てすと 

September 02 [Wed], 2009, 22:02

三蹟とは平安時代中期の代表的な能筆家である、小野道風・藤原佐理・藤原行成の三人の書家の事である。
小野道風は「和様」というそれまでの中国的な書風から、日本式に書き出した最初の書家である。当時、道風は唐にも誇示すべき書家として認められ、日本書道史上、空海と並び称されるほどであった。道風の作品は温雅であり、醍醐天皇は深くその書を愛好され、醍醐寺の榜や行草法帖各一巻を書かせた。「和様」の書風を樹立した道風は、当時の人々に大変持てはやされたようである。
道風の書いたもので現在遺っているのは、屏風土代、智証大師諡号勅書(国宝)、玉泉帖などである。智証大師諡号勅書は、道風三十四歳の書で、薄い縹(はなだ)色に染めた紙に薄墨の罫線を引き、量感のある重厚な和様で、気迫に満ちた筆運びを示している。仮名では、書風から継色紙の筆者とされている。仮名古筆中でも最高のものといわれる。道風の筆蹟は、小野の「野」と「筆蹟」とを合わせて野蹟と呼ばれている。
藤原佐理は、才筆とも、芸術的ともいわれ、非常に筆が上手に遣いこなされている。早くより能書で知られ、草書の第一人者としての評価も高い。二十六歳の時に書いた詩懐紙(国宝)は、実に優れた書で道風の和様が更に良く磨かれている。「懐紙」とは書道用語で漢詩、和歌などを一定の書式に則って書写したもののことである。本作品は、平安時代の詩懐紙として現存唯一の貴重な作品である。その筆運びは緩急の変化に富み、奔放に一筆で書き流したもので、道風や行成の丁寧な筆致とは違って独特の癖があるといわれている。
彼の書いた手紙が五通残っているが、そのうちの離洛帖(正暦二年、当時四十八歳)と呼ばれるものは、豪快な唐様的書風であり、国申文帖は清流の曲折を見るようで、仮名の線にも相通じる美しい書風である。流麗で躍動感のある筆跡は佐蹟といい、佐理の「佐」と筆蹟の「蹟」を合わせている。
筆跡への高い評価とはうらはらに、佐理は酒にまつわる失敗の多い人物だったようで、『大鏡』に、如泥人と記されている。しかし、その分自由で奔放な気分が満ちあふれ、道風、行成のように重厚謹直で丁寧な書とは異なって明るく伸びやかな書風を生んだ。
藤原行成は、貫禄のある艶麗な道風の書風に、日本的な感覚と鋭敏さを加えた佐理の書風の、両者の長所をうまく生かし、かつ均整のとれた温和な書風として、漢字の和様化を完成させた。
行成は、道風の書を尊重し、自分の日記『権記』(正歴二年から寛弘八年まで)にも、夢で道風に会って書法を伝授されたと記している。行成の書には漢字の真筆は残っているが、仮名には確かなものはない。行成の代表的な書跡して、高松宮家旧蔵の白楽天詩巻(国宝)、本能寺切(国宝)などがある。白楽天詩巻は、漢字の中で第一に優れており、白楽天の詩を書いた巻き物で、寛仁二年八月二日に書写したとあるが、行成の署名はない。
行成の書は、後世でも長く手本として使われ、平安時代の書は殆ど行成流を学んだ。行成の書を権蹟と呼ぶのは、権大納言の「権」と筆蹟の「蹟」を合わせたものである。
道風が生み、佐理が変化させ、行成がまとめる。こうして三蹟の存在は日本書道史における重要な転機となった。 
今後もこの三人の書家のような、美しい日本的な書を学び、臨書を通して線質を向上させたい。
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