人為的な事象 

2018年07月11日(水) 22時39分
善人の 皮を被りて 笑う君の 向けた瞳が ふと我に似たる


君にあらじ 我にもあらざる 人の群れ 心の通わずは 人と言うなかれ


故郷や 何処とも知れず 消えて入る 胸の奥深く 風の吹くなり


夢を見た いつかあの時 あの場所で 捨てた己が 何故ここにある


人に交じり 恥を重ねて 生きていく 今更何も 望むべくもなし

Show must go on. 

2017年11月06日(月) 23時20分
目を開く。
今までがどうだったかは知らないが、どうも今までのは夢だったらしい。
暗闇の中、足元から僅かに光が漏れる。
察するに、これは帳。所謂緞帳。
この闇は開幕なのか、幕間の暗転なのか。
闇の向こうは音も気配もない。
誰かいるのかいないのか。
そもそも此処で自分は何を演じるというのだろう。
周囲の気配もない。誰もいない。
ジー、と低く鈍いベルが鳴る。
始まる?何が?何で?
浮かんでは消える疑問を投げつける相手もない。
心臓が張り裂けんばかりに早鐘を打つ。
ゆっくりと足元の光が伸びてゆき、容赦なく演目は始まっていく。
溢れる涙は恐怖か。理由無き歓喜か。

かくて幕は上がる。
我らが意思の一切の介在なく始まり、乞い願えども続き、唐突に終わる。

さぁさお立ち会い。
上手くできたら拍手喝采、ちょいとヘマしてもご愛敬。
此処で死ぬまで踊ってますんで、お暇潰しにご覧あれ。
あたしゃ流れの道化芝居。
どこから来たのか分からぬままに、流れ流れて西東。
もしも哀れと思うてくださんのなら、幕を下ろしてつかあさい。
どうも疲れてしまいやして。
代わりは沢山いますんで、ご心配にゃあ及びません。
あたしゃ流れの道化芝居。
別にだあれも見ちゃいない。
願いも何もありゃしません。

されど人生は続く。

Stop the time. 

2017年09月24日(日) 21時48分
は?
もう30年経ったって?
ふざけんな、ちょっと時計止めろ。
おい、タイムだっつってんだろ。
いや、ちょっとでいいんで。
お願いします止めてください。


こんばんは。このイカれた時代へようこそ。ボブ山岡です。
誕生日を間近に控え、冷静でいられないので書きなぐることにしました。
見返してみれば、去年も同じ事してました。
人間そうそう変わらないんですね。


遂に迎えた大台。たかが30、されど30。
そういえばウルトラマン80っていたよねとか適当なことを言って誤魔化したくなる、大変微妙な年頃です。
何が変わるという訳でもない、と人に対しては思うんですが、自分のこととなるとこれがまぁーダメなもので。
意味もなく焦るし、挙動不審だし、突然落ち込むしで7月くらいから大分残念な感じでした。
とは言え、誕生日は誕生日。
無事に生まれたことと、生きていることに感謝を。
って、素直に出来ればこんなにひん曲がった人間性にはなってないんですよ。ええそりゃきっともう。

先月を婚活強化月間に位置付けて、毎週末パーティーに行ってましたが、これがもう爆死に次ぐ爆死。
当たって砕ける→爆死→再生→当たって砕ける→爆(ry
私じゃなければ心が折れてマジで死んでるんじゃかいかと。
それでも生きていたボブ山岡は、死の記憶を一切消去して昨日も行って来ました。
まぁ、爆死どころか火の手もなかったので何とも。
こちらから誰も引っ掛かることもなく、相手からも何かあるでもなく。
何かよく分からない印象のまま行って帰って来ました。
他に手段があるでもないのでそればかりになっている悲しさもありますが、何かもう流石に無理かなと。
もはや何がアカンのか僕にはよく分からなくなってしまったので、しばらく休んだ方がいい気がしています。
ベクトルを別の方に向けて、苦しくない程度に溺れる練習をした方が、これからも生きていくなら、楽かなと。
そうは言っていても、しばらく空けたらまた焦りだすんでしょうね。
人間そうそう変わらない。

もうちょっと落ち着きのある大人になりたい。
来年の誕生日までには、もう少しマシになってますように。
ボブ山岡でした。

晴天の下曇天の心を抱いて詠める 

2017年08月26日(土) 16時10分
にむげんの ふりと知りせば これまでの かうがんむちを いかに雪がん


人にして 人に非ずば こののちの 我と我が身を いかにかはせむ


うす皮を めくれば見ゆる けだものの 貌や誰にぞ 似るべくもあらむ


現象と 私が名付けた この生が 行き着く先は とくにないらしい


玉の尾よ 絶えなばやがて その容色は ただいたづらに 失はれてむ


ひとひをも ひととせもなお 変わるまじ げに今生は 泡沫の夢


もういいや もういいけども もうよくない もういいかげん もうじきにまた


日の本の 桜をなんと心得る 散りて至るは また散るのみぞ


人の為す ことの為せずば 人に非じ このかなしみは 何にかは似る


コバルトの 空に浮かんだ 月一つ あぁもしも この手が そこに届いたら


知らぬまま 分からぬままに 死んでゆく それならたぶん それでよいのだ


血と肉と 骨と皮とで 君は成る 俺のそれより 多分きれいな


もしもただ たった一つを願うなら 何も願わぬ 私でありたい

死して屍起きたら骸歩く姿は枯れ芒 

2017年08月18日(金) 6時26分
りーぶみーあろーん。
でも7時になったら起こしてね。


生きてりゃいいことあるって、って人にはよく言うけどあんまり自分ではそんなこと思ってないよね。
こんばんは。ボブ山岡です。
今日も元気すぎて眠れないので、うだうだ物思いに耽ると陰鬱になって尚更元気になっちゃう感じです。
性格的にも性質的にも、私の場合眠れないって言ってみてもギャグにもならないので、単に寝つき悪いだけっていう。
人生アホの方が気楽だし、よく眠れるし最高ですね。
楽しいかどうかは別として。


身内がいい加減高齢化してきて、まぁ遅かれ早かれお迎えもあるなぁとひしひしと感じるこの頃です。
血縁は近いけれども、世話になってもないし、可愛がってもらった訳でもないので、あまり感慨もない冷血な私ですが、核家族で葬式に行く機会も少ないと、死というものが近くにあると考える折がなく、改めて死んだ後のことを考えてみています。
今死んだら、どこの墓にはいるんだろう、というのがホントに分からない。
祖父母の代で地元から出て来ているから先祖の墓というものがない。
順番で言えば年長者の方が率は高いとは言え、もしもの番狂わせが無いとも言い切れない訳で。
とりあえず心と認識が狭いので自分のことしか考えてませんが、死んで墓を建ててもらうという発想がどうにも馴染まない。
家のだったり一族の所に入れてもらうものだとばかり思っていたので、改めて考えるとそんなものはない、というのが当然とは言え衝撃を受けています。
この年で墓の心配をする人間も多くはないとは思うものの、自分自身がどう弔われるかなんてほとんど誰も考えないんじゃないかと。
生きてる内は生きることに集中なさいってことでしょうか。
宗教観は人並みにあるつもりの仏教徒ですが、どちらかと言えば宗教で大事なのは当人が死ぬまでであって、死後どうなるかはそこまでの行いによるものというのが大概な気がします。(仏教ベースですが)
生前に先に自分の墓を建てておくのは親族にはありがたいとは思いますが、それは功徳とは違うような。
あくまで先祖を弔い敬うのは、子孫の功徳になるものではないか、と思います。
私は仏教徒ですし、神社も好きで、割と神仏習合なつもりですが、宗教を意識し、守り、残そうとしてきた人の心の営みが愛しくてなりません。
幅広なそこにあまり言及はしませんが、私自身の宗教観はあまり固いものではありませんもので、信じるか信じないかというよりも、極めてベーシックな規範意識と、自己よりも俯瞰的な視点があるという認識、あと大概セットで自然保護してるその綺麗なパッケージングが好きです。
仏教説話ばっかり読んでた影響ですが。都市部で神社と一緒にちんまり樹木が残ってると、何かもう何にも言えなくなります。
それはそれとして、最近の日本人自体がそうなのかもしれませんが、私自身はお墓に入れてほしいとはさほど思わないなぁ、と。
先祖の墓参りは大事なことで、弔い敬うことに一片の心の曇りはないと断言できますが、我が事と考えると、そこまでしてもらわんでも、という気にしかならず。
もう法的に怒られない範囲で山か海かに撒いてもらえればという程度です。
散骨にしてくれとかそういう意味でなく、手間のかからない風葬か土葬くらいにしてほしい程度のイメージです。
改めて調べてみると、散骨の専門業者があったり、法的にはグレーだったりと知らないことは多いもので、全く死について認識が及んでいなかったのが明白で驚きます。
分かっているつもりで知らないことって多いもんですね。
ましてや死んだ後のことなんて、知るわけがありません。
死んだらどうなるんだろうというのは永遠の疑問でしょうが、死んだ後どうされるんだろうというのも当人には知りようがない話で。
生きてる内に死後の心配をすべきか、生きてる内くらい生きてる心配をすべきか。
意識の中に置くくらいはしといてもいい気もします。
とりあえず目下の心配は、やっとこ迎えた愛車とキャンプに行こうとするなり毎週末雨でうがーとかやってますんで、煩悩にまみれきった私の往生はまだまだ無理っぽいです。


無いものをねだるより、あるものを大切に生きよう。

良いこと言おうとして言うと、やたら説教臭くなるのはなんでだろう。
ボブ山岡でした。

光陰矢の如し 

2017年08月12日(土) 23時31分
「気が付いたら八月だったんです。」
「五月病ですね。お引き取りください。」


思い立ったら片付けをする男、ボブ山岡です。
思い立たないと片付けをしないとも言います。
何でか、日が暮れてから片付け始めるとテンション上がりませんか。私だけ?
まぁ、しばらくやったら出てきた本を読み出すので自動的に終わるんですが。
本棚に限界があることを知ると、電子書籍というのもあながちバカにしたもんじゃないと痛感します。
紙の質感がー、とか言っても質量がある限り、保存量には限界がある訳で。
もう紙の匂い付きのkindleとか作ったらええんちゃうん(適当)


気が付いたら、もう30目前になってました。
嘘です。大分前から気が付いてました。
いい歳です。そろそろ大台な感じがやばいです。
今まで何してたんだろうと思いを巡らせてみると、まぁ遊んでいた訳じゃないし、とか、それはそれで身があったのさ、とか我が事となると評価がクソ甘くなるのが常ではありますが、舐めたこと言ってみても現実は目蓋をぶち開けて瞳の中にレーザービームな訳でありまして。
仕事は楽しくないながら、何とか死なない程度にやれているので、経過観察としても許されましょうし許してください。
ただし、子供の時分に思い描いていた自分自身はもう結婚して子供もいるはずなので、そこを振り返ると何とも遣る瀬が無く。
思った通りになることが一生の内にどれだけあるのか、なったらラッキーでならなかったらそんなもんでいいんじゃないのかとは思いますが、奥底で納得できないのが例の如く私の悪いところであります。
要はまた婚活で連敗を重ねました、ってだけなんですが。
負け続けることに慣れつつあるので、それで普通だとは思うものの、この繰り返しに終わりはあるのかと不安になるのもまた常でありまして。
結婚だけが人生じゃないと人には言いますが、自身で納得している訳ではなく、もう単純に寂しいんでしょうね。それだけだと思います。
皆違って皆いいけど、少なくとも自分がどうしたいかは自分だけが知っているので。
価値観が多様化してそれだけが全てではないし、したらしたでそれで何が変わる訳でもないですが、考え方が固着してるんでしょうね。結婚というものに、自分で絶対の価値を与えてしまっている。
悲しいやらなんやら判りませんが、割かし袋小路でドツボに頭からダイブしてしまってるのが現実です。
悩んだところで冴えたやり方が見つかればいいんですが、見つからないのが目に見えているから足掻くしかない。
足掻いてるのか、溺れてるのか、もはや事切れているのか。
こうなったらどうにでもなったれ、ぐらいの意気込みのがいいんですかね。
相も変わらず、やってらんねぇ盆の晩。
あー彼女ほしい。


毎度気軽に心が折れる割にはすぐ立ち直るので、何か荒療治が必要です。
皆様、良いお盆休みを。ボブ山岡でした。

路傍より 

2017年07月15日(土) 21時59分
制限速度なんて飾りです。偉い人にはそれが分からんのです!


どこ行ってもやたら飛ばす車っているよね。ボブ山岡です。
ふらりと出かけたキャンプツーリングで素敵な出会いがなかったり、天候に恵まれることもなかったり、風邪だけ拾って帰って来たりしましたが私は元気です。
元気だと思い込んで風邪を治す、そういう雑な民間療法。
病は気から、だからワイは病気なんや。
元気じゃねぇな。

大分久々に愛馬に色々括り付けて飛騨の奥まで行って来ました。
出発がだらだら遅れたり、ノリで高速降りたりしたので到着がギリギリやったりしましたが、まぁ概ね何とかなりました。
私以外は大学生っぽい男二人でキャンプしてただけで、割かし静かで良かったです。
夜中まで二人でキャンプファイヤーしててちょっと気色悪かったりしましたが、人のこと言えるような立場じゃないのでスルー。
その日は適当な晩飯とアルコールで就寝。
次の日は富士山まで行く予定だったので、9時前には全部片して積み込んでいたところ、林の奥にいつの間にか立っていたカモシカがこっちを見ている。
今になれば、野性動物とのふれあい☆とか思えるかもしれませんが、その時は目を逸らしたら襲われると思ってました。
幸いガン飛ばしに勝ったのか、すごい勢いで山の中に帰って行きました。
で、二日目。予約もなく、空いてるんじゃねぇの的な感じで一路山梨側の富士山へ。
途中通過しながら、そうだ善光寺寄ってことなり、方向が間反対だったり、どうせ行くなら元善光寺も行きたいとなり、完全に主旨を変更して善光寺近くのビジネスホテルに泊まることにしました。
キャンプはキャンプでいいけども、バイクで行くとパッキングがいい加減手間になってきたので、やっぱり車が欲しいと改めて思いました。
それで翌日、朝から善光寺さんにお参りして、そのまま元善光寺へ。
ここで念願の角大師のお札をゲット。
改めてインパクトのある図案である。
そこから京都を目指して、250キロの帰路。
流石に三日目は400キロを超えてたので、節々がバキバキでした。
三日間の総移動距離がちょうど千キロ近くだったので、案外北海道まで自走で行けるんじゃねっていう、ショボくれた旅でした。
帰って来て文明の権化たるクーラーの恩恵を享受し過ぎたせいか、現在夏風邪イングしてます。
喧騒から離れた所で、人間の生活圏でしか生きられないなら、あまりそれには意味がないような気がしました。
どこに行くかよりも何をするか、その方が大事なんだと思います。
要は、特にリフレッシュした訳でもなく、我ながら何やってんだと。
良くも悪くもいつも通りであります。

めっちゃ喉痛いのでさっさと寝ます。
夏風邪にはお気をつけを。ボブ山岡でした。

非情、乱れ飛ぶ指示代名詞! 

2017年07月09日(日) 23時38分
「アレを上手いことしてアレをアレしろ。」
「要は空欄を埋めよ、的な感じやね。分かる訳ねぇ。」


死んでないなら生きているのさ!
こんばんは。後ろ向き過ぎて前がどっちか分からなくなりつつあるボブ山岡です。
精神状態をパラメータで表せば、従前と比較して増えてれば立派に元気と言えるのではないか。
少なくとも昨日よりは元気なはずだ。
言った所で元気になるかは別問題ではある。


久々に本題に返って役に立ったり立たなかったりする婚活備忘録。
・四条で7対8。お初の主催者。
・普通の会議室に長机並べて素敵にクロス敷くだけで会場出来るから、このビジネス奥深いよね。
・午前中仕事で動員かかってた所為か、最初からフルスロットル。しかしリアクションは薄い。
・第一印象は一人もなし。この時点で帰りたかったが、一応カップリングも出すもスルー。
・会話は成立したけどダメってのはこう、冗長な社交辞令的なアレだな。勉強になります。
・タメ語になるタイミングが自然なヤツって男女問わずモテる気がする。俺が言うんだから多分妄想の類い。
・ビル出たら豪雨、待っても豪雨、畳み掛ける警報。天候描写は主格の心情を表すってのはこのことだね!
・買い物行く気も綺麗になくなって帰宅。まぁ雨だし。
・傾向と対策立てようにも満身創痍なので、今回はそういう回だったと思うことにする。そう、逃避である。
笑うくらい箸にも棒にもかからなかったのでとりあえず次へ。
難しいとは思っていたながら、改めてキツイ。
分を弁えるというのも大人の分別な気がしてきた。南無。

心も体もクソ思いのでとっとと寝ます。
これだから魂を重力に引かれた旧人類はいけませんね。
ボブ山岡でした。

Anywhere but here. 

2017年07月08日(土) 21時20分
「おやつは300円までな」
「税込みですか。卸値ですか定価ですか。小売店に対する配慮はないんですか。そこに愛はあるんですか。」
「家に帰るまでが遠足であり、すでに遠足は始まっている。諸君らの賢明な回答を期待する。ちなみに設定価格を超過、或いは満たない場合は先生が没収します。」
「あいつ、本気で食う気だ…。」


土曜の夜にこんばんは。ボブ山岡です。
梅雨時だと油断こいたら普通に真夏日で、お察しのとおり脳が死に体です。
額に要冷蔵って書こうかしら。


現状に困難を抱えるなら、立ち向かうか止まるか逃げるか、選ばなければいけません。
逃げ出してどうにかなるものならば、誰しも逃げ出しているとは思いますが、そうならならないから悩む訳で。
とは言え、三十六計逃げるに如かずとあるように、毎日総力戦だとそもそも軍勢はたった一人なのに、残機もないのに、コンティニューも出来ないのに、全く以て身が持ちません。
コンティニューってのが来世に当たるかどうかは置いといて、目の前の困難を打倒できないとしても、次の機会に打倒できたなら、或いは最終的にゴール出来たなら、十分に上策だといえましょう。
もちろん作戦が偏りすぎるのもよろしくないので、逃げ続けるのがいいとも言えません。何事もバランスは大事。
我ながら何を言いたいのかマジで見失いかけましたが、戦力温存のために来週末から早めに夏休みをもらうことにしました。
とりあえず空模様と相談しながら、長野辺りに向けて二・三泊一人キャンプかましに行く予定。
それで綺麗にリセットできれば苦労しませんが、残念ながら当方根っこが残念な仕様なので、何やかんや何とかなる予感。
そうと決まれば、仕事に段々身が入らない、とならないようにもう一週間現実に立ち向かってきます。


頑張ることが最上なのは動きようのない事実ですから、頑張った後には多少なりとも休憩とご褒美を。
もちろん、また現実に帰って来れるレベルまでで。
皆様、素敵な休暇を。ボブ山岡でした。

迷走しながら瞑想っていうか迷想 

2017年06月29日(木) 23時45分
夕立や 止むに止まれず 夜に消ゆ


日常的に何で今ここにいるのか分からなくなる。
今歩いていることは分かっていても、何処へ向かっているのか検討もつかない。
何処へ行きたいかではなく、何処へ行くべきかから考えてしまう。
行くべきと思って進む先は別段行きたい場所ではなく、辿り着く前から途方に暮れる。

心が晴れない。
梅雨空と言うよりも、星も月も街灯も携帯もない只の夜空。或いは闇。
そんな心持ちで見上げる現実の夜空は、何だかいつもよりも明るく見えて、また嘆息する。

大丈夫。
寝たら忘れる。
でも昨日も寝たのにな。

自分を客体化し過ぎると、誰だか分かんなくなって笑う。
流石に半分は冗談だが。

自分に自信が無いならまずは今の自分を好きになってみようと心掛けたが、知れば知るほどどうしようもなくて笑う。
何回痛い目に合っても懲りもせず戻ってきて痛い目に合う自分が大好き。
学習と言うか反射すらないよね。

感情に判断を任せてはいけない。
常に存在するものではない一過性で無責任なそれの何を信用できると言うのだ。
そうほざくのもまた別の感情であって。

全部許すし諦めるから、どうか俺も許してほしい。

もう、言うほど欲しいものも無いから。