卒業論文心構え

2006年11月20日(月) 9時27分
 卒業論文の仕上げの時期にかかってきました。私が学生だった頃は、卒業論文を書くのは一大事業で、何カ月かは夜昼逆転の生活を送ったり、大学や人前に姿を見せない引きこもりになったりするのは普通のことでした。100枚もの論文を書くのは今でも易しいことではありませんが、当時は、すべて手書きで、いったん全部下書きをしてから清書したのです。書き間違いは修正液やホワイトで直すのですが、直せないほどになると、丸めてポイ!です。400字詰めで、350字くらい書いてポイ!すると悲惨です。私の研究室では、卒論は、頭注欄のある丸善の5番という用紙に決められていましたが、卒論以外では200字詰めを使っていました。どうも先生もそうしていたようです。

 ワープロの普及により、卒論制作は格段に容易になったのですが、初めからワープロを使っている若い人は、そうとは思えないことでしょう。(同じことを私たちは学生時代、コピー機について先生から聞きました。いわく、自分が学生だった頃は、文献はすべて手で筆写したのである、と。)もちろん、問題は形態ではなく中身です。よい卒論に必要なものとは何でしょうか。

 それは、正しさでも、実証性でも、あるいは新見解でさえなく、「自分にしか言えないことを言うこと」です。正しいことや実証は、教えられます。極端な場合、指導者が課題を与え、すべての道筋を示した上で、論文を書かせることもあるでしょう。しかし、あらかじめ答が分かっているような研究に、どんな意味があるのでしょう? それに、当然、明らかにおかしな解釈や論旨は、卒論の指導教員が見て直してくれるはずです。(この「はず」は、当てにならないことも多いらしいのですが。)第一には、自分の言いたいこと、自分だけが言えることを、どしどし書いてよいのです。そして、願わくば、その上に説得力や新発見があれば、なおよいのです。でもこれらはいわばオプションです。

 学生を継続して見ていますと、最初は未熟な書き方で、言葉の誤りがたくさんあっても、とても斬新でユニークなことを書いてくることがあります。ところが、そう思って親身に指導していると、文章はソツなく書けるようになるものの、初めにあった意想外のアイディアは希薄になり、確実だがおもしろくないことしか書けなくなってしまうことがしばしばあります。

 これは、啓蒙の限界でもあり、あるいは、啓蒙の恐ろしさを教えてくれる事柄でもあります。教育を離れた、人の可能性を、教育界の住人は決して理解できません。指導して伸ばすことと、指導して損ねること。教えることとは、常にこのようなディレンマを抱えていることに、指導者は敏感でなければならないでしょう。

「神がいないのならば、私が神だ」

2006年11月17日(金) 8時32分
 大学に入って最初に受講した講義の中に、ああ、おもしろいな、と思えるものは、一つしかありませんでした。心理学も社会学も国語も、何だかよそよそしいものでしたし、文学という名の授業は取らなかったように思います。高校時代にもけっこう授業をサボってボートを漕いだり喫茶店に行ったりしていましたが、大学でもまた、サボれる授業は徹底的にサボりましたね。その結果、「ド仏」と言われた英語の授業で赤点を取って、後期は毎回出席を取られたりもしました。これは年長になってからですが、「どうして授業に出ないんですか?」と後輩から真顔で聞かれたこともあります。「つまらんからさ」。講義をさぼっても、教授の論文を読んでおけば試験で点数は取れました。「ダブルノート」と言って、教授の口述を速記して、後で清書して珍重する(特に女子)学生たちのやり方には、私はついていけませんでした。

 その哲学の授業は、いきなりドストエフスキーの話から始まりました。「神がいないのならば、私が神だ。私は我意を主張するために自殺する」と言って死ぬ『悪霊』のキリーロフの話題です。ドストエフスキー! 高校の時に『罪と罰』だけ読んでいたこのロシアの作家に、がぜん、興味を持たせてくれたのはこの講義でした。もちろん、講義はドストエフスキーで終わるのではなく、その後、自我や神の思想をめぐって、デカルトやショーペンハウエルやキェルケゴールへと展開したのですが、何よりも最初にドストエフスキーを取り上げてくれたこの哲学の授業は、私の一生の起点となったと言っても言い過ぎではありません。

 私はそれから、『悪霊』を何度も読み、ドストエフスキーの諸作を読み、『悪霊』の演劇化までしているカミュの全集を買い、カフカ、サルトルに挑戦し、埴谷雄高や椎名麟三に出会い、アナーキズムを学びました。また、後から考えれば、カミュつながりで、ブランショ、バルト、それからポストモダニズムの思想傾向などに興味を持ったわけです。私の内部に、それらを求める要因があったのでしょうか? いや、そうとは思われません。今から考えると、どうやら、大学でおもしろいと思える授業に出会えなかったこと、話の合う友達がいなかったこと、一人暮らしで街にもなじめず、もちろん恋人(蛇足ながら、私は「彼氏」「彼女」などという呼称は好きではありません)などというものも見つからなかったこと、そして学園の荒廃の余波が残るキャンパスの環境が、私をそれらに引き寄せたようです。

 そう、まったく皮肉なことですが、私に文学や哲学の(私なりの)意味を教えてくれたのは、まさに大学であり、大学へ入学するために故郷を離れた体験なのです。啄木や光太郎や犀星や中也を読んでいた、あの川と銀行木の緑静かにたそがるる街から外へ出なかったなら、たぶん私はドストエフスキーともカミュとも出会わず、文学と再会することもなかったことでしょう。その、クソおもしろくもないモノクロームの「健康都市」で、おそらく私は「健康」を蝕まれ、それにふさわしい対応物を、それらの文学・思想に求めたのですね。どうやら今だから分かる、と言える年齢に達したようです。

 現象学を専攻するその教授の授業は、2年次に上がってからも履修しました。フランス哲学の講読です。よく覚えているのは、デカルトの『省察』を、「沈思黙考」と訳して、先生から直されたことですね。でも、先生は決して馬鹿にしたりせず、初学者に諭してくれました。先生は、学期の終わりに、受講生を親しく研究室に呼んで対話を試みましたが、私はとても好きな先生なのに、余りにも近くに寄ると、何も言えなくなってしまったのです。学部に上がってからも、また大学院でも、別の教授の哲学の講義を聴きに行きましたが、あの授業のファーストインプレッションほど、心に残る講義というのは、その後一度も味わったことがありません。
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