みんなカゼひいた

2010年12月30日(木) 11時09分
まだ微熱が続いているが、なんとか私は快方に向かっている様子。一方、昨日からキリコも萌も熱が出てしまった。やはり旅の疲れか、いやひょっとすると、旅向きの体になってしまっていて、家に帰ることによって体調を崩してしまったのではなかろうか。旅の間は誰も寝込んだりしなかったのに。
その上、昨日の昼間に家を飛び出したソラが夜になっても帰らず、まだ帰ってこない。こちらも旅の間はテントのまわりを恐る恐るウロウロするだけだった(もともとは完全な家猫だった)のに、家に帰って行方不明になるとは。まさか単独で旅に出たわけではあるまいに。庭に面した引き戸を一晩中開けておいたのだが。彼にもかなり突然の寒さだと思うのだが、どこでどうしているのか。
休み休みやっているので、領収書との格闘はなかなか進まない。決算が終わるまであと数日を要するだろう。

雪だった

2010年12月29日(水) 11時39分
約40時間船に揺られ、途中吐いたりしていたら、だんだん旅が夢だったように思えてくる。
神戸に着くと雪が降っていた。家に着いて、ハイエースから積み下ろし。倉庫化しているガレージのパイプ椅子を庭のテントの下に移動。キリコは家の中で片付け。私はガレージに下ろした発砲スチロールを細かく切ってゴミ出し作業。
翌日もほぼ同じで、夜にはこじんまりと忘年会。
で、その夜、ソファで寝てしまったのがいけなかった。朝方寒くて目が覚めてフトンに入ったが、翌日に発熱。
それほど高熱ではないが、寒気がする。一日フトンの中で過ごし、夕方医者に行った。ほとんど何もできず、谷崎の犯罪小説をちょこっと読む。
昨日は、かなり楽になったので、寝ながら、来年の盆の設計。発砲スチロールを使わずに、もっとしっかりした盆にしたいからだ。夜は斎藤氏が来て、また飲んだ。
今日もまだちょっと微熱だが、朝風呂にも入り、これから今年一年の領収書と格闘予定。

旅をして、わかったこといくつか

2010年12月23日(木) 2時51分
那覇でのバラシを終え、23日のフェリー出航まで今帰仁の風来荘さんノンビリした。来年のスケジュールを調整したり。仕込とバラシが少し楽になってきたので、来年はもう少しチョコチョコと動くかも。
一昨日は夕方から雨だったのだが、夜中になると満天の星空の中に満月が輝いた。何度目の満月だろう。不思議なことに、朝になると、またぐずついた天気に戻っていた。
昨日は、たくさんのお客さんを呼んでくれた片岡さん宅にお邪魔し、昼ごはんをご馳走になった。片岡さんは沖縄にやってきて農業をやっている。猫が3匹、犬が一匹、アヒルが2羽、シャモが1羽いた。農業のことや沖縄のことをいろいろ聞いた。「鏡池物語」を何度も見てくれたのだが、もうあの芝居が見れないと思うとすごくさびしいという話を聞いて、涙が出そうになるほどうれしかった。
私たちのような、あまりに小さな家族劇団、しかも投げ銭での野外劇という特殊なことをやっている者が、その存在価値を認められたように思えた。

旅をしてみて、わかったことがいくつかある。
一つは、とてもたくさんの人たちが応援してくれるということだ。なんとか野外劇で生活していこうという無謀な親子3人だからだろうか。人情というものが、まだまだ日本全国いたるところにあることを痛感する。
二つ目は、観客との出会いだ。足を運んでくれたお客さんにどうやって楽しんでもらえるか。それを考えながら何度も何度も一つの作品を演じていくのは、とても楽しいことだった。毎回が試行錯誤、かなり行き当たりばったりでもあったが、いろんなことを試すことができた。そして、いろんなところで頑張って生きているお客さんたちが、ニコニコと笑顔で投げ銭してくれた。子供たちも含め、芝居などほとんど見ないという人たちが、たくさん来てよろこんでくれた。芝居そのものも、演技も、ずいぶん変わった気がする。これから、もっと変わっていくだろう。
三つ目は、自分たちのことになるが、家族の力だ。あまり偉そうには言えないのだが、親子3人でこうして一つの仕事をするというのは、今の日本ではほとんどありえないことだろう。とくに萌にとってはずいぶん大きいことなはずだが、私たちにとっても、社会的にみても、大きなことのような気がする。

盛り上がって終了!

2010年12月20日(月) 8時08分
昨夜、ラストステージが終わった。
那覇の2日目が少しさびしい雰囲気で終始したため、これではイカンとキリコと色々話し、さらに演出に工夫、宣伝そっちのけで昼間に稽古。
そのかいあってか、お客さんの人数こそそれほど多くはなかったが、拍手や手拍子がいたるところで起こり、投げ銭もどんどん飛んできた。
最後の最後になって、やっとこさっとこだ。
沖縄に来てから、やっと見えてきたことはすごく大きかった。
沖縄の場所探しで大変お世話になった白山英雄さんも来てくれた。
その白山さんから受けたアドバイスが大きかったのだ。

終わった後、数人の方が片付けを手伝ってくれて、ビールで軽い打ち上げ。
その中には、金武町から何度も足を運んでくれた方もいた。
2日目の晩に近所の魚屋兼飲み屋さんに誘ってくれた方が、また誘ってくれ、手伝ってくれた方ともどもお邪魔。
具沢山の魚汁とか、カキとか、ハタハタとかをご馳走になっていたら、あの沖縄芝居の座長さんの娘さんが、ニンニクたっぷりの鳥料理の大皿を差し入れてくれた。
昼間は神戸の方からも差し入れが届いていた。

ずいぶんたくさんの方々にお世話になった。
行く先々で、暖かい人情にまた出会った。
ニコニコしながら投げ銭を投げてくれたお客さんもそうだ。
大阪や東京から遠くまで来てくれた人も。
本当にありがとうございました。

家族劇団として、いろんなこともあったが、みんな最後までよく頑張った。
大した怪我も病気もせずに。
まだまだ課題は山のようにあるが、もちろん、来年も続けるつもりだ。
また改めてこの旅で得たことをじっくり考えてもみたい。

とりあえず、今日はバラシ。
そして、今帰仁の風来荘さんにまたお世話になり、沖縄をちょっと観光し、23日の船に乗って、25日には大阪に帰る。
26日には忘年会だあ。

ラスト・ステージ

2010年12月19日(日) 8時24分
本日、ついにラスト・ステージ。
那覇に至って、オルゴールをホーキオニにプレゼントしようという場面で、「お誕生日のプレゼント」を、「お誕生日にはあげましょ、プレゼント・・・」と3番の歌詞を追加し、バラードとして歌っているが、なんでこんなことが100回以上やっていてできなかったんだろうね。
このアイデアは、沖縄でのいろんな場所をセッティングしてくれた白山さんからのアドバイスからもらった。蛇ダンディの「泣き」も。
やっぱり芝居をしてきた人のアドバイスは的確。

ここ那覇では、沖縄芝居をずっとやってきた座長さんにも出会うことができ、最大限のお褒めの言葉を頂いた。
沖縄芝居は、沖縄の古い言葉で演じられるのだが、生演奏で歌や踊りがあり、笑いと涙の歌劇であり、しかも、おそらく大衆演劇だと思う。
昔は本土にも巡業に行ったとのこと。そして大地震に会い、一座を解散して全てを売り払い、座員を沖縄に帰して自分は借金を返すためにそこに残り、舞踊を教えたとのこと。
芸で生きてきた75歳の風格がある。

昔は、大阪でも沖縄芝居はずいぶん上演されたらしい。大正区では一年中演じられ、行列ができるほどだったという。
これは昨日の本屋での立ち読みで知ったこと。

昨日は、沖縄ではじめて銭湯に行った。風呂場と脱衣所の間に壁なし! シャワーもなし、ロッカーの鍵もなしだが、なんともいえない風情。

世界はあんまりドコドコ進歩しないほうがいい。古いものが残っている方がいい。

アバンギャルド(前衛)の方法論も、ホントは古いもんの自由さを謳っている。たぶん、沖縄芝居はまさにブレヒト的なはず。
ひょっとすると、中世までに積み上げた文化・文明を、いかに自由に使えるかというのが、この21世紀のテーマなのかもしれないなあと思う。

あ、それと、昨日からつま先着地歩行のナンバ歩き、池原歩行術(沖縄発)というものを試みてます。けっこう難しいのだ。

泣いても笑っても、本日楽日。夜は寒い(大阪の10月くらいか しかも忘年会たけなわ)ので、それほどにぎわうことはないだろうが、全力で駆け抜けるのみ。

最後の那覇!!

2010年12月17日(金) 7時29分
今帰仁は4日ともお天気に恵まれ、とくに最終日はちょっとあったかく、盛り上がった。2日目と最終日は、終演後に飲み会にもなって、いろいろと話も聞けたし、楽しいかぎり。バラシの翌日は久々のオフ日になったが、雨でもあり、来年の日程を考えたり銀行に行ったりなんやかやでどこにも遊びに行かず。

昨日の那覇の仕込みは冷たい雨の中での楽屋と舞台の一日仕込みになったが、なんとか予定のところまでは終わり、久しぶりにお風呂に行くという贅沢をした。泣いても笑っても、この那覇で旅は終わりだあ。

ここはマンションに囲まれた公園。マンションといっても、すぐそばの建物は、なんとなく昭和の匂いがする。国際通りのすぐそば、公設市場も近い。人もよく通るし、にぎわうといいなあ。いや、「にぎわい広場」っていう名前なんだけどね。

最後の最後になって、私は自分の演技をちょっとだけ、ラストの部分をかえてみたい。それと、ラストに歌をくわえてみる。

サンゴと玉砂利と骨と

2010年12月14日(火) 0時50分


先日、今帰仁城に行ったとき、火の神の祠があり、そこには白いサンゴが敷きつめられていた。まるでサンゴが白い骨のように思えた。サンゴって、まあサンゴの骨でもあるのかもしれないけど。
そこで思ったのだが、神社の白い玉砂利っていうのも、もともと骨かもしれない。敷きつめられた骨。その骨を踏みながら、私たちは神(先祖)を祀っているのかもしれない。
沖縄にも貝塚がたくさんあるらしいが、貝塚というのも、食べたものが集まっているというだけでなく、骨の集積を模したものかもしれない。
もちろん、おそらく人骨を散らした場所など、今ではあるはずもないのだが、もしかすると、もともと人骨を敷きつめた場所こそが、貝塚であったのかもしれないと思う。
ニンゲンは骨と親しむことで、死後を身近なものとした。そもそも墓を作るということは、火の使用と同じくらい古いことだという。その場合の死とは、骨のことだったはずだ。

沖縄のおでん

2010年12月12日(日) 22時59分
今帰仁のコープで、沖縄風おでんを発見。テビチ(豚足)がちゃんと入ってる。ちょっと高かったけど、購入。あっためるだけ。トロトロにやわらかい豚足で、うまかったあ。

今帰仁の3日間は、沖縄では珍しく、まだ子供が小さい年齢層(30〜40代)が中心。いろんな面白いことをやっている人たちが集まってくれた。初日と二日目には、あったかトン汁の出店(シミーズベーカリーさん)も出てくれて、とくに二日目は芝居後にたくさん残って宴に。芝居は好評なり。蛇ダンディ、ステキ、との声もけっこうアリ。大学時代の知り合いも、金武町に続いてまた来てくれた。
今帰仁公演についてのブログも、すごくいっぱいある。
こちら↓
http://kagamiike.seesaa.net/category/9068715-1.html

夜はそこそこ冷えるが、昼間は泳げそうなほど暑い。買いもんとかアレコレしててまだヒマないが。虫の声と、カエルの声に囲まれ、半月の明かりに野良猫が見える。

昨日は今帰仁城(グスク)の跡に行った。ほとんど城壁だけなのだが、この城壁の石組みの技術はマチュピチュとも比較されるという。世界遺産になっている。資料館にも行き、いろいろ見たが、興味がつきない。
沖縄にはたくさんの拝むところがあり、神々の島だ。今日も近所を宣伝カーとして車を走らせていると、崎山の、茅葺きの神ハサギ(拝所)があった。そうそう、コープでも、うちかび(紙のお金・燃やして、死者に送るらしい)を売っていた。

最後の那覇、にぎわい広場での公演は、17日(金)〜19日(日)。フェリーの都合で、帰宅は25日となった。26日には恒例の忘年会をやる予定。

このブログは、Tシャツにジャージ、はだしにクロックスで書いている。きっと大阪は寒いんだろうなあ。

さあ、今帰仁も明日が楽日!

今帰仁の風来荘にて

2010年12月09日(木) 21時24分
水曜は金武町の楽屋テントをバラす。3時くらいまでかかってしまった。舞台のバラシが早くなっているのに、楽屋は遅くなってるかも。片付けをちゃんとやると、時間がかかるのか。
その後、那覇に行き、にぎわい広場の使用手続きをし、チラシを自治会長さんのとこや、公設市場にもって行く。

そうそう、その前日、夕食を外食したのだが、これがすごいボリュームだった。私が食べたのはアーサ汁定食で、これは海草のお汁、まだ普通に量が多いだけだったが、それでもけっこうな量の煮物とサラダがついて満腹。キリコが食したチキンカツ定食には、かなりでかいチキンが棒状にいくつもフライとなって積み重なり、サラダに加えて、ナント、ソーキそばがついてきていた。また、萌はカレーのご飯にオムレツが乗っているシーツカレー(?)を注文したところ、カレーは大盛りだし、サラダはもちろんだが、ナント、ミニ沖縄そばがついていた。
これが、沖縄ではよくみかける普通の「○○食堂」。外食の少ない私たちだが、やはり沖縄はただものではない。量が多いのはタコライスだけではないのかも。あとで聞いたら、残った料理をお持ち帰りするための容器も用意されているそうだ。

そして、今帰仁(なきじん)の風来荘さんに到着。ここはホントに天国のような静けさ。本日、ほぼ仕込みも終わり。星がきれいだ。東シナ海の波の音が聞こえる。夜中まで騒がしかった金武町とは大違いだ。周囲にはススキが原といってもいいような土地もたくさんある。すぐそこの海に、暗くなってから行こうとしたら、あまりに道が真っ暗なのでやめてしまった。昨夜は細い三日月がチラリと見えたが、今夜は月が見えない。
昨日の夜、旅の道中としてはおそらく最後のメールニュースを発送。
明日は、また初日!!

那覇公演が決定!

2010年12月05日(日) 9時15分
金武町は、キャンプ・ハンセンというネイヴィの基地の、ゲートのすぐ前にある夜の街の公園。ここの夜の街はまったくの米兵相手。昼間はタコライス(タコスの具がライスに乗っているもの? うまいし、ボリュームたっぷり)の店とかハンバーガーの店くらいしか開いていないが、夜になるとロック・バーとか、キャバレーとか、ライブハウスとか、プールバーとか、怪しげな店が、いや、その実態はじつはわりと健全な店が開く、そのど真ん中に、何年か前に作られたというきれいな噴水のある公園なのだ。

米兵は1日と15日がペイデイ(給料日)とのことで、初日3日(金)と昨日の4日(土)は夜になると米兵たちが大声で騒ぎながら通る。ほとんど10代で、あどけない顔。女の子もいる。私たちに向かって気軽に手をあげたり、声をかけたり。立ち見もあるが、座ってみてくれたのは数人か。ドル紙幣やコインの投げ銭もあったし、最後に投げ銭袋をちゃんと渡してくれた人もいた。まあ、よくて1ドル札が数枚。

意外だったのが、小学生の子供たちが多かったこと(周囲のお店の子供たちか)と、日本人の酔っ払いが多かったこと。とくに酔っ払いは、気持ちはすごく応援してくれるのだが、なにしろ、この公園を我が家のように思ってノビノビ酔っ払っている方たちなので、うるさいうるさい。蛇ダンディ落ち込むシーンで、「耐えろー! 石になれー!」と怒声が飛ぶ。子供たちがオッサンうるさいと注意。こっちも何度か舞台からののしる。まあ、やんわりとだが。少し静かだが、また興が乗ってくると騒ぎ出す。
いやあ、これぞ芸能の場ではないか。芝居はなかなか押せ押せではできないが、気持ち的にはロッケンロールで演技。わざわざ那覇から見に来てくれた人や、宜野座で知り合った人が来てくれたり、人から聞いて見に来てくれた人、大学での友人で沖縄に住んでいる旧友など、数としては客席多くはないが、喧騒の中も、芝居は成立。昨日は、途中から見ていたという、もと金武町の町長であり、今は県の議員をやっているという方と酒を飲み、沖縄のことをいろいろと聞いたり話したり。ママさんかも、現地から帰ってきたときの米兵のことなんかを聞いた。

実は、沖縄のラストステージとして、那覇公演が決定。公設市場のそばの「にぎわい広場」。もうこれでラストにしようと、17、18、19の金土日。周囲はマンションで、ガジュマルが生えているイベント用の公園だ。ここで沖縄、いや、この長かった今年の旅の最後を迎えることになる。

2010年12月
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
アイコン画像ボーダー
» 2017年08月03日のつぶやき (2017年08月04日)
アイコン画像長山現
» 2017年03月14日のつぶやき (2017年04月04日)
アイコン画像ドテチン
» 2017年03月14日のつぶやき (2017年03月15日)
アイコン画像ふーちゃん
» 2016年08月19日のつぶやき (2016年08月23日)
アイコン画像沖縄のみゆきです
» 2016年07月09日のつぶやき (2016年07月11日)
アイコン画像長山現
» 2016年02月14日のつぶやき (2016年04月02日)
アイコン画像善光寺クロ
» 2016年02月14日のつぶやき (2016年02月15日)
アイコン画像みゆき
» 2015年12月20日のつぶやき (2015年12月21日)
アイコン画像ピエロ
» 2015年12月06日のつぶやき (2015年12月07日)
アイコン画像善光寺クロ
» 2015年11月01日のつぶやき (2015年11月02日)
Yapme!一覧
読者になる