「面白くてバズる」コンテンツはオワコン

October 28 [Sat], 2017, 4:30
 ここではお久しぶりになってしまいましたが、皆さんご機嫌いかがでしょう? 久しぶりにエントリーを書くので、取っ散らかそうだけれど、ババっとメモがわりに。

 オウンドメディアが次々と立ち上がり、「なんでもWebメディア」状態になって久しいけれど、どうも最近潮目が変わってきたな〜と思う機会が増えた。ちょっと前に、ヨッピー氏が“おでかけ体験メディア”『SPOT』で「水分を取らずに30時間我慢してから飲む水が最高に美味かった件」という日本コカ・コーラの『い・ろ・は・す』のPR記事が炎上したことがあった。同記事は批判を受けて非公開になっている。

 ご指摘について(SPOT)

 最近では、地主恵亮氏が“小菅村をもっと楽しくおもしろくするWEBマガジン”『こ、こすげぇー』で「図書室で本を隠したよね?最近の子供も隠しているか調べる」という辞典に挟んで本を隠すといった内容の記事を書き、やはり炎上。記事は非公開に追い込まれた。

 10/24公開記事に関してご指摘いただいた件について (こ、こすげぇー)

 ヨッピー氏と地主氏に共通するのは、単価の高いオウンドメディアの記事だということ。あとは「面白ければバズる」という発想・編集方針。ついでにいえば、Twitterに土下座画像をアップしていることだろうか。
 自分もいくつかのオウンドメディアでお仕事をさせて頂いたことがあるけれど、中には編集体制が貧弱で、「企画の面白さ」が優先されて、運営企業・アイテムのブランディングに果たしてつながるのかどうか、首をかしげるようなメディアもあった。
 もうひとつ、Webを中心に売文業をしている身として昨年くらいから感じているのは、「RTやいいねの数はアクセスと必ずしも結びつかない」ということだ。とりわけ人気ライターの記事だとSNSの反応は良いが、内実は関係者や知り合いのRTや「いいね」だったりするし、SNSでの反応の総数がPVを上回るというケースも珍しくない。つまり、読まずにRTや「いいね」をしているひとが増えているということだ。これって本末転倒じゃないですかね?

 そんなわけで。自分は「面白くてバズる」というコンテンツがオワコンになっているのでは、とひしひしと感じている。そういうコンテンツに携わることもあるし、作り上げる楽しさはあるのだけれど、ユーザーに届かないのでは意味がない。
 企業側も、何らかの製品のPRをしたいという場合、「面白さ」よりも「まっとうに」その魅力をユーザーに分かってもらう、ということの大切さを一度考えてみてほしいな〜と思う。タレントを起用してもどうせそのタレントが何を言ったという短い記事になるだけだし、あくまで「売る」というところがKPIならば、飛び道具に頼るのではなく、淡々とその良さを伝えるという地道な努力をしていく必要があるんじゃないかな〜と感じる。

 なんだかやっぱりとりとめもなくなったけれど。多数のコンテンツがスマホで見るユーザーの可処分時間を取り合っている状態で、「面白い」も「バズ」も効かなくなっているということは、企画の上流のひとには理解して頂きたいな、というお話でした。

 次の更新がいつになるかわからないけれど、この辺で。

 

 

『Yahoo!ニュース個人』はまとめブログ並になっちゃうかもね

February 04 [Sat], 2017, 1:00
 しばらく体調の浮き沈みが激しくてしんどいParsleyなのだけど、どーしてもモヤモヤしたので簡単に記しておく。
 上智大学の水島宏明教授の『Yahoo!ニュース個人』の記事なのですが。

 MXと似てる?TBS「ビビット」もヘイト放送!(水島宏明)

 実際に番組を見ていないので、内容については触れない。個人的に無茶苦茶気になるのは、番組の内容の画像を大量に使用していること。
 まず当然ながらテレビ番組の著作権はテレビ局にある。今回の場合もTBSが権利者となるだろう。そのため、ネットでは各ポータルサイトやメディアはホームページのキャプチャーや出演者を自前で撮った写真などを使用するか、著作物の利用の許可を得るなどの工程を経るなどしている場合がほとんどだ。個人的には、番組を録ったりテレビ画面に写したりした一般ユーザーのSNS(とりわけTwitterのツイート)の使用も避けている。

 『Yahoo!ニュース個人』の場合、特にスマホなどではYahoo!のトップに他メディアのニュース記事などと同じにリンクが並ぶ。そして画像のキャプションが表示される。つまりポータルサイトであるYahoo!のトップに、水島先生の記事のトップで使われている『ビビット』の番組内画像が載るということになるのだけど、いいんですかね……? 

 おそらく、著作権の「引用」の範疇で番組がヘイトであるというオピニオンを出した、というのが水島先生の立場なのは理解できるのだけど、ネットの世界ではまとめブログがさまざまなテレビ番組のキャプチャーを許可なく使っているという実態がある。さらに『NAVERまとめ』や『Spotlight』などのまとめサイトやキュレーションメディアの著作権違反の問題のほとぼりが収まっていない段階で、元テレビ局ディレクターで現職大学教授としてジャーナリズムを教える側が、堂々とそれらのまとめブログと変わらずに番組の画像を使用しているというのは、正直に言えばショックだ。もっと言うとテレビ局のHPのキャプチャー使うのにも気を使ってやっている自分がバカバカしくなる。

 前にもエントリーにしたが、個人的な意見として著作権はフェアユースにしてしまえ、と思っているので(参照)、重箱の隅をつつくようなことはしたくないのですが。現行法は現行法として守らなければいけないというのが法治国家の前提だし、メディアあるいはジャーナリズムもそうであるべきだろう(もちろん、「現状を変える」というオピニオンを出すのはまた別として)。

 まぁ、『Yahoo!ニュース個人』にも著作権コンテンツの使用に関する規定があるし、Yahoo!ニュースの編集チームがどのように今回の事態に対処するのかは、ワクテカで見守りたい。仮にコレが通るということになれば「そういうことなんだ」と思うし、自分がTBSテレビのキャプチャー使って著作権料請求されたり、『Yahoo!ニュース個人』に記事を書いて編集サイドから「待った!」がかかったなら「あーダブルスタンダードなんですね」と思うことにします。

 こちらからは以上です。



 

『ネットメディア覇権戦争』を読んだ。

January 22 [Sun], 2017, 1:30
ネットメディア覇権戦争 偽ニュースはなぜ生まれたか (光文社新書)
藤代 裕之
光文社 (2017-01-17)
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 『ガ島通信』こと藤代裕之先生が、Yahoo、LINE、日経、スマートニュース、NewsPicksを中心に日本のメディア環境についての成り立ちと現状での課題をまとめた一冊。ここでは、「猫とジャーナリズム」という特に無料メディアが抱える問題と、「偽ニュース」の問題について感じたことを記しておきたい(特にYahooが抱えている「メディアかプラットフォームか」といった問題については、別途書こうと思う)。

 「猫とジャーナリズム」というのは、SNSでニュースが拡散していく上で猫に関するコンテンツが著しくシェアされるというBuzzFeed創業者のジョナ・ペレッティ氏の実験に端を発している。実際、BuzzFeedでは政治・社会系の記事からクイズまで硬軟相混ざった記事が並んでいる。ほかのポータルサイト=プラットフォームにしても、ウェブメディアにしても猫画像のような「柔め」な記事を多数配信しているし、本書で一章設けているスマートニュースにも『ねこチャンネル』がある。
 ただ、例えばSNSを駆使しているISISが「銃と猫」をあわせた写真をTwitterやInstagramで流している。これらを「面白コンテンツ」として流通させるのは本書では「偽ニュース」だと断じている。「事実」は「事実」でも文脈をぶった切って「面白い」「カワイイ」だけを切り取ると読者に誤解を与える可能性が高い、という実例といえるだろう。
 2015年のバイラルメディア騒動や、2016年末のDeNAの『WELQ』に端を発したキュレーションメディア閉鎖の問題は、クラウドソーシングサービスを介して「記事を書く人も読む人も不幸になる仕組みだった」と本書では総括している。ここ数年で、メディア運営をするにあたって「倫理」を欠いた場合、どのようなことが起こるか我々は目の当たりにしてきた。
 一方で、例えばファッションコンテンツが主だった『MERY』は女子から休止を惜しむ声もある(参照)。こういった無料で情報を受け取ることが当たり前になった読者の存在がある限り、この問題はついて回る。

 もう一つ、本書で指摘されているのはスマホでのニュースの「見え方」だ。特にネットメディアは、トップページ(ブランド)からのアクセスが1割に過ぎず、検索サイトに上位に来た記事やSNSからの流入が大半を占めるため、ユーザーは「見たいものしか、見えない」状態であるというグロービス経営大学院の川上愼市郎氏の「キメラ」説を紹介している。
 私もネットメディアでデスク・ライターをしているからよく分かるのだけど、例えばインタビュー記事のような「かため」の記事がプラットフォームやニュースアプリに拾われることが稀だし、「ネットで話題」=「テレビでの芸能系の話題」に偏りがちになり(スマートニュースにはそういう記事が掲載される傾向がある)ため、「ジャーナリズム」をやりたければ「猫」を数倍記事として出さなければならない、という状況に多くのネットメディアが直面している。ただ、上記のようなプロパガンダに引っかからず、ユーザーにとって有益な情報を出しつつ、「倫理」をもって「ビジネス」とバランスを取りつつ出して「猫」と付き合わないければならない。これは想像するよりずっと面倒くさい作業だ。

 個人的に気になるのは、「ネットの編集者やライターは質が低い」という言説(著者がそう断じているわけではない)。
 思うに、ネットメディアに人材が不足しているのは事実だろう。とはいえ、ページビューでもパイビューでもいいが、数字が厳然と示されるネットの世界ではKPIが紙の「媒体」よりも「記事」単体、もっと言うと書き手に向かう。その上、SNSなどでコンテンツの内容に関する反応に晒される。両者の耐性をつけることが出来る人間が果たしてどれほどいるのか。失敗をすれば盛大に叩かれ、よい記事を出しても大して褒められないという世界で、長くやっていける人材を育てるのは相当難しいように感じられる。それも人やメディアの「質」がなかなか上がらない理由として挙げられるように感じられる。

 いずれにしても、著者が書くようにネットメディアが「マスゴミ批判」や「ネットで話題」でアクセスを稼ぐ「ニセモノ」のままか、本物になれるのか、岐路に立っているということは肌感覚からも理解できる。個人的に、そこにどのようにコミットしていくのか、ということが課題として突きつけられた、というのが正直な感想になる。

 まぁ、そうは言っても、生活があるからね。そことの折り合いもつけながら、無理せずにやっていかないとね。
 

「1円ライター」から抜け出すためのはじめの一歩

December 11 [Sun], 2016, 3:15
 『マガジン航』の記事が話題になっていたので、その感想をざざっと記しておきたい。

 1円ライターから見た、キュレーションサイト「炎上」の現場 (マガジン航[kɔː])

 私はもともとこのブログを目に留めてくれた編集者さんにお仕事を頂いた2006年からライターというお仕事をはじめている。それまでは「書く」ということで食べるということは思いもよらなかった。だが、2010年に広告企画会社を解雇になって、転職活動に失敗し、結果としてライターや編集のお仕事が本業になってしまったという裏街道を歩んでいる。だから、「とにかくライターになりたい」という気持ちでクラウドソーシングサービスでの案件に手を出して、結果的に今回のDeNAや各社のキュレーションメディアでの騒動に巻き込まれたひとたちのことは他人事と切って捨てるのは躊躇われる。

 だが、残念ながらこの「1円ライター」の記事を書いたひとが、他のメディアで通用するかと言われると、しないと思わざるを得ない。
 理由は2つ。まずは「私たちが1円の仕事を辞退すれば、高級ライターが仕事を回してくれるわけではありません」というくだりから、ライティングのお仕事が回ってくる「仕組み」に対して知識が浅いことが見て取れること。もうひとつは、クラウド会議室のことを「優しさが満ちています」と記していることだ。

 そういえば、今年の春先にこんな記事を書いた。

 1件「300円」の世界から抜け出せない?ライティング仕事の罠(Suzie)

 ここでは、クラウドソーシングサービスで募集されているライティングと、それ以外のライテイングでは「世界が違う」と指摘した。DeNAの各キュレーションメディアではSEOに関するマニュアルの存在が明るみになっている。その多くのケースでは内容自体が問われない。しかし、ネットメディア・紙媒体問わず、求められるのはその記事が読む人にとって「面白いか」「役立つか」ということで、「1円ライター」を続けていても各媒体によって書く上での約束事に合わせるスキルが磨かれない、と指摘した。私を含めて、これらのサイトで書いていたライターに発注をしたいと考える編集者が少数派だという所以でもある。

 また、ネットメディアで活躍する上でライターに必要なのは「筆力」ではない。むしろ要るのは、各媒体に合わせた「文体」を書ける柔軟性と、専門的なことを「ググる」力だ。これも以前にエントリーにした。

 ライターになるために必要なたった1つの資質

 だから、もしライターとしてのキャリアアップを図りたいと考えているのならば、「居心地の良い」クラウド会議室から早々に立ち去ること、これが「1円ライター」から抜け出すためのはじめの一歩になると思う。同じレベルのひとが集まる場所にいてもスキルアップに繋がらず、ただ馴れ合うだけで時間を消費している場合ではないからだ。
 そして、ネットメディアやニュースサイトの編集・ライターの募集に応募することにチャレンジしてみて欲しい。東京から離れた遠隔地でも、最近のメディアはメールやSkype、ChatWorkなどで編集・運営を行っているところも多いので、「書ける」ライターならばさほどハンデにはならない。自分の得意なジャンルがあるならば、それに見合ったメディアの「ライター募集」のページからメールを送ってみてもらいたい。
 
 とはいえ、「高級ライター」を目指す道を進むことは、あまりおすすめできない。まずメディアに関わる上で踏まえておくべき知識が広範に渡ること(これはこちらで書いた)。その上で努力が実を結ばないことが往々としてあるということ(PVを稼ぐということ=多くの人に読まれるということがどれだけ大変か!)。それでも自分の出した記事が情報環境に質していると何があっても信じられること。これらの資質がないと、この業界で生き残っていくのは難しい。
 つまるところ、「ライターとして生きていきたい」という願望ではなく、「この仕事でしか生きていけない」という覚悟が必要だ。それがないひとは、この世界ではやっていけない。

 あまり暗い話ばかりするのもアレなので、希望めいた話も。各メディアで活躍しているプレスラボの小川たまか女史は、メルマガのライティングからこの業界に入ったという。2004〜2006年当時、メルマガのライティングはとんでもなく安価だった。他にも、クラウドソーシングサービスでのライターから、勉強会に参加して知己を得て、大手紙のライターとして活躍している知り合いもいる。彼女たちに共通するのは、外へ出て良い編集者やメディア関係者と出会うところから、現在の活躍につながっているというところだ。
 だから、私は「クラウド会議室から出る」ということが現状を打破する一歩なのだと思う。もしその会議室にいるひとを救いたいと願うのならば、そのひとたちに「仕事を振れる」立場にまで成り上がってほしい。私も偉そうなことを書いていないでそうなれるようにもっと研鑽を積みたいと思っている。

ネットから「降りる」か「残る」か

September 13 [Tue], 2016, 1:25
ウェブでメシを食うということ
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 ちょっと風邪気味ではあるし、やらなければいけないタスクが一段落したということもあって、最近読了した中川淳一郎氏の『ウェブでメシを食うということ』の感想みたいなものをざざっとメモ。

 まず。この本はウェブで稼いでいくということが主題ではなく、中川氏が博報堂に入社して社会人となり、退職後に『テレビブロス』などでお仕事をして以後に『アメーバニュース』『ニュースポストセブン』などを立ち上げに関わった間に交遊があった人々についてを交えた自伝的作品だといえるだろう。マイケル・ウィンターボトム監督の『24・アワー・パティー・ピープル』の2000年代東京IT業界版として読むと実に面白いし記録的な価値もあると思う。
 
 とはいえ。考えさせられたのは、中川氏がネットの世界、というか社会から「降りる」日がそう遠くないと準備していらっしゃるような描写が節々に感じられたことだ。まぁ、365日ほぼ休みなしで稼働することが宿命のネットニュースという仕事は、体力がないとキツイし、常にネットの感性というものを維持するために浴びるような情報収集を常に求められるし、そう長い間にやる仕事ではないのかもしれないな、と思ったりもする。
 だから、中川氏が40代のうちにキャリアから「降りる」という選択をするというのは賢い生き方のように見えると同時に、そこまで30代の間にウェブで稼げなかった自分としては羨ましくもある。

 30代のうちは、ネットの情報に対して瞬発力のあるアウトプットができたり、流れてくる情報を出しているユーザーの感覚を読むことができた。それがこれから先ずっと出来るのかどうか。ネットから降りずに「残る」という選択をした場合、それが求められる。そして、それはとても難しいのではないかと、日々のニュースやツイート、知り合いのFacebookやInstagramを横目に、ぼんやりと思いはじめている自分がいる。

 最近も、PCデポの高額解約料騒動の問題がTwitter発で明るみになって、「トウゼンカード」なるノルマの存在など次々と明るみになる中、徳力基彦氏が日経新聞電子版のコラムにボヤっとした記事を出して、若干ボヤって(小炎上)していた。

 PCデポ炎上 世間は適法より「適切」重視(徳力基彦):日本経済新聞

 徳力氏ほどの人がこれほどピントの外した記事をブログではなく日経新聞に出してしまうというあたり、2016年というメディア環境を象徴しているとも言えるし、彼ほどの人でもネットの「空気」がちゃんと読めないことがある、ということには個人的に若干衝撃を受けた。長年ネットで仕事をしている人でも、「やらかす」ことがあるのだ。そして、ネットメディアでは一回の失敗の傷がテレビや紙媒体よりも深く長く尾を引く。

 そんな中で、この先10年20年と戦い続けていけるのか。正直私自身は不安に感じている。まぁ、メディア環境は日々変わるし、元切込隊長氏が『Yahoo!ニュース個人特別企画』でおっしゃているようにそこに適応してなんぼではあるけれど、いつまでその気力と体力が続くかなぁ……。
 そういう意味でも、中川氏の「店じまい」感は生き方として学ぶべきところは多々あるし、なかなか真似はできないけれど、「残る」にしても「分からない」ものは「分からない」として置いておく勇気が必要なのかな、と感じる機会が増えているのは確かだったりするのだった。

 なんだかまとまりがないけれど、この辺で。とにかく、『ウェブでメシを食うということ』は20年後くらいに映画化されるべきだと今から強調しておきたい。

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言葉使いが気になるのは歳を取ったせいだろうか?

May 03 [Tue], 2016, 3:45
 なんとなく眠れないParsleyです。ごきげんよう。
 ここのところ悩みが多くて、ほんとうに「不惑ってなんだよ」と思う今日このごろなわけなのだけど、その中の一つをだらだらと記しておきたい。というのも、最近では自分で「書く」こともそうだけど、ひと様の原稿を「見る」ということも増えてきていて、殊更に「言葉使い」を気にすることは、もしかして感覚として「古い」のではないか。でも気になってしまって直すかそのままにするか、判断に困ることが多くなっていたりするわけなのです。

 唐突だけど、「物を言う」と「ものをいう」の意味の違いを、説明できるだろうか?
 前者は「口を出す」、後者は「役に立つ」というように、全く違うのだけれど、特に後者の意味で前者のように漢字で書いてくるひと、結構いるんですよね。
 同じように「言う」と「いう」。「話す」という意味で前者を使うのはいいのだけれど、何かを指すという意味で「言う」と使うのは間違い。だけど、そう書いてくるひとはかなり多い。
 さらに「所」。これも「場所」を指しているのでもないのに漢字を使ってくるケースが非常に目立つ。

 自分が編集する場合、こういったものを見つけると、ついつい直してしまうのだけど、割とネットメディア(特に新興のところ)ではスルーされて漢字になっているところを結構見かける。まぁ、音読みすれば同じだけどさぁ……日本語としてどうなの? ……と思ってしまうんだよねぇ。
 もはやPCで文章を書くのは当たり前で、中にはスマホで書いて入稿なんてケースも珍しくない中、変換に頼ると漢字になりやすい、というのが多分に影響しているというのはわかる。読む人間がそれほど気にしなくなっているということも、なんとなく肌感で理解できる。なので、だから、それを教えるべきなのか、それとも現状に「慣れて」しまうべきなのか、かなーり悩ましいところだったりするわけで……。

 といっても、やっぱり正しい日本語が書けないライターが増えるというのは望ましいことではない、という気持ちがどこかにあるのも事実なので、メディアでお仕事をしている、もしくはしたいと思っているひとはちゃんと勉強してほしいなぁ、と思っていたりするのでした。

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ライターとは「書く労働者」であるということ

January 20 [Wed], 2016, 1:00
 煮詰まったので息抜きに。ちょっと前に、青柳美帆子女史のブログエントリーが話題になっていたことに関して、なるべく手短に。

 「ライターになる方法をおしえて」と訊くような子はなれないでしょう - アオヤギさんたら読まずに食べた

 個人的には枡野浩一氏の短歌をタイトルにするセンスが受け付けないのだけど。彼女が「今はいろんな媒体がライター募集してますから、一本2000〜5000円でスタートして徐々に書く量や単価を上げていけばいいんじゃないですかね」としているところに、諸先輩方からツッコミが『Facebook』で入っていて、「上限5000円の原稿しかやっていないといつまで経っても上限5000円のまま」というのが大方の見立てだった。

 そんなことはない。私自身もそうだし、数千円の案件を愚直にこなしているうちに数万円の案件が舞い込むようになったライターを幾人も知っている。というか、最初ネットから入れば最初は単価が安いので当たり前なのだけれど。

 まず前提として。メディアあるいは物書きを仕事として志望している学生さんにアドバイスするなら、「どんな手段を使ってもどこか出版社か新聞社に入るのが最善」だと伝えるだろう。次善がポータルサイトのニュース編集職。最初に様々な媒体のライター募集から入るのは「悪手」だ。
 それでも、新聞・出版・大手ポータル運営会社に就職できるのは一握りだろう。雑誌のアルバイトに応募したり、編集プロダクションに進むといった道もあるし、PR会社でプレスリリースを書きまくって数年後に転職を狙うというキャリアプランもありだ(これは逆も同じことが言える)。
 しかし、それでもあぶれるライター志望の人は出てくる。出てくるからこそ、「一本2000〜5000円でスタート」という悪路に迷い込む人が後を絶たないわけだ。

 ただ、この単価の安い案件を数多くこなすことは悪いことばかりではない。筆の早さと、情報を集める早さと、適切な表現をするための判断力が磨かれるからだ。私の場合、多い時で月70本ほど書いていた時期があったが、タイトルづけ、読者の反応がどうなるかという事前の読み、媒体に合った適切な文体に合わせる柔軟性が身についたように思う。やっぱりこなした数は裏切らない。
 それで。どうして「一本2000〜5000円でスタート」でその先に行けないのか、といえば「数多くはこなせない」人が多数派だからだ。これには兼業だからということもあるだろうし、単価が低く生活が苦しくて折れてしまうことだってあるだろう。私も70本書いて月20万円ちょっとという時期は本当にしんどかった。
 そこを折れずに書けたのは「もう後がない」という状況で必死だったからで、実際折れたら路頭に迷っていた。あとはかなり運にも人にも恵まれた。必死さが伝わったのかもしれないし、気まぐれに「こいつに書かせてみよう」という感じだったのかもしれないけれど、私にとってはどちらでもよかった。

 最近のライター談義でちょっと違和感があるのは、「単価が上がれば生活できるのか」ということ。仮に3万円の案件を月3本受けたとして9万円(実際源泉が引かれるから手取りは下がるだろう)。それだけで暮らしていくのはキツイ。逆に3000円の案件を月に100本書けたとすれば30万円になる。これなら食べていけるだろう。
 あと、「時間」や「工数」といった要素も今のところあまり俎上に載せられていない。個人的には1本1万円の案件で、初稿から戻しが2回以上発生する場合は、「割に合わない」と感じる。逆に2000円でもノーチェックで掲載・支払いということならば、「2時間で5本書けたら上出来」となるだろう。
 こういった「工数」に関して、意識があまりないライターは長く続けていけないと思う。最近のネット媒体では数千円の原稿でも何度もリライトを要求してくるところはザラにあるが、それに付き合うのは本来書けたはずの原稿が書けない=発生したはずの報酬が消える、ということなので、なるべく早くにそういった媒体からは抜ける、といった判断も必要になる。

 こうして記してみると、ライターとは「書く労働者」であるということをつくづく感じる。あまり人から羨ましがられる要素はそんなにないと思うけれど、私自身はこのお仕事が基本的には楽しい。愚直にキーボードを打ちつつ、ネットを周回しつつ、時に取材に出て人に会ったりヘンな体験をしたり、それをどう言葉を選べば上手く伝えることができるのか、考えるのが楽しい。
 逆にいえば、「労働者」であることが楽しいと感じられないのであれば、このお仕事は向いてない。ワーカーホリック上等という人のみが、残っていけるという意味においては、厳しい隘路であるということも言わざるを得ないだろう。

 まだまだ言いたいことはあるけれど。明日は1日取材が重なって都内を行ったり来たりなので、この辺で。

 

Webだけでライターが食べていくのに必要なこと

December 22 [Tue], 2015, 6:00
 予定よりも早く目覚めてしまったので、自分もお世話になっている宮脇淳氏率いるノオト主催のトークイベント『2025年も生き残っているか? 定年なきフリーライター、フリー編集者の未来』について簡単に。

 五反田でフリーライター・編集者の交流会 10年後の生き残りを議論 (品川経済新聞)

 残念ながらParsleyは参加できなかったのだけど、すでにいくつかのレポートが上がっているので、それをもとにいろいろ考えてみたい。

 フリーライターはWebだけで食えるの?ギャラ交渉はどうやる?10年後どう稼げばいい?を聞いてきた! #ライター交流会( らふらく^^)
 ライター交流会参加してきたよ「2025年も生き残っているか?定年なきフリーライター、フリー編集者の未来」 ( 飛び立つマーケターブログ|SEOとかイベントレポとか夢とか)

 まず、最初に思ったことを率直に記すならば。「おまいら交流会行っている暇があるなら書け。書く仕事がないならブログ書け」ということ(笑)。
 現在、紙媒体は発行点数・部数ともに減っているという現実があり、これからライターになりたいという人は必然的に何らかの形でウェブでの仕事から入るケースの方が多いだろう。かくいう自分もウェブのニュース記事のライティングから入っていて、2013年の時点ではひと月あたり60〜70本の記事を書くことが主な収入源となっていた(摂エントリー参照)。
 だから、これからライターをやって、しかも食べていこうという人は、例えば1000〜2000文字の記事を月間でどれだけ書けるのか、ということを考えてみるといい。仮に原稿料5000円の記事を50本書けるならば25万円になる。
 もちろん、それだけの記事を書かせてくれる媒体とつながりをもてるか、といった課題に直面することになるのだけど、まずはどれだけの早さで、企画・執筆・納品を回すことができるのか、実力を磨く必要がある。

 宮脇氏も指摘しているが、今のウェブメディアは企業が立ち上げたオウンドメディアや特設サイトなどの存在もあり、単価が上昇傾向にある(おかげでだいぶ経済状況も好転した)。その際にも上記のような「筆の早さ」が役に立つし、何よりアウトプットが多ければ多いほど人からの目に留まってお仕事につながる話が舞い込むようになる。だから、とにかく書く記事の本数をこなすべきだし、仕事がないのならばブログを書いてアウトプットに慣れるべきだ。
 Webだけでライターが食べていくのに必要なことは、極論をすればこの一点がクリアできていればできる。それを支えるのは、以前にも記したけれど「好奇心」があってどんなジャンルでも95点くらいのコンテンツを制作できること。そうすれば数多く書いているうちに120点が取れることもあるだろうし、自分が得意なジャンルというものも見えてくる。それを伸ばしつつ、数をこなすことを止めないでいれば、ある程度のメディア環境に変化が起きてもライターというお仕事は続けていけると思う。

 もう一つ。過去に紙ではページ単価数万円とか、これからライターをやろうという人に過去の話はまったく意味がない、ということだ。ここでは小川たまか女史も述べているけれど、私も「Webが安い」という認識は正直いって、ない。1記事あたりどれだけのPVを稼げば原稿料が適正か、KPIを見ていると3000円でも高いという案件はゴロゴロある。そんな中で、より高い値付けをするのであれば、PVなりSNSでの拡散なり、もしくはそれ以外の価値を示す必要がある。それができるかどうかも、ライターとしてやっていけるかどうかの指標になるはずだ。 

 まぁ、偉そうに語っているけれど、私自身もまだまだで、それが理由でご迷惑をかけることも多いのだけれど。とにかく数をこなすことで、道筋というものが見えてくる。私も2012〜2013年くらいは、「ほんとうに書いていくだけで食べていけるのか、本当に不安だったのだけど、結局のところ案件が数千円のものを量産することで先につながる気配を感じることができなかったからだった。
 でも、最終的にはちょっと単価の高い案件や、いろいろな媒体から声をかけられるようになったのは、それだけ数をこなしてきた結果が出た、といっても過言ではないと個人的は思っている。だから、今は暗中模索という人は、短距離走を繰り返すように、とにかくネタを仕込んで執筆して、世に配信するところまでを高回転で回していくことにチャレンジするといい。
 反対に、それが無理だという人は、宮脇氏や小川氏のように会社に入る(もしくは作る)といいだろうし、ニュースメディアの編集に回るというのも選択肢になるだろう。それはそれで大変な作業ではあるのだけど、今日はこの辺で。

「おもしろい」から遠く離れて

January 14 [Wed], 2015, 23:08
 目の前に作業があっても全く手が止まってしまうヒドいスランプに陥ることが月に一度くらいある。2015年にはそれをなくす、というのが密かな目標ではあったのだけれど、早くもその時がやってきた。とにかく先に進まない。あまりにしんどいので、現実逃避気味にエントリーを書いてみる。ほら、これもリハビリですよ……。

 星海社『ジセダイ』の編集長・今井雄紀氏がこんなエントリーを上げていた。

 いい編集者は「おもしろくないです」が言える

 私もさまざまな企画案やプロットを「おもしろくない」と下げられてきたし、はっきりとダメ出しできる編集者の存在が貴重だという意見にも頷くところはある。一方で、同じ担当が別の機会に別の人が似たような企画を通して、モヤモヤすることも多々あったりして、物差しとしての「おもしろさ」が超あやふやな運用をされることが少なくないということも身に沁みていたりする。
 特に出版の世界はそういう傾向が強いようにも思うけれど、コンテンツビジネスに関していえば多かれ少なかれ、相手に「おもしろい」を探し求めて飽和している。編集やディレクターは「おもしろい」書き手やクリエイターを常に探し求めているし、クリエイターの側も「おもしろい」メディア、あるいは自分を認めてもらえるメディアを探している。いわばお互いに「おもしろい」ガチャを回し続けていて、ひたすら「当たり」が出るのを待っているわけだ。

 私もそういった「おもしろい」ガチャの世界に身を投じていた時期があった。とはいえ、単純に「おもしろい」からといって「読まれる」わけでもないという場面に何度もでくわしたし、それ以外のファクター(”誰が”書くか、とか)にも左右される中で、その物差しに比重を傾けるのは得策ではない。何よりも自分に向いていないと感じたので、ある時に「おもしろい」かどうかで拘泥することを、捨てた。
 
 特にインターネット空間においては、時間が何よりも貴重だ。これは「おもしろい」のだろうか?……そう吟味している間にも、秒単位で新しいコンテンツがアップされている。そういう中では、「おもしろい」かどうか判断つかないけれど当たれば僥倖、という感覚で出してしまう方がいいケースの方が多いように思う。何よりも、公開すれば「0」ではなく確実に「1」以上にはなる。
 
 もちろん、自分が今お仕事をしているフィールドがネットだからそう感じているという面が強いのだけれど。最終的に「おもしろい」かどうかを判断するのは読者であって自分たちではない。メディアにとっては「置きにいく」必要がある情報というものもあるし、どんなことでも「面白がれる」方が長くこのお仕事をしていくつもりがあるならばプラスに働くと思う。

 自分が書くだけではなく人様の書くものを見ることも増えてきたので、なるべく「おもしろい/おもしろくない」という以外のものさしを数本忍ばせて毎分毎秒臨んでいきたいな、と決意を新たにした次第。そんなこんなで、また作業に戻ります!


メディアの多様性とメディア人の挟持

September 02 [Tue], 2014, 19:45
 超ご無沙汰になってしまいましたが、皆様お元気でしょうか。Parsleyですが、何とか生きながらえています。

 このブログを含めて、半年近くも更新できないという体たらくについて言い訳すると、公私にわたって立ち位置が微妙に変化したこともあって、目まぐるしさに拍車がかかったということもあるけれど、何よりも世の中の事象に対して不感症になっていた。社会の歯車はそれなりに回っているように見えるが、何となくそこに自分の居場所はない気がする。そこで自分が書くべきことはないし、このままフェイドアウトしても誰も気づかない。そんな感じでもいいかもしれないな、とぼんやりと過ごしていた。

 とはいえ、自分に居場所がなかったとしても、そのことで自我が消せるわけでもないし、「なんだかなぁ」と思っている自分も消せない。そんなこんなで、こんなことしている場合ではないとは分かっていながら、久しぶりにログインして書いている次第。

 ちょっと前に、『メディア・パブ』の田中善一郎氏の記事が話題になっていた。

 多様性が失われるソーシャルメディア、「沈黙のスパイラル」へ

 ここで紹介されている、ソーシャルメディアで議論をしたいという人が40%に過ぎない、というのは自分自身も「黙って」しまっていたこともあり、ひとのことはまったくいえないのだけど。家族・友人・同僚といった相手のパーソナリティーを把握した状態とは違って、前提となる知識も共有される保証がどこにもないネット上での議論は不毛、という感覚を多くのユーザーが暗黙知として理解しているのではないか、と思う。とにかく疲れるし面倒くさいもん。
 一方で問題なのは、ソーシャルメディアにおけるRTや「いいね」を、メディアの側が「支持」「人気」と無条件に見なして、その輪を広げようとするところだろう。それが、サイレント・マイノリティーをさらに沈黙に追いやる役割を間接的とはいえ果たしていることも、「多様性」を奪っているのでは、と思わざるをえない。

 個人的に感じるのは、「バズ」というフィルターの外においては、ブログでも『Twitter』でも『Facebook』でもその他のサービスでもさまざまな事象が発信されていてカオス度は増しており、Google先生ですらそれを網羅しきれていないということ。情報の発信は多様になっているのに、人々の「意見」から多様性が見られなくなっているというのは、どういうことなのか。この非対称な状況は、アーキテクチャーとしてもメディア空間としても「なんだかなぁ」と思ったりする。
 
 日本のメディアに限ると、新聞・出版社系のメディアがネット発信を重視するようになって久しい。芸能人の情報のソースがブログや『Twitter』というのも珍しくなくなった。そして、「ネットでの話題」という記事がテレビで紹介されて、さらに「バズ」が加速する…という構造ができつつある。
 各メディアが同じ話題の事象を追って、同じような内容の情報を発信すると、「早さ」が最大最強の物差しとなっていき、精査や考察ができるのはメディアに「体力」があるか、既得な人間がいるのかどちらかになってしまう。結果として、人的なリソースをかけることのできるレガシーなメディアが強くなっていっているよなぁ、と思わざるをえない。真面目な話、新聞の人が本気でネットの情報を拾いだしてしまうと、ネットメディアとしては敵わないですよ、ほんとうに。

 そうなると、ネットメディアがリソースをかけずに運営していくためには、彼らを上回る早さでソーシャルメディアで反応のある(あるいは見込めそうな)ネタを探してアウトプットしていくしかない。最近のバイラルメディアが乱立している要因の一つに挙げられるだろう。まぁ、これもレガシーメディア側から参入しだして、もっとおかしなことになりそうだけど。新聞社も高読者数が減っていて基盤が揺らいでいて余裕なんかないわけだし、水は低きに流れるのは自然だろう。

 結果、多様な情報をさばく役割をどのメディアも充分に果たし得ないし、それをやろうとするとゲームに勝てない。これもネットにおける「多様な発信」が可視化されない理由だと考えている。
 考えるだけではアレなので、個人的にもこっそりとニッチな情報を流そうと努めてきた。きたのだけど、これが本当に骨が折れる。あまり人から褒められることもないし、骨だけでなく心もぽっきり折れることもある。それでも「続けなきゃ」と思えるのは、新聞・雑誌の方々も「ニュース」を広げるために苦闘し続けてこられたことが「多様性」を担保してきたことを知っているつもりだからだ。

 ここのところ、バイラルメディアに対する憎悪が高まっているように感じるが、とどのつまりメディアとしてのポリシーがなく、ユーザーに対してその情報を伝えることでどのような貢献があるのか不明だからなのでは。もっと踏み込むと、メディア人としての挟持に欠いている連中ばかりだぜ、と思っている。

 …と、ここまでで時間切れ。バイラルメディア関連については次の機会に!
  
 (ブログの書き方、忘れてなかった。良かった〜…)

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