数の呪縛

2016年01月19日(火) 21時18分
そもそも数えるということと、国家の成立はとても親しい関係にあると直感している。
太閤検地とか。人頭税とか。
イヌイットには一〜五、十、二十くらいしか数の概念がないらしい。
私たちは、数える側であるよりは、むしろ数えられる側なのである。数える必要はどれだけあるのか。

去年、ダンサーのリリアナさんが自分の体重を長いこと測ったことがないという話を聞いて衝撃を受けた。測らない、つまり、数えないという生き方って、なんてステキと思ってしまった。
そもそも数えるということが文明の基礎にある。支配と管理の根底にある。数えることで、忘れられていることがたくさんあるはずだ。調味料のさじ加減とか、気温による煮え方なんかもそうだ。数えるだけではわからないこともたくさんある。せめて数えなくていいものくらい、数えないで「耳を澄ますような」感覚を研ぎ澄ましてもいいではないか。

で、今年の目標は「数えない」(計らない)と決心して、ほぼ24時間はずすことがなかった腕時計もはずした。

でも、これがすごく難しいことだとすぐにわかった。
そもそも、私は旅先で風呂に入るたびに体重計に乗る。やけに減ってたらなんか病気かもしれないし、やけに増えてたら食べ過ぎじゃないか、と。でも、リリアナさんなんかは鏡をチラリと見て、OKね、ていう感じなのだろう。誘惑に負けて、今年ももう三回体重計に乗ってしまった。

米を何合炊くか、その水をどれだけ入れるか(私はだいたい米の号数+1の水)は測るし、時間だってタイマーを使う。土鍋で炊くからだ。スパゲッティにも使う。調味料には大匙何杯とか使わなくなったけど。いろいろ計らないと、それだけ不安材料が増える。ドキドキする。鍋に耳を澄ましたり、そういうことが大事なはずの決心なのに、それが重圧だ。何度かタイマーなしでも炊いて、ちゃんと炊けたのだが、うっかりしてしまう自分が怖いのだ。
筋トレなんかもっとそうだ。腰を100回左右に回し、股割100回、それに腕立て、腹筋、背筋、握力とやろうとしても、回数を数えないとモチベーションがまったく上がらない。昨日まで何回やったか、だから今日はちょっとしんどくてもそれだけはやろうと。ストレッチくらいなら、何秒と数えなくてもできそうになってきたが。

台本だって、頁数を数えずに書く自信がない。今までもなるべく数えないようにしてるのだが、ツメのあたりでは必ず数えてしまう。で、読み合わせて時間だってはかる。

つまり、ノルマというものを批判する気持ちはありつつも、自分自身はノルマなしには生きていけないという情けなさ。

で、今年の目標はすでにすっかり挫折しかかっている。私は、私にとっての「悪」に染まったままである。
ひょっとすると、これが「年寄りの冷や水」というものなのか。
脱国家へ道は険しい。

3.11で変わったこと

2015年03月13日(金) 0時49分
3.11(私の場合、おもに福島原発事故のこと)が起きて、私はまったく変わった。風景の見え方が変わったし、社会を見る目が変わったし、人との付き合い方も変わってしまった。食べ物への注意も変わったし、医療や学校や国家やテレビなど、もういらないと思っている。

芝居もかなり変わったのではないか。それまでは「ゑんぎのサーカス」とか「野蛮でおじゃらけたドリームタイム」とかを合言葉にしていた。その精神は今でも基本的に変わらないが、3.11以降、急激に芝居がアジテーションになった。というより、そう受け取られるようにもなったのだ。2011年の芝居は3.11直前に構想しほぼ書きあげていたもので、多少の変更はしたが大きくは変えていない。「遠くで酷いことが起きている」という芝居として書いたつもりだったが、それはもともと沖縄のことや中東のことを想定していた。遠くの国は「南の国」と呼ばれていた。けれども、福島からの避難者が南国で観てボロボロ涙を流した。その年は、関東より北の公演は全てキャンセルしたからだ。

なぜキャンセルしたかと言えば、情報が隠ぺいされたからだ。予定変更は3.11の一週間後に決めたが、その時私はまだ爆発したことを知らなかった。「ただちに影響はない」ばかりを繰り返す政府、安心をふりまき、復興支援ばかり垂れ流すマスコミに絶望したのだ。この絶望は深かった。情報は海外からの情報をツイッターなどで知った。その時期はちょうど旅の準備期間だったので、家族としか顔を合わせず、よけいに不安な日々だった。旅に出て少し心は和らいだが、それでも政府やマスコミの情報に頼っている人も多く、そういう方たちからの差し入れには戸惑った。

国家の支配層たちは、絶対に責任など取らないし、取るつもりなどはじめからないということが、つくづくわかった。せいぜい責任を互いになすりつけあうくらいだ。それも、フリをする程度である。政治家も官僚も、裁判所も警察も、国会も財界も学会も、全部グルだとわかった。組織のトップは全部グルでクレイジーだとわかってしまった。本人たちはもしかするとわかっていないかもしれない。ひょっとすると、消毒とか殺菌とかという感覚で、人が死ぬのを眉をひそめて見ているのかもしれない。

基準値の度重なる変更や、計画停電のウソ、不毛な除染、盗まれる復興資金。そんなことが当たり前になった。なかでも驚いたのは、放射性ガレキのバラマキだ。封じ込めるべきものを、わざわざバラまいた。あの人たちは、日本の国土とか人口とかなどまったく問題にしていないのだ。そこまで人殺しだったとは思いもよらなかった。

次に驚いたのが、東京オリンピックの決定だ。世界中で日本の、東京の核汚染については周知の事実だ。日本では情報が隠ぺいされているため、あたかももう事故について忘れかけている人もいるかもしれないが、世界にはそういう情報は溢れていて、日本人を心配している人もたくさんいる。そんな中で東京オリンピックが決まったということは、世界の支配層が日本の軍国化を応援するようになったということ以外に、私には考えられない。ナチスのオリンピックしかり。戦前の幻のオリンピックしかり。

民主党のただただゴマカシの政治にも呆れたが、自民党になってからはゴマカシの上に、急激な右傾化が上塗りされてきた。ヘイトスピーチが起こり、沖縄の辺野古に新基地が作られようとしている。京都の丹後でも米軍が新しくバンドレーダーを設置しようとし、日本中でオスプレイが飛びはじめた。閣議決定で次々とファシズム的な法案が作られ、無意味な選挙をし、民意まで得たと主張する。これらの極右化を、世界もアメリカも眉をひそめる態度を時々見せるが、どうも本気には思えない。

国民の不安や危機感を外敵にすり替え、そのあいだを縫うようにして、ワクチン、精神薬を強制し、増税につぐ増税と弱者切り捨て。憲法さえ改正しようとしている。どこまでがマッチポンプなのか。問題を増やせば増やすほど、肝心な問題が見えなくなるのだというほどに、問題を作り出そうと開き直っているようにさえも思える。

じつは、3.11の津波や原発事故は、天災ではなく人為的なものだという噂もある。9.11もそうだが、今の私にはまったくありえない話ではないと思える。そう考えた方が、ずっと辻褄があう。空からはケムトレイルといって、アルミニウムが撒かれているという。それを知ってからは、日本中でおびただしい飛行機雲を見るたびにイヤな気持ちになる。陰謀論には色んなことがあるが、私はすでに、あえて陰謀論者だ。

酷くなっているのは、日本だけではない。じつは世界中が酷くなっている。まるで世界がもう滅びる寸前で、最後の火事場泥棒を争っているかのような印象さえ受ける。私は、去年沖縄の高江で、世界のあちこちを旅している写真家の人に、「世界情勢は、良くなっていますか、それとも悪くなっているんでしょうか」と尋ねた。しばらく考えて、彼は答えた。「悪くなってるでしょうねえ。前は行けたところが行けなくなっている。そういう場所が増えてきている」

どちらにしても、彼らにとっては、私たちなど虫ケラのような存在にすぎない。金を貢いでくれるなら奴隷としての存在意義もあるが、邪魔であれば駆除するべきバイキンである。どこからどこまでがそういう層なのか、明確にはわからないが、そういうシステムを崇拝し、応援し、ぶら下がり、首を切られるのをヒヤヒヤし、下の者を苛めている、そんな人たちがいかに多いか。そういうことが骨身にしみてわかったのが、この4年だった。

今、システムという言葉を使ったが、このシステムにも色々ある。製薬会社を中心とした医療、軍需産業、金融、それらは皆グローバルなシステムを作っていて、国家を操っている。けれども、国家や政府というものがそれらの正統性を作っていると、私は個人的に考える。ときには英雄的な王族の血統として。ときには人々に選ばれた民主主義の国家として。国家は様々な正統性を作り出し、国民を従わせてきた。しかし、その正当性はプロパガンダの結果でしかない。そんなものに正統性を感じてきたことが、そもそも大きな間違いだったのだ。

国家を持たず苦労している民族もいる。国家を離れ、苦労している人たちも多い。民族的に今の国家に違和感を感じている人たちも実はたくさんいる。その人たちが新しい国家を求める気持ちもよくわかる。けれども、イスラエルがまさにそうであるように、差別されてきたものたちに新しい正統性を作り出す国家が作られれば(それはしばしば国際社会・グローバルシステムが与える国家なのだ)、それは新しい差別を生む。人々を分断し、差別を作り出し、その差別の上に正統性が作られるからだ。

3.11から話がずいぶん飛躍しているかもしれない。けれども、3.11を経て私がずっと考えてきたことは、国家などいらないということ。国家などいらないという前提がないと、正しい国家とはなにかという正統論に、話がなってしまう。アイスランドの革命が今どうなっているかを知らないが、ひょっとして成功を続けることができるなら、国家の可能性もまだあるかもしれないが。

同時に、様々な抵抗運動こそが重要だということだと確信するようになった。まさに、様々な抵抗のあり方があった方がいいということでもある。ちょうど免疫力のように。だからこそ、私たちの芝居も、ひとつの抵抗運動になる。「抵抗運動にリーダーはいらない」ということも、沖縄の運動から学んだ一つだ。リーダーがいなければ、リーダーの生命が象徴的に危機に晒されることもなく、リーダーが寝返ることもない。一人一人が自身の意志で行っている抵抗運動になるから、強い。

権力の集中や支配の強化は、ちょうど人体のガンのようなものではないか。ガンは完全にはなくならないが、ガンだって多少の意義はあるのだろうし、免疫力があれば、そうそうガンに支配されるわけではない。抗がん剤はまるでテロのようで、ガンを叩くどころかよけいにガンに支配される土壌を作ってしまう。ガン(権力)を作る土壌を避けること、免疫力(抵抗力)をつけること、そのために芸能や知恵を磨こうと思う。

それがどこまで間に合うか。今や7人に1人は飢えている。毎日100種以上の種が絶滅している。四国と九州を合わせた面積が毎年砂漠化している。今や、恐竜が滅びた時代と同じくらい過酷な時代なのかもしれない。もう、間に合わないのではないかと日々絶望感に襲われながら、どこかに希望を見出したいともがいて、毎日を生きている。
それが3.11以降の私の世界だ。

脱国家論 S脱国家暫定政府の政策

2014年03月13日(木) 22時25分
S 脱国家暫定政府の政策

 脱国家暫定政府は、もちろん脱国家をめざす暫定政府だ。
 だから、いずれは政府そのものをなくすことが一番の公約だ。
 矛盾はしているが、突然政府不在になれば、混乱が起き、どさくさにまぎれて国は誰かに奪われてしまう可能性がある。それは避けたい。

 この暫定政府は、政権を取った瞬間になにからするべきかを考えておかなくてはならない。

 まず、武力の完全放棄を世界に宣言する。
 自衛隊(そのころはとっくに軍隊になっているかもしれない)の武器に鍵をかける。
 自衛隊は世界のレスキュー隊にしてもいい。
 他国からの侵略が心配かもしれないが、軍隊をもつ今の国家に負けなかったのなら、他国も同じだ。一時奪われても、抵抗の力はすでに大きいはずだ。
 国家を守るのでない。一人一人が自分で自分の命を守るのだ。そこに武器は必要ない。
 武力の完全放棄こそが、その後に平和をもたらす可能性を高くする。

 次に、日本銀行をいったん国有化し、メガバンクの資産を凍結する。
 天皇制を廃止する。
 核や、金融、大企業を整理、縮小、解体する。

 この暫定政府は、国の役割を小さくしていくことと、自然を回復させることが使命だ。

 新しい憲法は、ゆっくりとみんなで考える。いらないかもしれない。
 暫定政府がするべきことについては、みんなで考える必要がある。
 法律も減らしていくことができるだろう。
 エリートや専門家にはまかせない。むずかしいことはしない。

 県、市町村、地区レベルへと権限を分散させていく。
 全部田舎をめざす。都市はなくなってもいいかもしれない。
 国民皆農という考えもあるそうだ。誰も食べることには困らないという。

 権限の分散により、暫定政府は連邦制になり、やがて不要になる。
 小さい多様な自治で、人は生きていけるようになるはずだ。

 国旗はいったん虹色になる。でも、それはやがて国旗ではなくなる。
 世界中に、虹色の旗がはためくようになるからだ。

脱国家論 R脱国家暫定政府を作る

2014年03月12日(水) 18時22分
R 脱国家暫定政府を作る

 脱国家はどうやって実現するだろうか。

 一つの方法は、選挙だ。
 自己矛盾してはいるが、脱国家党を作って選挙に勝ち、政権を取る。
 一時的に、脱国家党が国家となる。
 今の選挙制度では代表を立てなくてはならないから、これも「リーダーはいらない」という原則からはずれてしまうが。
 代表はマイノリティがいい。私はアイヌの女性がいいと思う。

 勢いとして実現できそうになれば、国家の利権者たちが妨害してくるだろう。
(ひょっとすると、バカにして油断するかもしれない。)
 もし圧倒的多数を占めることができれば、脱国家のための暫定政府を作る。
 これも矛盾しているが、いきなり全て脱国家は危険だ。

 なんでもゆっくりの変化でいい。
 100年かかっても、脱国家は値打ちがある。
 でも、政権を取るときは短期間だ。
 そこから本当の脱国家がはじまる。

 選挙妨害や不正選挙などによって、選挙がダメな場合は、圧倒的多数のデモやストライキ、ボイコット、税金の不払いや銀行預金の引き出し、国民投票に持ち込むなど。
 平行暫定政府の樹立を宣言してもいい。

 まだまだ方法はいくらでもあるだろう。

 大勢の人たちが脱国家をめざすようになっていれば、国家そのものがかなり弱っているはずだ。
 軍隊も警察も行政も、脱国家したくなっているかもしれない。

 圧倒的多数の支持があれば、この脱国家暫定政府は実現可能だ。

 その支持者を増やすためにも、レインボウフラッグは有効だ。
 虹色をからだにつけたり、家の外になびかせたりして、それが増えていく。
 もし国家が全ての家に国旗掲揚を義務づけても、その横に虹の旗を掲げれば帳消しだ。

脱国家論 Qレインボウフラッグ(虹の旗)の提案

2014年03月11日(火) 18時38分
Q レインボウフラッグ(虹の旗)の提案

 社会が変わろうとするとき、最初はあちこちでバラバラに運動が起きていく。
 この日本だけでもたくさんの問題がある。原発、差別、格差、自殺・・・
 だから、たくさんの社会運動がある。民主化運動がある。
 今まで書いてきたことは、じつはすでにあちこちではじまっている。

「問題は山積みになっている」と、じつは政府もくりかえし言う。「がんばっています」と。
 同時に、国家は問題をそれぞれ切ったり貼ったりして、バラバラにしてしまう。
 そして、バラバラにされた問題の中で、運動もバラバラにされてしまうときがある。
 御用学者という専門家を連れてきてケムにまいたりもする。

 だからこそ「多様性のための問題意識」つまり「脱国家」というテーマが必要になる。
 たくさんの問題の根は、国家そのものにあるのだ。

 裁判、警察、機動隊、軍隊などの暴力装置を持ち、それを拡大しようとする国家とその問題。
 情報をコントロールし、人々をマインドコントロールしようとする国家とその問題。
 お金を吸いあげて疲れさせ、お金の力でねじふせてくる国家とその問題。
 ピラミッド型の正当性を維持しようとする国家とその問題。

 国家を一度なくそうと思わないと、これらの問題は個別の問題にとどまってしまう。
 大勢の人たちが国家を疑い、国家に従わなくなれば、国家も変わる。
 いろんなことが、16%の人たちに広がれば、あっという間に全体に広がるという説がある。
 ターゲットは国家だが、変えるのは私たちやあの人たちの意識。
 
 そこで提案。

 レインボウフラッグ(虹の旗)というものがある。
 平和運動の旗でもあり、多様性のシンボルとしてゲイパレードなどでも掲げられる。
 人権の旗でもある。
 このレインボウフラッグこそ、多様性社会実現とそれにともなう脱国家の旗にふさわしいと、私は思う。
 今までの無政府主義の黒い旗でなく、虹色の旗。
 私は、生物多様性の旗、環境多様性の旗としても考えたい。
 このレインボウフラッグを掲げることで、さまざまな運動は、脱国家運動にもなる。

脱国家論 P生き生きと生きる

2014年03月10日(月) 21時58分
P 生き生きと生きる

同時に、こんなことも大事だと思う。

子供と遊ぶ。恋をする。芸を磨く。からだを鍛える。

怒ったり笑ったり、泣いたりする。大声で歌う。
オシャレで派手な服装をしてみる。(向うは制服と号令の世界だ)

楽しくいろんなことをやる。疲れたら休む。
抵抗することが楽しくなれば人も集まる。
子供だって本気で怒ってくれる大人を求めている。

いざという時のために、サバイバル能力を身につける。
食べられる草や木の実、キノコや虫や魚や鳥や獣の知識を身につける。
よくも悪くも、大きな変化に耐えられるようになっておく。
いろんな意味で強くならなくてはならない。

ただし、単独や少人数で、暴力的なことをしないようにしよう。
向うに取りしまりをきびしくする口実を与えるだけだ。
むしろ、警察も役所も軍隊も味方につけよう。それができないと、目的は達することができない。

何度か痛い目にもあうかもしれないが、脅しに屈してはならない。
でも、ときには逃げ出してもいい。

リーダーは作らない。なにしろそういう世界を作りたいのだ。
それに、リーダーでまとまらない方が、負けにくい。取引ができなくて、向こうが困るからだ。

統治するのが面倒だと思わせたら、こちらのものだ。

コントロールできない子供との格闘を楽しむのがいいか。それとも・・・
子供をコントロールするのが大人の役目で、コントロールしやすい子供をいい子だと考えるのか。
子供や生き物との関係も、国家との関係も、じつは同じ(正反対に)なのかもしれない。

脱国家論 O運動の中で仲間や友達を作る

2014年03月09日(日) 18時58分
O 運動の中で仲間や友達を作る

 もっと楽しいのは、運動に参加して、友達や仲間を作っていくことだ。

 国や大企業のやることに関心を持ち、反対し、抵抗する。
 署名や座り込み、デモに行く。
 差別を許さないことを表現する。
 軍事施設に反対する。その建設に抵抗する。
 戦争に反対する。
 右傾化をさまたげる。
 自然破壊に反対する。
 いろんな集まりや勉強会に出かけていく。

 いろんなことを表現する。
 一篇の詩、一枚の写真でも、力を持つことがある。
 屁をかますことも、抵抗の一つだ。
 人との出会いを大切にする。

 小さい問題や少数者の問題から目をそむけない。そんな少数者こそが平和を作る。
 身体障害も多様性の一つだ。財産だ。
 異邦人も仲間だ。仲間どうしは応援しあう。
 多様性の社会をめざすなら、人に肩身の狭い思いをさせてはいけない。

 こういう運動に参加して、学ぶことはたくさんある。
 けれども、運動そのものが硬直してしまうと、しんどくなる。
 運動そのものにも「多様性を認め合う精神」がないと、しんどくなる。
 そういうときは、運動の中で抵抗するしかない。

 国家はあまりに強大だから、運動はじりじりと押され、目的はかなわないかもしれない。
 でも、そこで得たこと、とくに仲間は一番の財産になる。
 じつは、多様性の社会が実現したとしても、いろんな運動は必要だし続くはず。
 だからこそ、楽しく抵抗していくこと。
 いろんな問題を考えたり、行動していくのは、あたりまえ。
 それを誰かに預けたら、楽になるというのが、国家の考えでもあるのだ。

 世界の悲しみに引きこもっていては、やられっぱなし。
 唄い、踊るように、抵抗運動をつなげていく。

脱国家論 N国家を疑ってみる

2014年03月06日(木) 20時37分
N 国家を疑ってみる

 国の言うことを疑ってみる。
 マスコミの言うことを疑ってみる。
 インターネットでいろんなことを調べる。
 宗教にはまらないようにする。

 テレビを見ないようにする。
 子供を学校に行かせない。
 学校のやることに関心をもつ。
「大物」には投票しない。
「君が代」を歌わない。

 政治に関心をもつ。
 食べ物の安全性についてもっと知る。
 食べ物の流通について、考える。
 
 あえてひとつひとつ説明はしないでおこう。

 この社会のおかしさをもっともっと知る。
 そして、自分自身で考える。
 人ともいろんなことを話す。聞く。

 今度の選挙をどう思うか。
 沖縄の米軍基地をどう思うか。
 TPPや戦略特区の正体はなにか。
 放射能はどこまで危険なのか。
 新しい法律は、なにを進めているのか。
「儲かる戦争」をやりたがっているんじゃないのか。

 この疑いを持つということは、とても孤独なことだ。
「信じる」というのは、すごく安心できる。
 けれども、そういう性善説的な気持ちが、国家に利用されてもきた。
 
 戦争は全て金儲けのために起きる。
 それが正当性や合法性をいつも主張する。国家を通して。

脱国家論 Mお金の流れを変える

2014年03月05日(水) 18時09分
M お金の流れを変える

 続けてみよう。
 国家はなによりお金を吸いあげるシステムだから、お金の流れを変えることを考える。

 大きな店とくにチェーン店での食事や買い物を避ける。
 近くの小さなお店を大事にする。
 大きなメーカーのおやつや食品を買わない。

 銀行にお金を預けない。
 銀行振り落しをやめる。

 薬に頼らない。ワクチンや精神薬、抗がん剤を使わない。
 病院に頼らない。終末期医療をこばむ。

 児童相談所に持ち込まない。
 心理カウンセラーに相談しない。

 借金を作らない。
 税金をなるべく払わないようにする
 葬式にお金を使わない。
 公営ギャンブルやパチンコをしない。宝くじを買わない。
 ヤクザの資金源にならないようにする。

 株をやらない。
 ペットショップで動物を買わない。
 地域通貨を試してみる。
 物々交換をする。

 いい調子だ。

 こういうことをみんなが試していくと、国家というシステムを使った金儲けは、だんだん成り立たなくなっていく。
 同時に、これらは全て身近な、お互いに言葉をかわすような、暖かい関係の修復でもある。
 お金で解決してきたことは、地域とか人間関係とか会話とか、そういうものを切捨ててきたことでもあるのだ。

脱国家論 L脱国家に向けてできる小さなこと

2014年03月04日(火) 18時12分
L 脱国家に向けてできる小さなこと

 二つの民主主義がある。

 ひとつは、自分たちの問題は、自分たちで考え、話しあって決め、自分たちで解決。
 もうひとつは、人々の問題を、リーダーが考えて、こっそり話し合って決め、国が解決。

 もちろん、本当の民主主義はひとつめだ。
 大切なのは国じゃない。

 国家にだまされず、本当の民主主義を作り出すためにできること。
 脱国家に向けてできる、とても小さなことから考えてみる。

 まず、自分が99%の側にいるという自覚を持つ。
 1%には逆立ちしてもなれっこない。
 1%の下の下の下くらいにぶら下がれるかもしれないが、そっちに行かない決心を固める。
 だってぶら下がってるのはさみしいし、いつ切られるかまったくわからない。

 多様性の社会をめざして、国家をなくそうと考えてみる。
 なにができるだろう。

 たとえば、イヤなことははっきりイヤということ。
 有名になろうとか、お金持ちになろうと、思わないこと。
 自然を大切にし、自然と親しむこと。
 お金があまりかからない生活を工夫すること。
 お金をあまり使わなくても楽しく暮らせるコツを身につけること。

 公務員にならない。大企業に勤めない。
 公務員だったり、大企業に勤めていても、流れを変えることを考える。
 できれば自営業をやる。家族で仕事する。働きすぎない。

 畑をやる。できれば自給自足をする。
 田舎に住む。
 いろんなものを自分で作る。
 土のうの家なんか、今、注目されている。
 大道芸でお金をかせぐ。
 そんなことだ。
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