相生楼で座談会

2007年06月30日(土) 10時56分
 金曜の晩は、ポスター裏面に掲載するための座談会。
 場所はナント、大阪で一番古い料亭といわれる「相生楼」。
 天満宮の正面にあって、入り口に「川端康成生誕の地」という石碑がある。

 絵描きの寺門孝之氏と、私はいつものことですが、今回のゲストは華やかなのだ。

 一人は、心斎橋の画廊「ギャルリ・ムスタシュ」のマダム。
 なぜか知らないが、みんな「マダム」と呼んでいる和田結花さん。
 マダムっぽいオーラが出ているからフシギ。

 もう一人は、この相生楼の若女将!
 普段着なのに、やっぱり若女将だあ。小林由理恵さん。
 背筋が伸びた、しっとりとした人。

 マダムと若女将・・・しかも、高級料亭の和室!

 緊張しそう、と思いきや、何の打ち合わせもなしに話ははずみにはずむ。
 お二人とも昨年の「金魚姫と蛇ダンディー」をとても楽しんでくれたらしい。
 役者のこと、役のこと、劇場のこと、歌のこと、台詞のこと・・・
 たくさん語ってもらいました。
 ぜんぶは載せられないだろうなあ。
 二人とも、これからずっと「金魚姫と蛇ダンディー」をやり続けるということに、大賛成してくれた。
 心強い!
 あっという間の1時間半。
 内容については、ポスターをお楽しみに。
 
 その後、相生楼のあちこちを見せていただく。
 なんだか迷路の宮殿のようだ。
(田口さんは、なんやフラフラすると言っていた)
 夜中なので、もちろん誰もいない。
 披露宴だろうか、テーブルの準備がされている。
 ひっそりと華やぎが準備されていた。
 いつしか最初のドギマギはすっかり消えて、田舎の親戚の家に来たような落ち着きを感じた。
 なぜか緑色がすごく濃く見えた。
 けして照明のせいではなく、あれはなんだったんだろう。

 ここでは、毎年秋に、川端康成を偲んで朗読会をやっている。
 ほかにも、能のワークショップや講演会とか。

 で、ひょっとすると、楽市楽座も、「金魚姫と蛇ダンディー」もやってくるかもしれないのです。

新宿、そして花園神社

2007年06月27日(水) 21時49分
 新宿にて盛り上がる。
 いつもながらのポスターゑの寺門孝之氏、デザインのBetter Daysの大久保裕文氏・新井大輔氏。それから、風濤社という出版社の社長である高橋栄氏。

 寺門氏はもちろん、このところずっと楽市のポスターの絵を描いてくれているのだが、今回「家族の短歌 納豆の大ドンブリ」という絵本が、全国学校図書館協議会により第40回「夏休みの本」(緑陰図書)に選定されたのだ。

 おめでたやー! ドンドンドン、ぱちぱちぱち!

 絵本といっても短歌に絵がついているので、けっこう高度。だから、中学生部門だそうだ。家族の短歌を集めたものなのだが、なぜかみんな鬼の家族。もちろん我が家にもあります。

 昔、そういう本は金色のシールがついてた気がするが、今はどうなん?

 大久保氏は昨年からデザインをしてくれていて、しかも、いつもわざわざ東京から見に来てくれる。ティンパンアレーの話など、80年代ロックの大ファン。原宿で大きなデザイン事務所を構えているツワモノだ。
 新井氏は今までメールのやり取りをしてはいたものの、今回会うのははじめて。
 若い!男前!

 高橋氏も若く、今度寺門氏がシュタイナーの本を装丁した関係で来てくれたのだが、いつかそのうち、寺門氏と私で一冊絵本を作るならば、ぜひ風濤社から、と。
「金魚姫と蛇ダンディー」の絵本をぜひぜひ、と話し込む。

 今考えてみると、私がいっちゃん年上だったのだが、ぜんぜんそんな感じがしなかったのは、みんなバリバリいろんなアンテナが、そこから電波が出るほど大きく伸びていたからだろう。

 みんな唐組ファンでもある。



 じつはその飲み会の前に、新宿は花園神社に行ったのだった。ここは赤テントが何度も建っているところでもある。
 以前はただの土だった部分が、写真でわかるかな? とてもきれいに整地されていた。
 写真の右奥には、芸能を祀っている社がある。芸能人の名前がいくつか並び、藤圭子の「夢は夜ひらく」の歌が刻まれた石がたっている。

 う〜ん、やっぱりここで一度はやりたい!

 そんな話をしたら、やろう、やりましょう!と、また盛り上がる。

 ひょっとすると、ラフレシアが新宿に現れる日が来るかもしれない。

千の風?

2007年06月26日(火) 0時08分
「千の風になって」という歌がヒットしている。
じつは、最初母親からこの歌を教えてもらったときは、すごくいい歌だなあと思った。
今まで、「あの世」とか彼岸とかで語られていたものが、風として語られるのはすがすがしい。

けれども、よくよく考えると、死者が風になるとは限らない。

千のゴキブリになるかもしれないし、千の蚊かもしれない。
千の闇かもしれないし、千の紫外線かもしれないのだ。

風といえば、聞こえはいい。
けれども、紫外線を避けて日傘を差している人たち、どうですか?
ゴキブリが大嫌いなヒトはどうでしょう?

もともと輪廻の考えでは、死んだらなにに生まれ変わるかわからない。

牛や豚が殺されるところを見学し、それが自分の父や母や、そういう身内が殺されるところをイメージするという修行が、仏教にはあると聞いたことがある。

死者が千の二酸化炭素になって、地球温暖化に加わっている、なんてことだって十分ありうる。

千の風もまたフィクションではあるのだ。

私は、フィクションというもの(こと)こそ(芸能こそ)、あらゆることの根源であると考える。ということに、「賭け」ている。

死は根源的なフィクションである。

フィクションのサイエンス性、サイエンスのフィクション性・・・
鍵はここに落ちているような気がする。

利他性の経済学

2007年06月22日(金) 22時36分

 長いこと散歩道をさぼっていたので、書くことがいっぱいあって困ってしまう。

 最近少し開眼しつつあるクロールと背泳ぎのこととか、フラメンコギターのこと、今日やっと見ることができたDVD「その男ゾルバ」、古本屋で見つけた池田万寿夫の陶芸写真集、ヘンリー・ダーガー展、読書だと「ゲーテとの対話」についてもまだまだ書いておきたいことがあるし、町田宗鳳「人類は宗教に勝てるか」、福岡伸一「生物と無生物のあいだ」、茂木健一郎「脳と仮想」、ロアルド・ダール「オズワルド叔父さん」(田村隆一訳!)とかなんとか、あるんだけど・・・。

 ちょっとカタイのですが、この本!舘岡康雄「利他性の経済学−支援が必然となる時代へ」がホントにガーン!と衝撃的だったので、書きとめておきたい。この本は香山リカさんの「なぜ日本人は劣化したか」から知った。
 著者は日産自動車の現在人事部門にいつつ、この「支援」というものを研究している。

 厚い本なのだが、かいつまんで言うとこうなる。

 今まで、とくに現代において、経済とは競争原理によって成り立っていると思われている。自由な競争こそが社会を進歩させる。会社の内部でも、互いに競争させることによって、その会社は進歩しより大きな利益を得る。
 しかし、このヒトは違うという。お互いの積極的な支援関係は競争以上に大きく進歩を促し、利益を生むというのだ。

 例としてクルマの設計における、設計部門と生産部門の支援関係。ある程度以上の設計期間短縮を実現するためには、設計部門が生産部門を支援し、生産部門が設計部門も支援することでしか達成できない。

 今までの社会は「結果主義」であり「管理型」だった。結果主義・管理型の社会では互いに情報を閉ざし、競争を行うことになる。けれども、ひとたび情報がオープンになれば、結果はつねに変転し、なにが結果なのか明確にはならない。むしろすべてをプロセスと考えるプロセス主義が必要になる。そして、そこで重要なのは、管理関係ではなく、支援関係だということだ。

 たとえば、勝ち負けをもっとも問題とする戦争は「結果主義」で「管理型」だ。けれども戦争が豊かさをもたらすことはない。国家間レベルでもプロセス重視の支援型にした方が、お互いにトクなことはわかりきっている。
 今までの「結果主義」「管理社会」は、世界をスタティック(静的)にしかとらえられなかったのに対し、「プロセス重視」の「支援社会」は、世界を動的に考えるのだ。「ワレが、ワレが」から、「アナタのために」へ。それが結局ワレのためにもなってしまう。

 結果重視の管理社会が、じつは環境問題も引き起こす。いろんなリスクや犯罪も引き起こし、結局それらは大きなツケとなっているこの現代世界で、これは画期的な思想だと思う。
 仏教的な考え方にも近いし、パッチ・アダムスが提唱している医療などもほとんど同じだ。

 プロセスを重視すれば、金銭そのものの価値も不確かになる。金銭よりも愛や幸福の方が、よりプロセスとして重要なのだ。
 20世紀のあらゆる矛盾が噴出し、恐ろしい苦しみの世紀として21世紀はあるのではないかと思ってきたのだが、私はこのヒトの言うことに賭けてみたいと思った。だって、エンタテイメントなんて「利他性」そのものですから。

 おそらく、この概念は、じつは21世紀的思考のあらゆることのベースにもなるだろう。

 確かモースの贈与論も、太古の時代、互いが贈与しあうことが経済の基本だったとあったはずだ。それは一種、自己放棄の狂気として考えれられていたかもしれないのだが、人類学的に「支援」は文化の芸能性のベースかもしれないのだ。
 細胞生物学にしても、細胞どうしがどんなに支援しあっていることか。

 ちょっと違う話だけど・・・

 今の憲法問題にしても、9条の改正は日本という国家内のプライドの問題になっている。
 9条の改正が、世界を良くするのか? 日本という国家を守ればいいのか?
 平和維持軍がほんとうに必要なら、そのための法律を作ればいい。
 日本という国家を守るために軍が必要であるなら、大阪という場所を守るためにだって軍が必要になるし、わが家やわが身を守るためには銃が必要になる。

 できれば日本は将来来たるべきときに、国家としては解体することを憲法に盛り込むべきではないだろうか。
 世界がひとつになり、国境がなくなるというのは、そういうことだし、それを理想としてもいいじゃないか。

「君が代」は、「あなたの時代」という意味として、学校で教えるべきなのだ。
「あなた」とは、もちろん近隣、あるいは世界の諸国のこと!

野生の森

2007年06月22日(金) 2時34分
 思い出すことがある。
 高校の教師で、わりと尊敬していた人なのだが、その人が遠足かなにかのときに、山の原生林の中を歩きながら、こういうふうに勝手に生えている木々ではなく、きちんとまっすぐ伸びている木々の森(たとえば杉の樹林)が自分が好きだと言ったのだった。
 それに対し、私はグネグネと曲がりながら好き放題に伸びている森がやっぱりいいと反論した。

 あれは教育という面で語られた話だったと思う。それに対してこっちは自由の問題を答えたのだが、今、いろいろ考える中で、やはり自分は正しかったのではないかと思う。自由ということを別にしてもだ。

 ひとつは、木を利用する人間の力量の問題だ。

 杉の森では、まっすぐな幹を人間が使えるのは、人間の持っている技術の未熟さではないか?

 木が勝手にグネグネと曲がって伸びるのは、木にとってそれが合理的だからにほかならない。
 生命は、より都合のいい方向に成長し、ウソがない。あらゆるエネルギーを利用した結果、木はグネグネと曲がるのだ。
 ヒトがそれを自分たちに都合よく枝払いしても、それがじつは効率的な自然界を作るとは限らない。むしろ、原生林の方がより効率的なエネルギー利用をしている。
 ヒトはその「恵み」を分けいただいて生きてきたはずだ。

 じつはもっとも効率性の高い森を、人間の都合という視点から判断しても、大きく間違う可能性があるのではないだろうか。

 コメットハンターの木内氏は、人間の使命は環境を整備することだと言っている。
 問題は、その「環境」だ。
 ヒトの木材利用という点で言えば、もし原生林の木材を使うことができるようになれば、まっすぐな杉よりも効率的な資源として考えることができるに違いない。

 これは、同じように人間集団についても言えるのではないだろうか?
 はたして、エリート集団がいい集団なのか、はなはだ疑問だ。

とうとうブログに/今年も「金魚姫と蛇ダンディー」!

2007年06月17日(日) 21時39分
とうとう散歩道をブログですることになった。
今までのスタイルが、いろいろと面倒でやりきれなくなってしまったのだ。
これからまた、少しづつ書き込んで行きますので、よかったらお付き合いください。



で、タイトルのところにあるように、次回公演はあの「金魚姫と蛇ダンディー」だ。
昨年やった作品である。つまり、再演。ムボーとも言える一年アキの再演。

これには、じつは深い実験精神があるのです。

私たち楽市楽座は、今までいろんなことを積み上げてきた。
野外劇のノウハウ、円形劇場、四方のフレンチドアのついた出ハケ口、屋根を取り払い、水上廻り舞台を作った。
演技のサーカスから入り、能の物語に魅せられ、どうしようもない人物たちの神話性を感じ、動物やバケモノたちの、野蛮でおじゃらけたドリームタイムにたどりついている。
それが「金魚姫と蛇ダンディー」だ。

私はここで、新作をフィックスする。固定するのだ。
つまり、新作をやらないと決意した。
「金魚姫と蛇ダンディー」
これを続けていくことにした。

楽市楽座=金魚姫と蛇ダンディー

これでどこまでやれるか。
やってみたい。
とてつもなく、贅沢なことなのだ、これは。

私たちは野外劇ということもあって、なかなかロングランができない。
これは、ムボーは承知の、なけなしのロングランの始まり。
勝手な思い込みで、自分たちの一本の芝居を「名作」扱いしてやろうじゃないか。
ただの、もう一度やってみようという再演ではない。
もちろん、新作が書けないとかいうことでもないのです。念のため。

だからと言って「金魚姫と蛇ダンディー」がカンペキな作品であるわけじゃない。
出演者もすでに全員決定しており、かなり変わる。
(金魚姫=佐野キリコ、蛇ダンディー=朧ギンカ、死神ジミー=一快元気、土蜘蛛親分=西田政彦、ウサギ師匠=村井久美子は変わらない。道化師エンドンは、お正月公演から田口哲になっている。)

劇は生ものでもあるし、そりゃイロイロと変わるだろう。野外だし。
切り詰めたり、もっと展開もさせたりする。
けれども、基本的なテーマや物語は変わらない。
お祭の演し物が基本的に毎年変わらないように。

ということで、今年もまた「金魚姫と蛇ダンディー」へぜひ!
2007年06月
« 前の月  |  次の月 »
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
アイコン画像ボーダー
» 2017年08月03日のつぶやき (2017年08月04日)
アイコン画像長山現
» 2017年03月14日のつぶやき (2017年04月04日)
アイコン画像ドテチン
» 2017年03月14日のつぶやき (2017年03月15日)
アイコン画像ふーちゃん
» 2016年08月19日のつぶやき (2016年08月23日)
アイコン画像沖縄のみゆきです
» 2016年07月09日のつぶやき (2016年07月11日)
アイコン画像長山現
» 2016年02月14日のつぶやき (2016年04月02日)
アイコン画像善光寺クロ
» 2016年02月14日のつぶやき (2016年02月15日)
アイコン画像みゆき
» 2015年12月20日のつぶやき (2015年12月21日)
アイコン画像ピエロ
» 2015年12月06日のつぶやき (2015年12月07日)
アイコン画像善光寺クロ
» 2015年11月01日のつぶやき (2015年11月02日)
Yapme!一覧
読者になる