もやしと旅

2009年11月28日(土) 23時42分
もやしを水からゆでると、シャキシャキになると聞いてたんですが、ホントだった。
信じられない〜! なんで?
熱湯でさっとゆでる方が正しいと思うけど、違ってた〜!
不思議・・・。
地面より下のものは水から、上のものは沸騰してからと覚えていたんですが。
もやしは、地面がないのだなあ〜

昨日は企画書を新しくしました。
およその日程と、コンセプトを新たに。
なんせ、4人での巡回公演になりましたので。
新作書きます!

今日は倉庫のゴミ捨て第一便。
今月一杯で倉庫を引き払います。
がんがん身軽にしなければ!
その後、倉庫片付け。
生命保険、解約。
旅公演のために、いろんなもんを、解約中です。

明日は似島(にのしま)に行きます。
久しぶりの新幹線。

野外劇の魅力(3)

2009年11月26日(木) 21時59分
 覚書ノートとして書いています。
 すごく基礎的で抽象的なことから書いているので、まだるっこしい・・・です。

 前回、劇が劇場で行われるようになって、何かが抜け落ちたのではないかと書いた。また、劇場→映画→テレビという流れについても書いた。
 この劇場→映画→テレビという流れ(ここにインターネットを新たに付け加えることもできるかもしれないが、今はふれないでおく)の中で何が起きたのか。

 この流れは、それぞれ何らかの集団に属している。劇場は都市に、映画は国家に、テレビは国民とざっくり言えるかもしれない。だいたいそうじゃないかと思う。

 劇場は都市というものと同時に生まれた。それまでは「劇場」という決まった上演場所はなかったかもしれないものが、劇を上演する特定の場を持ったのは、それを必要とする都市が生まれたからだ。都市という非常に多くの人々が生活し、ほとんど無秩序に近い荒々しいエネルギーが渦巻く場所で、そのエネルギーのはけ口であったり、バラバラの人々の気持ちをまとめたりするために、劇場は作られた。それは人間の祝祭でもある。なんだか「人間の勝利」という言葉が浮かんでくる。ギリシャ悲劇なんかは神(運命)を扱っているが、それでも、それが悲劇であるのは、神(運命)に対する人間の挫折が描かれているからだ。ギリシャ喜劇の方は、もっと人間バンザイになる。(ちなみに、ヨーロッパ中世の大規模なページェントも祝祭劇だが、街頭で行われていたはず。)

 それが映画になると、国家というイメージ。映画はかなり大衆社会(国家によって作られた)とか巨大資本がからんでくるわけだが、そこには「銀幕のスター」と呼ばれる、代表選手が現れる。それまでは、なかなか役者が歴史に残るなんていうことはなかったような気がする。世阿弥だって一役者として残っているわけではない。「銀幕のスター」は言うなれば大衆社会の神々と言ってもいいだろう。ヒットラーも銀幕のスターとして生まれたんじゃないだろうか。映画の時代には、大衆はまだ貧しかった。銀幕の世界は光に溢れ(実際にそれは光によって映し出されていた)、日本でいうなら、タタミとちゃぶ台、汲み取り便所の日常でない光溢れる場所をそこに見ようとしたかもしれない。厳しい現実とは別の世界を、映画という窓の外(中?)に見ようとした。

 テレビはもっと大衆化が進んできて現れる。映画はお金を出して、よそ行きに着替えて都会で見るものだった。テレビはちゃぶ台のある世界の中で、タダで見ることができるメディアだった。映画がまだ大衆を作ろうとしていたのに比べ、テレビは本気で大衆というものを作り出してしまった。ああらゆる流行をテレビが作る。同じ町で起きている事件も、テレビに映ったときにやっと本当に事件になる。テレビが世界を映し出している。アイドルは身近で平凡で、愛すべき存在だ。わたしたちの等身大で、決して手の届かない「スター」ではない。家に帰ってテレビさえつければ、つまらない現実のことを忘れることができる。

 そう、ここに至って世界は逆転する。テレビに映っているものが現実になり、それを見ているワンルームマンションの側がさながら虚構めいてきてしまう。私は本当に生きているんだろうかと悩みはじめる。

 劇場→映画→テレビという流れの中で、じつは失われたのは「現実」とか「現場」なのだ。

 もちろん、これは非常にいい加減な推論だし、今でも劇場や映画やテレビで良質なものだってたくさんあるわけで、私がここに書いているのは、そういう個別の具体的で良質なもののことではないから、たいした意味があるわけではない。自分でもイヤになるほど、図式的だと思う。それに、劇場→映画→テレビというメディアだけが、個人主義を生み出したわけでもないだろう。

 ただ、流れとして、そういう流れがあったと確信するのだ。そして、良質なものは常に現実をもっと見つめようとしてきたし、現場に立とうとしている。私が言おうとしているのは、見ている側のことなのかもしれない。テレビの現場ではなく、テレビを見ている現場とは何なのか。

 テレビというメディアの根底には、実はもう一つ、「家族」という集団(現場?)があった。そこにいることに意味がある劇場(旦那衆とか奥様方とか?)、見るために一緒に出かけていくための映画(デートとか?)、家で家族と共に見るためのテレビ(ダイニングキッチンとかリビングルームとか?)。けれども、最初のうちは家族共通の娯楽として重要な役割を果たしたテレビには、家族から会話や長話(物語)を奪うという役割もあったかもしれない。

 野外劇は、この流れを遡ろうとする。劇場が建つ前の場所にまで。

 気づいている人もいるかもしれないが、この流れはつまり、「等身大の人間の方へ」という流れでもある。だから、中世のページェントのように、宗教的な方へ行くと劇は野外を求めるようになる。もしかすると劇場の「屋根」というものも、はじめは宗教的な意味があったのかもしれないとさえ思う。空に向かったアンテナとしての屋根。

 それでは、野外劇は宗教的なのか。
 おそらく、そうとも言えるだろう。

 ただし、その前にもう一つ確認しておく必要がある。テレビの中に現実があり、テレビを見ているこちらが虚構のように感じるということの意味には、もう一つの流れがある。

飛鳥流の宗家にお会いする

2009年11月26日(木) 2時29分
「金魚姫と蛇ダンディー」の扇町公園での公演にお越し頂いた、飛鳥流宗家の飛鳥峯王さんにご挨拶をかねて訪問しました。
 うちのキリコが、もともとその内弟子であった飛鳥博史さんに日舞を習っていたので、奥様とご一緒に見に来て頂いたのですが、とても喜んでくれていたのです。
 宗家の家にはほとんど劇場といってもいい舞台があり、その上の広い稽古場でお会いしました。

 来年からの全国巡回公演についてはすでにご存知で、実の親以上に色々と心配してくれ質問攻めにあいましたが、お二人ともたくさんの苦労を楽しまれた人たちで、祝福と応援の言葉をたくさん頂きました!
 円形劇場や水流回り舞台、役者が生演奏すること、完全な野外などについてもとても理解が深く、全国をまわることについて、理解と激励の言葉を頂きました。非常に少人数であることも、旅も、子連れについても、ひとつひとつ前向きなアドバイスを頂きました。
だいたいこういう話をして、それはどうなの?という感想を言うのは、ほとんどが若い人たちで、清水きよしさんもそうでしたが、ある程度の年齢以上の人たちはむしろ喜んでくれるような気がします。

 飛鳥流を立ち上げたのは、宗家が50歳の時だそうで、私と同じです。その前にも、キャバレーでのショーの苦労や、立ち上げた直後のフェスティバルホールでの公演とその後の苦労などがあったことなどをお聞きし、全国巡回公演を続けていくことで見えてくる可能性や、ご自身の体験からの子供のこと、楽市の芝居の魅力などを聞いているうちに、あっという間に2時間くらいがたってしまいました。
 飛鳥流は、日舞といっても色んなことに挑戦していて、ほとんどレビューに近いようなこともしています。それだけずっとチャレンジャーであり続けたということであり、その精神からみれば、私たちがやろうとしていることなど、入り口にすぎないと感じいりました。

 宗家は80歳、奥さんは72歳だそうです。息子さんは市川右近さんといい、市川猿之助さんの芝居に出ています。息子さんもずっと小さい頃から舞台を勤め、すくすく育ったようです。
実際のところ、最近はずっと子供と話す時間は増えています。おそらく、彼女にとっても、これからの数年は親からいろんなことを学ぶ時間になるでしょう。同時に、子供から学ぶこともたくさんありそうです。

自分たちの進むべき方向が間違っておらず、きっと何とかなるだろうという確信を持つことができました!
これからも、きっと多くの出会いに恵まれるだろうことも!

ラスコーの動物壁画

2009年11月24日(火) 23時06分
博多からの帰り道、ふとテレビをつけたらラスコーの遺跡についての番組をしていた。
私は大学で美術史を学び、教授は原始美術と現代美術の専門家だったので、ラスコーについても少し学んだつもりだ。バタイユのラスコーについての本も読んでいる。
その番組では、驚くべき仮説が語られていた。それは、ラスコーの動物画が、天の星の並びにぴったりと一致するという説だ。
ラスコーの壁画はかなり正確な星図だったかもしれないという。

どうやって正確な星図を洞窟の中に再現したのかということに終始していたが、最初から空の星々が動物に見えていれば、その記憶(イメージ=像)は再現できただろう。
彼らは「星」として見ず、「動物たち」として夜空を見ていたかもしれないのだ。
この新説は、いつか大きなインパクトを作りそうだ。

さっき技術と方法意識について書いたが、原始美術と現代美術では、まずその技術と方法意識が問題となる。
どういう方法で作るかということが、その作品の存在意義を形作る。
その技術・方法に、思いがこめられている。と同時に、そのような技術・方法を見出したことで思いが溢れてくるとも言える。
ラスコーの動物壁画と星座、そして洞窟・・・そこにはどんな思いがあったのか。

人間は動物をかなり尊敬してきたのではないかと、私は考えている。
昔話の動物たち、キツネとかタヌキとか、みな身近な動物だが、神々だったのではないか。
そして同時に、そんな動物を食べてもいた。
アイヌのイヨマンテ(熊送り)には、そんな矛盾を解決しようという思想がある。
人間は自意識にまみれ、いつも恐怖に怯え、はげしい感情におぼれる。
動物たちの高潔さにはとても及ばない。
人間は神を食べ、神と一体化し、神のパワーをいただいてきたのかもしれない。
「神話」といわれるものは、古代の人間的な神々の話になるものが多いが、そのもともとは動物たちによるもので、今はそれが「昔話」とか「童話(子供向けの話)」と言われているような気がしてならない。
今でも遊園地やゲームなどでは動物たちが大活躍している。そのへんは中沢新一が書いている。

だから夜空に動物を見たし、それを洞窟壁画にもしたのかもしれないと思うのだ。
ラスコーでは、動物は写実的に描かれているが人間は雑に描かれている。
人間は、動物(神)になりきれていないことの恥を自覚していた。
そういうことを考えると、今回のラスコーと星の関係は興味深い。

技術と方法意識―劇団どくんごを見て考えたこと

2009年11月24日(火) 22時18分
昨日、全国巡回公演についてのお知らせメールを、お客さんや知り合いに、可能な限りお送りしました。これから時々お送りする予定です。もし、このブログを読んでいて、私も欲しいという方、連絡ください。

劇団どくんごに行って考えたことを少し書いておこう。
それは、作り手の技術と方法意識ということ。
どくんごの技術と方法意識は、あの限りなくシンプルに設計されたテントや客席、生活技術・旅技術などにもあるし、鍛え上げられた声と肉体にも、劇作術にもある。
それらの技術と方法意識とは、すごく一体化している。つまり、あのテントや旅と、声や体や作劇術は、全部ひっくるめて「劇団どくんご」になっている。
ちょっとうまく言えていないな。でも、見た人にはわかると思う。
そして、その技術と方法意識は、独自のものになっている。

そういう独自の技術と方法意識をきちんと持っていて表現をするということが、いかに大事なことか。
持っている者と持っていない者、これをたとえるなら、医者と患者くらいに違うのではないか。
誰でも芝居をやることを楽しむことができるし、物を作ることを楽しむことはできる。
けれども、独自の技術と方法意識を持って芝居をやろうと思っている者は意外と少ないような気がする。

技術と方法論を意識するようになれば、それを鍛え上げ、磨くことができるようになる。
そして、その技術と方法論は、作品だけではなく、生活や生き方を鍛えたり、磨いていくかもしれない。
そして、それは独自のものになる。
これは「好きなことをやる」というスタンスとは大きく違う。
もちろん、最初は「楽しいから」「好きだから」という理由でいいし、それは健全なことだ。

先ほど医師と患者のたとえを使ったが、医師は医大を出て試験に受かれば一応なることができる。
医大では、医学という技術と方法意識について叩き込まれるからだ。
けれども、本当の医者は、患者を治しつつ、研究をしている人が多い。その研究がなければ、習ったことだけで患者を治療することになるが、おそらくそれだけでは一人の患者を治すことさえできないし、今直せない患者に対してはどうしようもない。
そこには独自の技術と方法意識が必要だ。

芝居もこれに似ていて、お客さんを楽しませることを通して、独自の技術と方法意識を鍛えていかなくてはならない。
その技術と方法意識は、手先の技術や頭でっかちな理論では人の心を動かすことはできない。
人生や生活や、生身の自分の体や人間関係など、あらゆることが巻き込まれるだろう。
芸能というものは、そもそも技術と方法意識でできているのだ。
どんな芸能でも、学ぶときにはその独自の技術から学ぶし、その技術が何のためにあるかという方法意識についても学ぶことになる。
舞台という一つの作品を作るのにも、同じことがいえる。

どくんごの舞台を見て、そんなことを考えた。
彼らは見事に独自の技術と方法意識を身につけている。
私たちもまた、独自の技術と方法意識を、旅によって鍛え上げていくつもりだ。

怒涛の日々

2009年11月18日(水) 23時02分
 このところ怒涛の日々だ。朝から晩まで働いている。いや、働く準備をしているというべきか。起業というのはこういうものかもしれない。
 倉庫を引き払う準備、様々な解約・手続きから、食事の用意(今、わが家の食当は私なので)、そしてメール、メール、メール! 電話! 訪問! 会議! 討議!

 とりあえず前回の報告の続きから。
 劇団どくんごの公演は素晴らしかったー! 6月に見たのだが、それでも新鮮。しかもよりパワフルかつ丁寧になっていた。土曜日に見て、日曜にまた見たのだが、それでも飽きない。今度は気付かなかったことにたくさん気がついて、深いなーと感じた。意味の果てに見える存在の孤独。そして役者たちの声とからだが素晴らしい。一緒にやってみたい役者たちです。とくに人魚姫の話はやっぱりお気に入りで、涙ぐんでしまう。「金魚姫と人魚姫」なんて、いつかできないかな。不条理なんだけど、楽しくて、どこか童話的なものを持っているどくんご。もしかすると、同時代の演劇をやっているのかもしれないと思う。

 そのどくんご公演で、たくさんの出会いが。
 北九州の谷瀬さんは、10年以上前に北九州演劇祭のときに2回お世話になった人だ。1回目におばあさんの家に泊めてもらった。ここで谷瀬さんとお会いして、北九州U(小倉)での公演が一気に実現に向かい始めた。
 それから、2回もラフレシアに足を運んで頂いている薙野さん。この方は今は博多に住んでいらっしゃって、福岡観劇サイトをやっていて、なんと今年なくなった熊谷氏の翻訳作品のリーディングを福岡で企画していた。奇遇と言わず、なんと言おう。薙野さんは、制作募集に心がちょっと動いたという。加わってもらえたらいいのになー。

 熊谷氏は前の劇団員のM(彼は今年、高校の演劇科の教師として、楽市に生徒を連れてくる企画を立ててくれた。インフルエンザのために中止になったけど)とのつながりで知り合ったのだが、韓国に何度も行っては芝居関係者と親しくなり、「豚とオートバイ」などを翻訳した(大阪でも上演されている)。今年、急死してしまった。福岡で、いろんな人と引き合わせてくれたようにも感じてならない。

 どくんごの福岡公演のお世話をしていた「劇衆 上海素麺工場」の座長である支那海東さんにも挨拶ができ、DVDをもらう。海辺に大きなテントを建てて公演を続けている人で、熱い芝居だ。いいなあ。こんな劇団が福岡にはあったのだと驚く。しかも、キャッピーさんが出ていた!
 
 福岡のぽんシアターでは、高崎さんにお会いし、福岡の演劇情報について色々と教えていただいた。

 そしてそして、福岡や佐賀から、何度も大阪に、いや東京にも足を運んでくれたお客さんたち、いや、もう友人たちともお会いし、協力してもらえることになった。これで佐賀公演もぐっと実現に踏み出したことになる。

 じつは、たくさんの出会いの怒涛の日々。みなさんに報いるためにも、すごくいい芝居にしなくては!
 役者・制作者、募集中です! 今月の25日が締切り。今月中に決定して、12月からは台本と場所探しに専念です! ああ、楽シイ〜!

岡山と博多

2009年11月14日(土) 10時11分
携帯からなので簡単に報告。
木曜は岡山で河川敷を見せていただきました。人のつてを頼って行ったのですが、素晴らしい人と出会えて4月の岡山公演は実現しそうです。
昨日は博多の劇団どくんごの仕込みをお手伝いさせていただきながら、いろんな話をたくさん聞くことができました。素晴らしいテント劇場とサブテント。随所に込められた高い技術に感動。親切にたくさんのことを惜し気もなく教えていただき、その上ご馳走にもなってしまい、本当に感謝です。
今日はその博多初日。天気も回復したみたいですし本番が楽しみです。博多近辺の人はぜひ!私はもう何年も見ていますが、全く独自の方法論、軽やかでかわいいテント劇場と舞台です。面白いです!全国を旅してます。私たちもどくんごに続きます!
中洲の公園。詳しくは劇団どくんごのホームページをご覧ください。

野外劇の魅力(2)

2009年11月11日(水) 11時32分
 前回も書いたように、野外劇の魅力について私はまだまだわかっていない。

 あくまでノートとして、覚書として、野外劇の魅力について考えてみたい。

 そもそも芝居というのは、ほとんど野外で行われていた。

 ギリシャ劇もそうだし、中世の祝祭劇も街頭や広場、シェイクスピアももともと屋敷の中庭だった。能も河原などで演じられてきた。今でもマダン劇は街頭や空き地、バリ島のケチャやインドネシアの影絵、祭の中で行われる神楽も空の下が多い。芝居という言葉も、芝生が客席だったかららしい。

 もともと単純に人が大勢集まる場所が、建物の中ではなく、屋外だったということに過ぎないともいえる。ヒトは住むための家屋を持つようになっても、大勢が集まるところは外だったということだ。ここに独自の意味を見つけようとしても難しい。意味を見つけるとすれば、「劇場」が現れて何が変わったのか、というところになる。

 「劇場」というものが現れたのは最近だ。とくに近代の市民社会が現れてからは、入場料を取って産業として成り立たせるために、劇場は不可欠になった。劇場も最初は屋根がなく、囲い込むだけのものだったろうが、そのうち屋根ができるようになった。それでも日本ではずっと天井を作ることは禁止されていて、だから、天井のない「小屋」と呼ばれ、今でも劇場のことをそう言うし、ここには差別的な意味もある。

 ただし、河原能なども、舞台の上には屋根が作られていたようだ。これは、屋根というものが、神々が降りてくるヨリシロの意味を持ったり、演じられている神々を神聖に思ってのことだと思う。相撲もそうだ。今でも国技館の中には土俵の上に小さな屋根があるんじゃないかな。能楽堂も舞台の上に屋根がある。

 脱線したので、話を戻そう。

 劇場が現れて、何が変わったのか。いくつか考えてみよう。

 見せる側と観客がはっきりとわかれた。劇場には「裏」と呼ばれるスタッフだけの場所があり、客席はきちんとした場所になった。「客」というのは、外部からやってくる誰かだ。「裏」が内部であるのに対して、「客」は外部になる。舞台がそれをつないでいる。

 観劇料が発生した。料金を安定的に取るために劇場ができたともいえる。野球場のドームもそうだよね。これによって、職人(職業)としての役者やスタッフ、とくに「興行主」が確立する。

 屋根が作られたということは、照明がついたということでもある。照明だけはない、舞台装置が現れたし、いろんな仕掛け、そで幕なども現れて、プロセニアムアーチ型の劇場へと進化していく。観客は、舞台の上に再現された別の世界を皆で見るようになる。

 つまり、とても人工的な場所になっていったということだ。その人工的であるということは、劇場の内部を豪華にしていった。非常に特権的な場所として、劇場が社会の中で特殊な位置を占めていく。文化や風俗の中心ともいえる場所だ。

 このような劇場型スタイルが、後に映画を生み出し、テレビを生み出したとのではないかと思う。映画になり、テレビになる過程で、また新たな意味が現れたとも思うが、この流れの一方で、野外で行われていた舞台にあったもの、いくつかの重要なことが抜けて落ちたのではないか。何が抜け落ちたのか、まずはそこに、野外劇の魅力を考える手がかりがあるはずだ。

野外劇の魅力(1)

2009年11月07日(土) 23時37分
野外劇の魅力について書こう。

そう思って昨日書き始めたのだが、どうも違うと感じて、取りやめにしてしまった。
はたして、野外劇の魅力なんていうものを、私は本当に知っているんだろうか。ひょっとすると、まだまだ本当の魅力を知らないのではないか。本当の怖さも。

そもそも、大学入学と同時に入ったのが、「劇団 幻視行」というテント劇団だった。テントという劇場に魅せられた。唐十郎の率いる状況劇場の赤テント、曲馬団の仕掛け満載のテント。それから、日本維新派の巨大な劇場、犯罪友の会の船が空飛ぶ劇場・・・それらは普通の劇場ではなく、そこに行くだけでとても魅力的だった。

そもそも「普通の劇場」なんて劇場ではない。足を踏み入れたとたんにワクワクする、そんな気持ちにさせてくれるのが劇場であるはずだ。テントや野外劇場は、そんな思いを満たしてくれた。私が歌舞伎座や宝塚大劇場に行くようになったのは、ほんの最近のことで、そういうところもそれなりにワクワクしたが、日本維新派の小さな日本家屋を劇場に仕立てたものや、ビルの屋上に作られたカラビンカなども、怪しいジャズ喫茶やロック喫茶、ライブハウスなどと同じく、ずっとワクワクする場所だった。そして、ドーム型から中央が吹き抜けになったラフレシアも、そんな劇場になって欲しいとずっと思ってきた。

けれども、それらの劇場は、はたして今私が考えている「野外劇」だろうか? 既成の劇場に満足できず、野外に作られた劇場。野外ということよりも、劇場の魅力だったのではないか?

私が今思っている野外劇は、その場所そのものとどれだけ触れ合えるかが問題だと考えている。今回のように、屋根なし壁なしになって、はじめて野外劇というものを深く感じたのだ。野外劇の魅力と意義は劇場とは別にあるはずだ、と。このような野外劇は、街で行われるなら、「街頭劇」と呼ばれるべきものだ。

そんな野外公演は、今までの楽市楽座でも数回しかない。そんな私が野外劇の魅力を語る資格があるだろうか。

私が語れるかもしれないのは、ありうべき野外劇の魅力についてだけだ。そして、来年からの野外劇による全国巡回公演は、そんな、ありうべき野外劇を求めての旅なのだろうと思う。

もちろん、私の野外劇という言葉は、自分自身だけのためのものであって、ほかの野外劇を野外劇でhないなどと言うつもりは毛頭ない。テント劇や野外劇場こそ、もともと本来の野外劇である。ただし、私が今考えている野外劇の魅力、これから追い求めようとしている野外劇の魅力は、そこではないかもしれない。(つづく)

全国巡回公演に向けて

2009年11月05日(木) 16時01分
 じつは10月一杯で仕事を辞めることになった。この5年間、生まれてはじめて背広にネクタイで仕事をし、たくさんの人に出会い、とても多くのことを学ばせて頂いた。ある程度の大きな組織というのもはじめてだったので、組織がどう動いていくのか、また、組織で働く人たちがどんな思いと責任感を持って仕事をしているのかわかった気もする。大勢の方々にお世話になりました。ご挨拶のできていない方がたくさんいるのが心残りですが、この場を借りて、感謝の言葉とさせて頂きます。本当にありがとうございました!

 さて、これから、である。何をするか。こんなチャンスは一生に一度しかない。キリコとも何十時間も討議した。
 その結果、全国巡回公演をしていくことを決意した。野外での上演でだ。私にはそれしかできない。それしか考えられない。もし、それで食べていければ、これほど楽しい人生はないだろう。
 楽市楽座はいったん解散し、「野外劇団 楽市楽座」を旗揚げする。
 現在、メンバーは私と佐野キリコ、そして「金魚姫と蛇ダンディー2009ファイナル」でダンゴムシを演じた礒部宏章の3名のみである。ほかにも声をかけているが、今のところ、ことごとく断られている。今週末から募集チラシが配られる。男優、女優、そして専従制作者を募集する。野外劇の魅力と意義を極め、伝えていくためのプロ集団を作る。
 来年の4月から旅をはじめる予定だ。もちろん、上演場所もこれから探していかなくてはならない。準備期間は5ヶ月しかない。すでにたくさんの人たちに相談し、色んなアドバイス、情報、そして励ましのお言葉を頂いた。メンバーと上演場所以外にも、問題は山積みしている。自分でも、かなり無謀だと思う。しかし、やろうとしなければ、何もできない。これが私の天命だ。

 旗揚げメンバーや上演地など、何か情報がありましたら、ぜひ長山までお知らせ下さい。メンバー募集の詳細については、楽市楽座のホームページにもUPする予定です。
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