もうすぐ戦争がはじまる

2012年11月24日(土) 0時45分

もうすぐ戦争がはじまる。昨日、そう確信した。
きっかけは、反原発紙芝居をやりに行ったカフェ「土」で見かけた「戦争のつくりかた」という絵本だ。これが一昨日。
ほんの15ページほどのもので、数分で読めてしまう。この日本で、どうやって戦争がはじまっていくかを実に簡単にまとめている。
これはウェブでも読むことができる。
http://smile.hippy.jp/ehon/index.htm

その中に、戦争をやりたい連中がはじめることは、今の憲法9条の改正とある。
これは、今回の選挙にあたり、自民党はすでに憲法改正を公約に入れた。
改憲をやりやすくする方法まで考えている。これを知ったのが昨日。
石原や橋下は最初から主張している。
もちろん、民主党や公明党もOKに決まっている。
今度の選挙で自公民と第3極のどこが勝っても、9条改正へと動くのは変わらない。
大手マスコミは、連中以外はほとんど報道しない。原発事故報道と同じく、ほぼ報道規制が働いている状況だ。
今回の選挙で、日本の戦争への道が開かれる。

「戦争のつくりかた」には、マスコミが政府の言うことだけを報道するようになるとある。
これは、原発事故報道では、まったくその通りになった。
原発が一部の利権者を潤してきたのと同じ構図で、原発事故もまた一部の利権者にはごっそり儲かる。瓦礫処理とか、除染作業とか。
トラブルは儲かるのだ。
そして、連中が一番儲かるのは「戦争」なのだ。
同時に、原発事故により明るみに出てきた利権ムラ構造や、安全神話、自分たちの大きな失敗や責任から逃れるためにも、戦争が一番手っ取り早い。
同じく、アメリカ軍需産業にとってもおいしい話だ。石原が尖閣を東京都で買い取るという談話を発表したのは、アメリカ軍需産業コンサル会社のもとでのこと。

今のままなら、世界経済のトップに中国が立つことは目に見えている。
日本の外貨も大きい。
日本と中国がやりあうことになれば、こんなにアメリカにとっておいしい話はない。
そこに今回原発事故によって損失と不名誉を蒙った日本の権力が合意した。
アメリカは、日本と中国がドンパチやった後に、のっそりと現れて仲裁する。

すでに尖閣領土化によって、火種は振りまいている。
こいつは連日のように報道されている。
すでに自衛隊は武器携行での海外派兵も行った。
自民党の総裁選は、まるで日本リーグの決勝戦のように報道された。
選挙の話題は、自公民か第三極かの一色で報道されている。

日本の中枢は、どうやら決心したらしいのだ。
「戦争をしよう」と。
だから、選挙をする。
もう原発なんていう争点はカクレミノにすぎない。
こいつは戦争選挙だ。

もうすぐ戦争がまじまる。
ひどい話だ。
どうしたらいい?
できれば私のたんなる妄想であって欲しい。
津波や地震よりも、ずっと恐ろしく、醜い戦争。
人類の最悪の習性。

伊江島公演を終えて再び読谷

2011年12月07日(水) 1時55分
伊江島公演は、客入りはボチボチだったのだが、私たちにはとても意義深いものとなった。

伊江島は戦争末期に激しい戦闘があったところだ。日本軍が軍事飛行場を作っており、それを米軍に奪われないために自ら破壊、それでも米軍は大挙してやってきた。島民は棒切れを持たされて戦いに狩り出された。また、鬼畜米兵の洗脳も受けていた島民は、捕らえられれば酷い仕打ちを受けて殺されると信じ、また自決をも強制された。

かろうじて助かった冬眠は、米軍に手厚い保護を受け、食料や医療まで提供されて喜んだ。しかし、島の家は一つ残らず焼かれ、生えている草さえなかった。今も生えているマメ科の草は、その後に緑を復活させるために種を撒かれたという。
親切に思えた米軍だが、その後、島は基地化され、島民の多くが土地を強制的に奪われる。その保証金さえ支払われず、生きる手段を失い、いくら行政に働きかけてもラチはあかず、阿波根昌鴻さんたちは沖縄本島を伊江島の事情を訴えながら、徒歩で放浪していく。この阿波根昌鴻さんこそ、生涯に渡り沖縄で反戦運動を続けた、日本のガンジーと呼ばれる人だ。伊江島に平和資料館「ヌチドウタカラ(命こそ宝)の家」を作り、岩波新書も2冊ある。

今年の私たちは福島原発事故についてずっと考える旅でもあったのだが、その思考の最初にあったのは、じつは沖縄の基地問題だった。基地も原発もその根は同じだと思ったのだが、この阿波根さんもまったく同じことを考えている。沖縄を旅しつつ基地について考え、この伊江島でさらに阿波根さんに学び、基地から原発を眺めることで、またちょっと色々と明確になってきた気がする。

つまり、マスコミをも抱き込んだ、国家的利権の暴力なのだ。「クリーンで安価なエネルギー」「核の平和利用」「絶対安全な原発」「過疎からの脱出」など、嘘で塗り固められた原発。それは、その土地に住む者たちを分断し、結果的に原発なしではやっていけないようにしてしまう。基地もまったく同じだ。「極東の安全(中国や朝鮮の脅威)」「日本の防衛」「日米友好」「基地産業の潤い」など。そして、問題は沖縄という限定された地域だけの問題として扱われ、そのほどんどは内地では報道されない。大量の税金を使い、一部の企業が儲かる利権構造。国家政策の顔をしているが、マスコミが、金融が、大企業が癒着しあい、都合のいいように政策や法律をコロコロ変えるのだ。彼らは金儲けをしているだけではない、かならず犠牲者が出る。その犠牲者は国内だけに留まらない。

そして、これはここ一国の話ではない。日本の大企業が日本のためにあるのではないように、日本政府も日本国民のためにあるのではない。彼らはいわば国際マフィアなのだ。だからこそ、TPPもやりたくてしょうがない。
今や自由も民主主義もお題目にすぎない。腐敗した教団みたいなものだ。

沖縄基地にしても、アメリカ国内でも必要ないという意見がある。軍の膨大な経費は、今、アメリカをボロボロにしている。「戦争をする国は、戦争によって必ず滅ぶ」と阿波根さんは言う。阿波根さんは、大戦時に私たちはあまりに命を粗末にしたと反省し、そこから「命こそ宝」という思想にたどりつく。

そういえば、伊江島の公演地は色んな命があった。TAMA体験ハウスというところだったのだが、沖縄で「民泊」というのをはじめた方の私有地。毎日全国からの修学旅行生たちが立ち寄る場所だった。そこにはヤギがいて、ポニーがいて、ハブがいて、ヤシガニがいた。アゲハ蝶の産卵も目撃した。パパイヤが木になり、ドラゴンフルーツが大きなサボテンになっていた。ハブが飛ぶそうだ。ヤシガニはイセエビより美味しいというが、食べているものによって身に毒のあるものがあり、それは茹でたものにハエがたかるかどうかで見極めるらしい。山の中で水を見つけたとき、飲んでいいかどうか見分けるのも、ボウフラがいるかどうかだとのこと。萌はポニーに乗せてもらった。楽屋テントに小さなヤモリがいた。小さな戦争資料展示もあり、サトウキビから砂糖を手作りで精製する工場もあった。いたるところに、ブーゲンビリヤやハイビスカスが咲いていた。伊江島は農業も盛んで、ほぼ中央に立つ城(グスク)山は、別名伊江島タッチューというのが、その頂上からは美しい畑が伊江島を覆っていた。その西の端には、まだ米軍基地が残っている。この山は、島よりも7000年古い地層が突き出しているもので、世界でも珍しく、山頂は岩だ。

毎日のように学生を連れて見に来てくれた方の話では、子供の頃には水道も電気もなかったいう。毎日水汲みをし、ランプのホヤも磨いたそうだ。2日目には、地元のオッサンたちが飲みに連れて行ってくれた。葉たばこを栽培している人、漁師の人、電照菊を作っている人など。お互いに喋っている言葉は、私にはさっぱりわからなかった。その店では、泡盛の水割りにブラックコーヒーを少し垂らしてくれた。

さて、今は再び読谷(よみたん)で、残波(ざんぱ)岬である。岬にある結構広い公園だ。ヤギとウサギがたくさんいて、私たちが到着したとき、雄ヤギ同士が戦っていた。一度後肢で高く立ち上がり、倒れ込みながら、角をガツンとぶつけ合うという激しいケンカだ。しばらくして、片方が血を流し、それでも続く。沖縄では闘牛が盛んだが、そのほかに闘鶏、そしてヤギをケンカさせるものもあるらしい。

木曜からの公演だが、土曜日には「きとね市」という市が立つ。いろんな屋台が130店ほど並ぶという。「アンチ・スーパーマーケット」という冠もついている手作り市だ。これは内地から移住してきた人たち(こちらではナイチャーという)が中心になっている。この日は、私たちも祭バージョンで、1時間ごとに上演するし、反原発紙芝居もやる。さすがに沖縄も冬で特に夜は寒く、風が強い。野外劇としては、だんだんとキツイ。

そして来週は高江だ。ここは米軍基地再編におけるヘリパッド(ヘリ発着所)工事阻止の座り込みを続けている真っただ中。このヘリパッドはオスプレイという垂直に離陸できる戦闘機が配備されることが明らかになり、その轟音と危険性は大きい。基地面積は縮小されるが、内容的にはより拡充される。地元の行政はすでに認めてしまっており、もとから住む沖縄人(ウチナンチュー)は声を上げることができない。声を上げればコミュニティから疎外されてしまうからだ。おそらく、今の福島でも同じ状況だろう。

私たちの上演は、座り込み支援ではなく、あくまで座り込みへの参加である。米軍基地を拡充していくことは、地元の人たちだけの不利益ではない。日本の不利益であり、世界の不利益だ。そこでは人殺しの訓練がされるのだ。かつて高江では南ベトナムの若い兵士も訓練を受けていた。高江は山の中の基地で、ジャングル戦を想定した訓練を行なっている。沖縄米軍基地は、世界の米軍基地の中でも最も最前線のための訓練基地なのだ。兵士たちにとっても、オキナワ行きはもっともキツイと言われる。オスプレイが配備されれば、この高江から伊江島へと飛んで行くことになるだろう。

その高江の次が金武町。昨年と同じアクティブパーク。今日、スーパーで買い物をしていたら、去年3回見ましたという人がいて、読谷に来れなかったら金武町で見たいと言っていたが、ここもまた、キャンプハンセンという基地のゲート前の歓楽街で、米兵相手の飲み屋街だ。円に対してドルの価値は低く、1ドル札が70円程度で、米兵の投げ銭もほとんどないが、時々当巻きに見ていく米兵もいる。ここはドルで焼き鳥が買えたりもする。先日、下見に行った時、その公園のヌシでもあり、連日客席で「ガンバレー!」と奇声を上げ続け、後半は酔っ払って寝ていた、フィリピンの血が入っているというOさんと出会った。珍しくシラフだった。もう一人、血縁を米兵に殺されたと告白してくれ、売店でオレには酒を売ってくれないから買ってきてくれないとちょくちょくテントに来てはタバコ一本とかせびられたTさんは、今年亡くなったという。まだ真偽のほどはわからないが。ある店のママさんからは、戦場に行った兵士の心の傷の深さを聞いた。どこか大阪の新世界とか、新宿ゴールデン街と似ているあの街がけっこう好きなのだ。

これは今思いついたのだが、この人間世界の暴力は、ヤギやウシやトリの雄たちの戦闘意欲の延長にあるのは確実なことだろう。競争する生命として、オスは存在するかもしれない。しかし、それが群れのボスに従い、利権に群がり、子供たちの犠牲者を顧みないような社会、そんなオスたちの群れはもうオスでも何でもない。それは恥ずべきジジイたちのネットワークなのかもしれない。そして、そこにつながりたいと思う、思想的独身者たち。

非実体経済(マネーゲーム)の現代

2011年07月15日(金) 0時47分
阪神淡路震災の時、これは人災だと思った。日本は間違った道を進んできていると感じ、いろいろ調べて「NIPPON憂歌(ブルース)」という芝居を作った。そのとき、実体経済に対し、非実体経済は約20倍の規模があると知って驚いたのだが、たぶん今はもっと進んで30倍とか50倍になっているに違いない。

なにげなくラジオでニュースを聞いていたら、株価が1万円を超えたという、そして本日の東京証券取引所での取引高は18億株だという。ということは、18億×1万円で、18兆円の株取引が日本で行われたことになるに違いない。
これを1億の人口で割ると、ナント一人18万円も株をやっていることになる。赤ん坊も年よりも含めてだ。一人万円だって今どきけっこうな身分だ。

で、調べてみたら、世界の為替取引(円とかドルとか)の取引量は、一日平均372兆円。世界の人口は約70億人とすると、一人一日5万円以上の為替取引している。ちなみに、世界の一日平均所得は1600円らしいから、ざっと30倍。

所得人口が果たして未成年や失業者まで入っているかどうかわからないが、少なくみても、非実体経済は実体経済の30倍とか50倍、場合によっては今100倍あるのかもしれない。
しかも、経済というのは、ヒトの社会行為全体を考えれば、お金のやり取りが発生しないものもたくさんある。家事労働が典型的だが、山の維持だとか、ボランティアとか地域活動とか、芸術家とか、みんなそれぞれ立派な労働だし、社会のために汗水たらしている。

ところが、マネーゲーム経済が圧倒的な力を持つのが現代なのだ。自民党とか原発推進者が「今の日本の豊かさ」という場合は、たぶん、このマネーゲームをさしている。そりゃ、圧倒的な金額で、汗水たらす方など、もはや経済とは言えないくらいだ。というより、マネーゲームは実体経済を破壊し、自然や社会そのものを破壊している。

もともとこれらのマネーゲームは、実体経済の潤滑油として発達してきたものだ。銀行など典型的で、実体経済を支える役割を果たしてきた。しかし、この圧倒的な非実体経済の占める割合をみると、世界中でいうなれば本末転倒といった事態が発生してくる。株取引や配当、利子や国家予算の分配(私はこれもまた非実体経済だと思っている)のために、ちょこちょこっと実体をいじくることになる。本音を言えば、それはどうでもいいのだ。

だから、原発にしても、電気のためというのは口実で、圧倒的な非実体経済という利益のために作られたといえる。復興や事故処理もまたそうで、彼らには現実などどうでもいいのだ。思考の99%は、今持っている株や権利をどうやったらうまく維持、もしくは切り抜けられるかに関心が向く。1%からこぼれ落ちたら、私たちと同じ99%の実体経済の側になってしまうのだ。仮の単純計算だと、一人あたりの富は1万分の1以下になるのだから。

しかも、これは勉強不足で明確ではないけれど(取引したことがないので)、どうも株とか為替の購入には、消費税もかからないようだ。取引手数料が発生した場合のみ。だとすれば、実体経済から税金を吸い上げ、非実体経済においては税金を無視して自由に金が動くということだ。
本来なら、ここにこそ税金をかけるべきではないのか。米を買うのに税金を払い、株を買うのに税金がかからないというのは、どういうことなのだ。

たぶん、この非実体経済は、高度成長期あたりからジワジワと勢力を増し、道路網を作り、大企業を肥やしてきた(1980年、1:9。これが2000年には逆転)。公務員や大企業の退職者たちは、その恩恵に預かることができたが、これからはそれも危うくなっている。非実体経済は現実とは違い、想像上のイメージで金が動く。大きな金が動くたびに現実は大打撃を受けるが、空想世界に生きている彼らはイメージを傷つけられたと怒り、ちょっと金を失うだけだ。

なにしろ、99%の富があるのだから、皆がそれに群がる。なんとかそこにぶら下がろうという競争社会が、自由な社会の本質だ。私は、民主主義というのもすでにその本来の理念よりも、実体経済から非実体経済への吸い上げと統治のシステムにしかなっていないと思う。

これは実に困ったことだ。とくに、この原発震災の危機においては。たぶん彼らは、日本のイメージを守るために汚染食品や汚染物質をばらまき、「たいした被害は起きなかったでしょ」(多少の被害は出ても)ということにしようとしている。一部に集めて明確な被害が出る方が、イメージが悪いのだ。彼らはチェルノブイリもたした被害はなかったと考えているのだし。
そして、そんな彼らにぶら下がる政治家や企業、行政、マスコミ、学者、あらゆる成り上がり願望者たちが、支配欲剥き出しで私たちに相対する。この中間層たちが、1%を支えていてタチが悪い。原発はそうやって成り立っているし、米軍基地もそうだ。

この社会を変えるためには、武力革命しかないのか。この1%とぶら下がりを全員消してしまえばいい、そういう発想をしたのがポル・ポトだろう。けれども、それは殺伐とした社会にしかならなかった。暴力革命でどうにかなるものではない。
どうすれば、この世界をひっくり返せるのか。そして、それ以降の世界はどうするのか。シューマッハは一つの提案として、企業の株を地元地域の委員会が半分管理するということを言っている。企業はその活動を全て公開とし、その代わり法人税を取らない。そのことで、企業の利益主義を抑え、社会的責任を明確にしていこうというものだ。しかし、これはまだマネーゲームが存在しなかった時の提案だ。

もっとも必要なのは、価値の転換だ。金銭的富の価値より、もっといっぱいの価値でこの世界を満たすこと。これは明確なことだ。それが現行のシステムを無効にしていく。そんな流れがこれからもっと大きくなっていくだろう。ひょっとすると、この原発事故をきっかけにあまりに急激に変化するかもしれない。

・・・しかし、マネーゲームそのものが一気に崩壊する可能性もある・・・。アメリカでは、すでにドルが紙切れになることを防ぐため(ドルが紙切れになることを見越して?)、金持ち以外の金銀の取引を、明日(7月15日)から禁止する。
・・・1929年の大恐慌では、大量の失業者が溢れ、世界に飛び火、世界的な不況でブロック経済となり、ファシズムが台頭、第2次大戦となった。

必要なことに、もう一つ加えておこう。国家を心情的に応援してはならない。警戒はすべきだが、応援するべきではない。国家というシステムは、弱者のためにあったためしがない。口先だけだ。

共同幻想試論

2011年03月31日(木) 1時42分
この際だから、考えてみよう。原発の問題は、国家とは何かを考えるいいチャンスだ。

国家というものを「推進力」として、明治以来「追いつけ追い越せ」をやってきた日本。そのこと自体は世界中も同じだと思うが、遅れてきた国家として、日本は世界の中でかなりがんばってきたし、だからこそ戦争にも突っ走ったし、戦後の今もある。それがつまり官民の一致協力というやつだ。ACがしきりに繰り返す「みんなで頑張ろう」というものでもある。それはついつい美しい言葉にもなりうるが、大企業と政府が国民をひっぱる言葉だったり、企業の幹部が社員をひっぱる言葉だったりすることが多い。これが、「推進力としての国家」。アメリカという国は、「誰でも成功できる」というアメリカンドリームを基盤にしている。英語も日本語も、夜中に見る夢と希望の夢とは同じ言葉だが、それは、どちらも幻想ということでもある。人は幻想なしには生きていけない。そして、その幻想が国家や企業に投じられる。しかし、そんな大きなものに幻想を投じる必要があるだろうか。もしくは、そんな大きなものに幻想を吸い上げられたいだろうか? じつは、福祉制度というのも、それがないといい人材が葬られてしまうとか、不平不満があまりに大きくなって先に進めなくなるというのが大きな理由で、私は推進力としての国家の役割だと思う。

次に、法治国家という側面。財産を守ったり、悪人を懲らしめてくれたり、外敵から守ってくれたりという国家だ。安心国家。今の情報操作にしても、「社会を守る」という名目で行われている。犯罪を取りしまり、死刑を行うというのは、ある意味、暴力に対抗するための暴力装置ということでもある。この暴力装置は、大きな安心のためにはどんどん大きくなる。大きくなればなるほど、暴力装置であることはだんだん見えなくなり、ソフトなシステムに見えてくる。もしかすると、死刑にしなくてはいい人を死刑にしたり、自分たちに都合が悪ければ、つぶそうとする。今日、上関原発工事では、反対運動をする島民に一日70万円の罰金の支払いが地裁の判決として命じられた。これなどは最たるものだ。長い国家の歴史を持つところでは、国家が悪いことをする可能性をよく知っているので、国家監視システムが作られているが、若い国家ほどそれは未熟だ。そして、アメリカや日本は若い国家だ。法律がまだまだ練られていない。

もう一つは、愛される国家。つい数百年前までは、日本という国家は存在しなかった。日本というククリができたのは明治以降だ。江戸はその過渡期で、ここを起点にしてしまうと、北海道や沖縄は日本ではなくなってしまう。もっといえば、いまだに過渡期かも。しかし、国家が国家としてまとめられるためには、国民意識が必要である。これを愛国心という。誰でも郷土愛は持っている。だから、国家はその領土をほめたたえる。そこが、国民の生活の場だからだ。そして、それは常にシンボルをともなう。愛されるべきシンボル。野球チームが自分たちのユニフォームを作ったり、リーダーを作ったり、マークを作ったりするのとまったく同じだ。日本では、これは天皇ということになり、国民のアイドル(偶像という意味)だ。選挙で選ばれた人は、しばしばアイドルの座からは失墜する。じつは、そういう合理的な理由からはアイドルは生まれない。好き嫌いは、必要かそうでないかではないからだ。たんに必要で生まれたリーダーは、アイドルには資格不十分で嫌われることが多い。とくに日本のような情緒的な社会ではそうだし、アイドルとしては天皇がいる。もちろん、沖縄は別の王朝を長く持っていたから、天皇を自分たちのアイドルにはしたくないだろう。

ほかにもまだ国家の存在理由はあると思う。そして、これらは互いに入り組んでいることだろう。しかし、これらをいったん、「なかったらどうなのか」と考えることもできる。果たして、今の文明や文化は、国家や大企業というものがなかったら、絶対にありえなかったのか。国家は必要悪だという考えもあるが、国家がなしえた有益さと害悪を天秤にかけると、私にはどうも害悪の方が多いんじゃないかという気がするのだ。たとえば、暴力団という集団がいる。この暴力団は、映画などでは広島に拠点があることになっている。広島に原爆が落ち、国家予算がその復興に投入され、その配分をめぐって暴力団は生まれたということを聞いた。つまり、暴力団は国家が作ったのだ。黒澤の映画「七人の侍」では、侍たちが農民のために野武士と戦うが、その野武士が武士のナレノハテである。七人の方がよっぽど珍しいからヒーローなのだ。

強いものが勝ち、強いものが法を作り、強いものが弱いものをコントロールする。これが、一番のベースにある。そこにできあがるのが国家であり、企業というものだ。常に社会はそういうふうに動いてきた。その原理に従う者が後に続く限り、たとえ原発がなくなっても世界は変わらないだろう。

ここから、「段階的無政府主義」という方法を想像することができるかもしれない。つまり、政府とか大企業というものを、少しずつ、解体していくのである。原発と同じで一気にやれるとは思えないが、100年くらいかければ、安全に消していくことができるのではないかと思う。

最終的には、国家がなくなる。日本銀行券がなくなる。法律がなくなり、刑務所がなくなる。税金もない。国境もないが、世界政府はない。国家がなければ、巨大組織というものもなくなりそうな気がする。村の鎮守の杜で事足りるかもしれない。

原発ムラ

2011年03月26日(土) 10時45分
今朝、大阪の読売テレビでは、いろんなことが全部暴露されるという番組があった!
NHKも政府も東電も安全委員会も全て「原発ムラ」であって、全て仲間だと。
「ドロボウと警察が同じ家に住んでいるようなもの」と、大声で言っている。
政府の発表は、「全てあとで何か言われたときの言い訳として考えられるだけ考えて発表されている」。
出てきている保安員は、TPPの担当で、原発のことなど何もしらない。
「枝野寝ろ、石原黙れ、菅起きろ」。
はじめてまともなテレビを見ている!

昨日、枝野が「自主避難」を言った。
真綿で首をしめるような「切り捨て」だ。「見捨てる」と言ったのだ。
菅は、「安全委員会の指示で全てやっている」という。
つまり、自分は何の責任も持たないと宣言したようなものだ。

原発は、どんなに経費がかかっても、それは自動的に国民からまかなえるような構造になっている。
だから、どんどん規模を大きくし、大企業であるほど参加したがる。
商社、金融、政府、マスコミ、広告会社、全てがグルになっている。
そんなことが、やっとわかってきた。
原発がなくても、電気は十分足りるということも、やっとわかってきた。
そのような技術を、日本はたくさん持っている。
世界中が今、脱原発を、原発政策の見直しが行われている。
肝心な日本は、まだだ。

福島には、チェルノブイリの10倍の燃料がある。
ドカンと行かなくても、それは燃え続け、放出されていく。
さきほど、テレビでは、今の状況が5年は続くだろうと言った。

チャルノブイリから300キロ離れたベラルーシでは、今でも放射能値の高いホットスポットが存在する。
そして、年を経るごとに、事故後遺症としての病が増えていく。
それらは5年後からはじまる。おもに子供たちだ。
25年を経た今でも、収まっていない。
日本は、チェルノブイリ被害を超える可能性もある。
情報操作と対応の遅れが続くなら。
津波という、今はもっと大きい被害にかくされていることによって。

小さく話題になっている水俣病裁判は、あと大阪訴訟で終わるという。
この病気が出たのは1956年で、今から55年前。
当然、水銀が出ていたのは、もっと前からだ。
企業も政府も、問題をずっとごまかし続けた。
今回の、いや、これから原発被害を、そうしてはならない!

世界一安全な国に住んでいるという、甘い幻想。
この甘い幻想を作り上げてきた構造の根は、かなり深いと思うのだ。
太平洋戦争がなぜ起きたのか、以上に。
なぜ原爆が日本に落ちることになったのか、以上に。
なぜ、あんなに沖縄に基地があるのか、と同等に!

私は、子供たちは少しでも遠ざかった方がいいと思っている。
それと、関東北部の人たちが一度に避難をはじめたときのことを心配してしまう。
全て東京を通るとなると、大変なことにならないか。
交通がマヒして、どこにも行けないことがわかったとき、パニックがおきないか。

そんな中、ホンはやっとラストにたどりつく。
何度書き直したことか。
最後の2ページはまだ変わりそうだが、ぜったいなんとかするさ〜

逃げろ!

2011年03月24日(木) 4時25分
私たち、野外劇団楽市楽座は、東日本での公演を全て中止した。子供を持つ親として、危険だと直感したからだ。
すごく後ろめたいことだが、テレビを見つつ、復興という言葉には非常に抵抗を感じる。
今、復興するときだろうか? まだまだ避難するときではないのか?

「まだまだ安全」という言葉が飛び交う。が、私はあえて、危険を叫ぼうと思う。
もっと遠くまで逃げろ、と。
少なくとも、300キロより、外へ!
安全という言葉、そういう言葉が出てくることが、一番恐ろしい危険を示していると。
そして、「復興」というポジティブな言葉が、危険をさらに増長する可能性のあることを。
それは、数年後にしか明らかにならない危険なのだ。

今のような状況であれば、私は自分の子供に、あそこの野菜や牛乳を食べさせることはないだろう。
バカなやつだという奴らには言わせておけ。
とにかく、もっと遠くに逃げろ!
それだけだ。

沖縄と原発

2011年03月16日(水) 1時38分
今日のロコモコは、ロコモコ風ってくらいで失敗か。まだまだ応用がイマイチ。

「通行可能な道路、カーナビ情報から作成し提供 ホンダ」という記事を見つけた。
http://www.asahi.com/business/update/0315/TKY201103150408.html
被災地周辺の道路で、前の日に車が通った道を示している。
これはすごく大事なことだ。できれば、みんな逃げて欲しい。
ただ、見ていると、通っていない道がたくさんあって、悲しくなる。
それにしても、やるやん、ホンダ!
次の車はホンダだな。発電機は今もホンダだけど。
学生時代、ホンダのCD50に乗って、大阪から横浜まで走ったぜ。

世界の株価が下がっている。日本の震災と原発事故のためらしい。
株なんて一つも持っていない私にすれば、ザマーミロだが、これでまた世界中の景気が悪くなるのか。しかも、日本発。
しかし、考えてみよう。景気はそんなに大事なのか。
経済効率と利益主義、とくに新自由経済主義とやらが、今回の原発事故を引き起こしたんじゃないか。

だったら、不景気もいいじゃないか。
投げ銭は減るよなあ、きっと・・・。
でも、行くところまで行くしかないよね。と、わが家では覚悟も一応ある。
景気とか関係なく、地道に楽しく暮らしている世の中になってくれたら。
原発もなくなり、基地もなくなって。
ニッポンを不景気にしよう!
なんていう冗談の一つも言いたくなる。

今日は、沖縄の米軍基地をめぐって名護市がどうゆれたかというドキュメント映画「「辺野古不合意 名護の14年とその未来へ」を見てきた。輿石正監督を囲んでの質問会もあって、少し質問もできた。キリコなんか、最初と最後に2回もしてた。
ユーモアもあって、数字がスキというコメントもあって、説得力のあるドキュメントだった。監督はいろんなことを、やさしい口調で語ってくれた。
こういうふうに、現実の出会いは大切だな。
原発と基地、すごく似ている。その情報操作のされ方。地元でしかわからない苦しみ。

苦しみは、今、すごく狭いところに起こりやすくなっている。
大阪では、朝鮮学校がハシモトに苦しめられている。
雇用や低所得も。
こういうことを何とかできるのは、ひょっとすると政治ではなく、人と人のつながりと行動だけかもしれない。

中東ではデモが弾圧されている。
弾圧している政府と、まだ原発工事を進めたい、基地を作りたいと思っている政府。
まったく同じだ。
違うのは、デモをしている市民と、たんに見守っている市民の違い。
人と人のつながりと行動は、もともと日本人はすごく得意なのだ、宮本常一によれば。

今日は、映画&集会(トークというより、集会だった)に行けて、ホントに良かった!
そうそう、チラシ持って行って、宣伝もしてしまったし!
萌は、途中だいぶネムタゲだったけどね。最後までよく頑張った!

向精神薬の多剤投与

2011年03月06日(日) 14時49分
またテレビだが、昨日の夜、NHKの「A to Z」とう番組で、うつ病に対する多剤投与の問題が取り上げられていた。海外では、向精神薬や抗不安薬の投与は単剤投与が基本(効かなかったら別の薬に変える)だが、なぜか日本だけは多剤投与(効かなかったら薬を足す)を行うクリニックが多いという。その結果、大量服用の自殺未遂で救急病院に担ぎ込まれる人が増えている。

なぜ多剤投与が自殺未遂を引き起こすかということ、次第に薬が増えることによって、薬が効きにくくなること、薬を増やしても効果が出ないことがますます不安やうつを重くしていくのだという。また、薬の効果には気持ちをフワーっとさせるところがあり、もう死んでもいいかなと思わせるという。気持ちが軽くなる分、死との境界線があいまいになるのだろう。

また、とくに20〜30代の若者のうつが新うつ病と呼ばれるもので、状来のうつとは違い、外出ができたり、好きなことであれば活動的という特徴を持ち、もともと薬の効果が少ないもので、だから多剤投与になりやすいともあった。

多剤投与処方は、医師が悪いのではなく、患者の強い要望がそこにあるということだったが、ホントにそうだろうか。私も医学専門出版に数年携わっていたのだが、大学教授はクリニックの医師の多剤投与について、たびたび問題を指摘していたことを知っている。

多剤投与をなるべく避け、人間関係や生活の問題を解決していくことで、うつ病の原因そのものを解決しようという指導を行っている医師もいるらしい。

この番組を興味深く見たのは、昨年、私の高校時代の友人が向精神薬を大量服用して自殺したからだ。共に雑誌を作り、共にコルトレーンやドルフィーや山下を聞いた。フーコーやドゥルーズ、柄谷行人や中上健二を教えてもらい、色んな議論をした。その頃から、私たちにとって自殺は「禁じ手」だった。「長山は絶望が足りない」と、何度も言われた。

もう10年以上会っていなかったし、葬儀にも行かなかったから事情はわからない。ずっとフリージャズをやっていたはずだ。家族からは自殺という言葉があったと聞いた。しかし、多剤投与とか薬の処方の問題もあったのではないかと、そんなことも考えてしまう。

テレビ

2011年03月05日(土) 10時20分
昨日は塩ジャケにひじき入りキンピラ、大学芋。昼に、ミートソースも作ってしまったい。なんでもチャレンジャーでいられると、楽しい。だから、やっぱり新しい料理にチャレンジしたくなるんだよね。

ホンは〆切を過ぎて、なおノロノロと進んでいる。3歩進んで2歩下がるの繰り返し。妙なアイデアがいらない脱線に導いたりして、それを捨てるのに時間がかかってしまうことが多い。創作料理の失敗、みたいなもんかな。しかし、こちらにはレシピがないしなあ。あらすじまでトントン拍子だったので、こりゃいけると思ったのだが、甘かった。いつもそうだ。

旅の間、テレビをほとんど見れない生活だったのだが、帰ってからはよく見る。一番見たいのに、一番がっかりするのがニュースだ。民法の音楽入りのニュースは生理的に受けつけないが、NHKもどこでも、流れるニュースはまったく同じ。

大相撲八百長事件とカンニング事件に共通するのは、携帯電話の使用を警察が調べたということだと思った。メールやネットにおける、警察の監視をアピールしたのだろう。逆に言えば、メールやネットをどれだけ恐れているかということでもある。

昼の「てっぱん」の後、国会中継をときどき見てしまう。そして、うんざりする。重箱の隅をつつきあい、足を引っ張りあい、言い訳に終始する。自らの主張を情熱を持って語る、せめてそういうことはないんだろうか。

昨日も、自民党がTPPについて質問をはじめ、興味深く見始めたのだが、その質問の意図は「菅政権は、TPPを軽い思いつきで考えたに違いない」というだけだった。じゃあ、自民党がTPPをどう考え、今後どうするべきなのかは、なし。

TPP(Trans-Pacific Partnership:環太平洋経済協定)は、自由貿易をもっと進めましょうというもので、日本の自動車産業などが韓国などに遅れととっているという理由で参加しようとしている。
けれども、農業についても参加しようとしていること、じつはアメリカ主導での参加であることなどが問題になっている。

そのTPPは、世界的な飢餓を生み出すという。
http://www.ruralnet.or.jp/gn/201104/tpp.htm

私は、全ては自由化された方がいいんじゃないかと思っているので、あまりよく知らずに、いいんじゃないかと思っていたが、ネットで調べているうちに、やっぱりマズイような気がしてきている。

あるネットテレビ(?)でも、特集番組を作り、この人を取り上げてTPPに反対しているようだったが、こんなことをしなくても軍備を拡張すれば景気は上向くとのこと。え?

(こんなことしてるから、ホンが進まないんじゃないの?)
(う・・・)

日の丸と君が代

2011年03月03日(木) 0時11分
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自民党は2日、国旗損壊罪を新設する刑法改正案を今国会に提出する方針を決めた。日本を侮辱する目的で日章旗を焼いたり破いたりしたら2年以下の懲役か20万円以下の罰金を科す内容。民主党や公明党など他党にも協力を呼びかけて成立をめざす。
尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件などをきっかけに自民党は保守色を強めており、「君が代」の替え歌など国歌への侮辱に刑事罰を科す改正案も検討する。
asahi.comより)
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「NIPPON憂歌(ブルース)」という芝居のラストでは、日の丸の赤いところをチョキチョキ切って、「風と通しを良くしてみました〜」といいつつ、そこから紙吹雪をヒラヒラとまわせたんだけど、再演しようかな。

「君が代」は、タイトルを「隣の国の君の世界」に変えれば、みんな歌うと思う。
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