見る、ということ。

2006年07月29日(土) 0時00分
ビデオを借りてきて「ぼのぼの」の映画を見た。いがらしみきお本人のシナリオによる台詞はちょいと哲学的で観念的で説明的すぎちゃっていて、映画で見るとあまり面白くない。
『生き物たちは何のために生きているのか。大きなものごとを前にして何も出来ずにただ見ているしか出来ないことだってある。だからきっと生き物たちは、何かを成すために生きているのではないのだ。生き物たちは、ただ見るために生きているのかもしれない。だから、たのしいときがやがて終ってしまうのは、つらいときにも終りがくるためで、たのしいこともつらいことも、それを見るために終りがくるのだ。』ってなことをラストに台詞でぜんぶ語らせてまとめちゃってる、映画としてはダメダメな映画。
けれども、「見るために生きている」ってゆうのは私もいがらしみきおとまったく同じ考え。そうか、だから私は「ぼのぼの」が好きなんだ、となんだか納得。

チラシ打ち合わせ

2006年07月28日(金) 0時00分
ぼーぼーずのP嬢にチラシのデザインをおねがいして、パーカーハウスロールでお昼ごはんを食べながら打ち合わせ。妹が好みそうな色合いの、着物の柄や手拭いのようなデザインで、ハガキサイズのフルカラーのチラシにする予定。

無題

2006年07月27日(木) 0時00分
ポジティブ・パーキング

股間ズ1

股間ズ2

拾得のちPHR

2006年07月26日(水) 0時00分
拾得に川下トリオを見に行った。フェダインのような音をまた生で聴けるのかとドキドキわくわくして見に行ったら、とんでもない、フェダインのようなだなんてごめんなさい。とんでもなくかっこいいサイケロックバンドだった。ドラムが素敵。

ライブ後はパーカーハウスロールでハシケンと会って9月のライブの打ち合わせ。ハシケンとこんなにちゃんと話すのはひょっとすると初めてかもしれないくらいしっかりとがっつりと話せた。これで9月の妹企画のライブはバッチリ。あとはチラシを作るだけ。さて、することがいっぱいで、どうしよう。

不在

2006年07月24日(月) 0時00分
妹がいないということをようやくわかりはじめた気がする。

雨降りの夕暮れ

2006年07月23日(日) 0時00分
元田中のザンパノで、ふちふな夕暮れライブ。ライブ後に、妹が企画していたライブのことを渕上さんと相談。追悼ライブのような意味合いのものではなく、妹がたのしみにあたためつづけてきたライブをみんなでいっしょにたのしもう!というような趣旨のライブにしたいねえということで意見が一致。


ふちふな新聞に掲載の渕上さんの文章
「9/29拾得はずっとFFをかげで支えサポートしてくれていたともっちこと加納知子さん入魂の企画。病に凛と向き合い七夕の日に会えなくなってしまいましたが彼女の好きな二組ががっぷり組んだこのライブ、どこまでも届くおっきな演奏が目標です。」

妹が死んで、思った。

2006年07月21日(金) 0時00分
妹と私は、よくシンクロした。お互いにしょっちゅう電話し合っていたのだけど、電話をかけようとして受話器を上げるタイミングがまったく同時なので繋がらずに話し中、ということがよくあった。読んでいる本が偶然いっしょなこともよくあったし、他にもいろいろと重なることがあった。妹は「うちらはシンクロ兄妹だもんね」とよく言っていた。

シンクロを起こしていたのは妹のパワーだったのだと思う。

妹はすごく強いパワーを放っていた。そう思う。
妹が入院する直前の頃に私は高熱を出して倒れた。あれはきっと妹が倒れる知らせだったのだ。そしてその1ヶ月後、見舞いに帰るために仕事を休む段取りを迷っていた頃に私はまた高熱で倒れた。そのおかげで長期休暇をもらえ、しっかりとお別れをすることができた。
妹は、彼氏や相方ともたくさん喋っただろうし、最後だって、明け方の彼らの到着を待っていてちゃんとお別れをしてから死んだ。
永原元ちゃんに久しぶりの電話をかけてこさせたのも、会いたかっただろう渕上さんと船戸さんを鳥取まで来させたのも、妹の放ったパワーだと思う。通夜にあんなおバカ面子を揃えたのも、あれは絶対に妹のしわざだ。

妹の呼吸が止まったとき、枕元に充電しながら置いてあった妹の携帯電話の電源も同時に切れてしまった。妹の遺体を家に連れ帰って布団に寝かせたら、部屋の蛍光灯が急にバチバチいいだして切れてしまった。その日は、飼っている猫がいつまでも天井の一点を凝視しつづけていた。何をしても電源が切れたままだった携帯電話を、妹の部屋のコンセントに差したら電源が入って生き返った。

強すぎたパワーはきっと人間の身体では窮屈だったのだ。
もてあましていた身体を捨てて、きっと楽になったのだ。

沢山の出会いと別れのあった場所で

2006年07月19日(水) 0時00分
永原元ちゃんがツアーで大阪へ来ているので会いに行った。会うのは何年ぶりだろう。彼のドラムに魅せられたのが妹のライブ三昧のきっかけ。そして、生前に妹が携帯電話で喋った最後の相手が元ちゃんだった。

ライブは見ずに終了後に元ちゃんと会って、弁天埠頭のバー吟遊詩人へ。ライブ会場で元ちゃんが親しくなった女性の口から吟遊詩人の名前が出て、それで思い出して、行くことになった。元ちゃんが妹と最後に会った場所が吟遊詩人だったのだそうだ。

吟遊詩人は、弁天埠頭の加藤汽船の廃ビルにあるバー。かつては大阪の海の玄関だった場所。かつて沖縄からの出稼ぎ移民が大阪へ着いた場所。たくさんの出会いと別れがあった場所。

まっすぐなドラムしか叩けない人だから、ドラムで食べていくのはしんどいだろうと思う。出会った頃のような、叩きたい音を叩こうとしている元ちゃんの音をもういちど聴きたくて、そんなドラムを叩いているときの顔をまた妹といっしょに見たくて、それが兄妹でライブ企画をするようになったきっかけだった。

夜更けの吟遊詩人で、店にあったジャンべを叩いて聴かせてくれた。朝まで喋った。

出原紫門を断罪

2006年07月15日(土) 0時00分
死人には口が無いので悔しい。言葉も気持ちも、まったく伝わらない人が、これほどまでに伝わらない人が本当にいるのだなあと思うほどに怖い。彼が人の親であることを考えると、ますます怖い。

***(出原紫門氏のmixi日記3、ここから)
人が大切な人の死に涙している時に、実に無礼な書き込みをされる。「気持ち悪い。勝手に自己完結。黙っておけ。」近親者を失ったからといって、そんな無礼な言葉を発するのはどうだろう?妹さんが泣きますよ。オレは文章は苦手だ。上手く言い表せてないだろうし、上手く伝わっていないかもしれない。だからといって曲解して捉えるのはどうなんだ?しかも、悲報に落ち込んでる者に向かって何故そんな無礼な言葉を発せられるのか?悲しみと共に怒りまで覚えてしまって、もう憤懣やる方ない。その無礼な書き込みの前にコメントを残してくれたナミちゃんは、ビックリして悲しい想いをしながら自らのコメントを削除した。いや、アレはオレに対する荒し行為だよとフォローのメッセージを送っておいたが。。。そういえば、その無礼なヤツは自分とこに書かれてた、某・乙女少年のコメントを勝手に削除して勘違い甚だしいコメントを残していた過去があったな。乙女少年も憤慨していたはずだ。スマンの、乙女少年。引き合いに出して。 そういうおかしなヤツは、いつまでもおかしなヤツなんだろう。ネットという世界では仕方ないことなんだけど。 しかし・・・人の生き死にという大きな出来事の中で、そういう無礼な振舞いは許せない。「気持ち悪い。勝手に自己完結。黙っておけ。」いくら近親者であっても言っていいことと悪いことがある。 他人が知ることない彼女とオレとの二人の思い出だってあるのだ。それを汚されたようで憤りを覚える。 美しい思い出を永遠の記憶にとどめようとしている最中に、そんな言葉を発していいのか?まぁ、アタマのおかしな人にいくら言っても通じないのかもしれんけど。。。それにしても妹が他界したばかりだというのに、人の日記にケチをつけるなんてどういう神経をしているんだろう。またそいつが覗きにきたり、新たな反論めいた書き込みをする恐れもあるなと思い、日記の公開範囲を友人までに設定した。そんなことはしたくないんだけれども。 まぁ、ほとぼりが冷めた頃に元に戻すとするか。。。もっていきようのない気持ちを文章にしてみる。それが勝手な解釈をされて不愉快な言葉を浴びせられる。本当にコトバっていうのは恐いものだな。 人に伝えるのって難しいことやな。写真のほうが伝わるんかな?今週の土曜日の撮影はモデルさんに頼んで延期してもらった。今の気持ちで撮影に望んでもいい作品が撮れそうにないなと思って。 3連休の間は、すこしゆっくりしようと思う。
***(出原紫門氏のmixi日記3、ここまで)

訂正箇所。
私は「気持ち悪い。勝手な自己満足に自覚が無いのなら黙っていてくださいね。」と書き込みをした。以下の2つの日記を読んで我慢がならなかったので、そう書き込みをした。

**(出原紫門氏のmixi日記1)
マイミク・のん@凸さんがお亡くなりになられました。さようなら、知子。都会の空は明るすぎて星が見えません。ねぇ、どこにいるんだい? これからは心の中とオレの作品の中で生き続けていくのですね。楽しかった。ありがとう。またね。
**(出原紫門氏のmixi日記2)
ひとつ また ひとつ 港を出て行く船 別れのしるしに 俺の影 置いてゆく 自由だけを追いかける 孤独を引き換えにして お前の匂いは 記憶の彩りだけど 生きてゆく道連れは 夜明けの風さ 古い石畳 過ぎ行くときを見てる どんな 恋だって 色褪せ 崩れてゆく いつの日か この俺も 生命尽き果てるなら あの雲にまかせて 遥かに 彷徨い歩く 生きてゆく道連れは 夜明けの風さ そうさ 夜明けの風さ 蒼い 夜明けの風さ

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妹のこと、おぼえがき

2006年07月10日(月) 0時00分
6/26 黄疸が出てきたから話ができるうちに会いに帰ってこいと実家から連絡があり、帰省。会ってみたら思ったよりも元気で安心するが、心臓の強さと気力だけで持っているような状態なので持ってあと一週間だと聞かされる。病名は巨大後腹膜腫瘍。十二指腸から下はまったく機能しておらず、胃の容量は200ccほどしかない。鼻から胃に管を入れてあり飲んだものが出るようになっているので、飲み物は口から飲むことができる。意識障害が起こり始めてもおかしくない黄疸指数だが意識はとてもはっきりしている。胸が小さくなってしまったので退院したら今までのブラジャーが使えないと寂しがっていた。足腰が弱ってしまっては退院してから困ると言ってトイレには自力で行っている。主治医曰く、ベッドから起き上がれるのが普通ではありえないことだそう。しばらく帰省することに決めて、準備のためにいちど帰京。

6/29 帰省。病巣が肺に転移して呼吸が苦しくなったので酸素吸入の鼻管を始める。

6/30 夜中に妹に付き添う。以降、母と日替わりで昼夜交代。桃のジュースとマンゴージュースが飲みたいと言われスーパーやコンビニで探すが桃のジュースがなかなか見つからず。

7/1 相方が見舞いに来る。妹の彼氏も見舞いに来る。彼氏が喫茶ミクロのミックスジュースを土産に持って来て妹がとても喜ぶ。モルヒネ点滴を開始する。黄疸による意識障害もなくモルヒネも痛みを和らげる程度に機能しているようで、しっかりと話ができて意識はとてもはっきりしている。

7/3 日に日に呼吸が苦しそうに早くなっていく。足がむくみだしたので膝下〜足裏のマッサージをする。足ツボの知識がこんなときに役立った。スーパーでやっとネクターを見つけた。

7/4 心肺機能低下で末端への血液循環が悪いせいで、手足が冷たい。黄疸を取るために胆嚢にドレーンを挿せるかどうかの検査するが危険なのでやめ。

7/5 内臓が壊死してガスが溜っているため、腹水を抜くドレーンは挿せず。足腰が弱ることを心配してトイレはこれまで自力でしていたのだが、呼吸がずいぶん苦しくなってきたので、説得して尿道カテーテルを入れることにする。
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