映画「もういいかい ハンセン病と三つの法律」

2015年03月16日(月) 23時59分
昨日は、一日台本を休んで、神戸のアートスペースかおるへ。映画を観て、展覧会を観て、オルガン演奏を鑑賞、短編小説を一つ読み、バーベキューにも参加するという贅沢な休日を過ごす。とりあえず、映画のことだけでも、ここにまとめておく。

感染力の弱い皮膚病であるハンセン病(日本ではらい病と呼ばれた)はインドなどに多く、後進国の証拠になる(これ自体怪しいが)と、先進国の仲間入りをするためには根絶しなくてはならないと、政府に進言した男がいた。らい病研究者であった病理学者の光田健輔(1876−1964)だ。
明治政府はそれを受けて、1907年(明治40年―光田31歳)に「籟予防ニ関する件」を制定。その後1931年(昭和6年―光田55歳)には「籟予防法(旧)」、そして戦後の1953年(昭和28年―光田77歳)の「らい予防法(新)」へと続く。この間、光田は1951年に文化勲章まで受けている。
すでに、1943年には治療薬プロミンが開発され、その有効性が次々と明らかになり、世界的にも隔離する必要はないとされつつも、日本ではそれが長く続いた。「らい予防法」が廃止されたのは、じつに1996年(平成8年―光田の死後32年後)。つい最近のことだ。その後、患者たちはこの予防法が憲法違反であるとし、国を訴え、2001年に勝訴している。

「根絶」を目的として、ハンセン病患者は強制収容された。収容時には、家をまるごと真っ白になるほど消毒され、特別な「伝染病患者車両」で運ばれ、収容所に到着すれば外で衆目の中で裸にされ、また消毒された。
その危険さを徹底的に洗脳され、親族にも迷惑がかかると言われ、今後は本名ではなく偽名を使うこと、戸籍からも抜くことを勧められた。現金も取られ、所内でしか使えない金券が渡された。
「○○園」という名前のついた収容所は、二度と出ることのできない、そこで死ななくてはならない場所だったから、火葬場も納骨堂もあった。つまり、骨になっても出ることはできなかったのだ。施設は粗末なものだったが、この納骨堂だけは立派だった。火葬する前は、必ず解剖までされた。つまり、死ぬための収容所。無期懲役と同じだ。

所内で患者どうし(他との接触がないから、患者どうししかありえない)結婚するときは、男は断種手術が行われた。間違って妊娠したときは、強制的に堕胎。これは旧法には明記されていなかったが、戦後の新法には明記されるようになっている。堕胎された胎児はすべて標本として保存される。一例でもいいから、病気が遺伝しているという標本が欲しかったのではないか。
沖縄の収容所では、隠し、隠れて、どうにか男の子を産んだが、体重を測ってやるからと取り上げられ、体重計の上に放置されて殺されるということもあった。

同じことは戦時中の朝鮮でも起きている。強制的に隔離し、その上、レンガ作りなど強制労働させられている。

部屋は大部屋で、布団を敷くと足の踏み場がない。結婚しても、男が女部屋に夜に通うとか、4組の夫婦が一部屋にやはり布団を並べて寝ていた。
全国で「無らい県運動」が展開され、ハンセン病患者がいるぞと密告させ、強制収容した。
所内には、懲罰監房があり、かなりの数が死ぬような監房まで作られるようになった。
もちろん自殺するものも、非常に多かった。

それらのことが、生き残ったわずかの患者たちへのインタビューを積み重ねて語られた。
2時間半近くあるドキュメント。とても説得力がある。朝鮮半島でのインタビューもちゃんとある。涙なくして見れない。

なぜ、こんなことが起きたのか。そして、なぜ理不尽に日本で続いたのか。

一つは優生学・優生思想だと思う。つまり、劣っているものを排除する、切り捨てるということ。これが差別の根源にあるが、この根は深い。今も精神病院などはそうだ。切り捨てる側は、社会に害悪だからという理由で切り捨てるのだが、たいがいは切り捨てる側の社会的な害毒の方がずっと大きいと思う。戦争や死刑と同じ、たんなる人殺しである。連中は、一度切り捨てると決めれば、あとは虫ケラのように、たんなるバイキンとして「殺菌」しようとする。分断と差別の正当化でしかない。

二つ目は、そこに出来上がる利権ムラだと思った。このドキュメントは金の流れは追っていないが、この人殺し政策に金が絡んでいるからこそ、とっくに正統性を失っていたのにも関わらず、こんなに長く続き、止められなかったのは間違いない。この映画は、この金の流れまでは追っていないが。

この二点は、未だに変わっていない。フクシマも戦争もそうだ。

でも、この映画にはすごい希望もあった。

何度か起きる所内での激しい抵抗運動が、待遇を改善させること。そして、らい予防法が廃止された後、国に謝罪させようと立ち上がる中で、今まで社会の中に存在していなかった者として扱われていた人たちが、その存在を示し、自らを復権させていくところだ。
映画の冒頭で語られる、島比呂志の小説「奇妙な国」もギャラリーで読んだ。本のタイトルになっている最初の短編だけだが。じつはこの小説、今回の「バードフラワー」とすごくリンクしている。

人殺しの連中はいまだにのさばっている。連中は薬をバラまいたり、法律を使って暴力行為を行う。
分断し、差別しながら、金儲けのシステムを作り出す。

けれども、抵抗運動は必ず起きる。
抵抗運動は、まるで免疫力みたいだと思う。

ラプンツェル

2011年03月21日(月) 11時22分
昨夜はシシャモとほうれん草のおひたし、サラダ、味噌汁。一昨日は麻婆豆腐とチャーハン。
雨の中で、沈丁花がひっそりと咲いている。その匂いが大好きだ。

最近、洗い物も楽しくできるようになった。コツは、効率を求めず、食器を愛すること。わが家の食器はぜんぜん高いものではないが、やっぱり愛着がある。この食器たちを可愛がってあげる時間だ。なでたり、こすったり、拭いてあげたり。お椀ちゃん、気持ちいい? え? 気持ち悪い・・・?

あちこちに連絡して、東日本の公演中止を報告。すべて「そりゃ、もっともだ」というご理解を頂き、ほっと胸をなでおろす。ありがとうございます。

一昨日のラプンツェルは、いろんなことを連想してしまって涙、涙。やられた。ディズニーのアニメは、絵のタッチばまったくないCG。物語はやっぱりアメリカンドリームだ。けれども、最初の設定である「外は危険、ここは安全なんだよ」と騙されているのは、まさに今の日本にみえたし、ドロボウたちは反政府運動とまあ考えて、魔法の髪を切るのは、原子力を止めるなんていうふうにも読める。まあ、ホントは読めないのだが、物語の力というのは、巨大資本のストーリイなど、超えていくのだ。「メアリ・ポピンズ」なんて、スゴイと思ってる。このラプンツェル、娘を盗まれた王様はその悲しみで猜疑心の塊になり、民衆を弾圧しているという始まり方だと、もっと物語としてはハラハラ度が増すんだけどな。

映画「牛の鈴音」

2010年01月25日(月) 22時52分
 先週の火曜日、久しぶりにオフ日を作り、十三の第七芸術劇場に行った。
 昔はここの会員だったこともあるが、たしか一回閉館して、今は会員ではない。
でも、このところは元気な映画館なのだ。

 結局観たのは、「牛の鈴音」。韓国のドキュメンタリー映画。
 非常に年老いた牛と、足の悪い爺さんと、口の達者な婆さんが田んぼでずっと働く。
 英語のタイトルは「Old Partner」とあった。
 この爺さんは、牛の食べる草に毒をまけるかと、農薬を使わない。
 牛がいるんだからと、機械を使わない。
 草むしりや稲刈り、牛の世話がすごく大変で、婆さんは始終愚痴と悪口ばかり言っている。
 けれども、牛と爺さん婆さんとは、30年もつきあってきた。

 普通、牛の寿命は15年らしい。それが40歳まで生きた。
 チェ爺さんは79歳、婆さんは76歳。9人の子供を育てあげた。
 その牛が鳴くたびに、疲れきっている爺さんの目が開く。
 爺さんは子供の頃に針治療に失敗し、片足がすごく細い。
 映っている風景も素晴らしい。
 牛は、死ぬ直前まで仕事をしていた。
 最後は立てなくなり、ついに死んでしまう。
 牛が涙を流した。
 でも、これは虐待でも何でもないと思った。

 牛がひく荷車に乗って、田んぼに行ったり帰ったりする。
 そのとき、ラジオから唄が流れている。
 全部ホントにドキュメントなんだろうかと思えるほど、婆さんも爺さんも牛もステキだ。
 ナレーションもない。
 なかなか自然な姿が撮れなくて、マイクをつけてもらって、望遠で撮影。
 結果的に、固定カメラが増えたという。
 監督は1966年生まれ。彼自身、農夫の息子らしい。
 3年以上をかけて撮影。
 韓国で、最初はアート系の7館で公開されたが、全国150館となり、ついには記録的な大ヒットとなったという。
 それもスゴイ話だ。

This Is It―マイケルの殺され方

2009年12月25日(金) 1時20分
 色んな人が良かったと言っているマイケルの映画、やっと見てきた。うーむ、複雑な思い。オルテガはきっとマイケルも普通の人と同じで、謙虚な優しい人だったんだということを描きたかったんだろうけど。私と同じ50歳で、あれだけ踊れるマイケルってスゴイと思い、曲もどれも素晴らしいし、唄もすっごく心にしみる。しかし・・である。

 あの映画にすごく感動した人たち、マイケルのファンたちに袋叩きにあうことを覚悟して書こう。私にはとても淋しい映画に思えたのだ。

 途中でマイケルが「怒ってないよ」というシーンがある。きっとすごく怒ることもあったんだろうと思う。その怒るところが見たかった。あまりに大人しいマイケル。言われるままとは言わないが、あの演出で満足していたんだろうか? スリラーで大スターになった彼のことだから、スタッフの力のすごさはきっとよくわかっているだろう。けれども、圧倒的な物量的演出に囲まれて、マイケルはなんだか小さく見えてしかたがなかった。その中で、あまりに謙虚に演じているマイケルに涙が出た。あれだけの技量を、華を、テクニックと体力、歌唱力とダンスを持っているマイケルが、私には小さく閉じ込められている気がした。もっと正直に言えば、ひょっとしてタカラレテイルノカモシレナイとさえ思えてしまった。

 最高の舞台を作るためには、恐ろしいこだわりが必要だろう。気配りだって必要だし、同時にケンカも必要だ。この映画にはケンカが排除されている。映画はなにかを排除して成立する(作品とはそういうものだ)。クビになったスタッフやダンサーの話は出てこないし、切れるマイケルは出てこない。オルテガと議論するマイケルもいない。冗談がヘタな、生真面目で謙虚なマイケルがいるだけだ。マイケルが発する言葉にしても、私にはマイケル自身の言葉にはあまり聞こえなかった。「環境」も含め、どこかで聞いたような誰かの言葉に思えてしまう。オルテガの言葉なのか。いや、べつにオルテガが悪人だとまでは言わないが。私にはやっぱりマイケルは殺されたと思えてならない。そして、死後にまた殺されているような気がする。

 ただ、この映画を見る限りでは、不思議と腹が立つことはない。いろんなことを、マイケル自身が許しているような気もする。それが究極のエンターテイメントということなのか・・・。私にはまだよくわからない。

映画「チェインジリング」

2009年03月19日(木) 1時48分
 長崎駅のすぐそばに、夜遅くまでやっている映画村(何て言うんだっけ?)があって、出張したときによくそこで映画を見る。客はいつも少ない。今回はクリンスト・イーストウッド(監督)のこの映画。ヘビーな映画なんだけど、よかったー。イーストウッドの映画にはハズレがないかも。冒頭の映像と音楽だけですっと入っていける。ウキウキハッピーな映画じゃない。でもしっとりと、じっくり見れてスバラシイ。
 ラストの字幕で、イーストウッドが「音楽」ともなっていてびっくり。ブルースの映画を撮ったりしている位だからなあ。もちろん、作曲や演奏じゃないのかもしれないが。映画そのものが音楽的なんだろうか。音楽が記憶に残るわけじゃなくて、役者の涙顔とかが印象的なのは、後味としては少し薄いのか。
 たぶん一番信頼できるのは、彼の揺るがない立脚点なんだろう。これは役者でもそう思う。荒野の用心棒からダーティハリーまで、立っている場所が信用できるのかもしれない。色んな映画、どちらかというと変わった映画が好きな方なのだが、いつしかこういう映画が好きだと言えるようになっちまった。年のせい? ドカンとかギュイーンとかいう衝撃音もなく、すごい速さで動くカメラもない。それがうれしい。
 パンフレットをチラチラ読むと、オーディションはあまりせずにビデオですぐに決めてしまうらしい。それと、少ないテイクで撮ってしまうらしい。そういうところもなぜかうなずける。それでいて、役者がすごく自然で生々しい。だからこそ、かも。そして、だからこそ、映画なのか。こういう映画を見ると、舞台はどれだけ人工的かと思う。ただし、他のほとんどの映画については、あまりに人工的で舞台の方が生々しく思うのだ。

 大岡昇平「野火」。風邪で体調崩しつつ読んで、強迫的に面白かった(最後は人肉を食う)が、フィクションということを考えると、もっと面白いものはありそう。スタンダールやカミュを読みたくなる。プルースト「失われた時を求めて 第一巻 スワン家の方へ」。あまりに甘美な文章。まるで源氏物語。時間を置いてから続きを読む予定。ベルグソン「時間と自由」。主観的な感覚を客観的な尺度で測るのはおかしいという論だが、理屈ばかりでウンザリ。それが哲学か。そうそう、朝田次郎「中原の虹」はダメだった。4巻もあるくせに、4巻目で作者はたぶん放棄したんだろう。まるでマンガの連載打ち切り。

ブッシュに靴を投げろ!「華氏911」

2008年12月21日(日) 22時06分
ブッシュが投げられた靴をよけるニュースを見て、結構反射神経がいいなあなどと思っていたのだが、そういえばまだ「華氏911」のDVDを見ていなかったことを思い出したのだった。ムーアの映画は「ボーリング・・」も「シッコ・・」も素晴らしく、数少ないコンテンポラリーで惚れている人だ。

まあ、ナント素敵な映画なんだろう。これだけヘビーな内容でありながら、涙をそっと横において、ユーモアさえ交えながら批判的に描いている。こういうスタンスが果たして日本映画に撮れるだろうか? たとえば沖縄のドキュメントを誰かこんな風に描けるか? 原爆を描けるか? 恨みと悔しさ、涙と怒り、もちろんそんなこともたっぷりあるのだが、ムーアはボソボソと語り続ける。そして、たんなる皮肉にもペシニズムにも陥らない。そして、どちらかという右寄りの人たちを自分の味方につけてしまう。決して全否定をせず、被害者意識だけで終わってしまうことなく、戦いの方法を模索する。

ムーアの戦い方は、「階級闘争」ではない。もちろん民族闘争でもない。世界が少なくとも理念的には一つになった上での、戦いのあり方を示唆しているように思える。闘争は敵の全否定から出発することが多い。けれどもムーアは完全な全否定をしない。「階級闘争」とはまったく違う闘争がここにある。ひょっとすると、「文化闘争」みたいなことになるのかもしれない。「拝金主義」というのはお金というのをゾンザイに、たんなる量的に考えることから生まれたと私が思うのだが、そのようなゾンザイさとの文化的な戦いなのだ。

なにしろ、映画としても実によく作られていると思う。そのカットのつなげ方、音楽の入れ方、パロディのやり口、2度ほどある長い暗転、効果的な音楽と音楽の否定。たぶん記号論的な批評をすればその切り口はいくらでも見つけられるほど映画的手法としても豊穣なはずだ。無理やり残酷さで物語り的に盛り上げつつも、劇的手法としてはいかにも貧相なステレオタイプでしかない日本のある種の作品群とは全く違う。
また、私自身、楽市楽座で「NIPP憂歌(ニッポンブルース)」というドキュメンタリーな構成劇を目指したものがあったが、ぜんぜん説得力が違う。なぜか。ムーアは普通のアメリカ人の立場を崩さないからだ。普通の視点が普遍の視点であるとしている。劇作術としては共通の部分がたくさんあって、自分も捨てたもんではないなと自負するのだが。

もっとも、ブッシュに靴を投げること、それもまた、とてもエレガントな文化的なやり口だ。大いに笑えることじゃないか。集まっていた記者たちが、我も我もと靴を投げていたらどうなっていただろうと夢想する。言葉が届かないとき、靴を投げるんだ、よっしゃエエこと教えてもろたで。それはテロなんかとはぜんぜん違うのだ。就任式で歴代たった一人、卵を投げつけられながらホワイトハウス入りしたブッシュにふさわしい。

ところで、日本はどうなる? 「有事法」「盗聴法」「マスコミ規制法」、すべて簡単に成立し、イラクに派兵し、輸出産業を振興させ、金融を保護し、ブッシュ政権をずっと支えてきた日本なのだ。その間にいじめが増え、引きこもりやニートが問題化しているのが日本なのだ。肝に銘じておきたい。

「銀河ヒッチハイク・ガイド」「デッド・マン」「草間彌生」

2008年03月24日(月) 0時19分
「銀河ヒッチハイク・ガイド」DVDを購入して見た。ダグラス・アダムズ原作、ガース・ジェニングス監督。HPでマンガを公開しているユミ風呂さんお勧めのSF映画。ドタバタコメディなのだが、どことなくカート・ヴォネガットの匂いもする、まっこと面白い映画だ。開いたり閉じたりするたびに「ため息」をつく宇宙船のドア、ずっと落ち込んでいるロボット(ディープ・ソート→深い悲しみ)など、ユカイなネタがいっぱい。物語は宇宙ハイウェイのために地球が立ち退きにあっているにも係らず、地球人はそれを理解していなくて強制立ち退き、つまり、爆破されてしまうということろからはじまる。スゴイ〜!小説もあるらしい。読んでみたい。考え事をすると砂に隠れているハエ叩きが顔を叩くなんていうのはすごい皮肉だが、あれは禅を意識しているんじゃなかろうか?

「デッド・マン」DVDを購入して見た。ジョニー・デップ主演、ジム・ジャームッシュ監督。寺門氏の推薦。気の弱い会計士のジョニー・デップがお尋ね者として追われ、次第に殺人を重ねていく西部劇。静かにキョーレツ! モノクロの画面がシブイ。ジム・ジャームッシュは「ストレンジャー・ザン・パラダイス」と「ダウン・バイ・ロー」を見ているが、「ダウン・バイ・ロー」はいつか舞台でもできるんじゃないかと思ったことがある。まあ、しないけど。というより、台本てこんなふうに流れていっていいんだよなあと関心したのだ。今回もそうだ。ニール・ヤングの音楽がまたすごくいい。そしてそして、ジョニー・デップ最高! この人をどんどん好きになっていく。「シザーズ・ハンズ」から見ているんじゃないかと思うが、最初にうわすごいと思ったのは「レジェンド・オブ・メキシコ」だったと思う。それから「チャーリーとチョコレート工場」や「ショコラ」や「ネバーランド」そして「スウィーニー・トッド」などを見てきた。この人の演技は歌っている。それと、なぜか色んなコスチュームやメイクが似合う。「デッド・マン」でもインディアンに顔にメイクをほどこされるが、これが実にいい雰囲気を出す。

「草間彌生〜わたし大好き〜」本日見て来ました! じつにじつに素晴しいドキュメントで、たくさんの勇気を頂きました。昔から知っているし、昨年だったか、京都での大きな展覧会も見ているし、宮崎では巨大ハイヒールとかオブジェとか見ているんですが、とくに最近の作品はポップすぎてどうもしっくりこなかったんだけど、この映画でずっと描いていたドローイングは素晴しく、なんといっても彼女自身の大らかなたくましさは圧倒的でした。私なんか・・・いや、私も自分が大好き! そう、ガンガン主張して行こうと思いました! 昨日、彼女の誕生日(79歳?)だったようですが、本日はわが金魚姫ことキリコの誕生日。奇しくも赤いズラつながり。彼女にもガンガンやっていって欲しいと思います。おめでとう、キリコ!

スィーニー・トッド

2008年01月23日(水) 1時03分
 ティム・バートンとジョニー・デップのコンビ、やっぱり好き。ここ数年この二人の映画だったらほぼ確実に見に行っているかもしれない。とんんでもない物語なんだけど、私はラストに涙してしまった。ただの残酷ホラーで終わらないところがさすが。全編正統ミュージカルというのもいい。暗いけど、ユーモアもたっぷり。「チョコレート工場」もかなり皮肉がきいていたけど、こっちはもっとストレートだ。

 それにしても血が熱いなあ。これは、ロンドンでのフランス革命ギロチンかも。海辺での暮らしへの憧れ、そして、ラストの燃える炎! この映画の本当の主人公は、トッドをサポートするミセス・ラベットじゃなかろうか。その屈折した平凡さがたまらない。

 ただ、映画としては、ひょっとすると失敗かもしれない。シナリオうまく書きすぎか? うまくというのは、上手にそれまでの状況をまとめすぎているような気がする。これは「I AM LEGEMD」でも感じた。こうゆう書き方、舞台ではよくする。一つの場という制約の中で以前のことを説明するためで、逆に戯曲では一つの場でまとめるほどいい場合が多いのだ。でも、映画は映像としてきちんと出てきてしまうので、なんか違う気がする。チョコチョコ過去を説明していくのはやめて欲しい。退屈だ。話が見えすぎる。

 もっとミセス・ラベットの視点でまとめていたら、ずっとスゴクなっていただろう。この物語の中の、彼女の存在は大きい。もう少しギラギラと演じて欲しかった。できたら、もっと太っていて欲しかった。肉屋のおかみさんみたいに。胸は強調されていたけど、顔が美人薄命すぎる。ルノワールの「黄金の馬車」の女優みたいなのがいい。

 舞台と映画の違いは、舞台が場の制限を持つ一方、映画が(興行的に)時間的制約を持っていることなのか。たぶん、それぞれそれが生きてくることなのだ。映画は膨大なフィルムを編集して、エッセンスから想像させること。もちろん、イマジネーションなくしても十分理解させた上での話。

 あ、それと、デップの演技はかなりカブキだと思うんだけど、カブキとか狂言の役者がこの役をやるとどうなるんだろうかとかも考えてしまった。デップの演技って、たぶんそういうスタイルなんじゃなかろうか。

 いやあ、生意気ですね、わたし。すいません。

映画「卒業」

2007年07月18日(水) 0時03分
 何年かに一度見ることにしている「卒業」。
 見るたびに、受ける印象が違う。



 中学2年ではじめて見たときには、とてもついていけず。
 2本立ての「フレンズ」は、まだ子供といっていい若い二人が出産までしてしてしまうという健康的な物語だったのだが、そっちの方がずっと良かった。
 キャサリン・ロスのことを、ほんとに好きなのかどうか、疑問だった。
 あんなの、うまく行くかなあ、と。

 次に見たのは20代後半。
 ラストシーンがせつなくて、いい映画だと改めて知る。
 サイモン&ガーファンクルの音楽も最高だし。
 文句のつけようもないほどすばらしい。
 たぶん、これは一般的な反応か。
 同時に、不思議なシーンが多いと思った。
 最初の歩く歩道?とか、コンベアでやってくるカバン。
 プールに潜るシーン。
 大学の噴水。
 この映画は、言葉にできないようなことを、ずいぶん描いているのだ。

 40になったころに見たら、オバサン(アン・バンクロフト)に思い入れしてしまう。
 泣けて、泣けて・・・。
 それと、二十歳くらいのオトコのサガとのシンクロに妙に思い入れできる。
 この映画ってスゴク深いなあと改めて思い、それから10年後にまた見ようと思った。

 で、48の今、また見た。
 今までダスティン・ホフマンが美しいなんて思ったこともなかったのに、
 美しい・・・
 若いオトコの美しさというべきか。
 こんなことを感じる自分にも驚くが。

 若いというのは、ひょっとすると何でも許されてしまうんだなあ。
 自分の彼女の母親とできてしまっても、その彼女への思いを変えずにとげることができたりする。
 それってスゴイことだよねえ!

 あの濃いヒゲあと、太い首、低い背丈。
 ちっとも2枚目ではなく、むしろコメディアンに近いダスティン・ホフマン。
 じつは「真夜中のカウボーイ」は、私のもう一つの映画ベストテンに入るわけで、そうなるとほとんどダスティン・ホフマンのファンなのかもしれないのだ。
「卒業」の彼は、ほんとにステキ。美しい。ストーリイだって、ストーカー的なのにね。
 特に、プールの彼は、そのためにあったんだ。
 オスギのピーコだったら、「若いオスを感じるのよ」と、きっと言うのよ。

 でもね。オトコとオンナの魅力って、実はあんまり大きな差はないと思うのヨ。
 男らしいオンナって、ステキだし。
 繊細なオコトくらい魅力的なイキモノはないの。

台風と「北斎漫画」と「台風クラブ」

2007年07月14日(土) 10時40分
台風が来ている。
大阪はまだまだ普通の雨なのだが、だんだん近づいていると思うと、少しワクワクしてしまう。
土砂振りの雨が大好きなのだ。
たまには、傘もささずに雨の中を走ったりしたいですね。
最近は、バラシは必ず雨が降りますね。グチャグチャになって楽しいね。
遠い先祖はきっとカッパです。

新藤兼人監督の「北斎漫画」という映画の中で、北斎を演じている緒方拳が、夕立の中を何度も「ウオー!」と走る、走る。



今思うと豪華キャストで、西田敏行やフランキー堺はもちろん、田中裕子と樋口可南子が脱ぎまくり。
とくに田中裕子が絶品じゃった。たぶんデビューまもない頃だったと思う。
愛川欣也とか、宍戸錠、もちろん新藤監督レギュラーの殿山泰司と乙羽信子。
樋口可南子が大ダコに犯されるシーンもすばらしい。
馬琴の西田敏行が妻の音羽信子の目を盗んでは、便所の中なんかで本を読むところもいい。
(彼は下駄屋に婿入りし、シコシコ物書きをめざしているのだ)
もう、最高の傑作だった!
新藤監督はまだ生きている。100歳だっけ?

それなのに、どうもDVDはないようだ。なぜ???

あと、相米慎二監督の「台風クラブ」もよかった。
こっちは工藤夕貴。びしょぬれの彼女、よかった。
相米監督はもう亡くなってしまった。
長回しのいい、大好きな監督だった。

子供の頃は、台風といえば停電だった。
停電の中、親父たちが隣の部屋でマージャンをしていた。
私はローソクでなんか興奮して勉強してた。
(勉強好きな、子供だったのだ)
朝になると、団地のでっかい木が倒れていた。

大阪のボロアパートでは、雨が漏ったこともある。
野外芝居のときは、あったかな?

「台風の目」というものがあるという。
強烈な雨と風が、台風の中心ではピタ〜と静かになってしまうという。
その存在を知ってから、ずっといつか台風の目に入るという体験をしてみたかった。
結局、入っていない気がする。。。
ひょっとすると、今夜あたり「台風の目」を初体験できるかもしれん!
ううむ、今夜は徹夜じゃあ!(台本なのだ)
フレ、フレ、タマフレ!
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