ラスコーの動物壁画

2009年11月24日(火) 23時06分
博多からの帰り道、ふとテレビをつけたらラスコーの遺跡についての番組をしていた。
私は大学で美術史を学び、教授は原始美術と現代美術の専門家だったので、ラスコーについても少し学んだつもりだ。バタイユのラスコーについての本も読んでいる。
その番組では、驚くべき仮説が語られていた。それは、ラスコーの動物画が、天の星の並びにぴったりと一致するという説だ。
ラスコーの壁画はかなり正確な星図だったかもしれないという。

どうやって正確な星図を洞窟の中に再現したのかということに終始していたが、最初から空の星々が動物に見えていれば、その記憶(イメージ=像)は再現できただろう。
彼らは「星」として見ず、「動物たち」として夜空を見ていたかもしれないのだ。
この新説は、いつか大きなインパクトを作りそうだ。

さっき技術と方法意識について書いたが、原始美術と現代美術では、まずその技術と方法意識が問題となる。
どういう方法で作るかということが、その作品の存在意義を形作る。
その技術・方法に、思いがこめられている。と同時に、そのような技術・方法を見出したことで思いが溢れてくるとも言える。
ラスコーの動物壁画と星座、そして洞窟・・・そこにはどんな思いがあったのか。

人間は動物をかなり尊敬してきたのではないかと、私は考えている。
昔話の動物たち、キツネとかタヌキとか、みな身近な動物だが、神々だったのではないか。
そして同時に、そんな動物を食べてもいた。
アイヌのイヨマンテ(熊送り)には、そんな矛盾を解決しようという思想がある。
人間は自意識にまみれ、いつも恐怖に怯え、はげしい感情におぼれる。
動物たちの高潔さにはとても及ばない。
人間は神を食べ、神と一体化し、神のパワーをいただいてきたのかもしれない。
「神話」といわれるものは、古代の人間的な神々の話になるものが多いが、そのもともとは動物たちによるもので、今はそれが「昔話」とか「童話(子供向けの話)」と言われているような気がしてならない。
今でも遊園地やゲームなどでは動物たちが大活躍している。そのへんは中沢新一が書いている。

だから夜空に動物を見たし、それを洞窟壁画にもしたのかもしれないと思うのだ。
ラスコーでは、動物は写実的に描かれているが人間は雑に描かれている。
人間は、動物(神)になりきれていないことの恥を自覚していた。
そういうことを考えると、今回のラスコーと星の関係は興味深い。

技術と方法意識―劇団どくんごを見て考えたこと

2009年11月24日(火) 22時18分
昨日、全国巡回公演についてのお知らせメールを、お客さんや知り合いに、可能な限りお送りしました。これから時々お送りする予定です。もし、このブログを読んでいて、私も欲しいという方、連絡ください。

劇団どくんごに行って考えたことを少し書いておこう。
それは、作り手の技術と方法意識ということ。
どくんごの技術と方法意識は、あの限りなくシンプルに設計されたテントや客席、生活技術・旅技術などにもあるし、鍛え上げられた声と肉体にも、劇作術にもある。
それらの技術と方法意識とは、すごく一体化している。つまり、あのテントや旅と、声や体や作劇術は、全部ひっくるめて「劇団どくんご」になっている。
ちょっとうまく言えていないな。でも、見た人にはわかると思う。
そして、その技術と方法意識は、独自のものになっている。

そういう独自の技術と方法意識をきちんと持っていて表現をするということが、いかに大事なことか。
持っている者と持っていない者、これをたとえるなら、医者と患者くらいに違うのではないか。
誰でも芝居をやることを楽しむことができるし、物を作ることを楽しむことはできる。
けれども、独自の技術と方法意識を持って芝居をやろうと思っている者は意外と少ないような気がする。

技術と方法論を意識するようになれば、それを鍛え上げ、磨くことができるようになる。
そして、その技術と方法論は、作品だけではなく、生活や生き方を鍛えたり、磨いていくかもしれない。
そして、それは独自のものになる。
これは「好きなことをやる」というスタンスとは大きく違う。
もちろん、最初は「楽しいから」「好きだから」という理由でいいし、それは健全なことだ。

先ほど医師と患者のたとえを使ったが、医師は医大を出て試験に受かれば一応なることができる。
医大では、医学という技術と方法意識について叩き込まれるからだ。
けれども、本当の医者は、患者を治しつつ、研究をしている人が多い。その研究がなければ、習ったことだけで患者を治療することになるが、おそらくそれだけでは一人の患者を治すことさえできないし、今直せない患者に対してはどうしようもない。
そこには独自の技術と方法意識が必要だ。

芝居もこれに似ていて、お客さんを楽しませることを通して、独自の技術と方法意識を鍛えていかなくてはならない。
その技術と方法意識は、手先の技術や頭でっかちな理論では人の心を動かすことはできない。
人生や生活や、生身の自分の体や人間関係など、あらゆることが巻き込まれるだろう。
芸能というものは、そもそも技術と方法意識でできているのだ。
どんな芸能でも、学ぶときにはその独自の技術から学ぶし、その技術が何のためにあるかという方法意識についても学ぶことになる。
舞台という一つの作品を作るのにも、同じことがいえる。

どくんごの舞台を見て、そんなことを考えた。
彼らは見事に独自の技術と方法意識を身につけている。
私たちもまた、独自の技術と方法意識を、旅によって鍛え上げていくつもりだ。
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