関西電力

2011年03月17日(木) 3時12分
今夜は、野菜と鶏肉と肉ダンゴ(昨日のハンバーグの残り)の煮物、ダイコンとノリの汁(黒いからスマシとはいえん)。

夕方に、関西電力の本社に行ってきた。
ひとつ、「原発ストーップ!」とでも発声練習してやろうかという思いである。
関西電力本社は、ひょっとすると原発の横とかにあって、大阪市にはないかもしれんとおもっていたのだが、やっぱり大阪にあった。
(原発は、ずっと遠い日本海だ。本社もそこに作ればいいのに。)
しかも! 4年前、オレらが芝居をした、科学技術館そばの空き地の真向かいだった! まるで芝居を見下ろすかのような巨大なビルだった。
その当時は、客席屋根あり、舞台のみ屋根なしの劇場で、外からは舞台は見えないのだが、このビルの上の方からなら、舞台は見えていただろう。
タダ見されたかもしれん。
この巨大ビルの中を少しうろついた。広いエントランス。上の方はホテルにもなってるらしい。警備員に、写真を撮ってもいいかと聞いたら、建物内はご遠慮くださいと言われ、素直に従った。
ナンバ歩きでウロウロする私は、ひょっとするとゴルゴにも見えたかもしれないが、自意識過剰だろう。けど、すごく人は少ない。
外も人は少なく、同士などもちろんおらず、ガードマンが同士になって欲しいくらいだった。しかも、今日の大阪は一度雪が降ったくらいに寒い。
原爆雲みたいなモニュメントやビルの写真を撮って、すごすご去った。
ここでの発声練習は、駐車場代もかかるし、人通りも少ないし、ちょっと危険かも。
とにかく、敵のでかさを物理的に理解した。
で、わが家から歩いていける(でも30分はかかる)、以前、滞納した電気代を払いに行ったことがある、関西電力三国営業所を見に行った。
う〜ん、ここならなんかアットホームだし、発声練習できるかも、だ。なんだか、子ども時代に住んでた電電公社の団地とか、学校みたいだし。
しかし、ちょっと「影にかくれてやっている」感もいなめない。
社員と友達になったり、近所のバアチャンとかと同士になる可能性はあるが。
もう6時で、皆さん仕事は終った気配でひっそりとしていて、発声練習は見送った。
私の暴動欲のはけ口を、どこにするべきか、まだ迷っている、52歳。

ところで、報道機関ではレントゲンキャンペーンなるものが行われているらしい。
(最近は、もうテレビはまったく見ないから、知らなかった)
レントゲンと事故の放射能を比べるというもので、安全性を語るものらしい。
このキャンペーンは、「あるマスコミは通常の何100倍と言っているが、レントゲンで言えば50分の1程度で、恐怖をあおっている」というものだ。
マスコミ批判という形のキャンペーンになっているのが特徴。
これからは、たんなる気休め報道ではなく、情報をいかに混乱させるかという報道に変わっていくのかもしれない。恐ろしいことだ。どんどん戦時中と同じになってくる。
しかも、身の回りでは、その戦争が見えない。

現地では、今日も餓死者と凍死者が出るだろう。動けなくなっている避難民に手は差し伸べられたのか、私にはわからない。
今、安全そうに思っている場所も、ある日突然、政府とマスコミに切り捨てられる可能性すらあるように思えてならない。

16日、アメリカ政府は、福島原発から約93キロ以内への米兵の立入を禁止した。
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9C81E2E2E3E2E2E3E58DE3E4E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;av=ALL
どれだけ装備しても、入るな、ということだろう。

もう寝ます!

ホシハチカニオドル

2011年02月20日(日) 14時14分


昨日は、「ホシハチカニオドル」を観るために、広島へ。私たち家族に加え、田口さん、三宅さんをお誘いし、片道約5時間の行程。天気もよくて、オニギリもたくさん作ったし、三宅さんはオヤツをたくさん持ってくるし、まるで楽しい遠足。高速代も安いしねー。

ホシチカは1時間ちょっとで、芝居あり踊りありは大槻さん一人、谷本さんが横でバイオリンを弾きまくり、裏方として、谷瀬さんが照明、映像、それに仕掛けまでをこなすというトリオで作っている。チェルノブイリや東海の原発事故などの問題を扱った作品なのだが、暗くて重いかというとまったくそんなことはない。軽く、しなやかで、なんだかゼイタクとさえ言っていい作品だった。

大槻さんの動きは柔らかく、姿は美しく、声は優しい。顔は長いが、かわいらしくて、繊細。私がとくに好きだったのは、仮面をつけて、黒い妊婦が踊るところと、森の妖精がリンゴをかじりながらチェルノブイリでコンクリート詰めにされている作業員と語るところ、そして最後の天使が様々な映像に飲み込まれていくところ。最初の包帯グルグル巻きで、オクサンのことを「さっちゃん」と呼びつつの会話も捨てがたい。(ほとんどだ〜)
谷本さんのバイオリンも(ピアニカとかパーカンションも)いいし、谷瀬さんがそれらにたっぷりとした広がりを加えている。そうそう、冒頭の「闇」という字の解説がスライドで映される。トビラの向こうから、カスカナ音が聞こえてくる闇。ほんとに、闇に消えていきそうな声を拾い上げようとする作品だった。

アフタートークも興味深かった。ラストについて、「希望の天使」という言葉がアフタートークで語られていたが、私には、なんといったらいいのか、「天使の絶望」に見えた。希望という言葉が、ほとんどかなわないカスカナノゾミという意味であれば、同じことかもしれないが。

私には知らないこともたくさんあるのだが、別に難しいところなどまったくない。これは、強烈なインパクトというのではなく、どちらかというと、後から効いてくる作品だと思う。
コレ、いろんな人に見せたいなあ。
これからまだ続けていくようなので、どこかでもう一度見たいと思う。そのときはどうなってるだろう。楽しみだ。リンゴなんて、この回ではじめてやってみたことだそうだ。

その後、上演地候補の尾長天満宮へ。坂と階段の上にある小さなステキ神社で、宮司さんご夫婦もとても親切で感動。以前はここから海が見えたらしい。梅の花が咲いていた。(海と梅って字も音も似ているな)使わせて頂けることになり、これで広島の上演地が決定。

途中、尾道ラーメンを三宅さんにご馳走になったりしながら、5時間おしゃべりしながら帰宅。楽しい一日!

ホシハ チカニ オドル

2011年01月17日(月) 9時47分
広島の大槻オサムさんと、小倉の谷本仰さんのコラボレーションが、2月に広島で行われる。
2月18日(金)20時と19日(土)14時、18時の3ステージ。
芝居・身体表現 大槻オサム。作曲・演奏 谷本仰。制作は谷瀬未紀さん。
大槻さんの繊細な舞踏と演技(たぶん)、谷本さんの絶品のバイオリン(たぶん、一人多重演奏あり)。スゴイに決まってる。楽しみだ。背中で感じることができる時間になる。

詳細はコチラ。
http://t-etc.net/a-tenshi/tremolo_angelos4.htm

調べてみたら、ETCの休日割引があるみたいで、決心がついた。(情けねえ〜!)
広島まで行きます。19日の14時の予定。これなら十分日帰りが可能。

ハイエースで行くので、我が家全員乗っても、まだ残席あり。
大阪から誰か一緒に行かないかなあ。
誰か、彼らを大阪に呼ばないだろうか。
まだ見ていないのに、オススメできる。
3人とも、昨年の旅を通して出会いがあった人たち。(谷瀬さんとは、大きな再会というべきか)
1ヵ月後が待ち遠しい!

親を選んだ子ども

2010年08月27日(金) 1時23分
北海道の深川で私たちを受け入れてくれた人たちの中に、渡辺貞之さんという画家さんがいて、美術館の館長さんでもあり、元小学校の先生でもあった方なのだが、その人が面白いことを言っていた。
よく、子供が親が勝手に生みやがってと言うが、子供の方が親を選んで生まれてきたんだ、と。だから、萌も、変わった親につきあっているが、その親を選んだのは君なんだって。
アハハ〜! これ、すっごく面白い。大好きだ、こういう発想。
子供のいない人はいっぱいいるが、親のいないニンゲンはいない。(生き物全部そうだ)
そいつらみんな、じつは生まれるときに、親を選んで自発的に生まれてきた。
そして、親にしばらくつきあうことになる。きっとたいがいは失敗で、しばらく後悔するかも。萌もそうかもね。
でも、自分の責任なんだよね。親だって、こんな子が来るとは思ってなかったし。
この人の、子供の顔のデッサンすごい。子供たちには黒い羽が生えていて(悪魔的天使)、そして、ときどきツノが生えている(鬼)。そして、どこかにネコがいたりする。

清水きよし氏マイム再び

2009年03月22日(日) 21時33分
 今日、枚方で再度清水きよし氏のマイムを見る。一昨日見た「風船」と「ひまわり」。2度目にして、より構成の緻密さが理解できる。独特の登場の仕方。客とのやり取りの細かな気遣い。客席が大きいこともあって、少しテンポを早く、より単純にし、足元が見えにくいので、高い位置での演技をクローズアップしている。2度目だと、その物語の意味が様々に解釈できることがわかる。例えば、「ひまわり」ではひまわりを育てる少年と、育っていくひまわりが演じられるが、その両者がじつは重ねて描かれている。少年が眠っている間、見ていない間に成長するひまわりは、少年もじつは同じなのだ。ひわまりは実は太陽を追いかけることはなく、ずっとほぼ東を向いているのだが、もしかすると、一日ずつ大きくなるからひまわりと言うのかもしれない。つまり、少年のひまわりへの思いは、また、清水氏の少年への思いにも重なる。それは、人類の世代という大きなテーマにもつながる。
 新しく見せて頂いた「凧揚げ」も、すごい作品だった。内容はいたってシンプルで、凧を苦労して揚げる少年の話。けれども、その苦労、工夫、努力、必死さ、アクシデント、それを跳ね返す気持ち、そしてラスト・・・凧揚げ一つのほんの短い時間で、まるで人生そのものを見ているようだ。凧揚げを仕事として見ることもできるし、恋愛と見ることさえできる。また不覚にも涙、涙。終わっても思い出すだけで涙が滲んでくる。私達は子供の頃からこんなふうに一生懸命生きていたのだ。
 凧の糸を繰り出すときの手のブルブル感・・・私の場合はカマボコの板だったが、当時の手の感触をまざまざと思い出した。また、上空に凧が揚がるにつれての風の力の大きさも、この体が覚えている。マイムがこんなにも体の記憶を呼び覚ますものだとは。おそらく作っていく中で、記憶や観察を総動員して、タイムスリップするように、憑依するようにしていろんなことを拾っていることだろう。匂い、景色、肌の感覚、筋肉、味、目にしみる風、指の痛み、それらが全てある思いの中、ある行為へと集約される。マイムの技術によって、ダンスのような、彫刻のようなフォルムになる。思いのない行為など一つもない。そして、感覚の裏付けのない思いも、一つもない。だから、何一つムダがない。
 清水氏のマイムの展開は、終わった後、ほとんど全てを思い出すことができる(ような気がする・・・)。こうなってああなってこうなったよな。それで、あのときはこんなふうに演じ、そのときはこんなふうに演じていたと、かなり具体的に思い起こせる。それだけ印象深く、強い構成とフォルムになっているということだろう。同時に、物語というものの元型(ユングの言葉で、人類が共通して持っている物語の典型の形)が追い求められていて、私たちの心の奥にある、人類共通の何かを掘り起こすことに成功している。ラストは意外ではなく、やっぱりなあという決着がきっと多いのだが、それがせつなくもあり、また、一つのハッピーエンドにも感じられる。つまり、様々な解釈は、各人が心に抱いているテーマに従って現れるようにできている。おそらく、これらの作品は人類学的な研究対象にさえなり得るだろう。例えば、「ももたろう」や「かちかち山」のように。それは私の理想でもある。芸能の一つの理想のスタイルなのだ。
 そんな清水きよし氏が、ひょっとすると、井の頭公園の東京公演に来てくれるかもしれないと言う。ぜひ、見てもらいたい! ガムバラねばねば〜!

柳井さんが亡くなった

2008年06月10日(火) 22時27分
 昔、ドーム型のラフレシアをはじめて作り、「タマシイホテル」という劇を上演したとき、その芝居を褒めてくれた数少ない人の一人が柳井さんだった。その前からずっと芝居を見てくれていて、いつも良き理解者の一人だった柳井さん。その柳井さんが突然亡くなった。52歳だった。私より少しだけ先輩だ。タマシイホテルではテントで遅くまで飲んで、帰りに柳井さんの自転車の鍵が見つからなくなり、鍵をこわした。かなり酔っていたはずなのにそんなことはよく覚えている。当時、柳井さんはいつも自転車だった。
 長生きとか早死にとか、そんなことはべつにどうとも思わない。けれども、なぜこうも人が死ぬというはやり切れないものなのだろう。
 柳井さんの部屋に一度お邪魔したことがある。すごい本だらけで、しかも哲学書なんかが積み重なっていて、床はチラシなんかで足の踏み場もなかった。だいたいいつも穏やかな人で、こんな人が怒ったらどんなんだろうと思うような人だった。片方の耳があまり聞こえなくて、話し込みながらよくもう片方の耳に手をかざしていた。
 できれば死ぬということを本気で「おめでたい」と思えるようになりたい。けれども、それはおそろしく難しいことにも思える。
 私が今のようなかなりファンタジックな本を書くようになった最初の作品の「耳水」について、柳井さんは「あくと」で批評を書いてくれた。「樹霊がラフレシアに降りてきた/『耳水』」というタイトル。これはネットでも読める。今読んでもいい文章だ。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/aict/myweb1_027.htm
 この批評はちょっと褒めすぎの部分もあるが、かなり適確だと思うし、私が見つけたこと、描きたかったことをずいぶん丁寧に書いてくれた。「都市伝説」という言葉は全く思いがけない言葉で「え?」と思ったのだが、この劇は十三の鏡池の伝説と、梅田の曽根崎町の廃ビルをモチーフにしていて、今思うとたしかに都市伝説だ。「どこか垢抜けないバタ臭さ」なんて、言いえて妙。
 この文を書くにあたって柳井さんは取材を申し込んでくれて、十三の喫茶店でいろいろ話したっけ。だから、こちらのコンセプトを可能な限り取り入れてもくれている。当時の私は能がとても大きなものを占めていて、そんなふうにも書いてくれていて、これはあの取材の結果かもしれない。私に限らず、おそらく劇を書くものは観客にはおよそわからないような様々な思いを抱えて書いている。自分の一番やわらかい部分、確信というより仮説でしかないことをヒヤヒヤしながら差し出しているものなのだ。そうでなければ書く意味などない。柳井さんはいつもそんな思いをかなり優しく汲み取ってくれていたに違いない。同時に、たっぷりといろんなことを楽しめる人でもあったから、私のやっている変なことも、いつも共感の範疇に入れてくれていたのだ。
 オレって自分でも笑えるくらいに、自分のことを褒めてくれた人が亡くなってさびしいのだ。ウイングの中島さんもそうだったな。結局、自分のことなのか?
 いや、そうばかりじゃない。共犯者。同じ穴の。
 柳井さんの部屋は小さな路地のどんづまりで、よくクロネコメールが宛先を見つけられずに返ってきてしまった。柳井さんはちゃんと表札出していると言っていたが、どうだったんだろう。
 この、思い切り泣くこともできない気分をどうしてくれよう。

ラベリング

2007年08月23日(木) 0時20分
 二幕について、ラベリングをする。
 ラベリングとは、アイデアをラベルにし、それを「これとこれはまとまるのではないか?」というものを組にし、そのタイトルをつけていくという作業で、最終的に10枚以下にする。
 ちなみに、これは、川喜多二郎のKJ法というシステムを応用したもので、KJ法については、中公新書の「発想法」を読むべし。私が学校で習わなかったことの中で、一番大きな知的収穫の一つである。このようなことをなぜ高校や大学で教えてもらえないのか、いまだに不思議だ。川喜多氏が、あまりにこの思考システムを特許化し、他の追随を許さなかったためかもしれないなんて邪推もするのだが。
 時間はかかるのだが、おのれの無意識までさらえる方法なので、いろんなことに気がつく。非常に科学的な占い法みたいなもんなのだ。

 今回は再演であるにも関わらず、結局かなり書きかえている。わかっていたことなのだが。けれども、「改訂」とは入れていない。どんなに書きかえようと、コンセプトは同じ。けれども、常に決定版であるという思いで、あえて改訂は入れなかった。なにしろ、改訂というより、これが私の最後の作品という気持ちなので。
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