満月

2010年01月30日(土) 3時02分
 こんなことは書くべきではないのだろうが、いつものことながら、台本難航中である。しかも、いつもは3ヶ月前を一つの目安にしているが、今回は制作的にも動かなくてはならなかったため、2ヶ月前としているのに、このテイタラクだ。我ながら情けない。2ヶ月前というのは、つまり1月末のことであり、あと2日だ。台本が遅れれば、全てが遅れていく。
ノートのメモ、そしてボツ原稿だけが増えていく。ラベルを書いては消す。灰皿が山になる。もうはっきりしていたと思っていたことが根本からぐらついてくる。結局、何も見えていなかったのだ。だいたい思いつきを転がしていくような、いい加減な劇作方法をとっているため、思いつきが浅く感じられると自分で思い入れができない。

さっき車を走らせて能勢の妙見山まで行ってきた。こういうことも毎回やることだ。和歌山まで行ったこともある。日本海にも行ったっけ。妙見山は一昨年のときからで、これで2度目だ。
夜の山道をゆっくり走っていると、山の闇が恐ろしい。霊気というか、モノノケというか、ケモノの気配というか。そんなものが窓を開けてくると襲ってくるような気がする。私は鈍感なので、具体的なものではない。鈍感であるから、むしろもっと襲ってきてくれと思う。そういいつつ、何かを見たような気がして何度もぞっとする。
山頂の駐車場は閉まっていた。神社の前で車を降りてみると、頭上に輝いているのは思いがけず満月だった。まるで銀板のように、ピカピカに輝いていて眩しかった。足元にはくっきりと影が映る。オリオンや、北斗七星の7つの星がはっきりと見えた。もちろん北極星も。明るい星は笑うかのように瞬いていた。あたりは月の明かりに煌々と照らされている。奇跡のように美しく明るい夜空だった。光輝く満月が落ちてきそうだった。
帰りの山道で、何度か車のライトを消してみた。木々の影がくっきりと道に落ちていた。月明かりで運転できるほどだ。箕面を通って帰ってくると、一気に大阪の夜景が広がった。こちらもため息が出るほど美しい。

何とかなるだろう。何とかしてみせよう。愚鈍な私は、ゾーキンのように、オノレを絞るのみなのだ。

岡野玲子「陰陽師」

2010年01月27日(水) 22時41分
 岡野玲子のマンガ。夢枕獏原作。
 魑魅魍魎たちが、理解されることを求めているという精神に貫かれている。
 陰陽師である安倍清明がそのことを説くが、彼の親友である源博雅はそれを実はよくわかっている。
 頭ではなく、心で。

 私はときどき思う。
 死者を祀ることは、生者の傲慢ではなかろうか、と。
 死者はどんな思いがあったかわからないが、残ったものは「安らかに」と願う。
 そして、あの世が安らかなものであると信じているような気もする。

 けれども、本当にあの世は安らかな世界なのだろうか。
 たとえば、焼かれることは、残酷なことでないとはっきりしているのだろうか。
 私にはわからない。
 もちろん、安らかであって欲しいし、そう考えて安心したい。
 安らかであって欲しい、そういう願いが供養という行動になる。
 おそらくそれは謙虚な、敬虔な願いでもある。

 発展途上国といわれる国々のことを、美しい観光国のようにとらえることもできる。
 けれども、それはその土地を美化しているかもしれない。
 想像もできないような苦労をしているかもしれない。

 ニンゲンの想像力には、そういうところがある。
 芸能や文化には、ともすればそのような二面性がある。
 残酷さや不条理な世界の隠蔽と、残酷さや不条理さに対する慰めと。

 料理なんかもそうかもしれない。
 「殺して食う」ことの残酷さを、和らげているのかもしれない。
 それは一つの「供養」の作法なのかもしれない。

 頭でなく、心で思うこと。
 その区別は難しい。
 たぶん、必要なのは「類」ではなく、「個」となること。

 源博雅は笛を吹いたり、琵琶を弾いたりする。
 この「楽」が、とてつもなく重要だ。

映画「牛の鈴音」

2010年01月25日(月) 22時52分
 先週の火曜日、久しぶりにオフ日を作り、十三の第七芸術劇場に行った。
 昔はここの会員だったこともあるが、たしか一回閉館して、今は会員ではない。
でも、このところは元気な映画館なのだ。

 結局観たのは、「牛の鈴音」。韓国のドキュメンタリー映画。
 非常に年老いた牛と、足の悪い爺さんと、口の達者な婆さんが田んぼでずっと働く。
 英語のタイトルは「Old Partner」とあった。
 この爺さんは、牛の食べる草に毒をまけるかと、農薬を使わない。
 牛がいるんだからと、機械を使わない。
 草むしりや稲刈り、牛の世話がすごく大変で、婆さんは始終愚痴と悪口ばかり言っている。
 けれども、牛と爺さん婆さんとは、30年もつきあってきた。

 普通、牛の寿命は15年らしい。それが40歳まで生きた。
 チェ爺さんは79歳、婆さんは76歳。9人の子供を育てあげた。
 その牛が鳴くたびに、疲れきっている爺さんの目が開く。
 爺さんは子供の頃に針治療に失敗し、片足がすごく細い。
 映っている風景も素晴らしい。
 牛は、死ぬ直前まで仕事をしていた。
 最後は立てなくなり、ついに死んでしまう。
 牛が涙を流した。
 でも、これは虐待でも何でもないと思った。

 牛がひく荷車に乗って、田んぼに行ったり帰ったりする。
 そのとき、ラジオから唄が流れている。
 全部ホントにドキュメントなんだろうかと思えるほど、婆さんも爺さんも牛もステキだ。
 ナレーションもない。
 なかなか自然な姿が撮れなくて、マイクをつけてもらって、望遠で撮影。
 結果的に、固定カメラが増えたという。
 監督は1966年生まれ。彼自身、農夫の息子らしい。
 3年以上をかけて撮影。
 韓国で、最初はアート系の7館で公開されたが、全国150館となり、ついには記録的な大ヒットとなったという。
 それもスゴイ話だ。

沖縄報告

2010年01月22日(金) 1時24分


 写真は大宜味村。

 ヤプログの調子が悪かったため、ブログ更新をストップしていた。いつもミクシと同時更新しているので。
 沖縄現地下見の報告をかいつまんで。沖縄の1月は春。桜も見かけた。
 新春とは沖縄の1月のことだった!
 沖縄公演を予定していた12月は、沖縄の真冬らしい。あちこちでそう言われた。う〜ん、大阪人にとってはそれでも春なみなんだけど。帰ってきて、会議で予定変更が可能なことがわかってきて、11月になりそうだ。

 いろんな人に聞きつつ、下見したのは、知念岬公園、くるくまランド、道の駅いとまん、コンベンションセンター、あやかりの杜、対馬丸記念館裏の旭ヶ丘公園、うるま市の世栄津公園、石川公園、大宜味村の石山展望台、浜辺、農村環境改善センター、喜如嘉公民館、那覇の希望ヶ丘公園、新都市中央公園・・・。

 どこもかしこも魅力的な場所で、目移りし放題。それぞれを語れば、一晩中語れる。
石山展望台なんて、東シナ海と太平洋が両方見える山頂の展望台で、ここでやることこそが天才のあかし!という感じだったのだが、人っこ一人いない素晴らしすぎる場所では、現地到着後の宣伝をメインと考える私たちには、あまりに雲の上の場所に思え、悩んだ末に却下。

 それでも、昔ながらの沖縄の家が立ち並ぶ大宜味はあまりに魅力的で、候補地とした。村の真ん中と思われる喜如嘉公民館の前の広場がいいなあ。普段はすぐそばの芭蕉布会館の駐車場になっていたり、ゲートボール場になっていたりするらしい。
 店などほとんどない。近くに1軒しかなかった。
 こういうところでやらずして、どこが全国巡回だろうと思うのだ。
 村には芭蕉があちこちに植えられ、すぐそばには「ぶながや」とう不思議な妖精の陶芸を作っている方がいる。
 訪問した日には、ご先祖にお参りする村中で行う墓参りがあり、亀甲墓の前に沖縄中から集まって、飲み食いをしていた。周辺は車だらけ。平たい線香に火をつけ、次々に焼香していく。
 沖縄にはあちこちに亀甲墓という巨大なお墓があるのだが、おそらくそこに入るお骨の量も違うだろうし、その前が芸能的な広場になっている。ある人によると、家よりもお金がかかるということだ。

 それから、うるま市の石川公園。ここは海から朝日が昇るビーチの公園。
 町並みがなんだか昭和の立川を思い出させる懐かしさ。
うるま市は闘牛も盛んで、以前の闘牛場も見せてもらった。今の「多目的ホール」という名前がついている闘牛場も。ナント、闘牛の牛が、歩道につながれているのにびっくり!
 ここでは、ある人の家に呼ばれてご馳走にもなり、ぜんぶおいしかった!
 とくにお餅。月桃(げっとう)という葉っぱでくるまれているお餅なのだが、その独特の匂いが忘れられない。ちょっとクセのある、私の好きな匂いだ。
 そばに、京都から移住したという写真家の人がやっている喫茶店もあり、楽市のDVDもすでに見てくれていて、いろいろと感想を頂いた。庭が広く、まるで植物園のようだ。

 沖縄はあえてこの2ヶ所。那覇で、ここなら、という場所もあったのだが、一応この2ヶ所をあたっていく予定だ。

 ほんとにいい場所がいっぱいあった。これは行く先々、日本中そうなのかもしれない。
 沖縄は、そんな旅の最終到着地になる。

 那覇での最後の夜に、まるで新宿ゴールデン街のような小さなバーへ、ARKの齋藤勝さんと入ってみた。
(今回、全てのセッティングを齋藤さんがしてくれた。齋藤さんは、沖縄の対馬丸についての映画を昨年完成していて、沖縄と太いパイプを持っているからだ。対馬丸は戦時中、たくさんの児童を乗せて沈んだ。)
 そこのお姉さん、本人は還暦と言っていたが、たぶんもう一回り上。まるで神話に登場しそうな、バーのマダムだった。あのマダム、ちょっと演じてみたくなった。
 お客が一人。こちらは還暦過ぎたという、小林薫っぽい、大人しく泣きそうな元自衛官。古里を遠く離れてずっと沖縄らしい。4人でなんだか不思議に話しがはずんだなあ。

 さあ、こんどは台本せねば!

鳥取の樗谿神社が決定!

2010年01月14日(木) 9時40分
鳥取の夢ORES Officeの森本孝文さんから、樗谿神社(おうちだにじんじゃ)が決まったとの電話が入った! 
やった! ありがとう、森本さん!
ここは夏に蛍が舞う神社で、蛍を大切にしているため、いろいろと大変でした。
4月9日(金)〜12日(月)に上演予定です。
その一番奥には大きな池があるという美しい神社だ。
すごく奥の深い(文字通り奥まで遠い)神社で、先月行ったときは池まで行っていない。
最初の鳥居近くにミニ動物園があって、私たちが上演させて頂くのはそこのスペース。

キリコが別府から帰ってきて、別府公演もできそうになってきた。
金沢の知り合いにも連絡がついて、金沢でも公演できるかもしれない。

昨日はミーティングと外でからだと声の稽古。
大阪でも雪が降ったらしいが、私は見ることもなく終わった。
事務所で体を暖めて、いざ淀川河川敷へ。
冷風吹きすさぶ河原で、礒部っちの指導のもと、竹刀を振り回す。
私は小学校2年まで剣道をやっていて、大学の体育でもやっていたので、懐かしい〜。
犬を散歩していた男の人が、しゃがんでじっと見つめ、なぜか拍手してくれた。
でかいのと、女と、スキンヘッドと、子供。
声を出しながら竹刀を振り回す姿はどう見えただろうか。
・・・わからん。
男の人が行ってしまった後、犬だけ戻ってきてもう一度じっと見て去った。
・・・よけいわからん。

明日から、私は沖縄の下見に行く。
この寒さの中、なんだか私だけ悪いような・・・。
楽しみだ!

JW−WIN

2010年01月12日(火) 1時32分
ほんとはもっと他にしなくてはならないこと(つまり台本)があるのだけれども、そういうときこそ目移りしてしまう私。
舞台の模型を作ってしまったり(結局ほとんどボツになった)。

今日はCAD(設計用のソフト)のフリーソフトである、JW−WINというのを見つけてダウンロード。
これが、す、すごい・・・。
今までずっと手書きの図面しかしてこなかったから、八角形を書くだけでも大変だったのに、あっという間。
ああ、こんなもんあるなんてしらなんだ〜!

勉強不足だったなあ。
寸法も角度もすぐ出る。
これまで手書き図面をサシで測ったり、関数計算をしてみたり、大変だったのだ。
ケシゴムのカスで机の下がいっぱいになっていた。

今年の舞台は、全てをほぼ20%ほど小さくしてみたい。
人数も少ないが、もう少し舞台を凝縮するのだ。時間もそうだ。
直径6mだった舞台は5.4mに。4.5mだった盆は、3.6mになる。
3時間の上演は、たぶん1時間30分か、それ以下になるだろう。
池自体も底上げすれば、水は今までの3分の1とか4分の1になる。
時間もすごく短縮されるだろう。

公演場所の確保、トラックとか発電機の確保、舞台、サブテント・・・。
もちろん、芝居そのもの。
あと3ヶ月もないのに、やることは山積みだ!
でも、十三のえべっさんには行ってきた。
思わぬ人にも出会って、ちょっとホワっとした。

恵みの旅

2010年01月10日(日) 23時38分
6日以降、バタバタして書き込む余裕がなかった。
いけない、いけない。
何がいけないって、余裕のない人生ほどいけないものはない。
もっとぼけ〜っとしなくては。ほけ〜っと。

さて、8日に徳島に行き、その場で決まってしまった。
徳島県立文化の森というところにある、野外円形劇場。
立派すぎるくらいの野外円形劇場だ。
うちの野外円形劇場は、その中心の丸いスペースだけで間に合ってしまう。
段々の客席を含めると一度に1000人以上入ってしまう!
みなさんごゆるりと〜。
くわしくはキリコのブログを参照してください。

有料で借りることになったが、まあ安いと思う。
文化の森には図書館、美術館、博物館、文書館、二十一世紀館というホールなどがある施設もある。
野外円形劇場も二十一世紀館の管轄。
担当の人がすごく親身になってくれて、いろいろ相談にのってくれた。
徳島からいつも楽市を見に来てくれているお客さんが橋渡しをしてくれた。
感謝がつきない。

じつはこの施設、キリコがネットで見つけて、そのお客さんに橋渡しをお願いした。
ネットの情報力って、すごいな。

携帯電話とPCとネットワーク、そしてメール。
これらが全てそろっている現代に、私たちは旅をするわけだ。
ここに、車のナビも入れていいかもしれない。つまり、衛星通信。
なんて恵まれているんだろうと感じる。
いや、恵まれているのは、やっぱり人にかな。
旅を決意してからというもの、そんな恵みの一つ一つが切実にうれしい。
これはきっと、恵みの旅になるだろう。

会社勤めをして、今思うこと

2010年01月05日(火) 23時04分
 たった5年だけれど、昨年10月までサラリーマンをしていた。
 それまでの数年は、まあ主に主夫。その前は看板屋。
 5年のサラリーマン生活をして思ったのは、誰もが何かの役に立とうと思っているということ。そのことを痛切に感じた。
 若い頃にはそんなこと思ってもみなかった。好きなことをして一生暮らしたい。いや、そうしなければならない、とまで思い込んでいた。

 けれども、会社というものに勤めてみて、皆が一生懸命仕事をしているのを見て、そりゃ好きでやっているという人もたくさんいたし、私も好きな仕事だったのだが、「好きにやる」よりも、「誰かのためになる」ということの方が、皆、価値を納得できるのだった。
 何らかの価値のために仕事をする。社会では当たり前のことだ。

 最後に、上司に「あなたは芝居の方で頑張った方がいい」と言われて、まあ、簡単に言えばクビになったわけだが、それでも、そう言われて、すごく嬉しかった。

 そんなことは、言われたことがなかったからだ。

 考えてみれば、50年生きてきて、一番真剣に、持続的に考えてきたのは芝居のことだった。
 たぶん、人生の1/3くらいまでは、芝居がウェイトを占めているだろう。

 芝居は好きではじめた訳ではない。
 ある日、大きな課題として、前に現れ、その壁はどんどん大きくなり、そして5、6年前にその壁が好きになってきたというシロモノだ。
 むしろ、社会の価値とは別の意味があるとさえ思ってきた。
 
 しかし、同じかもしれないと今は思っている。

 会社に勤め始めた頃、もう一つ思っていたことがある。
 みんな、自分の居場所を求めているのだろうな、と思っていた。
 認められたい、という思いが、会社で仕事をするということの意味かもしれない、と。

 しかし、それにしては誰もがひたむきに仕事をする。隠れてでも仕事をする。
 認められるのは嬉しい。認めれないのは悲しい。
 けれども、自分の仕事が何かの役に立っているということは、もっと嬉しいことだ。
 自分の仕事が誰の役にも立っていないとすれば、これほど虚しいことはない。
 嬉しいとか、虚しいとか、そんな言葉では語れないくらいのものがある。

 私は今、私なりに人生を賭して一生懸命考えてきた芝居というものが、誰かの役に立つのかどうか、というところに立っていると感じている。
 その結果がどうなるかわからないが、これは自分の人生が誰かの役に立つのかどうか、ということだろうと思う。

梨木香歩「西の魔女が死んだ」

2010年01月04日(月) 22時41分
 昨日、台本のベースとなるコンセプトがある程度見えてきた。
 作品を作ることは「問いを立てること」ということを再確認。
 創りながらしか問えないことが、この世界にはある。
 金蛇のファイナルでは、初演の「仮説」に戻ったのだが、今度の「鏡池物語」(仮タイトル)では、その前にも戻って、もう一度問い直してみることになりそうだ。

 が、今日、タイトルの本をちょっと読み始めたらつかまってしまった。午前中だけ読書のはずだったのだが。マイミクのミズタマ。さんが書いていた本で、決して新しい本ではないから、もう読んでいる人も多いと思う。
 なぜ「死んだ」でなくてはいけないのだろう、と疑問に思いながら前半を読み、半ばあたりでガツンときた。そしてつかまってしまい、最後まで。
 花や草を調べながら読んだ。クサノオウ、銀龍草、キュウリ草・・・どれも味わい深い草花だった。そんな草花の一つ一つが心にしみた。

 詩人のキーツは、詩人に必要な能力として、Negative Capabilityという言葉を使っている。消極的能力とか否定的能力と訳されるが、私が理解している範囲では、答えを出さない力、問題を抱え続ける力だ。
 宮沢賢治は、生徒の一人に「人はなぜ生まれてきたのか」と聞かれて、「それを考えるために生まれてきた」と答えたという。
 物語もまた、問い続けるための方法だ。推理小説やホラー小説が端的にそれを使っているが、物語るという行為も、それを読む行為もまた、問いかけ続けることだと思う。

礒部宏章を紹介

2010年01月03日(日) 23時28分
 あっちへ行ったり、こっちへ行ったりでバタバタしていたため、紹介が遅れてしまったが、礒部宏章のインタビュー映像が楽市楽座HPにUPされている。それをここにも貼り付けておこう。ほんとはもっとよく喋る。大阪弁で言うと「シャベリ」と言ってもいいのだが、ちょっと緊張している。



 ブログ「ISOが人生、波乱爆笑」もある。
 http://yaplog.jp/raku-is/

 彼は昨年の「金魚姫と蛇ダンディー」でダンゴムシ(とダンゴムシの女房)を演じた。巨漢なので、池と盆の隙間に身体が入るか、最後まで心配だったし、指にも問題を抱えていたのだが、見事に体当たりでやりきってくれた。陽気なダメな奴であるダンゴムシで観客に笑ってもらった。めげない努力家でもあり、東京の後、大阪公演ではまた色々と演技に工夫を重ねていき、楽日までその努力は続いていた。そして、今回の旅公演に関しても、真っ先に参加を決めてくれた。

 インタビューでもわかるように、弱冠22歳にしてはしっかりした自分の考えを持ち、それをきちんと話すこともできるナイスガイである。先日は一人で佐世保に行って協力して頂ける南国食堂地球屋さんと会い、下見に回って候補地も決めてきた。そういう時はどうもスーツにネクタイらしい。

 今まで、役者はもちろんだが、舞台や照明などの裏方の仕事もしてきている。
 武道もずいぶんとあれこれやっていて、剣道、柔道、合気道、弓道などの嗜みもある。
 料理の腕もかなりのもので、旅では期待できそうだ。
 さすがに日本舞踊の経験はないらしく、毎週の稽古ではかなり苦労している。日本舞踊では腰をかなり落とすので、その体重(本人いわく100キロ弱)がきついはず。

 いろいろと話を聞くと、今までの人生はかなり波乱万丈で、若いながらに苦労人でもあるようだ。寺とも縁が深い。喋ることがいくらでもあって当然だ。知識が豊富で話がつきない。

 今回、私たちのはじめての旅は、我が家の3人と彼の合計4人だけである。たった4人だが、その年齢層といい、体格・体重といい、生まれた場所といい、まったく違う4人になった。共通するのは、皆、楽天的なことである。旅は面白いと思っているし、なんとかなるに違いないと確信している。
2010年01月
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
最新コメント
アイコン画像ボーダー
» 2017年08月03日のつぶやき (2017年08月04日)
アイコン画像長山現
» 2017年03月14日のつぶやき (2017年04月04日)
アイコン画像ドテチン
» 2017年03月14日のつぶやき (2017年03月15日)
アイコン画像ふーちゃん
» 2016年08月19日のつぶやき (2016年08月23日)
アイコン画像沖縄のみゆきです
» 2016年07月09日のつぶやき (2016年07月11日)
アイコン画像長山現
» 2016年02月14日のつぶやき (2016年04月02日)
アイコン画像善光寺クロ
» 2016年02月14日のつぶやき (2016年02月15日)
アイコン画像みゆき
» 2015年12月20日のつぶやき (2015年12月21日)
アイコン画像ピエロ
» 2015年12月06日のつぶやき (2015年12月07日)
アイコン画像善光寺クロ
» 2015年11月01日のつぶやき (2015年11月02日)
Yapme!一覧
読者になる