人生色々。

September 28 [Wed], 2011, 3:11
人生の大部分を前向きに生きて来ました。それがならなかったのは、高校生時代。夢の高校野球部。目標は甲子園出場。私の通った小学校、中学校には野球部がなかったので、高校に入ってから、初めて入った野球部。ところがレギュラーになったものの、弱小野球部で負け続け、人生初の敗北を喫し続けました。しかし、そんな予想外れの野球部でしたが、引退するまで辞めずに、希望を持って続けました。そして、野球部以外の高校生活は、普通に明るく楽しく健全に過ごすことができました。音楽を始めたしね。でも、肝心の野球は、散々だったんです。本当に人生観が変わりました。もう1は、銀行です。(ここから先はとても長くなってしまいました。)私の父は会社を経営しておりましたが、経理を専門に勉強したことがありませんでした。勘は鋭いんですけどね。それで、常に二の腕の経理担当者を置いておりました。さんはとても優秀でした。そして、社員旅行でハワイに行く時、自分が在日韓国人であることを父に告げたそうです。父はいわゆる一般的な日本人で、冗談なのか、韓国人や朝鮮人を卑下する発言をします。しかし、それは本心、心の奥底の真実ではなく、口癖のようなものだと思います。ですので、その時も、国籍なんて気にしなくてもいいというように言ったようでした。彼女はさらに献身的に働きました。しかし、激務により、腎臓病を患ってしまったのです。人工透析が必要になり、勤務を続けることが難しくなり、最後は退職せざるを得なくなりました。私は元々、天体観測がしたくて、次に太陽エネルギーの研究をしようと物理学部に入って中退した理科系です。復学する際、父に「何を勉強したらいいか」と質問しました。父は「俺は経理がわからないから、お金の勉強をしてくれると助かる」と言いました。それで、経営学に転向して、財務を専攻することにしました。無理して数学を勉強していたので、お金の数字程度の勉強は楽でした。も修了したので、けっこう自信満々になりました。そのまま博士号に挑戦したら、本気で取れると思っていました。父に、必要があれば父の会社に入る旨を伝えました。その時点では私を必要としないので、好きな会社に入って、好きな仕事をすればいいと言われました。多少の恩返しをしたいと思い、父の会社の経営状態を診断したいと言いましたが、断られました。何の数字も見せてもらえませんでした。私は歳とヵ月の時に新潟県長岡市の会社に就職し、大型コンピュータ用の会計ソフトのシステムエンジニアとして勤務しました。その頃、日本経済はバブル景気に沸きまくっておりました。6年ほど経った頃、バブルが崩壊してしばらく経ち、私は初めて父に呼ばれました。「お前の力が必要だ。」待ってました生まれて初めて父に必要とされ、私は恩返しをしたいと、燃えまくりました。社長にそのことをお話しすると「別の会社に移るのであれば引き止めるけど、お父さんの後を継ぐのであれば、仕方がない」と言って下さいました。骨を埋めようと思っていた長岡の会社を辞め、父の会社に移りました。私は歳になっていました。そして任されたことの1が、銀行対応だったのです。私はやっと父や父の会社のお役に立てることと、勉強して来たことが実践できるので、やる気満々でした。ところが、父の会社の業績と内容は、バブルの崩壊で急降下し、地に落ちていたのです。父はバブルの頃「私の資産は億を超えたよ」と誇らしげに語っておりました。それが、3億にも満たない状況だったのです。借入金は3億を超えています。それも、必要ないのに、銀行によって膨らませられていたものが多いのです。他人だったらサジを投げたでしょう。でも、私は身内だし、お世話になりまくっておりましたし、背水の陣でしたから、立ち向かわざるを得ませんでした。父の会社は長年、三菱銀行がメインバンクでした。それをその何年か前に第一勧銀に替えたのです。もちろん、それは一勧がセールスした結果です。しかし、業績が悪くなって来たら、手の平を返したのです。そこに登場した社長のバカ息子。一勧の担当者はここぞとばかりに攻め込んできたのです。一勧の言い分は、何しろ借りている金を返せ、と言うことです。借入金の返済は、利益からしかできません。利息も発生します。資産を処分することによって、負債を軽減することもできますが、それは円滑にビジネスが回ることを優先しなければなりません。父が私を呼んだ理由が、何となくわかりました。父は私が来てから、心から安堵したようでした。それは何よりです。さぁ、バカ息子、どうするまず最初に、胃に穴が開きそうになりました。私は若い頃から、お釈迦さま、ヨガとか瞑想が好きで、色々と研究して来ました。そのお陰で、その最初の攻撃を乗り越えることができました。一番の方法は、自分の力を超えたことにいてはもう考えないということです。父の会社の状況は、死にそうでしたが、私が招いた結果ではないわけです。だから、私は前向きでいいのだと思いました。一勧との攻防は3年ほど続きました。景気が元に戻ることは結局ありませんでした。銀行も合併が始まりました。もう一勧という銀行はこの世に存在しません。私たちは、業務においても諦めることはせず、セールスしまくりました。その結果、なんとか落ち着くところまで辿り着くことができましたし、支援してくれる新たな銀行も出て来たりするようになりました。別の裏切りも経験しましたけどね。そこまで来ると、さらに新たな問題が発生して参りました。それは今回の趣旨から飛躍しますので割愛させていただきますが、父の会社で続けるよりも、分離させた方がいいということで、分社することになりました。私は新たな会社に専念することなりました。その新会社設立の際、都市銀行との取引開始は全く念頭になく、地元長岡の地方銀行の1、北越銀行だけに決めました。それ以降も、北越銀行以外とは、お付き合いはしておりません。お客さまからの入金用に、りそな銀行には口座があります。りそなは都市銀行とは言えない面が大きいです。日本には一般投資家が多くないので、その役割も銀行が担っております。その自覚が、銀行員には足りないと思うのです。将来の明るい日本を築くためにも、お金を扱っている人たちは、ビジネスを育て、軌道に乗せ、回し続けることを忘れないでもらいたいなぁ。ちょっと話が長くなり過ぎました。失礼しました。ええと、今月は昨日、日が給与支給日だったので、給与資金調達に多少難儀致しましたので、こんなことを考えたりしたのでした。私が一番好きな果物は桃です。それも、剥いてくれた桃です。(写真は夏子が買って来て、ユウユウちゃんがいてくれた桃と梨。奥はブドウ。このブドウは美味しかった)2番目はイチゴ。3番目は梨。でも、果物って、やっぱり美味しいですよねぇ。以前は、何も考えずに冷やしていましたが、最近は『果物は自分からは冷えない』と思って、常温がいいと思うようになりました。Fine 出会い系
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