私にはできないこと

February 28 [Tue], 2012, 1:19


先生がその初めてそのネクタイを締めて学校に来たのは、忘れもしない2年生の夏休みを迎える少し前、7月の事だった。
梅雨も明け、前期末考査も終わった私たち生徒は、これから始まる夏休みを前にどことなく浮かれていて、いつも以上に朝からクラスが騒がしかった。
私自身も隣の席の友達と、夏休みの予定について互いに話し合っていて、やっぱり海には行きたいよね、だったり、○○ちゃんは花火大会には誰と行くの?なんて、女の子特有の会話で、夏の訪れを心待ちにしていた。
彼女の話でひとしきり盛り上がった後、美奈子はどうするの?と興味津々な笑い顔で見つめられる。私の頭にある人の顔が心臓が跳ねるのと同時に浮かんだ。そしてそれと同時にどうしようもない暗い気持ちが私の心を満たす。
私はえーとかあーとか言葉を濁しながら、ちら、と黒板上の掛け時計を見る。8時40分、もうすぐチャイムが鳴る。どうやら時間に助けられたみたい。

「あ、ほら、先生来ちゃうし!それはまた今度ね」
「えーずるーい!美奈子ってば!」

なんか隠してるんでしょ、教えてよーと!と彼女は私にくってかかる。
言えるのならば、私だって言いたい。そして行けるのなら、花火大会にも行きたい。
でも、私の好きな人は教師で、私は生徒で。それが叶うような立場に私はないのだ。えへへ、と濁すように笑いながら、私は心の中でため息をついた。

キーンコーンカーンコーン

「ほらぁ、席につけー!朝のホームルーム始めるぞぉ!」

そんな事をしている間に、ガラッと扉が開く音と共に、いつも通りの決まり文句が聞こえた。
先生は私のクラスの担任で、当たり前の事なのに、またドキン、と心臓が跳ねる。先生が来た。
朝からそんな話をしていたので、なんとなく先生の顔を見るのが気恥ずかしい気がして、前がなかなか見れない。
いや、私と先生の間には何もやましい事はなくて、ただ一方的な私の片思いなんだけど。
私は友達に向かって横座りになっていた体を教卓に向けて座り直した。落ち着け、と自分に言い聞かせ、顔を軽くぺちぺちと叩く。
今の私の席は後ろから数えた方が早くて、先生との距離は遠い。幸いにも、今の私の動揺ぶりは先生に気付かれてはいないようだった。
よしっと、気合を込め、顔をぐっと前に上げる。今日も一日頑張るぞ、そんな気持ちも込めて。




それが、どうしたんだろう。





そこには、私の知らない先生がいた。




いつも通りの大きな文字で黒板に連絡事項を書き、いつも通りの明るい笑顔で私たちを見つめ、そして語りかけている。
大好きな先生のいつもの言葉、いつもの動作。それなのに、私は時が止まったように先生を見つめた。

いつもとのたったひとつの違い。
それが私を釘付けにした。先生の声が、とても遠い。

「…よし、今日の連絡事項は以上だぁ!なんか質問がある奴はいるかぁ」
先生が一区切りの間をとってそう告げる。そこで私ははっと我に返った。私がぼうっとしている間に先生は今日の連絡事項を全て伝えきってしまったみたい。先生がぐるりと教室を見渡す中で、クラスの中でも特に調子の良い男子が手をあげて、発言する。それは私が今まで考えていたことの全てだった。

「はーい、大迫ちゃん!それおニューのネクタイじゃん!」

黒色をしたシックで、ちょっとセンスの良いネクタイ。先生が今日つけていたネクタイは、まさにそんな形容が似合うネクタイで、普段の先生のイメージからは少し離れたものだった。
他のクラスメイトたちも、先生のそのちょっとした変化に気付き、そこかしこで声があがる。
当の先生は少し驚いて、でも少し嬉しそうだった。

「おぉ、お前らよく先生の事見てるなぁ」
「だって大迫ちゃん、いっっつも青のストライプかドットだもん」

クラスにどっと笑いがおきる。慌てて先生は静かにしろぉ、と人差し指を手に当てる。そうして少しおさまった所で、決まりが悪そうに頭をかいた。
「うーん、そうだなぁ。自分で選びに行くと、どーにも似たようなのばかりになってなぁ」
「じゃあ、それは、先生が選んだのじゃないんですかー」
先生がそういうやいなや、クラスメイトのおしゃべりな女の子がニヤニヤ笑いを浮かべてそう質問をする。
ゆっくりと視線を胸元にやった。そして

「…あぁ、ちょっとな。人から貰ったんだ」
よーし、先生の話は終わり終わり!とどこまでも広がってしまいそうな話に区切りをつけた。
「はやくホームルーム終わらせないと、一限は氷室先生の授業だろぉ、先生怒られちまうからなぁ」
ははは、と先生はいつもの太陽のような笑顔で笑った。





*********





ずいぶん、遅くなっちゃったな。
クラブ活動を終え、人気のなくなった昇降口で私は一人そう思った。
蛍光灯がちりちりと音を立ててついたり消えたりを繰り返している。そろそろ交換の時期が近いのだろう。
私はその心もとない光を頼りに自分の靴箱を探しあて、中にはいっていたローファーを引きずり出す。
そして代わりにそれまで履いていた上履きを中に押し込めた。
それまではなんともなかったのに、いざ、学校から帰るとなるとなんだかやりきれない気持ちがこみあげてきて、私はローファーをわざと音が立つように、高い所から落として履いた。
そんな事をしたって、どうしようもないし、なんの意味もないってわかっているのに。
事実それで心が晴れるなんてこと、あるわけもなかった。

そうして外に出ると、外気独特の生温かさが私の体を包んだ。空を見上げれば日はさきほど落ちた所で、藍色の空が私の眼前に広がる。
家に帰る頃には、もっともっと暗くなるだろう。お母さん、心配しちゃうかな。それでも走るような気力は、今日の私には到底ない。それどころか、いつも通りにしようと思っても、よりゆっくりな足取りでしか歩けなかった。



「…小波?」



まぁ、いいか。そう思いながら校門をくぐった所で、私は背中越しに自分を呼ぶ声を聞いた。
誰、なんて思わなかった。だってそれは私が今日ずっと頭の中で考えていた人のものだったから。
私はゆっくりと振り返る。そしてそこには案の定、あのネクタイをした大迫先生の姿があった。
あの今にでも切れてしまいそうな蛍光灯の音が、頭の中でちりちりと鳴った。



「先生、お仕事お疲れ様です」




いつも通り笑って、私。
お願いだから。




「あぁ、小波もこんなに遅くまでクラブ活動かぁ?」

そう言いながら先生は、立ち止まっている私の近くに来る。
心臓の音が、すごく早い。気持ちを押し込めるように、左肩にかけているカバンの紐をそうとは気づかれないように強く掴んだ。

「はい、夏休みまでに作り上げておきたいものがあったので」
「そうかぁ、熱心で良いぞ。でもあまり遅くなって親御さんを心配させないようにな」

胸元を見ないように、張り付いた笑顔で、努めて普段通りの私を演じる。
大迫先生はそんな私に気付いているのか、いないのか、私の右隣に立つ。私は促されるように先生と連れだって歩き出した。
そこからはたわいもない会話が続いた。最近のルカちゃんとコウくんの話やら、夏休みの宿題の話やら、私から先生に質問をしては、先生がそれに答えるのを聞いていた。沈黙の時間を作るのが、ただ怖かった。何かを言ってしまいそうな気がしたから。



「…と、先生のうちはこっちなんだが、小波は逆だったよな」

気が付けば私と先生は十字路の真ん中に立っていた。だよな?と、先生は私の家の方面を指さして、私を見る。

「はい、そうです。ありがとうございました、一緒に帰って貰っちゃって」

私がそういって頭を下げると先生は笑いながら、ぽんぽんと私の頭を撫でた。
大好きな、先生の手が、私を触っている。他の人に比べれば少し小さい、それでもしっかりとした男の人の手。
それなのに、悲しくて涙が出そうなのはなんでだろう。

「はは、小波は本当に律儀だなぁ。そんな事気にする事じゃないぞぉ」

それに、と先生は続ける

「…今日は小波、朝から元気なかったろ。少し気になってたんだ」

いつもとは違う、少し低めの声で先生はそう言った。


先生。


こらえていた涙がとめどなく溢れだした。もう、どうしようもくなって私は先生のワイシャツの胸元を掴んだ。
そうしたらあの見たくもないネクタイが私の目の前にあって、もっと涙が出てきた。
もう何もかもがぐちゃぐちゃだった。



「せんせい、せんせい」



バカになった機械みたいに私はそればかりを繰り返す。それでも先生は私の頭をぽんぽん撫でで、何も言わないまま傍にいてくれた。








 _先生、そのネクタイ、恋人から貰ったんでしょう。


 そのネクタイを見た瞬間、わかっちゃったんです
 先生が選ぶようなネクタイじゃないって、他の人が選んだのだって
 それに先生が朝、ふっとネクタイに視線をやった時に、今までに見たことない笑顔をしてました


 そうでしょう、先生


 でも、でも


 そんなネクタイ、先生に似合ってないよ


 先生は、もっといつも通りの、明るい色の方がいいです


 そう、私だったら、もっと素敵なの、プレゼントできるのに




 なんで私じゃ、無理なんだろう





 せんせい






段々と漆黒に染まっていく空の色。短い夏の夜は、もうすぐそこに迫ってきていた。



プロフィール
  • アイコン画像 ニックネーム:はるまき
読者になる
2012年02月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29
最新コメント
Yapme!一覧
読者になる
P R
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
https://yaplog.jp/piconic/index1_0.rdf