オバマ 就任演説

2009年01月25日(日) 23時55分
 オバマの就任演説、正直なところ涙が出そうになった。問題は数多くある。特にイスラエルの軍事行動を容認しているオバマが、イスラム世界と本当に平和的な関係を築けるのかは疑問だ。また、国民に「責任」を持つことを期待していたが、これが今の日本のような「自己責任」にならなければいいとも思う。けれども、アメリカ大統領に黒人がなったこと、この一点だけでも感動的で、そのことに涙したアメリカ黒人のことを思うとおもわずもらい泣きしそうになった。演説も劇的だった。英語っていうのはへりくだらず、上目線でもなく、こんなに朗々と連帯をうたえる言葉なんだなあ。シェイクスピアの伝統がここまで連綿と続いてきているような気さえした。たとえいっときでも、選ばれたリーダーに期待することができるというのは、すばらしいことかもしれない。誰かが変えるのではなく、自分たちが誰かを選ぶことで、社会を変えることができるかもしれないという幻想を、はたして日本人は持ちうるのか。持ったことがあるだろうか。
 今のアメリカの危機は、世界の危機でもある。アメリカが引き起こし、世界を巻き込んだ危機なのだから当然なのだが、そんな中で、アメリカにはこういうリーダーが登場したということ、これは私たちが10代からずっと見てきたアメリカのいいところだ。いや、ほんとに問題はたくさんあるし、これからどうなるかはわからないのだが。。。ただ、この人はあまりヒドイことはできないだろう。経済的な復興はうまく行かないだろうが、ブッシュのようなひどい罪は犯さないだろう。小さな罪で失脚しないで欲しいものだ。それと、悲劇のヒーロにだけはならないで欲しいと祈るばかりだ。理想を求める芸能者はいつも悲劇も求めてしまう。

レオノール・フジタ展

2009年01月19日(月) 2時03分
 ネコの絵は抜群。デッサンの線すばらしい。白い下地の女もかなりいい。しかし、大作や晩年はどうなんだろう。できれば戦争画も見たかったが、今回はなかった。この人は何が描きたかったのだろうか。描くことが好きでしょうがなかったことはよくわかるのだが。ともすれば目をそむけたくなってしまう。

 日本人の画家はテイストを磨く。フジタは下地を磨いた。茂木氏のいうクオリアというやつかもしれないが、ヨーロッパの画家たちに比べると、一貫性に乏しく見えてしまうのは私だけだろうか。課題が、つまり、何のために描くのかという部分が、自分自身であるか、身近な誰かか、もしくは世間になってしまうような気がしてならない。
 それはあるとき壮絶なほどの深さに到達する。そして一瞬もしくは一代で終わってしまう。そのこと自体は間違いではない。言葉や観念では追えないものを追いかけているから、一瞬の感性が全てなのか。でも、何が描きたいのかというテーマが希薄で、美術の場合、工芸品に近いものになってしまう。技巧は深まるが、方法論やテーマは弱い。そして、晩年の作品にどこか無残な印象が残る。(もちろん、西洋の画家にもほとんど逆の意味での不自由さと無残を見ることもある。宗教と観念に縛られていると感じる。昨年、ジャスパー・ジョーンズの作品にそのことを一番感じた。)
 ひょっとすると、それは「アウトローの深さ」といったものかもしれない。アウトローだけが持つことができる真実。王道のない世界。それが日本なのかもしれない。そんなことをときどき思う。

 小学校時代からの友人二人と展覧会を見て、飲んだ。二人ともずっと美術をやっていて、このところ大阪まで芝居を見に来てくれる。お互いにいろんな意見を持っている。みんな50歳。上野のアメ横界隈。美術館が立ち並ぶ上野の森とアメ横の対比。「けんかえれじい」では震災時の上野が描かれていたっけ。
 震災や戦争はヒトの経験をすごく深めてくれる。けれどもそこから何を引き出すかということがなければ、その経験の風化はひどくムナシイ。そのためには救いよりも、怒りが必要なのか。パレスチナは?

北村想「怪人二十面相・伝」と「PARTU」

2009年01月18日(日) 15時51分
 映画にたくさんの疑問が残ったので原作を読んで仰天した。映画と全く違う。同じなのは主人公の名前とサーカス出身というくらいで、あとはほとんど異なる。「第2次大戦がなかった」という設定すらなかった。そして、原作の方が映画よりも数段面白かった。。。
 しかも、百瀬しのぶとかいう人物が映画の小説化までしていて本屋に平積みされている。いったいいつからこんなことが許されるようになったのか。また、北村想はなぜここまで原作を完全に無視した映画を許したのか、私には全くわからない。いかなる事情があるにせよ、これほどの改作は私には許しがたい。映画に「原作」として名前が残っているのもおかしいくらいだ。正確には「盗作」だろう。そうか、泥棒の話だからいいのか? いや、テレビなんてこんなことはしょっちゅうなんだろうな。サザエさんとか。そういう意味での「原作」ということもありなのか?
 小説では、1代目がどうやって怪人二十面相になったかが詳しく描かれている。また、サーカスに入った少年がどうやって2代目となっていくかが描かれている。ラピュタばりの展開はないし、スパイダーマンのようなドタバタもない。金持ちの娘も出てこないし、養うのは少女だ。明智も悪い奴じゃない。きちんと江戸川乱歩の小説と整合性を持っている。ここには戦争前から戦後の復興期までの時代が描かれているし、そんな中で怪人二十面相が生まれていく。作家の芝居への熱のありかがこめられている。泣ける。サーカスというものに対する憧れ、その上でのその世界の狭さ。そして、泥棒のユカイ。太宰治が出てきて、いい位置を占める。

 小説には、こんなセリフがあった。
「つまり、ぼくは孫悟空で、明智さんあなたはお釈迦さまというわけなんだ。でもね、でも明智さん、ぼくは孫悟空にはなりたいと思いますが、お釈迦様になりたいとは思いませんね。その掌から飛び出せなくとも、お釈迦さまの指に落書きして小便をひっかけて帰ってくる猿のほうがぼくには面白い。ぼくはおつにすまして蓮の花なんかに座りたくはない」
(中略)
「ぼくはこういうことが楽しくてこの稼業を始めたんだ。安全地帯にいる悪魔主義者とは違いますよ。市民権も自由も知恵も力もぼくにはありません。そうです。ぼくには何もない。失うものはこの命以外何もない。賭けているものはいつだってこの命です。これはね、これはもう芸術だの表現だのとは申しません。こいつはぼくの、命懸けの遊びですよ」

 この原作にもっと忠実に作ったら、ずっと面白い映画になっていたことは間違いない。

普段の稽古

2009年01月14日(水) 1時40分
 今年最初の稽古は欠席してしまったので、昨日が私にとって初稽古。これからしばらくは週一で基礎稽古だ。
 準備体操として、からだをゆるめる。次に基礎の動き。上体ぶら下げ、波の動き、倒立、はずみ腕立て、背中ふくらまし、胸回し、首回し、など。そして、ジャンプ〜倒れてすり足、ヤラレル、六法の型。発声はうーあー、背中壁つけであいうえおいうえおあ、蹲踞にて長台詞。唄は音階と、表と裏のリズム。毎回知らない童謡を譜読みで唄う。エチュードとして、風船のマイム。今後、昔話の仮面即興劇などもやる予定。最後に整理体操のストレッチ。あっという間の2時間で軽い汗。新人がいるので新鮮。高岡英夫(ゆる体操)、野口三千三(野口体操)、鈴木メソッド(学生の頃からやっている)、小谷野洋子(マイム)、グロトフスキ、アクターズスタジオ、舞踏、KING堀内さんか教えてもらった発声や今三味線でやってること、オイラ勉強家や。その分オリジナルな稽古は少ないな。その後、ことぶきへ飲みに。

 山本周五郎の「赤ひげ診療譚」はちょいとイマイチ。予定調和的か。精神的な病気が多くこれも拍子抜け。もしかすると有名な作品はイマイチなのかも。ただ、これが多少でも事実を踏まえているなら、江戸時代には幕府による無料の診療所があったのか。明治以降もずいぶん長いこと無料の病院はあったと聞く。歴然とした階級(華族や財閥)が存在したからこそとも言えるが、現代にそんな場所はなく、ホームレスや貧乏人が駆け込める病院は表立ってはない。代わりに生活保護があるわけか。

 連休に「K−20 怪人二十面相・伝」。じつは2度目。役者たちがすごくいい味を出してる。監督・脚本:佐藤嗣麻子。つくづくよく出来た映画だ。シーンに無駄がなく、多少ご都合主義だがグングン筋が展開する。コロシがなく希望がある。パクリみたいな部分もあるがプロの仕事じゃ。
 ただ、最大の魅力はやっぱり原作(北村想)なんじゃないか。第二次大戦が起こらず階級性が残った社会という設定がスゴイ。アメリカに占領されなければ、十分ありえた話だ。だったら明智の家に数人のお手伝いがいて当然だが、まあそういうことは置いといて、ホンネは、もっと二十面相の魅力も描いて欲しかった。泥棒が好きなのよ。原作はどうなんだろ。

 金持ちがあまりお手伝いを雇っていない国は、じつは少ない。「月の小屋」(三砂ちづる)にそんな話が出てくる。表題作は昔あった月経小屋のこと。体を整えると月経をコントロールでき、セックスと同じように出産も気持ちいいらしい。
 そんなからだになれるとはなかなか思えないが、稽古はほんとはそういう方向をめざしている。そうそう、この間の誕生日に妻からプレゼントしてもらった着物を着て映画を見たり街をぶらぶら。からだの意識がいつもとちょっと違った。

 長くなったが、最後に。連休に「金蛇」の初演DVDをもう一度見た。今年の東京公演は初演に近い形にしようと思っている。

「ニンゲンが持っている動物的な倫理性」−山本周五郎「青べか物語」

2009年01月09日(金) 1時18分
今夜は長崎。夜になって雨が降ってきた。
正月からこっち、山本周五郎にはまっている。数年前にちょっと読んだときは、まあいまさらという印象だったのだが、正月に読んだ「青べか物語」にはぶっとんだ。時代ものではなく現代ものの範疇に入るのだろうが、ある田舎の村にまつわる連作短編で、なんていえばいいのか、ブローティガン? フォークナー? そんなアメリカの前衛とも思えるようなカゲキな小説だった。カゲキでありつつも全てを肯定していくような、ひょっとすると、私自身が目指してきたものがここにある。それに、現代小説にはあまりない「行間」がある。たぶん行間というのは言葉の向こうにひろがるドバアと波打つ海のようなエネルギーのかたまりなのだ。それが溢れる瞬間。山本周五郎にとっては、そのエネルギーの源は「ニンゲンが持っている動物的な倫理性」と言ってもいいんじゃないか。「青べか」に続いて読んだ「ちいさこべ」はわりとノーマルに近い作品集だが、それでもその中の「ちくしょう谷」は破天荒だ!

天命

2009年01月07日(水) 0時08分
ついに50歳の誕生日となる。が、出張で東京、名古屋の本日である。とくにこれといって大きな感慨があるわけでもない。しかし、思えばよくぞ生きてきた。医者なんかは50代が一番信頼感があるらしい。ちょっとエバったりできるおいしい年齢かもしれん。半世紀というのはスゴイことだ。まあ、中学あたりからあまり人間性は変わらない。同年代を見ていてホントそう思う。若い頃にはとても50歳の自分なんて想像できなかったし、今も実感がない。行き当たりばったり好きなようにやってきたので、後悔もないかわりに、なにかを達成したということもない。ただ言えてるのは、生きてるだけで丸儲けだっつうこと。これは「呆平」というメオトバンドの唄にあるんだけど、ホンマそう思う。長く生きるとね。たぶんこの先ホームレスになったりしても、結構そう思えそうな気がする。それが過去形になってもそう思えそうな気分にもなっている。不思議なもんだ。こういうことは30代位までは絶対なかった。たくさんの出会いに恵まれて感謝。まだ海外に行ったことがない。今日は新幹線の中で本を読んで泣けてしょうがなかった。涙もろくなったな。年を取ることはぜんぜん怖いことでもないし、イヤなことでもない。これはユングが言っていることだが、自分マンダラを作っていくことだ(言葉はぜんぜん違うが)。それは面だったり立体だったりするから、線的に考えるのは違う。若い頃は線的に考えがちだから方向がすごく不安だったりするけど、結果的には老いて死ぬ人はみんな全部肯定できるらしいよ。ああ、こんなこと書いてるうちに誕生日はすぎてしまった。これからもワガママに生きていこう。

感度を上げる

2009年01月04日(日) 19時19分
東京の実感で迎えた元旦の朝は、まだ夜が明ける前から布団の中で今年の東京公演のことが頭の中をグルグル回って目が覚めてしまい、外に散歩へ。まだ真っ暗な月のない夜空には星が輝き、頭上には北斗七星がはっきりと見えて寒い。近所の広大な霊園で霜柱をサクサク踏みながら日の出を待ったが、次第にビル等が邪魔になることがわかり、モノレールに乗り、そこから初日の出を拝んだ。真っ赤な太陽は火の玉。

実家で、母の異父姉妹である伯母の学生時代の日記を入手。彼女は1921年に生まれ、絵や音楽が好きだったが周囲の勧めで東京の医大に入り、戦争末期の医者不足の中で駆け出しの医師となり、多忙に働き、戦後すぐの1946年に25歳で亡くなっている。療養中生まれ故郷の愛媛に連れ帰ろうとしたが当時の交通事情では無理だったらしい。日記を拾い読むと映画を見たりギターを弾いたり、戦争中ながら青春を謳歌している。
じつは私が最初にまともに書いた戯曲は、非常に個人的なイメージとして、この伯母について描かれている。(楽市楽座の旗揚げでも再演)自分自身が芝居をしていることの後ろには、いつもこの伯母の存在があった。明後日、私は50歳になる。彼女の倍の歳になるわけだ。これからこの日記を少しずつ読んでみよう。

昨年のある時期から、自分の中に「死」が形になりつつあるのを感じる。今までもだいたいヤケクソに生き捨ててきたような所があるが、それは明日の風は明日吹くといったようなことで、まあ明日死ぬことだってあるさという感じだった。それが少し変わってきた。べつに鬱でも病気になったわけでもない。この必ず死ぬということを前提として、今生きているということを考え直してみたくなってきた。それは哲学的な意味というものでもないし、重い石のように抱え込んだわけでもない。確かな予感として、ある。

今年はこの「予感」をもっと研ぎ澄まそうと思う。感度を上げる。
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