祭の中で

2010年09月15日(水) 9時36分
祭の中ということもあるのだが、なかなか日常が取り戻せない。
車が動けず、風呂に行くのも一苦労。洗い物ができず、食事もなかなか自炊できず、乱れがち。
睡眠時間も減っているし、一日中働いていて、ホッとする時間があまりない。
果たして1週間の放生会を乗り切れるのか。

お客さんの人数は多い。立ち見客も出る。
しかし、その割には売上がイマイチだ。祭の中ということで、ある程度予想していたが。
「ちょっと見」のお客さんが多いのだ。そのお客さんたちを引き込み、感動を与えるのは難しい。たんに笑いや盛り上がりでは、大きな投げ銭にはならないことを痛感する。
2日目、3日目は、谷本さんとワタルさんのユニットが参加してくれて、盛り上がったのだが。
3日目には、楽団テントの位置を動かしてみたし、マイクもつけてみた。エンジニアがいないので、なかなかうまく行かなかった部分もある。セリフは聞こえるが、どこか芝居は散漫になった印象がある。ライブから映像になってしまったような。
ただ、遠くのPAの声が近所のマンションに反射して、かなりうるさいのだ。初日、2日目はなんとか生声で頑張ったが、マイクも一つの挑戦だ。マイクをつけての芝居ははじめてだが、マイクというものが芝居をどう変えるのか。そのことにも興味がある。
今日は久しぶりに3人だけの上演となる。そこでのマイク上演はどうなるのか。もう一度やってみたい。

祭では、集客が問題なのではないのかもしれない。
「客をつかむ」ことができるかどうか、だ。芝居っていうのは、そういうものだろう。そうでなければ、たんなるショーに堕してしまう。
「もっと短いダシモノにしては?」というアンケートがいくつかあったが、それは違う。
本来なら、一晩中上演できるような、そんな長大なものこそが祭にはふさわしいのではないか。

折り紙オヒネリは飛び交っている。
オヒネリはどこに向かって投げられているのだろう。
とても、私たち自身に向かって投げられているような気がしない。
それこそ、「芸能」のようなものに向かって投げられているような気がする。
おそらく、この放生会に来て、屋台でちょっと高めの食べ物を買って食べるときも、そんな何かに触れている。
祭というものが持つ、何か。
それは、「表現」などとは違う、芝居が本来持っている何かでもあるだろう。
このザワメキの中で、その何かをもっと掴めれば。
そのために、祭りに酔うことなく、醒めたアタマで芝居を打つ。

あと、4日!
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