今帰仁、読谷、そして夏子

2011年11月27日(日) 23時53分
最近、ブログをサボリがちなので、書くことがたくさんある。

まずは今帰仁(なきじん)でのことから。3日目が雨で中止になったが、楽日は大変な賑わいで立ち見が出た。たくさんの再会もあった。風来荘のご夫婦は楽しいオシドリ夫妻で、1年ぶりなのに何だか旧知の間柄みたいだ。会場でもあるゲストハウス風来荘さんに部屋を一つ提供して頂いたし、滞在者が自炊できる台所もあるし、シャワーもあるしで毎日ノンビリ。風呂に行くというのも、けっこう時間を使うものなのだ。
できた時間で何をやっていたかというと、ひたすら「じゃりんこチエ」を読んでいた。これも風来荘さんの蔵書だったのだが、じつはまだあまり読んでいなかったのだ。1巻に一度は笑い転げるところがあり、ケンカ好きでメチャクチャな父親テツがどんどん好きになってしまった。
今帰仁にいる間に、本部(もとぶ)の手作り市にも出かけ、そこで反原発紙芝居もやり、これも好評なり。ここではわが尊敬する百姓のハルサー片岡さんご夫婦とも再会。奥さんは福島の出身だとのこと。片岡さんは、バラシの晩にも訪ねてきてくれ、ゆっくり話ができた。いろんなことを教えてくれるのだ。

今日は、読谷(よみたん)JAファーマーズでの楽日が終わったところ。土曜と日曜は結構賑わった。とくに今日は、毎日のように家族で見に来てくれたミュージシャン、知花さんのはからいでFMよみたんに再度出演、そこからも来てくれた。読谷は再来週の残波(ざんぱ)岬での公演もあるので、そちらに少しでもまた来てくれたらと思う。初日と2日目は風と寒さがちょっときつかった。今帰仁ではまだ鳴いていたセミがついに鳴き声を聞かなくなった。それでも今夜は、私はTシャツで靴下なしだ。

この間に、次々と場所が決まった。
一つは来週の伊江島(いえじま)。伊江島は本部港からフェリーで30分のところにある。玉城さんという方が協力してくれて、公共の場所をいくつか見せてもらったのだが、宿泊と料金が問題となりアウト。そしたら、玉城さんが「うちでやればいい」ということで、「たま体験ハウス」の敷地内が決定。この方は、民泊と言って修学旅行の生徒たちなどを民家に泊めて体験学習させるということを伊江島ではじめた立派な人なのだ。その人に引き合わせてくれたのは、昨年知り合い、今年も今帰仁でも出店を出してくれた水田さんだ。

それから、先にも書いたが、残波岬。こちらは土曜日にきとね市という市がある。これは吉見さんご夫婦が立ち上げている、アンチ大型店舗の市だが、ナント130店舗ほどが出店する一日だけのバザールだ。雨天中止のリスクもあるのだが、私たちはきとね市をはさんでの4日間を芝居する。きとね市開催日は、2時、3時にツバメ恋唄の1幕、2幕、4時、5時は反原発紙芝居、6時、7時と鏡池物語と祭バージョンで最大限上演する。今日、奥さんがツバメ恋唄に大喜びしてくれた。

次に、12月17日、18日の東村(ひがしそん)の高江(たかえ)、N4テント。どちらも午後1時から。ここは米軍のヘリパッド工事阻止のための座り込み公演となる。地元の行政はすでに受け入れを了解してしまっているが、阻止のために座り込みを続けている人たちがいる。行くとすぐ上を二つのプロペラを回し、米軍ヘリが何台も低空飛行してきた。真上に滞空するとすごい風圧だそうだ。オスプレイというペリ仕様の飛行機(垂直に離陸できる軍用機)が配備されるという情報がある。こいつは不安定で事故も多いのだ。ここでの戦いは、沖縄の人でも知らない人がいるくらい、小さな、先端のような戦いだ。ここに1週間滞在し、座り込みに参加しつつ芝居する。座り込みに来ている人の娯楽と、少しでも高江のことを皆に知ってもらえたらという思い。

その後は、去年もやった金武(きん)町アクティブパークがほぼ決定。ここは、キャンプハンセンのゲートの前の、米軍の若い兵士たちの飲み屋街でもある。公園のヌシのようだった、あの人、この人、元気でいるかなあ。

次に、年末年始の本部、上善寺。ここもまた水田さんの紹介で、お寺の大晦日のカウントダウンのイベントに参加させてもらえることになった。1日だけでは私たちにはもったいないので、その前後、29、30に加え、年明けの1日にも芝居ができることになった。にこやかな若い副住職さんは、太鼓や獅子舞もされるという。せっかくの年末年始ということで、31日と1日は、5年前の作品だが、「新春初夢福袋」を演じることにした。12月はこの稽古もしていく。萌は初のジジイ役だ。萌、はじめての人間の役・・・ジジイとは。

さらに、その次の周、再度那覇の城岳(じょうがく)公園。ここは、今年那覇のにぎわい広場で見てくれた方のお誘いだ。30年前、黒テントがやった公園だという。また、もっと前には映画館やちょっとした遊園地にもなっていて、先日書いた沖縄喜劇の女王、仲田幸子一座がしばらくいたこともあるという。私はここで53歳の誕生日を迎えることになる。この方、神戸にもいたことがあるというが、地元の人で、地元の人たちが集まってくれそうだ。

ほかにも色々とやれそうな場所を紹介してもらいつつある。まだまだ2月中頃までというところだが、ま、なんとかなるさ〜。ホントに人との出会い、つながりがありがたい。

じゃりんこチエで中断していた読書も再会、奥野修司「ナツコ 沖縄密貿易の女王」を読了。糸満で生まれ、37才で亡くなるまで、戦後の沖縄の密貿易の女傑として莫大な取引を仕切った女性のドキュメントだ。その時代のことを「ケーキ(景気)時代」とも言うらしく、物資が足りていない日本、沖縄、そして台湾、香港、米軍を相手に、船をかけめぐらせた。琉球処分以降の「ヤマト世(ユ)」、敗戦後の「アメリカ世」、復帰後の「ヤマト世」と言うように、つねに時の統治者に翻弄され続ける沖縄と言われるが、作者はそのハザマに、大密貿易時代としての「ウチナー世」があったのではないかとしている。沖縄は大昔から貿易で栄えていたのだ。ワクワクしながら読んだ。沖縄では「太刀ぬ下でこそ銭は儲ける(たちぬしちようていどうじのーもうきゆん)」という諺があるそうだ。当時は天気予報もないから、シケに合うかどうかは神のみぞ知るところ。海賊も怖かったというから、命懸けだ。
「今ふり返れば、夏子さんは私たちに夢を与えてくれたと思いますねえ。努力すればそれだけ報われるという夢です。」というインタビューの言葉が出てくる。「努力すればそれだけ報われるという夢」という言葉、なんともいえん。

ところで、今日、橋下たちが大阪を制したようだ。大阪、大丈夫か?

鹿児島・読書・沖縄

2011年10月27日(木) 0時21分
鹿児島公演は、初日は小雨。お客さんチラホラだったが、いつか止むだろうとはじめたところ次第に大雨、最後は雷雨となるが、お客さんはほとんど帰らず。二日目は開場直前に豪雨とすごい雷で、開演前にはやや小雨となり、お客さんもチラホラと来てくれたのだが、中止。土日は結構賑わい、受け入れをしてくれた船倉さんのおでんだの何だので二日とも宴会。

昨年と同じ場所の天文館公園だったのだが、昨年は一番奥だったのを、入口に近いところにしたため、芝居中に見物から客席に座ってくれる人もいたし、土日連続で見てくれた人もいて、昼間も声をかけてくれる人がいたり、差し入れをくれたり。そうそう、到着するなり公園管理の方が懐かしがってくれたのもうれしく、なんとも暖かい(気温も)鹿児島だった。桜島の噴火も今回はけっこう盛んで、黒い灰が降った。鹿児島湾ではイルカが泳いでいるのを見た。

そんな鹿児島を桜島を見ながら後にして、今はもう沖縄。大宜味村の喜如嘉。うって変わってまったく静かな村の中だ。付近は沖縄特有の昔ながらの瓦の民家が立ち並ぶ美しい村。夕方到着し、暗い中を楽屋作り。途中で大きなコウモリがすぐそばの枝にやってきてぶら下がった。すぐ近所の受け入れの前田さんが訪ねてくれて、再会を喜び、沖縄の事情や農業のことを色々と聞くことができた。近所のお年寄りたちが来てくれたら嬉しいのだが。

鹿児島から沖縄まで、ほぼ丸1日のフェリーの中で、3冊の本を読み終えた。ひとつは、原発問題でも色々と話題になった広瀬隆氏の「資本主義崩壊の首謀者たち」(集英社新書、2009年)、二つ目は、その広瀬氏の本に紹介されていた「正しく知る地球温暖化 誤った地球温暖化に惑わされないために」(赤祖父俊一)、三つ目は「宝島」(スティーブンソン、金原瑞人訳)。

自分が今までどれだけ認識不足だったかを思い知らされたが、今までの直感は間違っていなかったとも思った。「資本…」は、アメリカのリーマンショック前後に誰がどのようなことをして、どのような結果が起きたか、そして、世界や日本がどんなふうに巻き込まれているかを非常に分かりやすく解説している。知らなかった。アメリカ政府の長官たちが金融界と政界を行ったり来たりしながら、法律を変えては大儲けし、国家の金をそこに注ぎ込んできたとは。そして、アメリカ国民の税金も含めた金がそこに吸い上げられているだけでなく、日本でも貯金・年金・保険金などがそこに吸い込まれてきたか。金融マフィアによる国家乗っ取りともいえる。こいつらが原発を推進し、米軍基地を作り、TPPをやろうとしている。アジア通貨危機を作り、あっちを潰したりこっちを煽ったりしながら、ここ10年ちょっとで莫大な儲けをつかんだのだ。小泉以降、日本政府は全くの言いなりだ。

「温暖化…」は、まったく知らなかった。1400年〜1800年の間は、地球には小氷河期があり、その後、1800年以降から温暖化がはじまっていた可能性が高いということだ。化石燃料が温暖化に与える影響はせいぜい5分の1。温暖化は起きているが、それはここ200年ずっと続いているのであり、海面上昇も1850年頃から始まり、年1.7ミリ。しかも、この30年では年1.4ミリになっている。温暖化は科学というより政治なのだ。「もともと温暖化問題は英国で原子力発電を導入しようとし、温暖化の危機を訴えて市民を納得させるために使われたようである。」「資本…」では、温暖化キャンペーンで有名になったゴアの娘婿は、リーマンの重役でもあったという。なんてこったい。

「宝島」は、何度目かの再読。何度読んでもこんなに面白い物語はない。読み出したら止まらない。つくづく、物語とは脱物語のことだと思うのだ。

さて、これから沖縄で5ヵ月。あらゆる物語(問題)が渦巻く沖縄。大阪の自宅はいっこうに売れる気配がないが、私たちはこれから沖縄をもう一つの新しい拠点とすることになりそうだ。5ヵ月と言えば、23週。そのうち5週は決まっており、あと3週も何とかなりそうだが、残り15週はまだ未知の公演場所を探す必要がある。特に、来年の1月〜3月、できそうな場所があれば伺います。どうぞご紹介ください!

池原歩行術

2011年02月23日(水) 0時01分
本日昼は、けいらんうどん。これ、汁はダシに薄口醤油のみで、みりんとか酒とか入れないのだが、うまい。片栗粉でトロミをつけて溶き卵を流し入れ、ショウガをたっぷりトッピング。夜は生春巻。業務用スーパーでライスペーパーの安いのを発見したため。あまりうまく巻けなかったが、好評なり。両方とも旅メニューに追加なり。

今夜は、「ツバメ恋唄」を短い物語にして劇団員(といっても、キリコと萌)に読み聞かせた。読みながら多少の問題のあるところも感じたが、総じて良しということになった。ラストについて、キリコからいくつかのアドバイスもあり。明日からは台本として書いていく。締め切りまであと6日。なんとか間に合わせたい。焦らず、地道に進めよう。

そうそう、先日、以前に私がキリコの台本についてアドバイスした言葉を逆に教えてもらった。それは、登場人物に姿勢の傾きが必要なことと、人物同士の対立が必要なこと。ぜんぜん忘れていた。姿勢の傾きというのは、今、どっちに動こうとしているのかということ。構えというか、欲望というか。構えは受動的で、欲望は能動的だが、そのどちらも含むから、「姿勢の傾き」というのが私としては一番ピッタリくる。芝居では、あんまり落ち着き払っていてはいけない。カカトが浮いているくらいでちょうどいい。だからこそ、対立も起きてくる。

「カカトの浮き」関連だが、沖縄の金武町で「池原歩行術」という本を見つけた。膝や腰を守る歩き方の本で、ナンバ歩きに近い。もともとキリコの腰痛のために購入したのだが、私も膝によく痛みが出る。この歩き方は、着地をカカトからでなく、つま先からする。最初は、「脳梗塞で一度倒れた人が歩いているみたいだから、やめた方がいい」と言われていたのだが、それならそれで、一番理にかなった歩き方かもしれないと、那覇からずっと試し、かれこれ2ヶ月になる。立つときも親指の根本近くに重心を置くので、少し前傾になる。ゆっくりだと忍び足のカンジ。背中は丸めないけど。
2軸歩行といって、モデルさんたちの歩きとはまったく違い、右足と左足の間にはラインをまたぐカンジになる。両腕は脇から少し離す。

池原英樹さんは、1956年金武町生まれの沖縄空手の方で、すり足からヒントを得てこの歩行術を思いついたという。現在、講習会などで普及活動を行っている。今まで杖なしでは歩けなかった人が、ぞくぞくと杖なしで歩けるようになっているし、アスリートも学びに来ているという。

先日、竹馬で日本全国を歩きまわっている人がテレビで特集されていて、あ、同じだと思った。竹馬はナンバだし、少し前傾だ。竹馬に乗っているつもりで歩けばいいのか、と思い、最近はだいぶスタスタと歩けるようになってきた。
たった一冊の本だけが頼りの独学(たいがい私はいつもそうなんだよね)なので、なにか間違ってるかもしれないが、もしかすると、帰ってきていくら食べても太らないのはそのせいかも。ダイエットにもなるらしい。

今日も午前中2時間ほど、買い物も兼ねて十三を歩いた。歩きながら、「足の裏は語る」の平澤彌一郎さんが、大昔の人は今よりつま先に重心がかかった立ち方をしていたと書いていたのを思い出す。そう、原始人に近い歩き方かもしれん。たまにカカト着地の歩き方をすると、急に文明人になったようで、優雅な気分にもなるのがおかしい。

芸は身を助く

2010年11月17日(水) 1時53分
大宜味の舞台バラシは、車検引取りがあったにも関わらず、一家でサクサク終わった。4時半だったので、お世話になったジンジン窯という工房へ行こうとしたのだが、萌の記憶があいまいで、行けず。おもしろい焼き物をいろいろしているところなのだ。そして、大宜味の2日とも来てくれたし。
さて、宮本常一の「忘れられた日本人」だが、沖縄へのフェリーで読み終えた。エキサイティングな本だった。土佐源氏はもちろんだが、記憶にとどめたいと思ったのは、昔、芸人は旅費がタダだったということだ。舟とかに芸をすることによって、タダで乗れたのだという。そこから、「芸は身を助く」という言葉も生まれたそうな。
沖縄でも、テレビもない時代には、村芝居がさかんだったということを、近所の方からきいた。沖縄をグルグルまわっていたという。そして、「ハナ」といって(花ではないらしい)、紙に包んだ投げ銭もあったという。
ここで公演しているあいだに知り合った人のツテで、もしかすると、12月にできる場所がみつかるかもしれもしれない。
それから、今日コインランドリーにいると、車の寄せ書きを読んで、ウチなんかでも呼べるかもしれないという人がいた。
それと、近所の方だろうか、もっと宣伝しなくちゃいけないとアドバイスもあった。
沖縄の人たち、ぜんぜんシャイとかじゃない。劇場作りでもいろいろ声がかかったし、けっこう気さくかもしれない。

宮本常一「庶民の発見」

2010年10月22日(金) 0時03分
ここ宮崎、綾町は、大分とはうってかわって、すごく静かなところだ。夜になると、道端でカモが群をなして眠っていたり。今日は、舞台の仕込。明日は初日だ。

大分で、やっと宮本常一の「庶民の発見」を読み終えた。非常に面白かった。とくに、文字を持たなかった人々の語りはもともと時と場所を選ぶ神聖なものであり、所作を伴っていただろうということや、その健康で明るい性質(つまりものごとに屈しない精神性)、また、虫やケモノと通じる力がいかにニンゲンの孤独を救うかなど、芸能の根源的な力について書かれていると思われる頁も多い。また、暗い物語には、農民から武家を見たものが多いというのも、この本で知った。

この旅で、この宮本常一という人に出会ったことは大きな収穫だ。今は「忘れられた日本人」を読んでいる。この人は、信念を持って思想を貫いた人だと思う。

岡野玲子「陰陽師」

2010年01月27日(水) 22時41分
 岡野玲子のマンガ。夢枕獏原作。
 魑魅魍魎たちが、理解されることを求めているという精神に貫かれている。
 陰陽師である安倍清明がそのことを説くが、彼の親友である源博雅はそれを実はよくわかっている。
 頭ではなく、心で。

 私はときどき思う。
 死者を祀ることは、生者の傲慢ではなかろうか、と。
 死者はどんな思いがあったかわからないが、残ったものは「安らかに」と願う。
 そして、あの世が安らかなものであると信じているような気もする。

 けれども、本当にあの世は安らかな世界なのだろうか。
 たとえば、焼かれることは、残酷なことでないとはっきりしているのだろうか。
 私にはわからない。
 もちろん、安らかであって欲しいし、そう考えて安心したい。
 安らかであって欲しい、そういう願いが供養という行動になる。
 おそらくそれは謙虚な、敬虔な願いでもある。

 発展途上国といわれる国々のことを、美しい観光国のようにとらえることもできる。
 けれども、それはその土地を美化しているかもしれない。
 想像もできないような苦労をしているかもしれない。

 ニンゲンの想像力には、そういうところがある。
 芸能や文化には、ともすればそのような二面性がある。
 残酷さや不条理な世界の隠蔽と、残酷さや不条理さに対する慰めと。

 料理なんかもそうかもしれない。
 「殺して食う」ことの残酷さを、和らげているのかもしれない。
 それは一つの「供養」の作法なのかもしれない。

 頭でなく、心で思うこと。
 その区別は難しい。
 たぶん、必要なのは「類」ではなく、「個」となること。

 源博雅は笛を吹いたり、琵琶を弾いたりする。
 この「楽」が、とてつもなく重要だ。

梨木香歩「西の魔女が死んだ」

2010年01月04日(月) 22時41分
 昨日、台本のベースとなるコンセプトがある程度見えてきた。
 作品を作ることは「問いを立てること」ということを再確認。
 創りながらしか問えないことが、この世界にはある。
 金蛇のファイナルでは、初演の「仮説」に戻ったのだが、今度の「鏡池物語」(仮タイトル)では、その前にも戻って、もう一度問い直してみることになりそうだ。

 が、今日、タイトルの本をちょっと読み始めたらつかまってしまった。午前中だけ読書のはずだったのだが。マイミクのミズタマ。さんが書いていた本で、決して新しい本ではないから、もう読んでいる人も多いと思う。
 なぜ「死んだ」でなくてはいけないのだろう、と疑問に思いながら前半を読み、半ばあたりでガツンときた。そしてつかまってしまい、最後まで。
 花や草を調べながら読んだ。クサノオウ、銀龍草、キュウリ草・・・どれも味わい深い草花だった。そんな草花の一つ一つが心にしみた。

 詩人のキーツは、詩人に必要な能力として、Negative Capabilityという言葉を使っている。消極的能力とか否定的能力と訳されるが、私が理解している範囲では、答えを出さない力、問題を抱え続ける力だ。
 宮沢賢治は、生徒の一人に「人はなぜ生まれてきたのか」と聞かれて、「それを考えるために生まれてきた」と答えたという。
 物語もまた、問い続けるための方法だ。推理小説やホラー小説が端的にそれを使っているが、物語るという行為も、それを読む行為もまた、問いかけ続けることだと思う。

兵藤裕己「<声>の国民国家・日本」

2009年12月19日(土) 17時29分

 浪花節とう芸能がどのようにして生まれ、それが江戸後期から明治・大正・昭和にかけて、「日本」という国家形成にどのような役割を果たしたかについて書いた本。と書くとかなり難しい分厚い本のように聞こえるが、NHKブックスの250頁。しかし、内容はすごく濃い!

 浪花節が生まれる前の「デロレン祭文」のことははじめて知った。これはホラ貝を吹き、錫杖を鳴らしながら語る芸。デロレンとは、ホラ貝の音だそうだ。そして「チョンガレ」「チョボクレ」と門付け芸もまた浪花節につながっていく。
 楽器が三味線に変わり、同時に自由民権運動によって盛んになっていく講談をも取り込んで浪花節は生まれる。
 武家制度が崩壊し、天皇の下に「国民」という平等の観念が生まれたのは、日本全体での物語の共有が先にあったからであり、その物語の共有のためには、浪花節というメロディアスな語りがあったからこそだという。

 典型例としては、忠臣蔵で有名な赤穂浪士の物語がある。これは1702年(元禄14年)12月に起きた違法の仇討ち事件(当時、目上の親族が殺された場合のみ仇討ちは合法だった)だが、その翌年2月末には、このような事件を物語として唄ったり語ったり、本にしたり上演したりしてはいけないという禁令が出ている。
(孝を道徳の基盤とする幕府だが、仇討ちを完全に認めるのなら、権力によって潰された家や藩の者たちは、幕府にこそ仇討ちしなければならなくなる。)

 ところが世論の圧倒的支持を受けて、発禁本は写本として、貸本屋から大量に流通する。政府(幕府)の法に対して、自分たちの倫理感を肯定した物語として、反政府の物語でもあった。

 これが講談でヒットし、そして1907年(明治40年)、浪花節の大スターである桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)の、東京の大劇場・本郷座での連日大入り満員にまで発展する。もちろん、この頃の聴衆はこの物語を細部まで知り尽くしている。それを踏まえた雲右衛門は、大胆に直裁な描写と、悲憤慷慨調(花田清輝)でトップスターになる。

 この聴衆(都市の平民階級=大衆)こそ、「じつはこの時期もっとも戦争に昂揚していた日本「国民」だった。」という。日露戦争後のロシアとの講和条約破棄と、戦争の継続を求めて大規模な集会が日比谷公園で行われている。(1905年・明治38年)

 この頃の社会主義者は大衆を組織できず、「大衆の前衛としていかに革命的に生きるか、という方向に自分を追い込んでゆくのである。大衆との連帯を見うしなったかれらが無政府主義化してゆく時期は、あたかも自然主義の作家たちが大衆読み物から明確に距離をおきだした時期である。」という。

 この流れは、60〜70年代にも似ているかもしれない。
 幸徳秋水の「平民」は、今日のマスコミ用語である「市民」にもひきつがれているのではないか、という。

 このあたりの国民形成と芸能や大衆の好みとの関係は、ドナルド・キーンの明治以降の浮世絵の分析(「日本人の美意識」の「日清戦争と日本文化」)とも共通する。

 ところで、この本に「ヒラキ」という路上の劇場が出てくる。明治の24年に閉鎖されたらしいが、江戸時代からあった、よしず張りの小屋だ。これは劇団どくんごのテントにとても似ている気がした。

「あとがき」にこんな文章があった。

「私たちが声を発するのは、他者と関係を持つためだ。他者とのコンタクトがあって、つぎにメッセージのやりとりがある。言語の機能は、情報伝達よりも以前に、他者との関係を創ることにある。とすれば、もっとも始原的な言語は、記号化されないメロディアスな声にあったかもしれない。ウタの機能は、なによりもまず、無垢で亀裂のない精神の共同体を創りだすことにある。」

 この本は2000年発行なので、まだ「歌うネアンデルタール」(2006に邦訳)は出ていない。私もまったくの同感だ。

 じつはすぐ後に「声によって創られる共同体(ユニゾン)は、したがってそれ自体が排除のメカニズムにもなるだろう」と続くのだが、それはさておき、私には、現代日本の均質空間の中でバラバラになってしまった個人、ともすれば、一人の人間としての統一感さえも失いつつあるような個体が、芸能を通してのみ、ある種の連帯感や、「共にここにある」という感覚を取り戻せるような気がしてならない。そして、それが野外劇団楽市楽座の使命なのではないかと思っている。

「モータサイクル・ダイアリーズ」(ゲバラ)と旅

2009年12月03日(木) 0時16分
 なかなか読む時間と落ち着いた心(?)がもてなくて、ここ数ヶ月本をあまり読めなかった。じつは東京公演の前からずっと持ち歩いて、やっと昨日読了。映画はツインタワーで見て大好きになり、DVDも購入。CDも100回は聴いている。原作もじつに良かった。これはゲバラが学生時代に、南米を旅した日記。

 日記だから短い断章で、不思議とリルケの「マルテの手記」みたいな印象がある。内面の旅と南米の旅? どちらも旅に違いはない。たぶん翻訳もすごくいい。

 これを読んでいる間に、旅を決めた。それは偶然だが、忘れられない一冊になるかもしれない。

 中学の頃、どんな人か知りもせず、ゲバラは私たちのアイドルだった。意味も知らずに「ゲバラ!」と叫んでいた。休み時間に、互いのマタグラに頭をつっこみ、長い虫のようになって行進した。大学に入って、はじめてデモ遊びだったことを知った。

 旅の文学はたくさんある。まずは金子光春の紀行文が大好きだ。
 ケルアック、G・マルケスの「エレンディラ」、川端康成、「奥の細道」、「銀河鉄道の夜」、「西遊記」、「ドン・キホーテ」、「アルケミスト」、中上健次「日輪の翼」、・・・。
 映画には、ロードムービーという言葉もある。風景を映し出すという役割がある。「ダウン・バイ・ロウ」、「イージー・ライダー」、「道」、「路」、「蛇皮の・・」、・・・。
 旅人がやってくる話、ラストに旅に出る話、旅を余儀なくされる話、これらは物語の定型の一つといってもいい。

 けれども、じつは芝居では、ずっと旅することは少ない。
 舞台装置が現れると、旅は大変になるのだろう。新劇的な時と場所の一致もある。
 旅する芝居で思いつくのは、なんといっても「寿唄」。あれはすごい本だ。

 今日は劇団で集まり、企画書とDVDの発送、旅に出るためのこれからのことを話し合った。
12月中に公演地をどんどん決めていかなくては!
 そして、新作!

村上春樹「1Q84」/オーウェル「1984」

2009年09月09日(水) 22時17分
 芝居もだいぶ大詰めで書くこともたくさんあるはずなのだが、この2冊のことを書いておきたい。だいぶ前のことだけど。
 Qの方を先に読んだ。なんともいえない不満が残り、オーウェルを読んだ。
感じたのは「表現の志」のようなものだ。
 村上の小説の方が読みやすいだろう。しかし、それはどこか間違っているという印象だ。私は最近村上春樹の「便宜的な世界」という言葉に大きな反発を感じている。それは日本的なこの世に対する「仮の宿」に近い感覚なのだが、たとえそうだとしても、「絶対的な世界」を描くのが物語なのではないか、という思いがふつふつと沸いてしかたがない。
 たとえば恋をする。一般的に便宜的な恋愛はたくさんあるだろう。しかし、その中で絶対的と思える恋愛が存在する。それを描くのが物語なのではないか。誰もが自分の人生を絶対的なものとして生きなければならない。それが物語というものの、なんといっても一番のテーマではないかと思うのだ。
 オーウェルには圧倒的にそれがある。もしかすると、オーウェルはこの小説を「失敗作」と考えて死んだかもしれない。けれども、オーウェルの小説には、書きたいことがまだ書けていないもどかしさがある。同時に、なんとか形にした誇らしさがある。オーウェルの小説は今読んでもすごく面白い。小説を超えているから小説なのだ。
一方で、村上春樹はなぜあんなに描写が長いのか。その描写は、たとえばアップダイクのようななにか必然性を持ったもの(生きていることのリアリティ)にはならない。むしろ、生きていることの非リアリティがつねに強調されている。彼が翻訳しているカ=ヴァーやアービングにしても、やはりリアリティを問題にしていると思う。
 なぜ過去の1984年だったのだ。PCも携帯もなかった当時の話だったのか。震災とオウムを総括したかったのかもしれないが、まったくそうは思えなかった。小説の内部での小説にしか読めなかった。
 たしかに村上春樹的なリアリティのなさが現代の日本を覆っている。というか、もしかすると、村上春樹こそがそのようなリアリティのなさ(あの世的な感覚)を作り出したかもしれないと言ってもいいかもしれないくらいだ。それはすごいことだ。が、それは否定されてもいい。たとえ村上春樹がオーウェルを読ませるためにこれを書いたとしても。
 なにかを作るというということは、いつも非常に倫理的なものなのだ。たとえそれが反道徳的なものであったとしても。
 オーウェルの「1984」を読んで、これからの日本を思う。
 まあ、具体的には芝居を見ていただきたい。
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