蝉の幼虫

2008年06月29日(日) 22時42分
昨日の昼すぎ、樹木の根元で、蝉になれなかった蝉の幼虫が転がっているのを見つけた。ほとんど白に近い薄い黄色で、触れはしなかったが、重みがありそうだった。蟻が数匹その上を歩きまわっている。幼虫から30cmほど離れたところに、その幼虫が這い出てきたと思える穴が開いている。小雨が降っていた。

幹にしがみついて空っぽになっているヌケガラは毎年よく見るが、幼虫のまま地面で死んでいる姿をはじめて見た。今年、まだ蝉の声は聞いていない。少し早く土の中から出てきすぎたのだろうか。幹に登る途中で失敗し、落ちて力つきたのか。まだ時期が早いことを知りつつも、止むに止まれぬ衝動に突き動かされ、思わず土の中から出てきてしまったのだろうか。

蝉は数年を土の中で過ごし、成虫になったところで数日しか生きられない。そうであれば、たとえ幼虫として死んだとしても、その生涯の多くはすでに終えていたとも考えられる。けれども、どこか、やるせない。あの白い、ぼったりとした死骸が。

変態する虫には、幼虫時代の記憶はあるのだろうか。空を飛ぶことになった成虫は、土の中で暮らした長かった数年のことをもう覚えていないような気がする。けれども、ひょっとすると幼虫の方は、おのれがいずれ空を舞い、大声で歌うだろうことを予感していたような気がしてならない。

台本のためのマッピング

2008年06月24日(火) 0時37分

 この土日は、ポスターの文字デザインの検討と、台本のためのマッピング。そう、台本は6月中にある程度あげたいと思っていたのだが、なんだかんだでまだ書き出せていない・・・。
 マッピングというは、台本を書くための地図作り。以前の散歩道に書いたことがあるかなあ。写真が出来上がったマップだ。え、よく見えない? 見えたらネタバレになるので、見えなくていいのです。たくさんラベルが貼ってあって、これが線でいくつも囲まれているはわかるかな?
 このマッピングというのは、文化人類学者の川喜多二郎先生が発明したKJ法という発想法の応用で、本来であれば様々なフィールドワークで得た情報から、思考を組み立て、ある構造を見出していくという素晴しい方法。それを物語作りに応用したものだ。決して私のオリジナルではないが、たぶんこんなやり方でフィクションを作っているのは世界広しといえど私だけだろう。KJ法自体には著作権もあり、私は独学しただけのパクリだ。しかし、この発想法に出会ったとき(30歳を過ぎてだったか?)の衝撃は今も忘れない。これは単なる発想法ではない。思考のための明確な方法論だ。私はこのKJ法は日本が世界に誇ることができる、無意識を用いた論理的思考法だと思う。中学や高校で必修科目にしてもいいのではないか。

 その私の台本構想マッピングを簡単に説明しておく。

1. まず、思いついたことをノートに書いていく。どんどんみだらにノートに書く。これが物語のためのフィールドワークだ。多いときは10冊とかになる。今回は3冊でラベリングに入った。このノート作りに数ヶ月かかる。今回は半年。
2. その中から、「これは」という短い文(たいがいそれは本当はある程度の内容をバックに持っている)を見つけ出し、ラベルに書く。たとえば、今回の物語で言えば、「土蜘蛛親分は胴元である」とか「金魚姫は金魚鉢に閉じ込められる」という具合に。とにかく、そういうアイデアのラベルを50枚〜100枚位作る。この枚数には特に制限はないが、私はたいがい100枚以内。今回は少なく60枚位だった。これらのラベルが「材料」だ。ラベルを作っていると、また新しいアイデアが出てくるので、それも追加していく。これが数日〜数週間かな。今回は2週間か。
3. ここからが少し難しいマッピングだ。これらのラベルの中で、「これとこれは一つにまとめられるぞ」というものをまとめていく。この時、コンセプトでまとめてはいけない。「なんとなくいけるな」とか「こりゃおんなじことだな」というのが大事。コンセプトは後から発見するべきものなのだ。そして、いくつかのラベルをまとめて、その上にそれらをまとめたラベルをかぶせてクリップで止める。例:「土蜘蛛親分は胴元である」と「土蜘蛛親分はアフロヘアである」の二枚は、「土蜘蛛親分はアフロヘアの胴元である」になった。この場合はそのまんま。「金魚姫は金魚鉢に閉じ込められる」は「金魚は人間に作られた」とセットになり、「金魚姫は金魚鉢から逃げてきた」になった。この場合は、なんとなくそうでもいいかな〜という思いつき。これが論文とは違うところで、物語なので「なんとなく」の許容度はかなり大きく、飛躍していっていいと思っている。例えばだが、「雪は白い」と「胸が熱い」をあわせて「温泉場では女は色っぽく見える」なんていうふうにまとめるのもアリなのだ。3枚のラベル、4枚のラベルをまとめることもある。こうしてラベルをまとめて行き、最後は10束以下にする。今回は9束になった。これは10時間とか20時間で、ときには徹夜になる。1つの束には、小さな束がいくつも入っていて、それらにもまた束は入っている。場合によってはたった一枚のラベルで最後まで残り、1枚で1束になるものもある。
4. この10束を、時間や空間、物語の深まり方や関係性などを考えながら、2次元的に配置を考える。たいがい物語はここから始まるかなというのをはじっこにして、そこから繋がっていけるように、時間を含んだ地図として配置する。10束なら10の島になる。
5. その島の束を開いていき、全体的な配置、とくに近隣の島々との関係に注意しながら、島の中の配置を決めていく。そうやって、全部を開いてみると、全てのラベルどうしが新たな関係を持って現れてくる。
6. その関係付けられた島々、島の内部を見ながら、「この島とこの島で一つの『国』になるな」とか、この島とこの島の間には、こういう潮流があるのではないかということをイメージしつつ、いろんなことを書き込んでいく。

 これらのラベルが全て物語になるとは限らないし、実際に書き進めながら思いつくことや、または地図からはみ出てしまったり、一度も立ち寄れなかった島もあったりする。けれども、これをすることで、私は自分でも思いも寄らなかった発見を何度もしている。アイデアとアイデアがふいに結びつき、新しいコンセプトで結びつく。抽象的な思考が具体的なシーンとして浮かび上がったり、思っていもみない登場人物の出会いが見えてきたりするのだ。書くということはどこに行き着くかわからない非常に不安な航海でもある。その不安も重要だが、その不安に押しつぶされないための、ある程度の航海設計にもなる。

 KJ法について知りたい人は、「発想法」(中公新書)をぜひ読んで欲しい。さっきも書いたが、この思考法は無意識に判断をゆだね、それを意識化(言語化)していくというところがスゴイ! おそらくユングの曼荼羅にも通じる。私は「アメリカン・ドリームと犬の生活」以降の全ての戯曲をこの方法を応用して書いている。この方法は、すごくコツコツした手作業によって、トンデモナイお告げのような何かが降りてくるというものだ。おそらくシャーロック・ホームズの推理なんかは、こういう筋道をたどって結論に至っていると思うのだ。
 もちろん、こんなことまで公開しちゃっていいのかいな、という思いもある。でも、こんな面倒なこと、そして困難なこと、誰にもできやしないかもね。「コツ」もいろいろあるし。でも、人間の脳の中で行われていることは、たぶんこういうことなんだよ。さっきも書いたが、このKJ法はぜひ学校で教えるべきことなのだ。いつかきっとそうなるだろう。「ピタゴラスの定理」のように!

全ては生まれかわる

2008年06月17日(火) 23時19分
 この間、寺門さんと話した時に、死後の世界の話題になった。
 別に結論は出ていない。

 まず、「人格」というものについて話した。自分とか自己とか言うが、そういう単一のものは結局ない。日本では古来から「腹をくくる」「胸が痛む」「頭でしか考えていない」とか、自分というものを腹や胸や頭として別々に考えるのだが、これはギリシャも同じだそうで、もともと明確な自己というものはない。ソクラテスあたりが理性を自己と考え、また、デカルトが同じことを考えたという哲学史の経緯はある。けれども、私としては、個人というものを単一のものとして考えたのは、むしろ社会制度的な問題であって、例えば借金を個人に負わせたり、財産の権利を個人が持つことができたり、罪や罰を負うのが個人だったり、そういうために個人が生まれたのだと思う。その蓄積があるために、精神鑑定で個人の責任ではないというときに、それはオカシイだろうという意見がいつも出てくる。

 個人や人格というものは、じつは一つのものとは言えない。フロイトも超自我、自我、無意識と分けたが、ユングも人格の中に色々な要素があって、それらがバランス良く曼荼羅を形成することがよいとした。つまり、個人というのはある種の色んな思いが束になっている集合体なのだ。たぶん、それは脳のいろんな相と対応しているとも言えるし、皮膚や筋肉の自分というものだってあり得るだろう。なにかだけが自分とはとても言えない。

 じつは、死ぬということは、それらの「束」がほどけることにほかならない。そのような「束」のくくり方こそ、「有機的結合」と呼べるものだが、そのような循環や結合がどこかでほどけてしまう、中断してしまうことこそが「死ぬ」ということだ。

 今まで自分としてゆるやかに束ねられていたものが、そこでほどけてしまうのである。それらはどうなるのだろう。結論として言えば、この地球上の範囲で言うなら、エネルギー保存の法則のもとでそれらは生まれ代わるといえる。あるものは次世代に生まれ代わり、あるものはもっとあとで生まれ代わる。子供などは自分が死ぬ前から生まれ代わっている。生きているうちに遺伝子がほどけるためだ。(宇宙そのものが失われるという理論では、これは成り立たない)

 これは「あの世」という観念の前にすでにあった「生まれ代わり」の観念である。死後の世界というものは一時的にあるかもしれない。けれども、全ては生まれ代わる。祖父の生まれ代わりとしての孫、母の生まれ代わりとしての娘、そのようなことはその顔や性格に明らかに刻まれていた。死後の世界はその間の仮の世界でしかなかった。それが死後の世界として確定したのは、おそらく罪を犯した者が生まれ代わることを禁じられたためなのだ。

 それではなぜ「あの世」もしくは「天国」が生まれたのか。それも、おそらく政治権力と深いかかわりがある。都市国家が生まれたのちに世界宗教が生まれ、はじめて生まれ代わることがない「あの世」が出現する。つまり、都市国家の権力を超えるために「あの世」が作り出されたのだ。王はもともと神だったのだが、王が実際的な権力をふるいだすことに対抗して、神の支配する「あの世」が現れる。(おそらくブッダはそのような「あの世」も否定している。解脱とは、王と神の権力構造そのものからの解脱を意味するかもしれない。)

 このようなことを言うと、私はまったく非宗教的で、「あの世」とか「前世」など全然信じないニンゲンだと思われるかもしれないが、それは誤りだ。江原氏の番組を見ながら思うのは、「前世」とはその人の本質であり、「背後霊」とはその人が負うてきた人たちのこと(人的環境)を言っているのがよくわかる。だからと言って、「あなたの本質はこうです」と言うことが正しいことではないと感じる。というのも、先程書いたように、自分というのは定かでない束なのだ。本質が自分の中にあると考えるより、「前世」という自分の「外」にあると考える方が、じつは理にかなっているような気がしてならない。それは本質であるから、自分が意識しない部分までをも支配している。つまり、今のところ「前世」という言葉がもっとも知的なのかもしれない。「なのかもしれない」という考えを持っている限り、自分の外には出れないわけだから、そういうニンゲンはじつはいつまでたっても「本質」にたどりつけないことになる。

寺門さんと怪談、と、ラスコー壁画

2008年06月15日(日) 5時56分


 昨日というかすでに一昨日のことになるが、寺門孝之さんと飲む機会を得て、秋公演のポスター絵完成の御礼を述べると共に、衣裳のことや台本のことなどを語った。今回はいつもの絵だけではなく、衣裳とメイクのプランもお願いしていて、ぜひ「役者絵」として絵を描いて欲しいという注文までして、そのためかなり大変なことになってしまったのだが、出来上がった絵はまさに舞台の絵、役者全員がそれぞれの顔や姿で現れ、「野蛮でおじゃらけたドリームタイム」そのものになった。衣裳や衣裳にからむ小道具などにもまだまだ絵には描いていないプランがあるらしく、かなりぶっ飛んだことになりそうだ。ますます芸能化する気配、お楽しみに。話はいろいろと花咲き、タマシイがいくつもあると考える民族のことなど教えてもらった。私も同感。

 さて、ちょうどその会う時間の前にブラリと立ち寄った古本屋で、バタイユ全集の一冊を見つけてちょこちょこと読んでいたら、ラスコー洞窟の壁画のことが出てきて、そこに動物は非常にていねいに写実的に描かれているのに対し、人間はほとんど雑といってもよいような描かれ方をしており、顔が動物の面でおおわれていたり、人間のものでない部分があったりするということが出てきた。そして、こう書いてあった。

「決定的な一歩が踏み出されたのは、人間が、動物から人間になったのを知って、わたしたちのように自分のなかの動物的な部分を恥じるどころか、逆に自分をけものから区別するこの人間性を、いつわり隠そうとしたときである、と考えざるを得ないのだ。」(動物から人間への移行と、芸術の誕生)

 これらの動物たちの絵は狩猟を描いたものであり、狩猟をイメージするために描かれているともされる。しかし、ここでのバタイユの思考をさらにもう一歩進めたらどうなるか?
 それは、「人間が、自らを動物になりきれていないことを恥じて、憧れの動物たちを描き、人間性を隠そうとした」とならないだろうか。
 人間の脳は知恵を与えたというより、まず巨大な恐怖を与えた。例えば野生の牛は仲間が一匹食い殺されてもノイローゼになったりしないどころか、いったん逃げたりするものの、すぐにまた草を食べ始める。ほとんどの動物たちは人間に比べればずっと偉大なる勇者たちであり、場合によっては子供や群れのために戦って死ぬ。いつまでも恨んだり落ち込んだりもしない。
 動物たちと比べ、自分たちがいかに肉体的にもひ弱で、いつもビクビクしている不完全なイキモノか、それを知っていた。そのコンプレックスの方がずっと大きかった。だから、人間は動物になりたいと願ったのだ。この動物たちへの憧れは、動物たちへの恐怖や憎しみももちろん混じっていたことだろう。だが、確実に動物たちの方が人間よりも上の存在だったのだ。人間が人間として自信を持ち始めるのは、もっとずっと後のことで、じつは現代においてさえ、そこらへんの犬や猫よりも人間の方がずっとビクビク暮らしているというのが現実ではないだろうか。
 このことは壁画に描かれている動物たちが「大きくて強い動物たち」であることが証明している。食糧の豊饒を願うのであれば、もっと身近な食糧である植物や小さな動物を描いたはずだ。

 ということで、今回の「金魚姫と蛇ダンディー」はさらに深くなりつつあるのです。ああ久しぶりに夜明け。

柳井さんが亡くなった

2008年06月10日(火) 22時27分
 昔、ドーム型のラフレシアをはじめて作り、「タマシイホテル」という劇を上演したとき、その芝居を褒めてくれた数少ない人の一人が柳井さんだった。その前からずっと芝居を見てくれていて、いつも良き理解者の一人だった柳井さん。その柳井さんが突然亡くなった。52歳だった。私より少しだけ先輩だ。タマシイホテルではテントで遅くまで飲んで、帰りに柳井さんの自転車の鍵が見つからなくなり、鍵をこわした。かなり酔っていたはずなのにそんなことはよく覚えている。当時、柳井さんはいつも自転車だった。
 長生きとか早死にとか、そんなことはべつにどうとも思わない。けれども、なぜこうも人が死ぬというはやり切れないものなのだろう。
 柳井さんの部屋に一度お邪魔したことがある。すごい本だらけで、しかも哲学書なんかが積み重なっていて、床はチラシなんかで足の踏み場もなかった。だいたいいつも穏やかな人で、こんな人が怒ったらどんなんだろうと思うような人だった。片方の耳があまり聞こえなくて、話し込みながらよくもう片方の耳に手をかざしていた。
 できれば死ぬということを本気で「おめでたい」と思えるようになりたい。けれども、それはおそろしく難しいことにも思える。
 私が今のようなかなりファンタジックな本を書くようになった最初の作品の「耳水」について、柳井さんは「あくと」で批評を書いてくれた。「樹霊がラフレシアに降りてきた/『耳水』」というタイトル。これはネットでも読める。今読んでもいい文章だ。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/aict/myweb1_027.htm
 この批評はちょっと褒めすぎの部分もあるが、かなり適確だと思うし、私が見つけたこと、描きたかったことをずいぶん丁寧に書いてくれた。「都市伝説」という言葉は全く思いがけない言葉で「え?」と思ったのだが、この劇は十三の鏡池の伝説と、梅田の曽根崎町の廃ビルをモチーフにしていて、今思うとたしかに都市伝説だ。「どこか垢抜けないバタ臭さ」なんて、言いえて妙。
 この文を書くにあたって柳井さんは取材を申し込んでくれて、十三の喫茶店でいろいろ話したっけ。だから、こちらのコンセプトを可能な限り取り入れてもくれている。当時の私は能がとても大きなものを占めていて、そんなふうにも書いてくれていて、これはあの取材の結果かもしれない。私に限らず、おそらく劇を書くものは観客にはおよそわからないような様々な思いを抱えて書いている。自分の一番やわらかい部分、確信というより仮説でしかないことをヒヤヒヤしながら差し出しているものなのだ。そうでなければ書く意味などない。柳井さんはいつもそんな思いをかなり優しく汲み取ってくれていたに違いない。同時に、たっぷりといろんなことを楽しめる人でもあったから、私のやっている変なことも、いつも共感の範疇に入れてくれていたのだ。
 オレって自分でも笑えるくらいに、自分のことを褒めてくれた人が亡くなってさびしいのだ。ウイングの中島さんもそうだったな。結局、自分のことなのか?
 いや、そうばかりじゃない。共犯者。同じ穴の。
 柳井さんの部屋は小さな路地のどんづまりで、よくクロネコメールが宛先を見つけられずに返ってきてしまった。柳井さんはちゃんと表札出していると言っていたが、どうだったんだろう。
 この、思い切り泣くこともできない気分をどうしてくれよう。

なぜカレー屋のテーブルにはチリペッパーもコショウもないのか

2008年06月04日(水) 22時55分
うどん屋には七味が、ラーメン屋にはコショウが、トンカツ屋にはソースが、たいていテーブルの上にのっている。しかし、なぜかほとんどのカレー屋のテーブルにはチリペッパーもコショウもソースも(これはワシはいらん)ましてやガラムマサラもない。なぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜ! カレー好きでよくカレー屋に入る私は、どうも納得がいかん。そういう店もたまにはある。しかし、なぜたまに、なのだ? ときどきとてつもなくそれらをふりかけたくなるのは私だけでしょうか? あなたもそうじゃありません?

そこで私は独自にその理由を考えてみることにした。

自信過剰説
カレー屋は自信過剰なのではないか? 自らの味にあまりに高いプライドを持っているために、その味を客が「いじる」など許しがたいのではないか?英国風、インド風、日本風などいろんなカレーはある。しかし、「大阪カレー」「東京カレー」などというご当地カレーはあまりなく、ラーメンとは大違いなカレーだが、それは「外国料理ですから」、「シェフが作っておりますもので」などという、カレー屋には庶民が食べるものとは一線を画したいというプライドがあるかもしれないではないか。帽子がその証拠だ。だけど、今どきカレーとラーメンでは値段もほぼ互角だよ。

発展途上説
いや、ひょっとするとカレー屋はたんに「まだ気がついていない」だけではあるまいか? 「しもた甘いカレーや」と思った客がチリペッパーなりコショウなりをかけたいと思っていることを。だったら教えてやらねばなるまい。伝統あるうどん屋やラーメン屋ではすでに常識になっていることが、新参のカレー屋にはまだつかめていないということも十分にありうる。レシートの裏にそっと書いてあげるというのはどうだろう? いや、裏では見ないだろうか。付箋紙に書いてお皿の下に貼っておき、片付けるときにはじめて発見、読んだ店主はああこんなかんたんなことになぜ今まで気がつかなかったのだろうとオノレを恥じ、ああこんなスバラシイことを教えてくれたさっきのお客さんありがとうありがとうありがとうとチリペッパーとかコショウを置くことになるのではないか?

経費節約説
それともカレー屋はケチなのかもしれない。カレーという手間ヒマかかる料理を供しているわりに値段が安く、また、ジャガイモだのニンジンだのタマネギだの肉だのと材料もたっぷり使うし、しかも何種類かのカレーを作り、その上じつはあまり得意でないトンカツとかチキンカツとか最近はから揚げとかのアゲモノまでし、場合によってはサラダまで作らねばならず、あまりに儲けが少ないために、うどん屋でもかけ放題の七味、ラーメン屋でもかけ放題のコショウ、その一瓶をテーブルに置きたくでも置けないのかもしれない。だとしたら可愛そうじゃないか。泣けるじゃないか。ケチなんて言って悪かった。ごめん。福神漬けだけでもその減り具合をビクビクしながらしょっちゅう見て、ああまだ残ってるなんてホッとしてたんですね。私はラッキョの方が好きなのだが、ラッキョだといくらでも食べれてしまって、だからラッキョ置いてるところは少ないんですね。「コショウ一振り5円」とか書いてあったらあまりにさみしいなあ。

存在論的問題説
ひょっとするともっと深いわけがあるかもしれぬ。調味料をテーブルに置いてしまったとたんカレー屋の存在そのものが成り立たなくなるような、深遠な理由があるやもしれぬ。いくつかの調味料をテーブルに置いてしまったとたん、もうカレーの「専門店」たりうる存在意義というものは胡散無償してしまい、なあんだコレ降るとあそこのカレーの味になるじゃん的な、実はコクとかウマミとか以前の、たんなる辛けりゃいい、カレーが食いたい、麺じゃなくてゴハンを大盛りでトンカツのせて、という客がかなりを占めているという絶望的な事実をつきつけられたカレー屋が、カレー屋をたたみたくなってしまうということがあるために、秘密のカレー屋団体がテーブルに調味料を置くことを禁じているのかもしれない。コショウとかガバガバかけられた日にゃあカレー屋やってられませんわとタマネギ刻みながら涙ながらに語るカレー屋の姿が浮かぶ。コショウなど置かない、それはカレー屋のギリギリの存在意義をかけたプライドなのだ。七味なんて置いてしまえば立ち食いうどん屋のカレーと同じになってしまう、どこがカレー屋やねん。

アホ客事件説
待てよ。うどん屋で七味を一瓶降るバカはあまりいない。ラーメン屋でコショウを一瓶かけるアホもおらんやろ。しかし、ひょっとするとカレー屋でチリペッパーを一瓶かけるヤツ、コショウを一瓶かけるヤツはゴロゴロいるのかもしれないぞ。世に何倍とかいう辛さ表示があり、オレは20倍に挑戦したとか自慢するヤツがいるが、ああいうのが存在しているということは、一瓶ヤロウだってきっと存在するに違いない。カレーを食うのがイベントだと思ってるのだそいつらは。そうか、きっとそういう心ない一瓶ヤロウのために、何度かサービスとしてテーブルに置かれたチリペッパーやコショウは一日でカラになってしまい、しかも店で吐くヤツ、真っ赤になって倒れて救急車を呼ぶヤツ、はては火を噴いて消防車までやってくるといった事件が次々に起こり、そのようなサービス精神は封印されてしまったのだ。

なぜテーブルにチリペッパーもコショウもないか。これでよくわかった。カレー屋の複雑なプライド、アホな客たち、その渡来の歴史性とイベント的な性格、それらが複雑に絡まりあってその不在を物語ったのだ。
だが、おそらくこの不在の物語はまだまだ奥が深い。
私はしばらくこの不在の物語をより詳しく調査し、いつか一冊の本にまとめ、世に問う予定である。
そして世のカレー屋が安心してテーブルにチリペッパーやコショウを置ける、そんな世の中にしたいと思う。

長崎前市長射殺犯への死刑判決に疑問

2008年06月01日(日) 0時01分
5月26日に長崎前市長射殺犯は死刑の判決を受けた。1人を殺したことで死刑の判決を受けたのは異例のことだ。「暴力によって民主主義を根幹から揺るがす、到底許しがたい犯行」ということだが、果たしてこの判決が正しいのか非常に疑問だ。判決は松尾嘉倫裁判長。
そもそもその理由を見ればわかるように、まるで政治犯扱いなのだ。この判決は「テロ」に対する判決文といってもいい。今後、政治家に対する暴力に対しては絶対に許さないということではないか。このような政治犯に対する特別な重罪はむしろ危険だ。
そして、2重におかしいのは、犯人は決して政治犯とは思えず、動機も「恨み」だという。果たして「暴力によって民主主義を根幹から揺るがす」行為だろうか。前市長はたしかに選挙中で政治家だったろう(たぶん立派な人だと思う)が、殺された人が政治家であればそれはテロで特別なのだろうか。それは、一般の人を殺すということよりもずっと重い犯罪なのだろうか。1人しか殺していなくても、もっと残虐な確信犯はゴロゴロいる。政治家のイノチは重いのか? 長崎前市長自身はそのような思いをもっていただろうか?
しかも、被告は暴力団員でもあるという。そのことがこの「民主主義への暴力」という論理のおかしさを、判決に対する一般の違和感を、すっぽり覆い隠している。裁判員制度への布石にさえ思えるのは私だけだろうか。
日本は世界でもかなり死刑の多い国で有名だ。もともと人が人を殺すことが正しいとは思えない私は、死刑という制度さえ正しいとは思えないのだが、はたして、この判決こそ「民主主義の根幹を揺るがす」ものではないか?
最近立て続けに執行される死刑。そして今回の判決には、大いに疑問を感じる。
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