので、劇団の後輩を三人連れて行きました。

芝居が良かったとか、いい俳優がいたとか
そんな俗な感想を言うわけにはいきません。
鈴木忠志の思想に触れられたこと、それが良かったのです。

トークショーで鈴木忠志に質問した若者がいました。
「良い俳優とはなんですか?」
鈴木忠志は答えました。
「良い俳優なんていない。優れた人間がいるだけだ。」
これです。
これなんだ。
これを聞くために富山まで行きました。

話がそれましたでしょうか。
俳優は人間としてすぐれていなければならない。
しかし売れたから優れた俳優になるとは限らない。
売れた人が優れた俳優であるとも限らない。
売れてない俳優が優れているとも限らない。

そもそも優れた俳優なんて滅多にお目にかかれない訳であるが、
もしそんな賢者が人前に現れるとしたら、その順序はこうである。

磨かれて叩かれて揉まれて、しかし売れてない人で
しかし己の理想を安売りせずに年月を過ごし
周囲に呆れられながら、しかし支援者は存在し
苦しい環境でも悲観することなく己の道を進み
最後、運に恵まれ人目にさらされた人

今日の題名を正確に表現するならば、
無名で居続ける勇気があるかどうか。
それが優れた俳優、優れた演劇人に与えられた課題である。

鈴木忠志の劇団には恐らく売れてる俳優はいません。
いたら困るのです。
そんな人は山奥で芝居したりしません。
しかし優れた俳優はいました。
「ニッポン人」という芝居の主演女優がそうでした。
しかし彼女の名前をネットで検索しても出てきません。
この時代に、なぜだ。
それが答えなのだと思います。

ここまで書いて
たんなる売れないひがみのように見られたら面白くないなと思いながら読み返してみましたが、どうやら大丈夫そうです。
ただ答えを出せていない。
なぜ売れてはいけないのか?
はっきりしてるのは、売れると表現者としての可能性が大きく削られるということ。
これに共感してくれる方がいるだろうか。
いないと困るのだが。
共感できないかたはもう一度ZARDの曲を聴いてほしいのですが、

要は、知らない人間だからその人の世界に入れるのです。
偏見なく没頭できるのです。
もしくは知らない言語、異国の文化だから魅力的に映るのです。
あなたにはそんな経験はありませんか?

僕は日本の映画でもテレビでも舞台でも、
あまりに有名な俳優が出ているものは、見てられません。
彼らに対するイメージが嫌でも入ってくる世の中ですので、
純粋に彼らの表現に没頭できません。
その時点で、僕にとっては、彼らは優れた俳優ではないのです。
純粋な感動を与えてくれないという意味で。

俳優は、秘密を多く抱えていなかればならない。
露出狂では務まらない。

僕は長い目で見て、日本の演劇界の発展についての意見を述べているのです。

確かにメディアに取り上げられたら嬉しい。そもそも社会的地位の低い日本の俳優は、他者に認められることを切望しているはずである。芽が出ないと何歳になっても不安である。周囲の評価が気になってしょうがない。弱い人間だ、それは仕方がないことかもしれない。しかし俳優よ、自分が自分の優秀さを認めていれば、何を恐れることがある。あとは己の理想に突き進めばよいではないか。芽がでるかどうかなんて、運にしかすぎない。テレビや映画に出ることが最終のゴールならそれでかまわない。しかし演劇の奥深さは、そんなものではないはずだ。

ニッポンについて想う。
この国は、一体どうなれば、より良い国になれるのか。
どうすれば、よりよい民族になれるのか。

国力を向上させよ。
人間として、向上せよ。

俳優は、命を懸けて、その先頭に立つ職業でありたい。

歩みの遅い人の意見 

2016年01月03日(日) 19時05分
30歳になって

演劇をやっていて

遊んでるね と思われるのは

ちょっと残念な気持ちがした

確かに 

苦労してお国の為に経済活動をして

そういった貢献の仕方は全くしていないし

なにか統計を動かせるほどの

活動もしている気はありません

でもなんだろう

人間の強さって

学生のうちに受けてきた教育が

世界のよき奴隷になるためのものだとしたならば

もしそれに気づいてしまったのなら

家族の為に働くのが当然でしょうとか

まず働いてからモノを言えとか

そんなうわっつらの発言をするお人がとても

むなしく思える

ただ働きたくないだけだろ

そうなんです

きれいな環境以外では活動できない

まるで風の谷のナウシカのように

汚れた空気の世界では生きられないの

そんな希少な人種が 少なからず いるとしたら

その人々の世界を守っていかなきゃいけない

美しい 光の国を 存在させなければ

でもどうやって

どうやって存在させるのだ

暴力しかない



暴力です

暴れる力しかない

暴力もふるえないでモノを語るな

きみたちのいう立派な大人は 暴力もふるえないのか

大事なものをまもるには 暴力しかないではないか

しかしそれで殺されるのはごめんだ

どうにか殺されないように

どうにか攻撃をかわしながら

集団の守備能力で身をまもり

暴力をふるっていく

そんな風の谷を つくりたいと思います

その基礎をつくるまでに

あと10年はかかりそう

それまでに 皆さんからの愛情をとぎらせないように

赤ん坊のようなむじゃきさをにじませながら

ことしもジャブのような暴力をふるいながら

きれいな空気を産み出していこうと 思います




2015マニラまとめ 

2015年08月22日(土) 16時03分
モトヒロさん、フィリピンどうでした!?
そういう漠然とした質問に答える準備はできております。

「マニラには、本物のgayがいたよ!めっちゃ美しかった」
これが一番面白いお返事になると思います。


2015年、自分の演劇人生が少し退屈になりかけておりました。
なんたら期、というやつでしょうか。
そこに出てきたのがフィリピンマニラにあるPETAという団体。フィリピン、エデュケーショナル、シアター、アソシエーションの略。ペーターではありません、ペタって読みます。
今回、そこが主催するアジアの人々を対象にした研修に参加してきました。

終わってみると、そこはかなりやり手の劇団だということがわかりました。さまざまな企業から寄付を得て、マニラでは民間で唯一の劇場を持ち(寄付で建った)、芸能界からも客演で俳優を集めプロデュース公演を行い、しかしフィリピンの誇りを守るために言語はタガログ語で行うという、フィリピンのことを第一に考えて活動している団体です。

フィリピンでは小学校から英語教育が始まるので、中産階級以上は必ず英語ができます。スラムにもお邪魔しましたが、そこでも代表格の方々は、英語を話します。上流階級の家庭では、もうタガログ語は教えず、英語しか教育しない家庭もあるそうです。そんな英語の国です。

しかしPETAはタガログ語(フィリピンの母国語は他にもあります)を主として創造活動をしています。

そこで、いまの時期に上演されていたのが、ラック・オブ・エイジスというミュージカル。
フィリピンは日本と同様、タイフーンの影響をもろに受ける国で、水害と人々の生活を描いた内容でした。ロックでノリノリのダンスと、ものすごい歌唱が混ざった、海外公演も経験済みの、ロングラン公演でした。

そ こ に 、あの美しいゲイ俳優がいたのです。

フィリピンでの同性愛者は、よくわかりませんが、かなりの割合でいらっしゃるようです。もちろん隠す必要もなく、舞台でもゲイのシーンは、ゲイの俳優がやる、これ当然の思想です。そこでのこの俳優の美しいこと。歩き方、しゃべり方、歌声、女性的なしぐさ、本当に、もう、おれも好きになりましたもん。綺麗な女優よりも女性らしくて、イキイキしてて、もう、これだけは、感動したと胸を張って言えます、、、

今回はフィリピン褒めまくりですが、良さを押し売りする気はさらさら無く、むしろ批判的な意見と、改善策の提案が主な目的です。

しかしここでは書きません。そういうことは、口頭で、面と向かって、誤解のないように、お話させて頂きます。だれか聞いてください。

研修の主な内容は、
⚪︎PETAの歴史について
⚪︎マニラの格差社会の現状、スラム訪問
⚪︎舞台観劇
⚪︎演劇ワークショップ、アジアの相互問題を考える
⚪︎舞台発表
⚪︎パーティ、本気のディスカッション

最後の、本気の議論についてお話します。
僕は、歯に絹着せぬ、攻撃性の強い議論を展開することで、自分の誇りを守るタイプなのですが、特にこれが外国語となると、細かい表現は使いこなせませんので、超攻撃的な議論になります。

他の参加者は、舞台に立つ喜びってこんなに素晴らしいものだったんですね感動〜とか、
素敵な俳優さんに出会えて写真撮れて良かった〜とか、
海外のともだちたくさん出来てうれしい〜とか、
そういう純粋なご感想をたくさんおっしゃってわきあいあいとされていましたがしかし、
僕はそんなのどうでもいいみたいな人間なのです。

PETAの今後の活動の発展と、相互理解のためには、厳しいことを言わんといけません。

ご想像ください。

わきあいあいの会場でひとり、シンプルイングリッシュで意見をぶつける日本人と、それにちゃんと対応して真剣な議論を展開してくれるPETAのスタッフを。

日本人、見習えよこの姿を。
こんなにちゃんと議論が出来たこと、本当にうれしい。
日本じゃ話にならんことがなんと多いこと。本題に入る前に相手の上げ足をとる、議論する能力もない、歳だけ重ねた無能な輩を相手にすることがどれほど空虚か。あ、これあんまり大きな声では言っちゃいけん。

本当に日本が悲しくなりました。
だから本当に、もっと日本の為に活動していこうと思いました。

日本人が英語が喋れない理由はただひとつ、努力不足!!
自分にもいえるからよくわかる。やって出来ない語学なんてない!
いったいいつまで電車に英会話学校の自虐的な広告を載せておく気だ!!恥を知れ、ばかやろう。

海外で活躍しろとは言いません。
しかし自分の国が海外から様々な影響を受けて生活しておきながら、さまざまな文化を享受しておきながら、でも外国語は理解できませんしゃべれません、だって日本だけで十分生活楽しいも〜ん。政治もよくわからんも〜ん、政治家無能だも〜ん、ばかばかばか!お前がもっと無能!!

僕は人を動かせない。
だから演劇をやっていく。

Raul, Norbs, Meps, and all of PETA members, ARIGATO.

教えて偉い人 

2015年04月04日(土) 23時00分
こんばんは本廣真吾です。今日は2015年4月4日です。

いま中国地方を公演で回っているのです。地元に近いのでもちろん友人も多く、今日まで数人の友に会いました。みんなそれぞれ古い記憶を基にお話が発展していくのですが、ここ倉敷での友は、その記憶が、なんというか、一味違う。消そうとしていたんだな〜と思う記憶が蘇ってきて、なぜ自分がいまここにいるのかを、改めて感じさせる夫婦がここにいるのです。

僕は7年前、大学生でした。当時、同じ専門コースの同級生の女性と、同じ研究室の先輩が付き合っていました。彼らは今結婚して子供がいて、倉敷に住んでいます。人数の少ない、人気のない物理系の専門コースでしたので、僕らは互いをよく知っていました。つまり当時の、僕が「大学院進学を取りやめて劇団に進む」という一部始終を、客観的に見ていた彼らなのです。

僕が大学生の最後の時期を、どんなに過酷に生きていたかなんて、当事者の自分が一番よく覚えてるに決まってると思っていました。たいして過酷じゃない。世の中にはもっと苦しんでいる人がたくさんいる、というのが、昨日までの僕の考えでした。でも今日、その夫婦が口にした当時の、僕の、過酷な生活を耳にして、もう忘れようとしていた生活が、蘇ってきたのです。

2人は、当時より今の方が、僕の顔が若返ったといいます。
そして、同じ研究室の先輩は、僕がいてくれて助かったと、改めて感謝してくれました。どういうことかと聞くと、負担の多くを僕が背負った、というのです。ほほう、興味深い話ではないか。

じゃあどんな生活をしてたんだ?そんな具体的な話は今日は書きません。今日書きたいのはそこじゃないんだ。だからと言って今日書きたいことがよくわからないんだ。でもこの夫婦は、確かに僕の原点を知っていて、そこで確かに見ていて、それを語れる数少ない友人なんです。

本当に苦しかったんだなぁと思う。
苦労は作れるもんじゃない。作られるものなんだ。作られて、さあそこにとどまるか、逃げるか、それだけなんだきっと。僕は途中までとどまったけれど、もう我慢できなくて、逃げたんだ。それが僕の大学生活の全てだ。

いま、僕は劇団にいる。
苦労を作れる人間は、いない。僕に苦労させる人間も、いない。僕に苦労させることができるのは、人ではない。そんな人はもう現れない。大学の恩師が最後の存在だっただろう。もう人の力ではどうしようもないんだ。

この次の段階とは、どういったものなのだろうか。先に生きてきた人々に聞きたい。


おまじないを君に 

2014年12月30日(火) 23時55分
「子供の頃からずーっと夜中に爪を切ったことはなかったのに、結局どっちの親の死に目にも会えんかったねー」

最近母親がぼそっとつぶやいた言葉。
久しぶりに実家に帰って、墓参りに行ったときだった。
別に寂しさに打ちひしがれているわけではなさそうだった。けれど、子供の頃から無意識に信じてきたことが実現されなかったことに、何か虚しさを感じていた。

母の両親がそうしたように、ぼくの母は、僕にもたくさんの教えを伝えてきたのだろう。

だから僕もずっと夜には爪を切らないできた。

でも知ってしまった。
夜に爪を切らなくても、親の死に目に会えないこともあるということを。

僕はこんな不確実なことを、なんとなく、そうあってくれればいいという願いだけで、この29年間信じてきたんだ。

そんな大きな願いではなく、そうあればいいな、ぐらいの気持ちで思い続けていることが、他にもいっぱいあるのかもしれない。

だけど別に、そんな些細な信仰を変えるつもりはない。

これは別に、信仰ではないだろう、きっと。
ただ単に、おまじないの一つだろう。

昔々、親の死に目に会えないのは不幸だ、という考えがありました。
どうすればその不幸に会わずに済むのか?と考えました。
そうだ、おまじないを作って信仰してみよう。ということにしてみました。

それが2014年の年の瀬まで残っていました。
ただそれだけだ。

そしてそれが実現されないことがわかって、虚しくなった母親の顔を見た息子もまた、特におまじないをやめるつもりはなく、これからも続けて行くだろう。

思い出の詰まった、おまじないというプレゼントだね、これは。

自分に子供ができたとき、僕は同じ贈り物をするだろうか。
きっとちょっと違った視点で伝えるだろう。

「カトル、夜に爪を切るとお父さんお母さんの死ぬときに会えないよって誰かに言われたら、どうする?」
「えー、なんか嫌だから、できるだけ切らないようにする、かなー。」
「そうか。実はね、お父さんも子供のときからずっと母親に言われてきたんだよ。夜に爪を切っちゃダメだって。僕の母さんもきっと親から同じ事言われてきたんだろうね。でもね、母さんは結局ね、お父さんお母さんの死ぬときに会えなかったんだって。」
「えーかわいそう。じゃあ意味ないじゃん」
「そうなんだよね、意味なかったんだよねー」
「じゃあなんでお父さんは僕に同じ事伝えようとするの?」
「んー。なんでなのかはよくわからないんだけどね、お父さんは、お父さんが死ぬときに、カトルに横にいてもらえたら幸せだなって思うの。」
「うん。」
「そう、でもね、カトルはもしかしたら、お父さんがいるところとは全然違うところに住んでるかもしれないでしょ?」
「うん。」
「もしかしたら、カトルの方が先に死んじゃうこともあるかもしれないでしょ?」
「ん、うん。」
「カトルが生まれてきたことが奇跡だとしたら、お父さんが死ぬことも奇跡かもしれないじゃない?」
「うん。」
「奇跡ってさ、きっと望んで起こせるものじゃないんだと思うのよ。」
「そうかも」
「だからね、信じるしかないのよね、きっと。カトルがお父さんの死ぬ時には横にいたいって思ってくれるならば、カトルは信じるしかないの。でもそれはどうなるかわからないの。どうなるかわからないんだけど、僕の母さんは僕に一つおまじないを教えてくれたの。どうなるかわかんないけど、もし夜中に爪を切らなかったら、もしかしたら親の死ぬ時に会えるかもしれないよって。」
「ふうん」
「結局どうなるかわからないんだけどね、でもその言葉を母親から聞いてさ、聞いてしまったからさ、お父さんは夜に爪を切りたくなる時にはいっつも両親のこと思い出すんだよね。」
「へぇ」
「もしかしたらお父さんは、ただカトルにお父さんのこと忘れないでいてほしいだけなのかもしんない。」
「僕お父さんのこと忘れないよ、お母さんのことも忘れないよ大丈夫だよ。」
「ありがとう」
「今父さんからお話聞いちゃったから、僕も夜に爪切らないようにする。だってお父さんお母さんの死ぬ時には会いに行ってあげたいもん。会えたらいいなって思うもん。」
「ありがとね」
「お父さん、まだ死んじゃだめだよ!僕もまだ死なないから!」


まだまだ死ぬわけには行きません。
こんな優しいカトルに、まだ出会えていませんから。

あの頃を連れてきて 

2014年09月09日(火) 22時52分
このブログはおんなじことの繰り返しで、少し内容がかわったことをただ循環させて綴っている。

狙っているのではなく、自然とそうなってしまう。つまり、あの頃からあまり大きな成長はしていないということだ。

あの頃というのは、17歳。高校生の頃。

今日は父の誕生日で、家族と電話で話をした。姪っ子が僕の幼少期と似ているという。真面目で、だからこそ人間関係で疲れやすいそうだ。夕方、保育園にお母さんが迎えに行くと、泣いているという。その気持ちが、僕にはわかる。わからない人にはわからない。でも僕にはわかる。

僕にとって17歳の頃とは何なのか。
それは、無心でテスト勉強に励んでいた時期、といってよい。
これは以前にも書いたが、僕はテストで良い点を取ることが一番の喜びだった。先生が一人ひとりにテストを返却する時間が最高に大好きだった。普通科ではなく農業高校であったことが大きい。勉強が出来るやつが少ない学校。そこで僕は自分の居場所を見つけた。

あの頃の無心のまま走り続けていたら僕はとんでもない大人、誰も真似出来ないような大人になっていたはずだ。でもそれはありえない。僕は、必ず飽きる。そんな自分に飽きる。

そして今、その頃からずっと、人生を飽きたまま、時間を過ごしている自分がいる。来月29歳。干支が一回りした。

もう一度あの頃に戻りたいという幻想は愚かだと思うが、あの頃の無心を取り戻したいというのは、愚かなことではないはずだ。

あの頃を取り戻したい。
今は何が邪魔をするのだろう。あの頃は競争相手がいた。そして頑張った自分を評価してくれる人がいた。今は競争相手はいない。そもそも頑張ってないから評価はついてこない。ではなぜ生きていられるかというと、こんな自分のことを、なぜか評価してくれる人が、ちらほらいるからだ。ダマされるな、俺は頑張っていない。ただ器用なだけだ。皆もっと賢くなりなさい。頑張ってる人は他にたくさんいる。

要は何かに集中する力が欲しいのだ。必要なのだ。余計なことは一切脳に入ってきて欲しくない。単純なゲームをしたい。そう、単純なゲームをしたいんだ。単純なゲームが一番興奮できる。

例えばマリオカート。あれは単純だ。

学校。これもすこぶる単純だ。そうだ、僕は学校が好きだ。学校に行こう。大人が通う学校に行こう。子供のような大人が集まる学校に行こう。そこには競争相手がいる。おんなじルールでゲームを楽しめる仲間がいる。

そうだ、学校に行こう。よし、学校に行こう。
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