写真作品集の通販のご案内 

2020年07月07日(火) 0時00分
◆写真集の通販のご案内◆
このブログの画面右にあるメールフォームから
「郵便番号」「ご住所」「お名前」「商品名と冊数」をお知らせください。
折り返し、ご注文方法を連絡させていただきます。
※メールフォームが表示されない場合は下記メールアドレスに送信してください。
(件名は「作品集注文」としてください。)
abantaban凸yahoo.co.jp (凸を@に)
※メール送信後1週間経ってもこちらから返信が無い場合は
送受信エラーの可能性がありますので、お手数ですが再度メールを送信ください。
ウェブサイトに、それぞれの作品集の解説や詳細を載せています。ご覧ください。

クロッキー初体験 

2018年09月30日(日) 0時00分
先日の名古屋でのクロッキー初体験。1枚目は御前珠里さんで、2枚目はさくらさん、3枚目は最後に3人をと描き始めたところで時間切れ。初めて描いたのでぜんぜんわかんなくて。5分ってあっという間で早いですねー。




美術モデル4名の座談会 

2018年09月28日(金) 0時00分
美術モデル4名の座談会で、珠里さんくるみさんさくらさんと、あと1名は男性モデルさんということで、興味津々で名古屋まで。私は裸を敢えて隠した写真を長く撮ってきて、隠さずに裸を撮るようになったのはこの5年ほどで、今になって最近、人前で裸になることについて知りたくなっていて。充実した話を聞けました。

ひさしぶりの栄なので帰りにラブリーでどて煮をと思ったけどイベント終了が遅いからギリギリっぽいしイベントの始まる前に叶で味噌カツ丼かしらと向かったらまさかの振替休業で、イベント以外はハズレの日でした。





ゆがむ、ひずむ 

2018年09月26日(水) 0時00分
バイト中のお喋りで「裸のモデルさんを撮るとかぜんぜんわからない世界だからエロい想像しかできないんですが、写真を撮る人はやっぱり芸術的な目で見ているんですか?」と聞かれて、
カメラの前に裸で立つことと衣装を着て立つことは同じことで、どんな化粧をしてどんな髪形でどんな服を着るかという選択のひとつに裸という選択もあるわけで、もちろん、裸であることが単純にエロいいやらしいと思うモデルさんカメラマンもいるだろうけど、私にはそれは理解できなくて、私は異姓であることの違いにはもともとあまり捕らわれていないようで、人としての興味でモデルさんと接しているように思います。そんな目で見ています。って答えました。

同じくバイト中に「コンサートとか演劇とか行ったことが無くて、そういう生の感動に触れる経験を一生のうちにしてみたいです」って言われて「生はいいですよー」って答えたら、何がよいのかと聞かれたので、
私は写真を撮っていて、そうするとモデルさんと向き合って撮影しているその現場がいちばん楽しくて、だけど作品として見てもらうものは出来上がった写真で、自分の中でのそこの温度差がジレンマで、だから私は時間芸術にあこがれと興味があるんです。「時間芸術って何ですか?」「そのときその場に居合わせていないと見られないから生の表現は時間芸術だと思います」たくさんのライブを見ていると、1拍の長さの取り方が人それぞれで、1拍のあいだの音の重なりがつくるうねりが演者ごとに違うのを感じるようになって、そうすると1拍をとてもゆったりと感じる瞬間に出会うことがあって、その瞬間に時間がゆがむんです。時間は一定の速度で進むんじゃなくて、ゆがんで進んでいるんだと感覚で知ると、世界が新しく見えてきて、だから生はいいですよ。
って話したら、めっちゃよくわかりましたって言われて、めちゃめちゃ伝わりにくい話だろうと思いながら話したので、意外でした。
ああ、時間がゆがむというより空間がゆがむの方が感じ方に近いかな。

私はどこまで私なのか。 

2018年09月13日(木) 8時16分
私はどこまで私なのか。あなたを認識しているから認識している程度にあなたも私で、けれども私のからだの細胞の営みは認識できないから私は宇宙で、宇宙とは総体だと認識している程度に宇宙は私だ。

私はどこに立って何を見ているのか。 

2018年09月12日(水) 8時15分
誰でもなければ、何者かでなければ、人は消えてしまうのかしら。私は肩書とか経歴とか地位とかそういうものから逃れたいのに、残照とか残照寫眞と名乗ったり認識されることでこの写真を撮れている。私はどこに立って何を見ているのか。人は写真の何を見ているのか。

写真であるかぎり抜けられない。 

2018年09月11日(火) 8時14分
写真とは暴力だからいやになる。優しくしたり謝ったりしながらちゃんとシャッターは切るんだからDVみたいだ。言葉を奪って勝手なキャプションまで付けたりして。写真であるかぎり抜けられない。いやだ。

しあわせのみつけかた 

2018年09月07日(金) 8時10分
SNSで情報が流れて来すぎて、むかし見ていた世界よりも目にするものが遥かに多すぎる。自分と切り離して二元論で処理しちゃえる人はいいけど、「はいここまでよ」っていう線引きが私はできない。

いっちょ噛みしてマウント取ってくるしょーもないのとかは切り捨てるけど、切り捨てたそれも自分なのだと引き受けて更新していかないと、だって世界(場所とか環境とか自然とか)と私とは分かちがたくて、そこが地続きだから二元論とはならないのだもの。

原因と結果とは、点と点を結んでみたら「ほら線が引けました」というだけのこと。移動の途中には始りも終りもない。点から点へと移動することで新たな点が見えるという連続と、その連続が直線ではなく螺旋を描くのだと知ることが、しあわせの見つけ方。

ひとつめふたつめとみっつめのあいだは飛躍しすぎてるなあ。頭の中では繋がっているんだけど、そこをもうちょっと捕捉しないと伝わらないですよね。
寫眞にも言えて、私の寫眞が届かないのは飛躍しすぎていて不親切だから。性格なんだろうけど改めていかなくちゃ。

*****

なにが言いたいかといいますと、最新作「ときわ かきわ」はとてもよい寫眞集なので届きますようにということです。「楽園」の先に見つけた「点」としての未来永劫、eternityです。

残照寫眞作品集「ときわ かきわ」

発売日:2018.9.5
価格:2000円(受注制作)

赤く咲くのは芥子の花。私は古い小唄を口ずさみ、自分の不幸がわからない。覚めることのない永遠の今日に、私たちの誰がいったい私たちなのだろう。

https://minne.com/@photozansyou
https://zansyou.jimdo.com
にてご購入いただけます。

店の売り物が無い 

2018年09月06日(木) 0時00分
日照り続きの野菜不足に続いてこの台風で秋冬野菜も心配で、瀬戸内や九州の食品に欠品が増えていたところに北海道もで、飲食も販売も厳しいので今日から午後はアルバイト。

寫眞とは、やって来るもの。 

2018年09月03日(月) 0時00分
「楽園」に続く寫眞集のための制作ノート

寫眞集「楽園」あとがき。
撮影中に、しあわせとは何かと聞かれたので、それは関わり方とその結果しだいのもので、線ではなくて点なのだと答えたら「じゃあ私は今日しあわせです」と言われて、いま天使の羽をほしがっているラプンツェルとの次の作品集のタイトルを「楽園」に決めた。「あのときはこんなこと言ってましたよね」とかラプンツェルが中学生だった頃に私が話したことも覚えてくれているから、愛情とか信頼が彼女に残す点がしあわせであってほしいと思う。

寫眞集「楽園」の裏返し。
しあわせとは関わり方とその結果が相手に刻む「点」だと書いた。ならば視点を変えて、相手を見つけられず居場所がない「私」に刻まれるしあわせの「点」とは、私が無になるその瞬間かもしれない。すべてがウソだから心を保つために身体に「点」を刻む。人は誰とも繋がれない。

世界とは生まれたがゆえの不可逆性という悲しみとその浄化の螺旋のフラクタル 。記憶は上書きされて起点は喪失し円環は螺旋になるから進まざるをえない、そのかなしみが世界のすべて。

感覚でああこれはだめだいやだと思ったものはだいたい正しい。そこに囚われ続けて生きていることを突きつけられ続けていて苦しい。それで私は寫眞から逃れられない。寫眞とは、やって来るもの。

見ることは見ないことでもあり、見たいものを見ようとすれば見たくないものは退けられる。裸であるということは、裸であることで裸ではないということでもある。裸であることが裸でないならば、裸は美しいなどというメッキは剥がれる。カメラは対象に意識を向ける程に被写界深度が浅くなり周囲はぼやける。意識を向けたそれがメッキならば、何を見ていたのか。

原因と結果とは、点と点を結んでみたらほら線が引けましたというだけのこと。移動の途中には始りも終りもない。点から点へと移動することで新たな点が見えるという連続と、その連続が直線ではなく螺旋を描くのだと知ることが、しあわせの見つけ方。
***
月別アーカイブ