タマシイ

2009年08月28日(金) 2時31分
 死んであの世はあるのだろうか。
 これは、「金魚姫と蛇ダンディー」のテーマの一つである。
 私はずっと「死んだら終わり」と考えてきた。けれども、それではどうしても気持ちが納まらないことがある。「死んだものの無念を晴らしたい」とか「それでは犬死だったのか」とか「自分の思いを誰かに託したい」とか「死んでもこれだけは・・・」「思いを残して死んだのはかわいそう」などと思うのは、とても自然なことだ。
 「死んだら終わり」であるのなら、それらは全て無効だ。亡くなった者を弔うのさえある種ナンセンスな行為だろう。死んだ人が見てくれているなどという感覚も、欺瞞でしかない。遺族が誰もいない者を殺した人間を罰するのは、生きている社会(集団)のためだけなのか。ヒトの思考には、どうしても「死んでもまだどこかに存在する」という気持ち(論理)が残る。
 そもそも「死んだら終わり」というのも、一つの仮説にすぎない。「神は存在する」「神は存在しない」「運というものはある」「運などありえない」―すべて仮説にすぎない。
 だとするなら、オノレの感覚に従うというのが現代的な論理かもしれない。しかし、そこには社会的な正統性がすでにない。だから、「祖先が粗末にされているから、この壷を買いないさい」というのが、詐欺ともなるし、戒名なんていらないと思ったり、心霊写真がワイワイ取り上げられたりする。どうしてもいい加減な論理になってしまう。
 仏教では輪廻がある。死んでどんな動物に生まれかわるかわからない。だから、身近な死者がゴキブリに生まれかわっているかもしれないから、ゴキブリを殺すことができないという論理になる。1寸(約3センチ)の虫にも5分のタマシイとはゴキブリのことかもしれない。けれども、ほとんどの人はゴキブリを嫌い、殺す。つまり、輪廻は認めていない。これだけではなく、あの世に関するほとんどの感情的論理はいい加減で、論理的に整合性を持たない。
 論理より感覚優先なわけだが、つまるところ個人的だということだ。自分に都合のいいように考えていいことになっているわけで、それが現代の基盤になっているのだ。この基盤はかなり脆い。こんなに脆い基盤の上に、常に人生が乗っかっている(征服されたりして説が変われば、一時的な基盤の混乱は常にあっただろう)というのは、おそらく人類史上はじめてのことに違いない。
 私はそこに、もう一度タマシイということを深く考えることができる、一つのチャンスを見ている。「狂気」と「仮説」と「集団性」をめぐる芸能の視点である。これは「個的な感覚・感情(狂気)」、「論理(仮説)」、「身体性(集団性)」と言い換えることができるかもしれない。

あの世界としての芸能

2009年08月25日(火) 23時51分
 昨日、「あの世界」について書いたが、「金魚姫と蛇ダンディー」は麻薬や倒錯や暴力を扱ったものではなく、小学生でも楽しめる劇なので誤解なきよう。敬遠されても、期待されても困るので。ただし、陶酔と笑い、切なさと輝きはあるつもりだ。
 「あの世界」について書いたのは、私たちの飢えがどこにあるのかを確認したかったからだ。「あの世界」はじつは身近な生活の中にあるのではないかというのが最近の流れかもしれない。そして、そこには真実もあるだろう。でも、それだけではない。
 「あの世界」を求めて、恐ろしく長い間、ヒトは様々なことを考え、試してきた。ほとんど全ての宗教は「あの世界」への道を説き、そのための修行をしている。麻薬を用いることもあれば、性を通じてそこへたどりつこうとするものもある。そのために命を賭け、生贄としてヒトを殺すこともしてきた。
 現代においては、まずは個人的な生活が重要であり、そのために経済と政治がある。しかし、その経済と政治も、もともと宗教だったはずだ。だからと言って、すべては宗教だったと言うつもりはない。経済と政治の前に、宗教の時代があったに過ぎない。宗教の前にあったのは「芸能」であると私は直感している。というか、仮にそれを芸能と呼んでもいいだろうと思っている。
 それはヒトの集団のあり方で、まずは個人と家族が今、むき出しにある。そのために会社や国家がある。その前に教団があったということであり、おそらくその前は「芸能組織」という概念でしかくくれないだろうということだ。それは組織と呼べるものではなかったかもしれないが、とにかくなんらかの陶酔や恍惚が、ある種の実利的な知性を超えた知性が組織されたと思えてならない。今、「実利的な知性を超えた知性」と書いたが、実利的な知性が先にあったわけではなく、狂気に似た知性が実利を伴ってきたものに分かれて行ったと考える方が利にかなう。
 すべては仮説という思い込みから始まっている。

あの世界

2009年08月25日(火) 0時13分
 若い頃、古本屋やマイナーな映画館にはまだ自分の知らないトンデモナイ世界があるような気がしていた。その世界は普段私たちが暮らしているオモテの世界とは全く価値体系が異なっているウラの世界で、そこに足を踏み入れない限りこの世界を知ったことにはならないという、禁断の世界でもあった。そして一度そこに足を踏み入れてしまうと、もうオモテの世界がバカらしくなってしまい、二度とオモテの世界には戻れなくなってしまうかもしれないという甘い恐怖を感じていた。
 暴力的な革命、破滅的な麻薬、倒錯した快楽、狂気のような知性・・・場末の飲み屋や濛々とした煙草の煙、噛み付くような議論と残酷・・・そして、そのような短い生の中でしか生きることができない永遠に直結した生き方。そういうものが、一枚のドアの向こうにあるかもしれないと思っていた。
 そのような憧れを一度は持った者として、きっと赤軍派も、オウム真理教も、覚醒剤常習者も、性犯罪者も、いたのかもしれない。というか、私は結局のところ、そんなところには入り込まずにコツコツやっている。陶酔に憧れつつ、覚醒を選んだのか。もちろん、ただの臆病者だったとも言える。そんな憧れはだいたいにおいて単なる憧れにすぎない。まともに何かをやっている人は皆コツコツ汗していたし、大風呂敷を拡げる人たちは口ばっかりという印象を持ったのも事実だ。
 けれども、50になってもいまだに思っている。このコツコツ汗しているのは、あの世界をいまだに求めているからなのだ。たぶんあの世界はこのオモテの世界とまったく別の世界ではなく、けれども、このオモテの世界の中にそのままあるわけでもない。それでは、あの世界はどこにあるのか。
 あの世界のことを忘れてはならない。
 それが私の飢えだ。
 一番恐ろしく思うのは、それを時々忘れかけている自分に気がつくことだ。

水ギョーザ

2009年08月23日(日) 21時42分
 東京の本番まであと1ヶ月を切った。稽古は現在やっと3幕に入ったところ。日程的には予定通りだが、出来はまだまだだ。それでも一歩づつ進めるほかない。少しづつ予約も入ってきた。

 今年の金蛇はファイナルとなるが、本としてはかなり初演に戻している。1幕と2幕はほぼ初演のまま。1幕はよりシンプルにし、2幕はより明確にしたつもりだ。3幕もかなり初演に近いのだが、一部新しく書いた部分があり、ここがどうなるかが今回の勝負所といってもいい。昨日は一日じっくりと時間をかけて、この3幕前半。

 今日も色々とやらなくてはならないこともあったのだが、少しゆっくりしてしまった。昼寝もしたし。夕方から娘と手作りギョーザに挑戦。粉をこねて私が丸い皮を作り、娘がせっせと具をつめこんでいく。なかなか上手なもんだ。好きこそものの上手なれだ。いや、ギョーザを食うのが好きだということ。鍋にスープを煮立てて放り込み、浮いてきたはじから食いまくる。ううむ、もう少し皮にプリプリ感が欲しいところか。しかし、安上がりでうまいのだ。

 わが家には夏休みらしいイベントがほとんどないない。夏休みだというのに連日稽古場へつきあわせているばかり。しかも今年、彼女の出番はなし。稽古場でDS。まだ海で泳いだこともない。すまぬ、娘よ。強力粉がまだたっぷりあるから、次はピザに挑戦しよう〜。

超人予備校プレゼンツ「犬公方 踊る綱吉くん」

2009年08月18日(火) 0時36分
 先日、東京でタクシーに乗っていたら、水道橋の近くでタヌキが出没しているという話を聞いた。運転手さんの話だと、東京にはノラ犬がほとんどいなくなったために、タヌキが増えているという。

 この芝居は、「生類憐れみの令」という、とんでもない法律を出した綱吉を描いている。まずはこのテーマ選択に大いなる拍手を送りたい。命の大切さをはじめて法律にしたともいえるし、それが様々な矛盾も抱えて悪法とも受け取られた。

 劇そのものは、ミュージカル仕立てで冗談ばかりが飛び交い、笑いで進行していく。しかし、これは確実に(もちろん)政治劇である。前回の「フルーツ大コウモリ」に続き、魔人ハンターミツルギ氏の政治的触覚には驚く。

 役者もいい。すごくシロウト臭く演じているが、その存在感は素晴らしい。綱吉を演じていた上別府学は、一本調子のセリフ回しでノーメイク、しかも普段からかけているであろう銀縁のメガネをかけている。頭ににはオモチャのチョンマゲ。すごくヘタクソに見えてそれがおかしい。それが、ダンスに囲まれて無言で立ち尽くすとき、圧倒的な存在感を見せる。この劇がミュージカルであることの意味がその時立ち上がってきていた。

 ほかの役者たちもとても個性的だ。とても作家が全てを書いているとは思えず、もしかするとエチュードで作っているのかもしれない。「いろんなことがやれる役者」ではなく、自分なりのやり方でしかやらない役者たちに、説得力がある。

 一方で、客演の曽木阿古弥や佐藤あかねも個性を出し切っていた。曽木さん(昨年楽市に出演)の「徳川の血は呪われている」というロック演歌(?)には思わず涙が出そうになった。また、佐藤さん(よく受付をしてもらっている)の演じるシロという犬をかばっておさよ(尾松由紀)が、「この犬を殺してもなんにもならない!」と叫ぶところは泣けた。

 ダンスは冒頭が一番良かった。スティービー・ワンダーの「迷信」にのせてダンサーたちが踊り、少し遅れて役者たちが<踊れずに踊り>、ずっこけていくところ。やられました。ミュージカルというカンムリに対しては批判もあると思うのだが、私はこの軽さはいいと思う。おそらく異文化の衝突といったテーマもあったに違いない。アメリカでも上演するらしいし、向こうではもっと文化的な問題作に見えるかもしれない。

 ただ、もう少しだけ踏み込んでもよかった。現代からタイムスリップし、現代に戻るのであれば、生類憐れみの令が現代ではどうなっているのかについて、多少なりとも踏み込んで欲しかった。冒頭で述べたように、今、野犬はほとんどいない。飼い主のいなくなったノラ犬(自由な犬!)は、あっという間にひそかに殺されてしまう。動物はほとんど食われるために飼われ、ペットでさえ商品として売買される。その一方で、犬を飼っているホームレスも多い。

 もちろん、このようなことを考えさせてくれるということだけでも、この劇は成功しているのだが。もしかすると、観客には充分に伝えきれていないような気もするし、作っている側の自覚もそこに届いていないような気がしてならない。じつにもったいない。

熟成

2009年08月15日(土) 0時01分
 約1ヶ月半の稽古が過ぎたが、まだ実際にやったのは全体の半分位まで。今月の終わりからは通し稽古が入ってくるのでかなり遅れている。それともいうのも、一つ一つのシーンにこだわって稽古をしているからで、さほど心配しているわけでもない。まだまだまとめに入る時期ではない。まだ序の口。芝居は3幕あり、約3時間。これからあと1時間半分つめなくてはならない。いや、焦るべきか?

 今の段階では、一回の稽古でできるシーンの数はたかが知れている。せいぜい20分位の部分を繰り返し稽古となる。しかも、何度も止めながらやる。なかなか5分と続かない。納得がいかなければ次の稽古でもまたやるが、一つのシーンを3日位しかやっていない。そうやって色々と演出した部分のうち、この間、冒頭近くの三人の先生方(ニンゲン国宝、うさぎ師匠、ねずみ博士)のシーンを久しぶりにやってみた。しばらく経っているので、ひょっとするともう忘れてるかと心配したが、どっこいすごくうまく行っている。頼もしいではないか。こうでなくてはいけない。それぞれの隠れた努力のたまものだろうが、私には「熟成」のように感じられた。キュウリやナスに塩をふり、糠に漬けておくと、いつのまにかうまくなっている。スバラシイ。

 昨日は扇町公園で稽古をはじめたがすぐに雨がザンザカ降ってきて急遽飲み会に変更。こういうのも熟成の秘訣になればいいなと念じつつ、語り、酔う。カネタタキの今西刑事(人造演劇ユカイダー)の話が面白かった。弱冠23歳。なぜ芝居をはじめたか、なぜそんな劇団名になったか、など。誰もが物語を持っている。そんな連中がたまたま一緒になり、東京へ行くことになるのだ。

 今日はカミナリの音の研究。楽市の芝居にはカミナリ(神鳴)がよく鳴るが、今回は音響の大西氏はいないので、再生音は使わない。ベースでなんとかならないかと、エフェクターをかまして色々やってみたがどうもしっくりこない。実際の音と違ってもいいのだが、ピンとこない。家にある色んなものを叩いてみるがダメ。思いついて畳大のトタンを買ってきてグワングワンやってみたらこれが正解だった。

押切伸一「ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う」

2009年08月04日(火) 23時57分
 仕事で東京に来て、夜、ポスターを持って東京をウロウロ。
 国分寺、中野、新宿ゴールデン街、池袋、湯島など。一番貼ったもらったのはゴールデン街。ここぞという店ばかり行ったので、みなさんすごく好意的だった。でも枚数は予定の半分以下。

 東京の湯島に、いつもチラシのデザインをしてくれている大久保さんと、去年東京から見に来てくれた放送作家の押切さんがやっている道というバーがある。二人とも寺門さんつながりの人たち。今日のタイトルはその押切さんが書いたドキュメントの本だ。

 押切さんと話すようになったのはこのバーに来るようになった最近。大久保さん同様、いろんなことをよく知っていて、いつも長居してしまう。この本のことも最近知って、ぜひ読んでみたいと思ったのだ。

 実は去年の金蛇に、日野晃さんも寺門さんや大久保さん、押切さんらと共に見に来てくれていた。日野さんは元々フリージャズのドラマーで、今は武道家。終演後すぐに寺門さん達と飲みに行ってしまったので、ろくに挨拶もできなかった。芝居はけっこう楽しんでくれていたらしい。ブログにも書いてくれていた。

 この本は、ドイツの有名なコンテンポラリーダンスの振付家であるフォーサイスに乞われて、そのカンパニーに武道的な稽古や身体の考え方を教えたことの記録と、日野さんの当時のブログ(日記)からの抜粋でできている。こんなに凄い、ステキな人で、しかも舞台とも非常に近い人だったのだとびっくり。ぜんぜんわかっていなかったのだ! 相変わらず何も見えていない私。

 「相手を感じる」ということの深さ。ほんの数日の出会いの中で、日野さんは自分が武道を通じて考え、つかみとってきたことを、ダンスカンパニーを指導することでその共通項を探り、言葉にしていく。そして、それをフォーサイスやカンパニーがどんどん受け止めていく。その受け止めていく方もすごい。

 私なんかにはまだまだわからないことが一杯で、自分のやっていることと勝手にリンクしながら読んだ。円形劇場における相手役との正対する演技のこととか、「出会い・見る・見られる」の稽古とか、周囲の観客と天と地とか。

 そして昨日、湯島のバーにポスターを持って行ったら、押切さんが実は今東京に日野さんがいると言い、すぐに電話してくれた。もう夜遅くて会うことはできなかったが、電話でちょっとだけ話し、去年のお礼を言うことができた。すごく明るい、優しい声だった。

扇町公園

2009年08月03日(月) 1時31分
 あっという間に8月!

 7月後半から立稽古を始めた。すでに皆、ほとんど台詞が入っている。特に新しく参加している若手の熱意が素晴しい。若いというのは、むしろ自信の塊のような部分があって、結構ハスに構えてしまったりするものだが、今回の若手たちは素直にどんどんこちらの意見を取り込んでみせる。特に今回の土蜘蛛親分である、あっくん(これが役者名なのだ)。芝居はこれで3本目だと言うのだが、すごくストレートな反応をする。

 今回、稽古は外でやっている。扇町公園、つまり大阪本番の場所だ。本格的な芝居の稽古をずっと外で続けるというのは、はじめてのことかもしれない。室内で稽古をしていると、どうしても野外に出たときにギャップが出る。声の響きや体が触れる空気感が違うからだ。しかも、今回は客席の後ろに壁もない劇場になる。

 最初は、演出している自分の注意が散漫になるような気もしたが、何度かやっているうちに慣れてきた。少し暗いし、見物人も出る。ほかに色んなことをやっている人たちがいる。演出の声も届きにくい。けれども、こういう状況の中で、どうしたら視線を集めることができるか、お互いに集中できるかが問われている。役者たちは意外と平気な様子だ。むしろ、野外での稽古を楽しみ、のびのびとやっているように見える。一方、それも緊張感に問題が残る。ダメさ加減がわかりにくい危険があるということだ。

 どちらにしても、一度決めた限り、よほどのことがない限りこれでやっていくべきだろう。不安に押し流されるべきではない。「劇場を作らない」ということの意味が、すでに稽古の時点で試され、問われている。

 最初の通し稽古まであと1ヶ月もない。それまでに、どこまで役者たちに台本や演出を理解してもらえるか、また、新たな発見を積み重ねることができるか。共演者と正対できるようになれるか。野外の感覚を身につけることができるか。1ヶ月といっても、週に4日、そのうち3日は実質2時間。いつもなぜできたのか不思議に思うほど、時間は少ない。お盆までに二幕、その後三幕を稽古予定。

 ポスターを貼って頂けるお店を探しています。特に東京。貼って頂けるのであれば、ご招待券を差し上げます。東京だけでなく、大阪、そのほか世界中どこでもお送りしますので、ご連絡下さい。世界中から見に来て欲しいもんです。「○○あたりに何枚くらい貼ります」という人も大歓迎です! ぜひご連絡ください!

 井の頭公園初日まで、あと49日!
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