コウモリ

2008年07月30日(水) 23時25分
久しぶりに淀川の土手まで散歩。いつもの狭苦しい建物たちの間から見える空ではなく、ほぼ360度に近い空がぐるり。あいにくの曇り空だが星が二つだけ光っている。対岸には梅田の街が輝いていて、ツインタワーだとかヘップの観覧車だとかが光っていて、まるで向こう岸がこの世の楽園のように見える。こっちはコウモリが夜の蝶みたいに飛んでいる。その超音波の唄声は私たちの耳には聞こえない。やっぱりこっちがあの世なんだろうか。バットマンのことはあまり知らないが小さい頃にテレビで見ていて悪い女とキスをしたら唇に毒が塗ってあってナンギするのだが事件が終わって弟がバットマンに「もうキスはこりごりだろ」と聞くとバットマンはぜんぜんそんなことはないと答えていたのを覚えている。そういや今回の死神は黄金バットにちょっと似ている。あっはっはっはっはっはとよくあのでかい笑い声を真似したなあ。コウモリは川を守る川守で、川の神様でもあるということだっけ。ヨーロッパでは悪魔のデザインに使われてしまったが。帰ってからこれも久しぶりに部屋を掃除。台本はエンドンに関する部分で難航中。エンドンはホームレスのプラカード持ちで、どんづまりのエンドンで、異界への水先案内人なのだ。でもここがもう異界じゃないのか。昨日の夜、唄を一つ思いついた。明日で7月も終わる。明日は楽市の制作会議。明後日は寺門氏と衣裳の打ち合わせ予定。

雲よ

2008年07月29日(火) 22時26分
台本は進んだり戻ったり、3歩進んで2歩さがるという状況で、そのくせ暑さだけはジリジリとまだまだ暑くなっていく。それでもポスター貼りはガンガンドンドコ進んでいて、もう200枚くらいになったようすで、この暑さの中ほんとーにごくろうさまです。アタマが下がります。アタマを下げて机に向かうのであります。エンピツは削るのがメンドーになって万年筆に戻りました。書いたところを何度も書き直しております。書き直すたびに、面白くなっているはず、はず、はず。蝉が朝にはうるさいほど鳴いていて、ところが気がつくと昼間にぜんぜん鳴いていないことに気がつき、やつらもあまりの暑さの中ではへばっているのか、それともついに世界中の蝉が滅亡したなんてことはないだろうなと思っていたら、翌日の朝はまたけたたましくあつかましく鳴いていました。不規則な徹夜がたたってアタマがボウっとしています。これからなのにこんなアタマでどうする。どうする、こうする、ああする? 今年こそお盆休みというものを味わいたいと思っていたのに、ああこのままではまたお盆は休みにならないのか。ツバのバカでかい麦藁帽子を買いました。けっこう涼しい。一本歯の高下駄をはいて歩いていたら、止めてある車の中からコギャルたちに「コンニチワー」と声をかけられました。そんな日は、自分は今夏休みに海沿いの小さな村に海水浴に来ていて、もう何日も滞在しているので海水浴にも飽きてしまって、アイスキャンデーをなめながら退屈しのぎに散歩しているのだ、ホラ海の匂いもするではないか、などと空想して、ほんのひと時を一瞬のように引き伸ばして感じて、入道雲に絹雲かあ、などと雲の流れるのを眺めたりするのだ。おおい、雲よ。どこへ行くんかあ。

金蛇台本20枚

2008年07月07日(月) 2時40分
先週の金曜日(7月5日)、今年はじめて蝉の鳴き声を聞いた。もう梅雨は明けたんだろうか。

台本少し進んでいる。6月中に仕上げようと思っていたのだが。それでも例年より少し早い。どれだけの改訂になるかまだ書いてみないとわからないが、冒頭はまったく違うものになった。今回は珍しくエンピツで書いている。初稿が手書きなのはいつもと同じ。6Bのエンピツを買ってきて、少しゆっくりと、書き間違えたらときどき消しゴムで消す。詰まったら、今までのところを清書するのは今までと同じ。PCで書くと、どうしてもくどくなる気がするし、リズムが悪くなる。今日は実質10時間位かけて、200字詰め原稿用紙に20枚くらい。50枚くらいが清書前。2/7なら、結構効率がいいかも。たぶん、全部で150〜200枚。前のままの部分ももちろんあるので、そのうちペースが上がると思う。

今回で3回目だから、かなり完成度が高くなる? いえいえ、どんどん崩します! というのも、言葉の面白さというのは、「構成」とは別のところにあるような気がしてならないから。もちろん多少の構成はあるんですが、言葉の魅力はそこには現れない。もっとフトしたところに出てくる。

ただしこれ、役者に読んでもらうと、全部ボツになったりもします。明日、役者少し来るかな?

「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」内山節

2008年07月01日(火) 0時06分
すごく面白い本をたまたま本屋さんで見つけてしまった。タイトルも面白いけど、中味はすごく深い。かつて日本人はしょっちゅうキツネとかタヌキにだまされていたのだが、それが1965年頃を境に、すっかりだまされなくなってしまったというのだ。

1965年頃といえば高度成長期。そこで何が起こったのか。色んな具体的なことがもちろんあるが、それらを総括して内山氏が言うには、「日本人からキツネにだまされる能力が失われた」のである。

「キツネにだまされる能力」というのは、たんなる個人の知性などではなく、生命世界という全体の中での感受性といっていい。からだで感じる世界とでも言うべき感性。たとえば地域の山や川との結びつきや、村という地域共同体、祖先や家族といったもの、そのような様々なからだで感じる世界があったのだ。ちょうど職人がからだで覚えている技術があるように。

それらが1965年頃を境に、日本中で一気に失われたという。具体的には、テレビや電話、経済主義、科学主義、受験教育、そして死生観の変化・・・死が共同性のもの(祖先になれる死)ではなくなり、個人の孤独な死になり、信仰もまた共同体の祭などの行事を含んだ信仰から、個人的な救済を求める信仰へと変化した。

マルクスは生産力が発展していく歴史観をとなえたが、むしろ重要なのは、合理的な知性ではとらえることのできない「からだや生命の記憶」の歴史というものであり、それは循環的な再生の歴史だという。それって、このあいだ私が書いた「全ては生まれかわる」ということとかなり近い。また、この「からだで感じる世界」というのは、楽市のドリームタイムともまったく重なる。マルクスの歴史観へのあっさりとした否定も見事だ。65年頃といえば、世界的な学生運動が盛り上がりを見せた時代でもある。

講談社現代新書。去年の11月に出た本。かなりオススメ。

ただ、ふと思うのだが、2000年を過ぎたあたりから、このキツネは何か別のものになって私たちをだましはじめているような気もする・・・。このところの価値感の崩れ方は尋常じゃない。人間はいつだって何かにだまされてきたのだが、その相手がキツネなんかよりもっとタチの悪いナニカになっていて、ちょっと恐ろしいことになっていやしないか?
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