【軽井沢キッズ合宿で話し合ったこと】〜K-1チームは解散してもいい〜

August 15 [Wed], 2018, 0:36


「K-1チームは解散していいと思うよ。本気だ」

僕は子供たちに従来からの"本音"を打ち明けた。

合宿三日目。
午後の稽古に残ったのは13名中たったの4名。
うち1名は空手以外の怪我による別メニュー参加で、前日に合流した太郎だった。
その4名にお腹を壊したため、自ら見学での参加を表明をしたタツイチが加わった。
動いて実習をしたいといって残ったのは、ミホ、ゲンスケ、ハナコの3名だけだった。

僕は休養を申し出た子供を責めることなく車で宿舎に送り届けて体育館に戻ると、ゲンスケ、太郎、美帆、ハナコが途方にくれていた。そして整腸剤をとってきたタツイチが加わった。

「この流れ、やっぱりおかしい。。」

そうした雰囲気というか不満。
僕はきちんと一人一人に耳を傾けた。
そして僕は口を開いた。

「やりたくないのに無理をすることはない。やりたい人間だけが明日以降も僕の指導を受ければいい」

ただ、"チーム"という括りについては見直した方が良いだろうと僕は告げた。

リーダーのゲンスケはスマホを片手にとると、サブリーダー的な位置にいるショータに電話をかけた。

「あのさ・・・。俺たち本当にこれでいいの?」

電話の向こうでは、次々に相手が代わり一様に "今日はリフレッシュしたい"という言葉がでてきたようだ。

ゲンスケがため息を重ねている。
ハナコが苛立つ。
太郎が目を瞑る。
タツイチがゆっくりと瞬きをする。
高校生のミホが僕の目をじっと見つめる。

結局午後から夜24時を回るまで、子供たちの話し合いは続いた。

僕はドライに割り切った方がいいと5人に提案したが、ミホを除く4人は「みんなで意見を合わせて、とにかく頑張らせて合宿を継続したい」と言って譲らなかった。

ミホは自らの経験上「全体」に気を使って流されるより、「個々の気持ち」が大切だという意見だった。
それは指導者である自分も全くもって同じだった。

今はチームより個々のモチベーション次第。やりたくなければやらない。
その代わり目標を意識する合宿からは、足を引っ張り合わずに離脱した方がいい。
その分成長はないわけだから、K-1や大阪の全日本大会出場も見合わせる。
極めて合理的な考え方だと思うし、一見ドライなようでいてお互いを尊重した自立した意見だと思う。

長い話し合い。
子供たちが意見をぶつけ合っているが、それはとにかくやらせてもいいと思っていた。
時折子供たちが論点を見失い混乱をすると、状況を整理して僕も説明をきちんと加えて行った。その時間もしっかりととった。

子供達は体の調子が悪いわけでもない。2日間の稽古で心身の疲れはある。
合宿でメニューを進めていくうちに、それぞれが自身の課題を浮き彫りにしたところで、改めてその課題に取り組んで行くのが、億劫になってしまったり臆病になってしまったりというのが現状だった。

「午後練習は休んで、最終日の明日に回します」
誰かが一人口走ると、次々に同調しあって大量の離脱者を生んだのだ。

奇しくもそんな折に、あるチームの実力者のご父兄から辛辣なメールが届いた。

「私はK-1チームに反対です。無拳流がどんどん変わっていくことに危惧を覚えています」

そういったような内容で、非常に長く切々と丁寧に心情を述べてくださっていた。

僕は一人部屋に戻って、文章にしっかりと目を通すとベッドに転がった。

(おっしゃることは100%正しい・・・それは分かってやってきたんだけど甘かったかな・・・)
噛みしめるように独りごちた。




二年前。
お盆休みで休暇に入った僕は、お母様に許可をいただき太郎と花子をプライベートで軽井沢の家族旅行に帯同した。武道場も予めリザーブをしておいた。

この夏、僕は髪を染めて太郎を待ち構えていた。
前年、沖縄に帯同した時に太郎はホテルで僕と喧嘩をした。もうNYに帰りたくない、先生たちとずっと一緒にいたい、でも僕はガイジンだから、目の色も髪の色も違うし、帰らなくちゃいけないんだ、みんなと一緒ではないんだ!そういって布団をかぶってしまった。

それでこの年は髪の色を染めて待っていたのだが染めすぎた。
そしてさらなるオマケもついて、より一層太郎は暗くなっていた。
「せっかっく日本に帰ってきたのに、仲良しだった空手の友達がみんないなくなっちゃった・・・」

それらの友達は他の格闘技へ移ってしまっていた。
僕がいろいろな理由から積極的に勧めて、その競技に進んだ子もいた。
そして彼らは「全日本」という冠のついた大会などにも出場をしてなかなか充実しているようだった。
それが空手狂の太郎には許せなかった。裏切り。
より一層 "孤独"と"闇"が極まっていたのだ。

だから僕は太郎に軽井沢で様々なことを教えた。
友達が移ってしまった他の格闘技の技術について。
僕はその格闘技については単なるビギナーにしかすぎないが、ちょっとだけは経験はあった。
全く何も知らない子供に身をもって伝えることはできたと思う。

スパーを経験をした太郎は「他の格闘技もすごいですね。こういうのをビギナーからやり直すなんて、やっぱりみんなすごいです」と少し卑屈になっていた心を改めたようだった。

「でも、みんないいですね。全日本とか世界目指すとか・・・。僕はそれでも空手が好きだから、どんどん独りぼっちになっていく・・・」

太郎はそういって、夜空の星を見上げていた。
少し肌寒くなった軽井沢の夜。
太郎の眼鏡が曇っていた。
そして震えるように泣いていた。
深く傷ついていたようだった。
せっかくNYから来て、一緒に汗を流す友達がいない。
まだ10歳の少年は厳しすぎる現実だった。

花子が遠くの野原で野ウサギを追いかけていた。
僕の息子のサスケは当時3歳。それを幸せそうに微笑んで取り巻いている。

僕は言った。

「髪の色はスベったけど、来年楽しみにしとけよ。それに空手仲間だって増える。大丈夫だ」

太郎が儚く笑った。

「いいです、僕は先生に会えるだけで・・・先生の空手が好きだから・・・」

僕はこういうことを言われて嬉しくなるような人間ではない。
ダメだ。世界が狭すぎる。

太郎にも他の生徒さんたちにも「早く僕を卒業してほしい」。いつも常にそう思っている。
そのためにも"何とかしよう"と決意した。
太郎にもその他の根っからの空手大好きな子たちのためにも。

当時は運動神経が良くて内部大会で常勝するような子たちは、そこで"歩止まり"だった。
内部大会で毎回同じ子たちとしかも同門で当たる。
高学年にもなれば、受験などで所属者も減り相手も固定してくるからなおさららだ。
マンネリ感も漂う。

モチベーションが高揚するようなシーンを作り出せていなかったのも事実だ。
大切なのは「武道」。
だから競技性を少なくしてもいい。
果たしてそれでもいいのか。。

いや、そうとばかりも言えまい。
やはり若い情熱が精一杯目指せるものを用意することも大切なのではないだろうか?
剣道や柔道だって、大きなトーナメントがあって若いうちは選手として大いに情熱を燃やす人たちが多い。

もちろん空手にもある。
無拳流空手道もかつては色々な組織からの呼びかけも多くいただいてきたが全て辞退した。
なぜか。あくまでも「MUGEN STYLES」にこだわりたかったからだ。
"無拳"と書いてMUGENと読む、その理想。
そこから離れてしまう空気を作るのが嫌だった。

一度はMUGENの全国組織を急ピッチで作り「全国大会」を作ることも検討した。
足りないものが多すぎた。

僕は若い情熱が精一杯情熱を燃やせる場所作りを検討するにあたって、以下の絶対要件を作っていた。

(1)安全性が他のトーナメントよりも高いこと
(2)武道性よりスポーツ性が高いこと
(3)一般的な人の知名度・認知度が高いこと

これが無拳流空手道とコンペティションチームが両立できる重要なポイントになると考えていた。
そして僕は密かに調べていた"ある方面"へのコンタクトをするために、その日から一年さらにそこの世界を間調べ続けていたのだった。



果たして翌年夏に太郎・花子が来日した折には、MUGEN-KARATEは「K-1アマチュア公認ジム」の認可を受けていた。早くも7月の初陣に参加することができるようになっていたのである。

アメリカでは組手大会の経験に乏しかった太郎と花子は大喜びした。
しかも「K-1」という誰でも知っているビッグブランド。

そして必ず僕は親御さんに言い足している。
「顔面パンチは無しです。そして空手ルールと一緒です」

安全性が通常のフルコン空手大会よりも、この上なく高いのがK-1アマチュアキッズルール。
そう断言して良いだろう。

7月の初陣には4人の参加。3人の勝利。
現在クラス昇格して活躍している林辰太郎は負けた。MUGENでは無敵の子も負ける。それがK-1だ。
太郎は秘策として授けた「胴回し回転蹴り」で勝利、花子もその身体能力の高さをいかんなく発揮し「側転蹴り」を連発、手堅く勝利した。

その後チームメイトは急激に増加した。
たった4人の出発から、10人の所帯へ。9月初旬の大会に出場することになった。
太郎と花子も帰国を延期。9月のK-1に臨むことになった。

今年夏の四国松山合宿で、ある年長キッズがしみじみこう話していた。

「先生、普通の空手大会だったら、僕らはK-1に出ている有名道場の子たちにはボコボコにされてましたね・・・」

後から身をもって理解できることもある。
僕が従来から「1年目の大躍進は作戦勝ちだ」と言っていることを、メンバーが身をもって分かったことは大きな成果だ。

僕は別に作戦を立てた名指揮官振りたいわけでもないし、その成果をアピールして名誉だと思う趣味があるわけでもない。それならば従来から違う空手道場の運営方式をとっている。

フルコン空手にせよ、伝統方式にせよ、硬式その他にせよ、僕は経験上知っている。
どの世界もコンペティションの世界は本当に厳しい。

今の僕らの道場のルーツであるフルコンについていうと、大会では「効かす打撃」を磨くことになる。
僕は子供のうちからそれを指導すること、それをとことん競わせることに抵抗感があった。

だからK-1アマチュアのボクシンググローブやボディプロテクターで守られた環境は魅力的だった。
勝つにせよ負けるにせよ「安全性に優れている」と判断できたわけである。

四国松山の名門・悠心館道場の空手に触れて、全国で通用する空手がどんなものか。
それを知ったのはメンバー及びその周辺の「勘違い」を拭うためにも、本当に良い経験だったと思っている。

初年で高学年重量級で全国制覇を成し遂げた後、MUGENチームが採用してきた奇襲攻撃は次々と他の道場に取り入れられてしまって、今や普通のテクニックとなっている。

当然今年に入り苦戦が続いている。
安全性が確保された環境の中で、「地力と実力をしっかりとつけて栄冠を目指すコンペティションチーム」を目指し、「アスリート意識」をメンバーが意識して実行していけるようにする。

それは「当初望んだ環境」に改めて立ち返ることだった。

K-1チームは無拳流空手道のオプション。

あくまでもそうなのだ。
無拳流空手道を頑張った上で、オプションであるK-1競技にもアスリートとして没頭する。
僕はそう位置付けている。

親も子供も「K-1ブランド」を自分の生活にあてがって喜ぶ風景は要らない。
また「キッズのお遊びアクティビティ」などという微笑ましい側面も要らない。

アスリートとして優れた挑戦をしてほしい。

「子供じゃない ファイターだ」
そういう気概を持ってほしい、それがK-1キッズチームに求めていることであり、無拳流空手道の青少年教育にオプションとしてつけたそもそもの意義だ。




大半の子供たちがコンペに向けた合宿に集中しきれず、生半可な状態が生まれてしまっている。

それならば僕は無理をしてやる必要はないと感じているし、適当な練習をしてコンペに望むのならば格好が悪い、やめたほうがいいと思う。

これは今も悩み続けていることだ。練習だけでなく、日常から糖分の恐ろしく高いスウィーツなどを普通に摂らせて喜んでいるご家庭にも正直困惑している。どうしたら分かってもらえるのだろうか。。
一方で、指導者や親に任せっぱなしで、自らトップアスリートを目指そうとしないのんびりした子供たちもいる。

僕が思うオプションチームは、一人一人が本当にアスリートとして自立したトップチームだ。
現時点での実力はどうでもいい。勝利など後からついてくる。
才能のある子でさえ、適当でお手軽なドラマに満足しているのがいやだった。

合宿。
子供たちは「最終日は心を入れ替えてきちんとやります。指導お願いします」という答えをまとめた。
決定までに長時間かかったのは、子供たちが「自分の本当の気持ち」について考え続け、"みんなで一緒に頑張る"という路線にリーダーたちもメンバーたちも最後までこだわったからだ。

僕は伝えた。
「先生自身は"はじめにチームありき"という考え、"みんなで"という考えを信用していない。好きではない。優れた者が自分を徹底的に管理して高みを目指し実力をつけていく過程で、志を同じくする人間が現れる。集まってくる。それが仲間でありライバルであり、同志と呼ぶんだと思う・・・」

また、こうも付け足した。
「志(こころざし)というのはサムライ(士)の心と書く。たとえ一人でも信念を貫くのが本当だ。ちなみに僕がみんなの立場だったら、すでに軽井沢にはいない。一人で東京に帰って東京のクラスで汗を流しているか、このチームを抜けているだろう。人に足を引っ張られる意味がわからない。だってこのクラスはオプションなんだろう。それなのに意識が低い。特別でもなんでもない。。。」

そう伝えて、とりあえず明日は仕事として先生は残った5人以外のメンバーの指導も続けることにしますと言い渡した。もちろん「仕事として」なんて割り切れるわけがない。みんな可愛い生徒さんたちなのだ。

だけど嘘はつきたくない。
常に遠慮なく正しいと思うことを言う。
行く道を行くためには、はっきりと主張して自分が行きたい方向をアピールする。

僕は同部屋の子供たちが眠ると、また起き出して朝方まで事務仕事に追われた。
東京での仕事が免除されるわけではないのだ。
合宿中はいつも朝方まで仕事をしている。

順番。
業者さんやご父兄、メンバーさんにメールやメッセージを返す。

ようやく「K-1反対」のご父兄に返事を書くことができた。
以下、先方のお名前を消してある以外は "ほぼそのまま"である。

親御さんは、子供が一所懸命に物事に打ち込んでいるのは素晴らしいが、無拳流が本来の姿からかけ離れていくことに危惧を覚えている。子供には早く無拳流空手道一本に戻ってほしいと願っておられていた。

僕は真心を込めて"本心"をしたためた。


"メールをいただいた時に、
ちょうど子供たちと話し合っていたところでした。
K-1キッズチーム解散についてです。

○○くんというK-1キッズチームの優秀なメンバーの親御さんのお立場からすると、より一層、無拳流が勝利第一主義に偏っているように思われるかもしれません。
所属者には、やる以上は相応の努力をしてもらっていますのでなおさらです。

しかし現在お預かりしている約300名のお子様のうちK-1チーム所属者は15名ほどです。
あとの285名は従来のように空手に取り組んでいます。
また社会人クラスの約150名はK-1にはほぼ関係がありません。

K-1キッズチャレンジは特に経営には何の効果ももたらしておりません。
それどころか全くの逆です。あらゆる意味で赤字事業です。

そして○○さんと同じようなお考えの親御様が多く、今回と同じようなご意見を常にいただいております。

K-1キッズは、大好きな無拳流の中に身を置いた上で、さらに外の世界にチャレンジしたいというお子様を応援するものです。
子供たちは無拳流の中でも「お手本」とされるような礼儀正しく優しい子達ばかりです。学業も優秀な子が多いです。
それでもその子たちは「チャレンジ」をしたがっています。

本来は私は○○さんと同じ考えです。
無拳流の道場で、そもそも叶えたい武道観・人間修養の理想と役割は完結できるよう尽力しております。

しかしこの道場に所属した上で、さらなる情熱を燃やしたいという子たちは、
私の経験から得た理想を受け取ることよりも、自分たち自身の青春を実際に燃やしたオリジナルの経験を得たいと思っています。
それが若さなのだと思います。

一年前にこのチームを発足した背景には、様々な人間ドラマがありました。
子供たちを自分の枠に入れずにチャレンジをさせる機会も創出すべきか・・・
私も苦渋の決断でした。
若い情熱を本当に応援するとはどういうことなのか。
本当に悩み抜きました

現在ディフェンス能力の高いK-1選手セミナーを大きな赤字を負って招致したり、ディフェンスを重視した名門ボクシングジムでの練習環境を提案しているのは、ごく一握りの○○くんたちのようなチャレンジャーたちの安全を少しでも高めたいからです。

それらの道筋をつけるために、K-1やボクシングジムの代表者たちにも然るべき「誠意」を示して、「趣旨了解」をしていただける努力を重ねています。
うちの子たちはそれらの組織の一般生よりも、厚遇を受けているはずです。

他の門下生やご父兄からは、K-1チャレンジのお子様にばかりかかりきりになっていると苦言を呈されることも多々あります。
ただ自分の生徒さんが戦いの場に果敢にチャレンジをする一方、惨めな敗北をする可能性もあるのに悠長にしていられるはずもありません。

ただし、生徒さんたち自身が努力を怠ったり、ご家族のご支持をいただけない背景が重なるのであれば、
私はいつでも解散したいと思っています。

今後、このプロジェクトに対してより一層ご不安が増されるようでしたらいつでもお申し付けください。
素直に受け入れさせていただく覚悟をしております。


山口 拝"


このメールに対して、ご父兄は気持ちの良い返信をくださった。
こんなにも先生は考えておられたのですねと。無拳流はやはり素晴らしいです、これからも宜しくお願いします!と大きな心で理解を示してくれたのだ。ありがたいとしか言いようがない。

ただ僕は今でも思っている。K-1チームはいつでも解散していい。
あくまでも無拳流空手道が本筋なのだと。



最後に、林辰太郎くんという2年生の子を紹介させてもらいたい。
彼は当初K-1で負け続けた。
あれだけ勝率の高いメンバーの中にあって、当時1年生だった彼は3年生までのカテゴリの中で無様に負け続けた。会場の隅では膝を抱えて悔し涙を流し続けていた。これが競技の厳しさであり現実だ。
今では急成長をして、全国大会リーグへの進出者としてクラスアップして活躍しているが、彼が挫折をする要素など幾らでもあった。

親御さんの見守り方も一貫していた。
「勝つまで工夫し努力し続ける」
結局はそれに尽きるのだ。

先日彼をうちのスタッフがインタビューしているとこんな言葉が出た。
「僕が負け続けた時に、山口先生はずっと信じ続けてくれた。だから僕はそのあとに勝ち続けることができました。嬉しかったです」

思いがけない言葉に、僕は目頭が熱くなった。
僕は次常勝チームを作って酔いしれたいわけではないのだ。それが目的ではない。
日本一を目指す。
そのドラマの中で学べることは計り知れず大きい。

これは僕が少年時代にサッカー全日本一を目指す過程で学んだことだ。
毎日が夢であり挫折であり葛藤であり、やはりそれでも大きな夢だった。

僕はメジャーな全日本少年サッカー全国大会では県大会3位で敗退したが、もう一つのクラブチーム選手権では日本一になった。

あの優勝を決めた時は土砂降りの雨だった。
クラブチームで表彰式が終わるとすっかり雨が上がっていた。本当に綺麗な夏の夕方だった。

子供ながらにいろいろな辛かった思い出に浸ったものだ。

セレクションでチームに残っていくたびに、だんだんと地元の仲間がいなくなって行った。
僕より当初断然にうまかった子たちでさえ消えていった。
僕は毎朝一人でボールを追いかけ続けた。夜も車のヘッドライトが当たる場所で遅くまで自主トレを続けた。

初めてレギュラーを外された時の辛さは、本当に地獄だった。
ライバルの存在を肯定して消化することができず悶絶した。

"ブレイクスルー"
自分自身の手で物事を突破する経験を味わってほしい。

僕がK-1チームを指揮する意義はそこにある。

「Noblesse Oblige」

そしてK-1をやる子たちにはこれも覚えておいてほしい。
K-1チームはある意味特権意識を生む。

合宿中に代表である僕を拘束することは、他の門下生よりも特別な位置にいるということにもなる。

僕がK-1関連のイベントにチャリティを組み合わせるのも、僕自身もK-1というブランド力をお借りする一方で浮かれることなく「社会的なバランス」をしっかりととりたいからだ。

家庭環境的に恵まれているから。
ミーハーで目立つものをやっておきたいから。
親の子育てドラマとして盛り上がるから。

僕はそんな理由でK-1チームを僕は作っていない。

原点・出発点は「無拳流空手」が好きで陥ってしまった、あの時の太郎と花子の「孤独」であり、あの寂しさの極まった軽井沢キャンプだ。

堕落したお飾りのチームになるのなら、僕はいつでもK-1チームを解散したい。
知名度なんてなくてもいい、無拳流を熱心にやれれば本望なのだ。

軽井沢合宿中、誰かがぽつりと行った。
「大阪の全日本、僕たちだけで行って来られないかな・・・」

それが現実に可能かどうかは別として、自分たち自身で未来を切り開いていこうという精神。
それを育てていける場であればこそ、僕はこのチームを作り出す価値を感じている。

ちなみに先日お世話になっている大橋ボクシングジムさんに行くと、

「山口さん、うちでお預かりしているそちらの生徒さんが"四国より軽井沢の稽古が断然にきつかった"と言ってましたよ」とトレーナーの方が教えてくださった。

僕はみんな弱いんで当然ですと言って、早々に息子と鏡の前に立ってシャドーを始めた。
次の合宿があるかどうかは分からない。

いつでもK-1チームは解散する用意がある。
それだけがいつも決まっている。

MUGEN KARATE 四国キッズ合宿 vol.7 〜EPILOGUE〜

August 02 [Thu], 2018, 19:41


最後までこのブログを読んでくださった方が何人おられたのか定かではありません。

指導や運営業務の合間を縫いながらの記述とはいえ、誤字脱字乱文乱筆の極み、お見苦しかったこと多々あったと思います。

この場をお借りしてお礼とお詫びを申し上げます。

2日目の夜の稽古後に「TONNY'S CHANNEL(公式)」を収録しました。

その時に矢野先生とともに出演してくれた渡部はるあちゃんが本当に印象的でした。
彼女は年長から空手を初めて、なんと小6まで芽が出なかったそうです。背が小さくてなかなか通用しなかったそうです。
それでも諦めず、ついに昨年の中2で全日本チャンピオンまで上り詰めたということです。

矢野先生が翌日さらにおっしゃってました。
本当にあの子はたいしたもんですよと。
どんなに辛い稽古があっても、顔色一つ変えないでついてくる。
延長が続くきつい辛い試合でも、あの小さい体で勝ってきよるんです。
そうおっしゃいながら、その時々の名場面を思い浮かべられていたのだと思います。
車を運転しながらお話ししてくださっていた矢野先生は、場面に応じて本当に苦しそうにされていたり、嬉しそうにされておられたように思いました。

6年生まで芽が出なくても、好きでずっと続けて来られる。
本当に素晴らしいことです。
はるあちゃんご本人や先生ももちろんですが、ご家族や仲間、仲間のご家族にも支えられてきたのだと思います。

三日目は釣りに行ったり、道後温泉街に連れて行ってもらったり、送別会をしていただいたりしましたが、どこも本当に楽しく良い思い出となりました。まるで空手をしていたなんて信じられないくらい平和でした。

矢野先生には、ここでは語るべきではない素晴らしい場所に連れて行っていただきました。
僕はそこで不覚にも涙がとめどなく溢れてきてしまいました。震えまくりました。
こんな自分にもそんなことがあるんだなと思い、信じられませんでした。でもとても貴重でした。
矢野先生は僕から吹き出てきた感情を受け止めてくれただけでなく、心に寄り添ってくださいました。
感謝しています。

矢野先生は僕にとっては「大先輩」です。
ですので昔のしきたりでいえば、口さえ聞くこともできませんし、パシリのような扱いを受けても仕方がないくらい、それくらい「高さ」が違う人です。
しかしもしその高さを意識しなければならないとしたら、僕は残念ですが矢野先生とはこうして出会ったり交流することはなかったと思います。
送別会でほろ酔いの矢野先生が鈴木先生のメガネをトークの流れから2度ほど優しく触れられましたが、それ以上のことはなく3回目もなくて安心しました。単純に眼鏡が気に入られただけだったようですね。ひやりとしたのは事実です。笑

多くの人が青春を燃やす時期を過ごし、やがて社会に没頭する時期を迎え、そして老境を迎えます。

僕もこれから50代を迎えていくにあたり、どのように社会に貢献していくのかを真剣に考えて行動しています。僕にもう青春はありません。「青春は年齢じゃない!」というセリフはいくらでも世の中に見当たりますが、僕はそうした感性に全く興味がなくなりました。

年齢に応じた楽しみ方や嗜(たしな)みというのはあって然るべきですし、それは空手でも追求していきます。何かに努力することをやめるわけではありません。

ただし「夢中」になることは、やはり若い人だけの特権です。
いや、そんなことはないという人がいたら、その人は間違いなく正しいです。
でも僕が見ている価値観はその人と絶対に違います。

そういう意味でも、矢野先生は素晴らしいです。

多くのお子さんたちの青春を担って、惜しみなく真心も体力も工夫も全て注がれています。
そしてお子さんたちが本当に「夢中」で頑張っていて、夢を達成されています。

矢野先生に、ご自身が若い時に大いに空手に没頭されていたことを教えていただいて合点がいきました。
半端ない空手への情熱に溢れていた時代に生きた方です。

五十代とは誰も思うことができないあれだけの素晴らしい動きをされる一方で、若い時の本当のトップスピードをきちんと認識しておられる。

だからこそ今もなお道衣に袖を通されつつも、次の世代・若い子たちの青春の礎になろうとしておられるわけです。僕は先生のこうしたリアリストである一面も尊敬しています。

"いかに次の世代の糧になることに尽力するか"

本当にこれが僕の今後の最大の仕事になります。

今後もまた松山の悠心道場さんときっと交流を重ねて続けていきたいと思っています。

そしてどんどん現れる若い世代の子が、生徒さんもインストラクターもどんどん夢を持ってお付合いできるよう「バージョンアップ」していけたら最高だと思っています。


矢野先生と悠心道場の皆様には、お礼をたくさんありとあらゆるところでしたためさせていただきました。
僕は言葉だけじゃない恩返しがしたいです。
だから早くも動いています。
それが早ければ来年「大きく動いたらいいな」と願っています。
楽しみにしていてください。かすったら、ご容赦ください。笑

それでは今回の物語を閉じさせていただきたいと思っています。
皆様ありがとうございました。

<完>



MUGEN KARATE 四国キッズ合宿 vol.6 〜ZONE〜

August 02 [Thu], 2018, 18:03


夜の稽古は素晴らしかった。
悠心道場の巧さ・強さ・優しさはさらに輝きを増し、それでいてMUGENの子たちも精一杯の力を振り絞っている。

悠心道場 × MUGENのコラボレーション。

それは松山名門道場の名伯楽・矢野先生の作り出すまぎれもないマスター・ピース(傑作)だった。

まぎれもなくみんなZONEに入っていた。

年長のタイシが力を振り絞って上段蹴りを精一杯あげている。
同じく年長のサスケが涙ぐみながらも前に出て、力強いパンチの連打を繰り出し続けている。

タイガ・イブキ・ユヅキ。
彼らなりに矢野先生が教えてくださったポジショニングにトライしている。
べそを書いていた初日が嘘のようだった。

コトミ・カリン・ハナコ。
みんなどこにそんな情熱があるのだろう。悠心の子たちの技を受けつつコピーしながら返す。その技の交換はテンポを増していく。

方や、シン・トモキ・タツイチの組手は素早く激しくもあるのに、まるで音のなくなった世界・しかもスローモーション・しかもモノトーン(白黒)の映画のように、突きと蹴りと汗と気持ちを悠心の子たちと交換し尽くしていた。

そしてヒロキ・太郎・ショータ。。。
すでに彼らは何かになりきっていた。
それは音であって音でない。言葉であって言葉ではない。
匂いにも近く、色にも近く、それでいてそれは風でもあり土であった。。

"JAZZ"
そうだJAZZ。
これはSession(セッション)。

もはやMUGENもYOU-SHINもない。
いろいろな子がいろいろな空手を精一杯表現している、楽しんでいる。
それが様々な突きとなり蹴りとなり運足となり、情熱を飛び散らせて輝かせている。


悠心道場。
代表の矢野先生が慈愛に満ちた微笑みで子供達を見つめている。
その矢野先生に脇を固めるのが、老練さを滲ませる松木先生と、爽やかで強い目の澄んだ宮内先生。
お二人の微笑みもまた暖かい。

MUGENRYU。
代表の僕を固めるのは鈴木先生とトニー先生。
トニー先生が両手を品よく前で重ねつつ優しい微笑みを浮かべ、鈴木先生は顎を豪快に撫で回してニヤリとしている。彼らも暖かく男だ。

そしてまた子供達を見守られているご父兄達も相変わらず暖かい。
MUGENの子も暖かく応援してくれていることが伝わる。
本当にありがたいことだ。


この日の稽古が終わった後。
なんと閉館した公民館の前で1時間弱、子供も大人も語り合っていたのではないかと思う。

記念写真を取り合っては盛り上がる子供たち。
本当に素晴らしい交流ができた。

MUGENの子たちも素晴らしい姿勢で稽古に臨んでいた。
それを僕も誇らしく思っていたし、彼らも清々しそうな表情を浮かべていた。

感謝。

僕は松山の夜空に星があるのかふと探し見上げてみた。
すると、ふとある小学生の男の子も夜空を見上げていた。

一休さんのエンディングテーマ。
さっきまでJAZZだと思っていたバイブスは一気に無くなった。
でもそれでよかった。
十分だ。

いいじゃん、一休さん、
いいよ、一休さん、
最高だぜ。

"可愛い子には旅をさせろ"


(続く)

「ははうえさま」
歌:藤田淑子
詞:山元護久
曲:宇野誠一郎

ははうえさま お元気ですか

ゆうべ杉のこずえで
あかるくひかる星ひとつみつけました

星はみつめます
ははうえのようにとても優しく

わたしは星にはなします

くじけませんよ 男の子です
さびしくなったら はなしにきますね 
いつかたぶん

それではまた おたよりします

ははうえさま 

いっきゅう










MUGEN KARATE 四国キッズ合宿 vol.5 〜PRIDEを賭けろ!〜

August 02 [Thu], 2018, 12:37


悠心道場さんとの最後の稽古。
それを前に僕は尋ねた。

「今日楽しかった人!」

全員が迷いなく挙手する。
表情は非常に明るく、というよりむしろ興奮状態。
やはり子供同士、打ち解けあえたのが大きいのだ。

「今日は挨拶もこちらの道場の流儀に則って、しっかりと頑張れていたと思う。そこ良かったよ!」
一同、僕の声に満足げだ。


「でも・・・・」

そう切り出すと、みんなの表情が少し陰った。

「きっとみんなはごまかしているよ・・・大切なものを・・・」

"大切なもの"とは何か。。
みんな考え始めているようだった。
僕は言葉を足した。

「なぁ、今日もスパーしたよね。やっぱり悠心のみんなは上手いな、強いなって思った人は?」

全員が手を挙げる。
自分のことのように張り切って手を挙げるものもいた。仲良くなったシンパシーがそうさせているのだ。

しかしシンの目だけはギロリと僕を睨む。
合宿中、終始面白くない様子を浮かべているのがこの子だった。
決して楽しくないわけではない。
そして悠心道場の先生も生徒さんの事もリスペクトしているのは間違いない。

「あのさ・・・先生が子供の時だったら、みんなのようにはならんな。。」

イブキが再び驚きの表情で口を開けて固まった。
カリンが腕を組がてら、もう一つの腕を立てて指を唇に当てる。
コトミは全神経をおでこに集め、改めて見上げるように僕を見つめる。
翔太が壁と同化しそうになるのを、鈴木先生とトニーが腕を伸ばして引き上げる。重労働だ。


僕は静かに口を開いた。

「みんな、もう悠心の子には敵わない・・・。そう思って楽になろうとしてないか???」

イブキがもう一度驚きの表情で口を開けて固まった。
ユヅキが首をかしげるようにして目をつむった。
タイガが目を大きくしてその奥に眠る感情を待機させた。
ハナコが少しイラついたそぶりを見せる。このミーティングの意味がわからないのだ。

「ハナコ、じゃあ聞く。今日はなんでライトなのに、思い切りローを相手の子に蹴り込んだんだ?先生が注意してからも、それは止むことはなかった。相手の子のコンビネーションがうまくて追い詰められたからだろう?だから、君は思い切りローを蹴り込んだんだ。相手の子は余裕で受けていたけど・・・」

ハナコがうなだれつつ、目線を外してどうでもいいという素振りを見せた。

「ハナコ、じゃあ、帰ろう。これからお母さんを呼ぶ・・・」

イブキの横で、花子も完全に驚いて口を開けたまま固まった。


「次にサスケ、お前も帰れ!」
サスケは親子なので、自分の"空気"がわかる、初めから真面目な顔をしてこの会議にミーティングをしていた。

「まずお前は、今日は下半身は寝起きのまま会場に集合した。挙句におねしょ防止用のオムツを履いたまま、帰りには"パンパース"などと呼ばれ可愛がってもらっていた。もちろん悠心の子たちにバカにするつもりなど毛頭ない。しかしそんな可愛がられ方など山口家としては屈辱に値する。今直ちに帰れ」

この合宿中はチーム内にあってほとんど別行動だ。父子のシーンはごくわずか。したがって別室の我が子の着替えなど知りもしない。当たり前だが自分自身でやるべきことだ。5歳児なら能力的には余裕でできることだ。

「それからトモキだ。お前はサッカーが好きなのか?」
この日智紀は日本代表の鮮やかなブルーのユニフォームを着ていた。お気に入りなのだろう。僕もサッカーは好きだ。生粋のサッカー少年で少6の時にはキャプテンとして全国優勝をした。

「悠心の子たちは全員が悠心のTシャツを着ていた。そのことだけは分かっておいた方がいい。それが決まりなのかどうかはどうでもいい。ただ、着るもの一つとって見てもその人のマインドセットが分かる」

サスケが目を真っ赤にして頬を下ぶくれにしていた。
これも父子だから分かるのだが、彼は本当に自分が恥ずかしいと思っているようだった。

また、K-1のBクラス昇格に王手をかけ続けてなかなか突破できないでいる智紀も思うところがあるようだった。

僕は続けた。

「今日、悠心の子と仲良くなって安心した子いる?」

全員が手を挙げた。
いくら空手が強いといっても自分たちと同じ小学生や中学生。
道場を離れれば一緒に遊べるシンパシーを持った友達になれるのだ。


「みんなの考えていることは分かるんだ。うちはライトとかノンコンタクトとか言っているから、何をどこまでの強度でやっていいかわからない。戸惑ってしまう。そうだろう?」

一同がうなづく。

「そのうちにライトだと思っていたら、思いがけず軽くあるいはたまに勢いよくインパクトの入った打撃が来る。それでどうしたら良いのかわからなくなってしまい、余計に怖くなっていってしまっていた」

「しかし今日はみんなが昨日より明らかに手を抜いてやってくれた。それで仲良くもなった。安心するよね。。」

一同がさらにうなづく。

「だけど、インパクト抜いても上手かったでしょ?彼らは?」

一同がさらにうなづくというより、我に返ったようだった。

「そうなんだよ、その現実に対してどう思える合宿にしたいんだ?みんなは。俺だったら、ずっとこの与えられた "知恵の輪" を考えるよ。それでまた敗れてもいいから、アタリをつけるね。考えまくるんだ。この状況をブレイクスルーするための方法を!」

イブキが顔をあげた。やはり驚いて固まっていた。
サスケは眉間にシワを寄せた。
タツイチが唸って手を組んだ。
太郎は黙ったまま何度もうなづいていた。

「せっかくの合宿だ。何のために来たんだ? 俺だったらそのまま埋もれないよ・・・もちろん悠心の子たちと仲良くするしリスペクトもする。大切なことだと思う。・・・・・だけど悔しさを忘れないよ。強くなってやるんだという憧れや希望を何かで覆い隠したりしないよ・・・」

シンが静かに気炎を上げているのが分かった。
以外にも杉山兄もそうだった。震えているようで燃えている。。ヒロキ、本当に変わった。
ところがカリンまで。。K-1クラスにも所属していないカリンまでが静かに強い眼差しを送ってくる。びっくりした。

人には得手不得手がある。
こんなことを言っている僕も、書道は嫌いだったし、スイミングは水着を公園で濡らして毎日帰宅していることがバレて親にこっぴどく怒られた。大人になった今でもダメなものはダメ。好きでも全然才能ないなと諦めるものもある。つまりはそれほど好きにはなりきれなかったということだ。

でも、この合宿に来ているほとんどの子たちは空手が好き。強くなりたいのだ。

気がつけば、トニー先生が(みんな、がんばってね!)と両手を品よく前で重ねつつ優しい微笑みを浮かべている。
鈴木先生は顎を豪快に撫で回してニヤリとしている。"マホガニー"という言葉が何故か似合いそうな気がした。

「解散!」

僕が伝えると、みんなが凛々しく立ち上がった。
最後の稽古、フェアプレーで良い勉強をしてきてほしい。
僕は心からそう願った。

そしてどんなに下手だろうと弱かろうと、PRIDEを持って頑張ってきてほしいと願った。


(続く)

MUGEN KARATE 四国キッズ合宿 vol.4 〜真の交流〜

August 02 [Thu], 2018, 8:53


2日目のスケジュール。
10:00~12:00 合同稽古
13:00~15:00 コーチング
19:00~21:00 合同稽古

朝食に集まった一同は元気をすっかり回復したようだった。

タクシーで教えていただたスタジオに向かうと、すぐに矢野先生やご父兄の皆様、門下生の子達が出迎えてくれた。

矢野先生の笑顔は、曇天の中でもひとしきり輝いていた。

MUGENの子たちも大きな声で挨拶をする。

「お〜、今日もよ〜来たね〜〜〜。みんな偉いね〜〜〜」

矢野先生は子供たちをやる気にさせる力が卓越されておられる。

お会いした瞬間に、前日のミーティングで前向きになった子供たちの顔が一層明るくなったようだ。

建物の最上階にあるスタジオに階段で駆け上がると、そこには20名近くの悠心道場の子たちが待ってくれていた。

「押忍!」
「押忍!」

押忍の一言で繋がれる。
悠心の子たちの笑顔が、今日も心からの歓迎を示してくれている。
嬉しい。

ご父兄の皆様も本当に優しくてあたたかくて、ただひたすら有難い。

「整列」

MUGENの子たちはさっと立ち上がり、悠心の子たちの挨拶に改めて倣う。

三顧の礼。

MUGEN一同、しっかりと大きな声を出す。

やはりシンの声が一番大きい。
そして太郎と花子が続く。
サスケの声も響く。今日は笑っていない。眉間にシワを寄せて下ぶくれの頬を作るあの表情だ。

稽古は"テクニック"が主体だった。
矢野先生のお手本の動きはとても五十代とは思えない。
そのキレキレの動きに、鈴木先生やトニー先生の目もほころんでいる。

とにかく美しいのだ。

僕はパワフルな動きよりも、流麗で"キレ"のある動きが好きだ。
矢野先生の動きには説得力がある。

格好いい。
陳腐な言い方に聞こえるかもしれないが、子供にとって「格好よさ」は大切なファクター。
そしてもちろん大人にとっても。

先生がご紹介されるメソッドの一つ一つを、悠心の子もMUGENの子も一体となって取り組んでいた。
そして手を取り合い、言葉を交わしあいながら進める稽古に、徐々に双方の心が通い始めているようだった。

そして最後は組手。

「打ち込むなよ〜。蹴り込むなよ〜」

ライトコンタクトということだ。
矢野先生がより一層こちらにご配慮くださっていることが分かる。

僕も今回は積極的に補助に努めさせていただき、ちょっと強めな打撃になってしまいがちの子や一方的になる展開の組には声をかけさせていただくことにした。

それにしても、悠心の子たちは上手いし強い。
フルコンタクト空手の王道の戦い方をしっかり「地」で行っている。
改めて素晴らしかった。



そして、昼休みに一緒にお弁当を取ると一気に子供たちの距離は縮まった。

追いかけっこをする子もいれば、話に興じる子もいる。

悠心道場の子は矢野先生の元、伸び伸びとして本当に優しい子たちばかりだ。
これは一見当たり前のようでいてそうではない。

大人たちの社会にもいろいろな個性の人間がいる。
その中で、様々な個性が集まりつつも「強く・あたたかく・助け合える集団」を形成することは、本当に難しいことである。

矢野先生の「チームビルディング」の卓越したビジョンとご父兄の皆様の熱心さがあってこそ、こうした素晴らしいチームを作ることができるのだと確信している。

そして悠心道場の子たちは、MUGENチームを単なるお客さんから「仲間」へと屈託無く引き込んでいってくれている。まさに悠心キッズはまさに"矢野チルドレン"。

子は親に倣う。

そう考えると、僕はまとまりのない髪型をなんとかしなくてはいけないのではないかとかいろいろと考えてはみたものの、カリンちゃんが僕と髪型一緒なので、ま、いいかと。。

「あの、この子は山口先生の子供ですか?」

振り向くと、悠心の女子メンバーひまわりちゃんが僕に話しかけてくれた。
指差しているのは僕と思いきや、シン。

シンが少しはにかむ。

「似てる?」と聞くと、「うん。髪型も似てる!」と。笑

ああ、先生の子はこっちと、サスケを指さすと「あ、みんな親子・兄弟だと思ってました!」と言うとともに、いろいろな子が駆け寄って来てくれた。みんな興味があったみたいだ。

そこから一気に会話もブレイクした。

「この中で優勝したことがある子いる〜〜〜?」

びっくりした。
ほぼ全員。2位も3位も何度でも。

後で矢野先生に伺ってわかったことだが、初日夜と昼は「強化選手クラス」の子達が集まっていたそうだ。
どうりで・・・。
そして悠心さんでは1年のうちに4つの全日本大会に的を絞って選手を送り込んでいるとのことだった。

"空手が本当に好き"

それが直球で伝わってくる。
様子見のカーブなんてない。"ど真ん中で勝負"

その気持ち良さに惚れる。

昼休み。
気がつけば子供たちが本当に混ざり合って遊び尽くしていた。

その光景を矢野先生が微笑んで眺めておられた。
"矢野マジック"

これもきっと矢野先生が意図した「特訓」なのかもしれない。

気がつけば、トニー先生が両手を品よく前で重ねつつ優しい微笑みを浮かべている。
鈴木先生は顎を豪快に撫で回してニヤリとしている。

午後のスポーツコーチングの授業は、どんな気構えで目標に取り組むかを細かく興味が持続するように教えてくださった。

本当は細かく様子をレポートしたいところでもあるが、矢野先生の「秘伝」ゆえ、あえてオフレコということにしたい。

「ではまた夜二。最後の稽古になりますね!」

矢野先生がホテルに送り届けてそうおっしゃった後、また僕らはホテルのロビーに"集合"した。

(続く)



MUGEN KARATE 四国キッズ合宿 vol.3 〜郷に入れば郷に従え〜

August 02 [Thu], 2018, 7:07


ホテルに着いてチェックインを済ませると、僕はそのままロビーの四角に囲まれたソファーに子供達と一緒に腰を下ろした。ちょうど今回参加した14人が座れる。

みんなすっかり疲弊している。
僕は開口一番伝えた。

「みんなボンボンだな・・・」

日本語に疎いNY花子が尋ねる。

「"ボンボン"って何デスカ?」

「ああ、花子だったらお嬢様ってところか・・・」

花子が首をかしげる。

ふとK-1試合の出場もあって疲れ切っていた辰壱が、疲弊したインコのような顔をして僕の顔を暗く覗き込んでいた。

「辰壱、例えば君は青山の子をボンボンと思ってないか?」

辰壱は潔くうなづきながら答えた。

「正直思ってます」

隣にいた兄弟のシンが、稽古中に強めた眼力を未だに強めながら"同意"とばかりにうなづいた。

僕は口を開いた。

「でもな、俺から言わせたらみんな一緒。全然見えてないもん、状況が。。」

NY太郎が素直に答えを求めるような眼差しを向ける。
コトミもじっと見つめる。カリンも見つめる。杉山兄弟は読めない。。サスケは何故か微笑んでいる。。。

「あのさ、この中で悠心道場の子たち強いなと思った子いる?」

全員がパッと手をあげる。

「それから、この中で悠心道場の子たち優しいなと思った子いる?」

やはり全員がパッと手をあげる。

悠心道場のお子さんたちは素晴らしくて、初日でもかなり気を使って稽古中や稽古後にまめに声をかけてくださったのだ。そして先生方も同じ。

「自分たちもああいう風になりたいと思う子は?」

やはり全員が手をあげる。

「よしOK、手を降ろして。。じゃぁさ、今日の出稽古で悠心道場の子になりきろうとした子いる?」

タイガが目を潤ませる。祐月が首をかしげて目を瞑る。イブキが黒目を大きくして驚いたように固まっている。。。サスケは何故か微笑んでいる。。。

「あのさ、みんな出稽古は旅行じゃないでしょ?学びに来てるんでしょ?」

一同がうなづく。

「そうしたら思い切り真似しないと。こちらのお子さんのやってることを!」

僕は一同の表情を確認しながら、もう一度台詞を繋いだ。

「"郷に入れば棒に従え"という言葉がある。。。」

"郷ニイレバ郷ニシタガエ…"
花子が復唱している。

"郷ニイレバ郷ニシタガエ…"
杉山兄もつぶやきながら何故かニヤッとしている。。間違いなく他のことを考えている。。

「みんな、悠心道場さんはすごく声をたくさん出すし大きいでしょ?」

一同がうなづく。

「今日それを真似できた人、一人もいなかったと思うんだよね。。」

僕の言葉に、トニー先生が両手を品よく前で重ねつつ優しい微笑みで(みんな、そうだよ。。)というような眼差しを向ける。鈴木先生は顎を豪快に撫で回してニヤリとしている。

「押忍!の言い方一つとっても、僕らの道場とは全然違う。でも、みんながこの合宿を学びに来たのであれば、即座に真似をすべきだ。そしてそれが滑稽に思われてもいいから、必死で真似するんだ。学ぶってそういうことだと思うし、先生は今までどこに言ってもそうしてきたよ」


お〜〜〜す!

即座にシンが返す。やはり気合が入っている。稽古中は悠心の子たちがあまりにも上手で上手かったのが悔しくて仕方がなかったのだ。この日K-1で2連勝を飾ったプライドがある。

続いて太郎と辰壱、花子が大きな声で返事をする。この子たちも伊達にNYから毎年一ヶ月を費やしにくるわけではない。

「まぁ、任せるよ、あくまでも自分ら次第。アーミーじゃないんだから。だけど、正直ここまで来たみんなは全く偉くない」

タイガが目を潤ませる。祐月が首をかしげて目を瞑る。イブキが黒目を大きくして驚いたように固まっている。。。タイシが幸せそうにサスケと揺れている。。

「それは親御さんの力だ。親御さんが旅費を出してくれたにすぎない。そうすれば誰でも松山に来られるし、それで疲れたなんていうのは誰でも言うことだと思う。。」

一同がだんだん意味を理解し始めたようだった。
僕はたしなめた。

「自分で"旅"を作るんだよ。疲れるのは何やってもそうだ。でも本当に優れたものを学びたいと思うならば、優れたものに成り切ろうと努力しなくちゃ。先ずは"郷に入れば郷に従え"。それに尽きる」

「オ〜〜〜ス!」

今度はほぼ全員が大きな返事を返した。

「まぁいいよ、ここはホテルだし、自分たちのスタイルで。。苦笑」

一瞬安堵しかけた子供達に僕は不意打ちをかけた。

「Le~t's ?」

トニー、とに〜、トニ〜、とにい、トニ……

バラついた返しをしながら、みんなが初めて笑う。
ずっとホテルの壁に同化する作戦をとっていたショータも齟齬(そご)を崩して笑っていた。
イブキの驚き顔も解消され、タイガもユヅキも甘い笑みを浮かべ、杉山兄弟も林兄弟も高橋兄妹も、コトミも、カリンも屈託無く笑っていた。タイシとサスケも小躍りしていた。

そして僕はもう一度、聞いた。

「Le〜〜〜t's?」

「トニ〜〜〜〜〜!!!!!」

トニー先生が両手を品よく前で重ねつつ優しい微笑みを浮かべる。
鈴木先生は顎を豪快に撫で回してニヤリとしている。

僕は歓喜しまくる子供たちを目の前に思った。

(もう僕46歳なんで・・・)

早くこういう役回りをトニーさんに任せて僕は静かに暮らしたいのだ。

軽井沢あたりで。
無伴奏チェロ組曲第1番を聞きながら、
コーヒーではなく、珈琲を嗜みながら、
アンリ・ルルーのキャラメルが最近のお気に入り。。。
暖炉の前のソファに深く体を横たわらせて、誰にも会うことのない読書に埋もれた1日を過ごすのだ。。

そんな妄想をしていると、たくさんの手が絡んでくる。

「先生〜、もう一回やろうよ〜!Let's Tonny〜」

僕もあと三日間、頑張らなければならない。。。

(続く)


MUGEN KARATE 四国キッズ合宿 vol.2 〜初めての出稽古〜

August 01 [Wed], 2018, 13:59


愛媛県松山市 堀江公民館。

「エ〜イ!」
「エ〜イ!」
「オ〜スッ!」

玄関口に一歩足を踏み入れると、気合の入った子供達の元気な声が聞こえた。男の子の声も女の子の声も聞こえる。

僕らの胸はより高まった。

「いいかみんな!いよいよ悠心道場さんの稽古に参加させていただくぞ!」
僕は語りかけた。

「押忍!」
MUGENキッズたちの目が輝く。

高橋太郎。
そして花子。
NYから毎年夏休みに一ヶ月の空手修行に訪れる兄妹の目がより一層光っている。

空手修行。
そのためにもう6年も毎年の来日を続けているのだ。

林辰壱と辰太郎。
蔵前道場のK-1先生Bクラス昇格組だ。
弟の辰太郎は1−3年生の中量級カテゴリで、2年生ながら奮闘している。この日のK-1大会でも2戦2勝。勢いに乗っている。
兄の辰壱も4−6年の重量級カテゴリに移籍して気炎を吐いている。
この道場での”修行”に賭ける気持ちが熱い。

僕は子供たち一人一人の表情を見渡しつつ、さらに言葉を重ねた。

「今日は台風の影響で飛行機が遅延したので、予め参加を見送ることでお話は通っている。でも、遅れてでも参加させていただき学ばせていただく。そういう誠意を見せよう!」

「押忍!」

やはり太郎と林兄弟の声が大きい。
愚息の山口サスケの声も大きいが、明らかに意味はわかっていない。
ただ、その眉間にシワを寄せて釣り上げた眉毛だけが真剣味を”演出”している。

杉山兄弟の表情を見る。
兄・弘樹は無表情。というか青ざめている。鉄道マニアと知って以来、そういえば機関車フェイスではないかと思うようになってしまった。
弟・智紀は ”ほわっ”としたまま、固まっている。
現代社会、ストレス社会、東京砂漠、この弟もなぜゆえに “ほわっ”としているのか。。
いずれ杉山ブロスの「光と闇」に迫りたいと思っている。


(まぁでも・・・いつもどおりか。。。)

僕は安心した。

「あの、、、ムゲンさんですよね?」
ふと美しい女性から話しかけられた。

「はい、ムゲンです!」

その女性は美しい顔をパッと輝かせると、続いて玄関に入ってこられた旦那様と思しき男性につぶやいた。

「ああ、ムゲンさん、来てくれたんやわ〜!」

僕は嬉しくなって返した。
「はい、空港に着くのが少し早まったし、遅れてでも参加させていただきたいと思いまして!それでいきなり扉を開けてサプライズさせていただきたいと思ってます!」

「それはそれは!ありがとうございます!」
そうおっしゃるとご夫婦はスーッと声が上がる2階フロアへ上がっていかれた。

少し気にかかったが、僕らは子供たちに改めて伝えた。
「これから階段を上ろう!それで稽古場に入ったら、皆さん驚かれるよ!」

サプライズ!サプライズ!
サプライズ!サプライズ!
サプライズ!サプライズ!

僕らは原始人のように唱えながら、螺旋になった階段をぐるりと回った。

サプライズ!サプライズ!
サプライズ!サプライズ!
サプライズ!サプライズ!

やはり僕らは原始人のように唱えながら、最後の階段を上りきった。

「オ〜〜〜ッス! 山口先生、よく来てくださいました〜〜!!!」

階段を上がりきると、そこには太陽の微笑みをたたえた矢野先生おられた。そしてその横にはサプライズで・・・とお伝えしたはずの奥様がやはり満面の笑みで立っておられた。

サプライズ!サプライズ!
サプライズ!サプライズ!
サプライズ!サプライズ・・・・

「みんなやめろ!もういい!」

まだ階段を上りつつあった、子供たちに原始人のつぶやきストップを言い渡した。

「みんな、ストップだ。もう矢野先生が出迎えておられる!」

サプライズ、 サプライズ・・・・

「もういいんだ、みんなやめるんだ!サプライズは終わったんだ!」
ショウジョウたちをなだめる”もののけ姫”のように僕は一同を制した。

「オス、矢野先生!これから3日間お世話になります!」

ハッと我に返った子供たちも僕に続いて声をそろえる。
「オス! お願いします!」

「さあこちらへ!」
相変わらず微笑みながら矢野先生が稽古場に通してくださった。

稽古場にはたくさんのお子さんと親御さんたちがおられた。
お互いに新しいものに遭遇する好奇の眼差しを交換する。

これぞ出稽古!
僕はワクワクした。子供たちの顔を見るとワクワクしつつ緊張が高鳴っているようだった。

すぐに空手衣に着替えて並ぶ。

「押忍!押忍!押忍!」

整列時に左右真ん中に十字を切りながらその都度「押忍!」を発する。

30名ほどの子供たちが次々に「押忍!押忍!押忍!」を発しながら並んでいく。壮観だった。

ふと明らかに震え上がっている面々がいた。

胴回しのタイガ、SUPREMEのユヅキ、真面目のイブキ、そして年長のタイシ。。
今ポケモンボールがあったら間違い無く余裕で「捕獲」できるだろう。
そしてなぜかサスケがワクワクして微笑みまくっていた。。

みんな大丈夫なのか・・・?
僕はサスケ以外の3人を心配した。

寿美、カリン、NY花子。。。
女の子たちも顔が引きつっている。
ただ彼女たちもこのグループの中では年上。
顔が引きつりつつも、気丈に振舞っている。

整列や黙想。そして礼。
あらゆる「やり方」が違う。
そして明らかに声の大きく、何か「エネルギー」そのものが違う。

“面を食らう”

こうしたカルチャーショックあってこその「異文化交流」だ。

僕自身は今までに色々なところに行って、こうした出稽古には慣れている。そして本当に楽しい。

楽しい。
今でこそそう思える。
昔の出稽古は、出迎える先もピキピキの雰囲気で ”楽しい”なんて思わせたらいけない、そんな気概溢れる空気に満ちていた。
そして最終敵機にはガチガチのバチバチになってしまう。
覚悟が相当必要だったのだ。

もちろん矢野先生はじめ指導員の先生方も暖かくリラックスさせてくれるよう常に気を配ってくださるし、悠心道場のお子さんたちも気使ってくださっている。

しかし、そのことがメンバーたちの目に入らないほど緊張していることは明らかだった。そしてその緊張は時間が経てば経つほどに増加して行ったのだった。

「楽しい交流合宿」

そのキャッチには絶対に飾りも何もない。
ただ、入ってこないのだ。。
MUGEN キッズの子達にはあまりにも余裕が無さすぎた。

練習が進めば進むほど、悠心道場の子たちのレベルの高さに飲み込まれ、埋もれていく。。

どうするMUGEN?
どうするAOYAMA? ?
どうするKURAMAE???
どうするNEWYORK????

ふと最年長のショータの顔を見ると、稽古場の壁に同化しようとしていた。やばい。ショータ、そっちに行ってはいけない、戻ってくるんだ!

そう叫びかけた瞬間に、悠心道場の子が得意のポジショニングからの連打で、壁になりかけていた翔太を会場の中に押し戻してくれていた。

ありがとう悠心!!
しっかりしろ翔太!!!
どうなるんだMUGEN!!!

なぜかサスケだけが微笑んでいた。。。
(MPが50くらい減った。)

わずか45分。
それでもメンバーにしたら”やっと稽古が終わった”感じだったと思う。
せっかく良くしてくれた矢野先生や悠心道場のお子さんご父兄には申し訳なかったけれど、朝からK-1に参戦したり応援したりした子や、普段はコンペに関係のない牧歌的な空手に親しんでいる子たちには十分刺激が強かったようだ。

稽古の最後に矢野先生が立てて下さった。

「遅れてでも駆けつけてくださったMUGENの皆さんの積極的な行動力に感服しました」

やはり矢野先生や悠心道場の皆様には申し訳ないのだが、子供たちの心にはそのお言葉を励みにする余裕がなかった。

僕らはホテルまで送り届けていただくと、ロビーに集合した。
このままでは合宿は初日から崩壊してしまうだろう。。

(続く)







MUGEN KARATE 四国キッズ合宿 vol.1 〜プロローグ〜

July 30 [Mon], 2018, 18:12


2108年の夏季キッズ合宿は3部構成。

一つは既に終えた千葉岩井海岸での自然合宿。
臨海学校的な自然と触れ合う楽しみ。
鈴木先生が鈴木先生が引率してくれた。

今回の四国合宿は「不思議なご縁」から始まった。
ある日MUGEN-KARATE AOYAMAのFacebookページの記事に常に「いいね」を押してくださる人物が現れた。

(矢野さん・・・)
一体誰だろうか。。
そうして個人のプロフィールページを拝見してみると、”空手関係者”らしい。

(ん?・・・・というか指導者??? )

(ん???・・・・というかこの道場強そう!!!!)

お子さんたちが多く通われる空手道場。
そこで多くの大会優勝者や入賞者を排出されている。
でも、すごく雰囲気が柔らかくて丁寧・・・。

そして調べてみると、四国は愛媛県松山市で幾つかの拠点をお持ちになりながら空手道場を運営されているらしい。。

そこで個人のアカウントから恐る恐る友達申請をしてみた。
ちなみに僕は何も知らない人物に申請を送ることが一切ない。

すると秒速のメッセージ。

「申請有難うございます!とても素晴らしい道場ですね。いつも道場のFBを拝見しております!」

といったようなメッセージを届けてくださった。

「悠心道場 矢野伊俊 先生」

その後、僕の個人ページの中でアップデートした家族のことなどにも、先生は時折コメントを寄せてくださるようになった。

そして今年に入ると、ついに東京で矢野先生と会食をすることになった。

出会ってみると先生は、本当に気さくで優しい先生だった。
自分たちより年上の50代。
なのに、全然威張ることなく大らかでよく笑われる。

「押忍五段活用」を用いて、年上・目上の方には平身低頭しなければコミュニケーションをとってはいけない。僕らの年代から上の空手家はそんな方が多い。
にも関わらす、矢野先生は本当に優しくて、丁寧な口調を一貫されておられた。
一気に惹き込まれた。

そして我々空手マンにとって、非常に貴重なお話を聞かせてくださった。
先生はなんと「芦原英幸先生」の元で、直に「捌き空手」を学ばれておられたのである。

#芦原英幸先生 #捌き空手

僕らMUGENもルーツは捌き空手。
今は純粋な捌き空手とは大きくかけ離れているし、いろいろな技術系統がMIXされている。

僕らの掲げている ”無拳流”というのは、あくまでも精神的なスタイル・流儀の理想を提唱しているのであって、歴史的に特徴あるメソッドを前に打ち出しているわけではない。

「心外無刀(心の外に刀なし)」

僕が敬愛する山岡鐵舟先生が掲げられた理念。
それに倣って、無拳=MUGENとした。
もちろんINFINITYの無限にもかけているし、僕の人生観の一部である夢現(ゆめうつつ)にも韻が合う。

とにかく東京で初対面した矢野先生は、本当に素晴らしい人格をお持ちの「フランク」な方だった。

面会させていただいた僕と鈴木先生は大いに盛り上がり、矢野先生にお願いをさせていただいた。

「夏は松山に行かせていただけないでしょうか?」

原宿の焼肉屋。
肉汁撥ね防止用の ”前掛け” をしたまま乗り出す僕を前に、矢野先生は輝くような笑顔で応えてくださった。

「お〜〜〜。それは面白いですね!是非!是非! 松山は自然がいいですけん、子供もきっと楽しいでしょう」

#〜ですけん

これも僕にはたまらなかった。

“流浪空手”
芦原英幸先生の本を何度も何度も読み返した。

もちろん”空手馬鹿一代”影丸穣也バージョンの喧嘩十段にも憧れた。

そこで散々見かけた 「# ~ですけん」はたまらない響きだった。

さらに矢野先生は「例えば芦原先生は、こう技が来たのをパ・パ・パ〜ンとやってみせてくれたんですが・・・」そう言いながら、掛け回し・引き回しの手を一瞬みせてくださる。
僕と同じく肉汁撥ね防止用の ”前掛け” をしたまま。

とにかくその会食では僕も矢野先生も鈴木先生もたくさん笑った。

自然別れ際に「じゃあ、夏は松山で待ってますけん!」「押忍!」そんな約束を交わさせていただいたのだった。


**********************

間も無く飛行機が松山に到着する。

台風12号の影響で、予定より1時間遅れの成田空港離陸。

その日に予定されていた稽古は、事前に矢野先生とメッセージを交わし中止することになっていた。

いかんせんその日は朝からK-1アマチュア交流大会に参戦していた。稽古に間に合わないし、その日はしっかりと「休養」をとることにしていたのだ。

しかし飛行機から松山が見えてきた瞬間に僕は思った。
今は19:00ちょっと過ぎ。。”行くべき”なんじゃないかと。。
否、行きたくなっていた。

たとえ「見取り稽古」でもいい。
予定されたとおりに動くなんて、まるで「修学旅行」だ。
旅の予定はぶち破れ!

東京の妻にメッセージを送ると、稽古会場の公民館までの距離とタクシー料金をすぐに調べて送ってくれた。

遠く離れた座席の鈴木先生やトニー先生にもメッセージを送る。
「やっぱり行く方向で考えてみたいんですけど・・・」

すぐに返事が返ってくる。「承知しました!」「承知しました!」その素早さにやはり興奮を感じた。

空港に着くと、僕は子供たちを集めて思い切って尋ねた。
ほとんどの子供達は朝からK-1大会への出場や応援に来ていて、疲れている上に空腹でもあったはずだ。

しかし返ってきた言葉は予想通りだった。
「もちろん今すぐに行きたいです!」
「早く空手を学びたいです!」
「強くなりたいです!」

全員一致。

僕らは空腹など蹴飛ばして、タクシー乗り場へ向かった。

四国の夜の帳が降りようとしていた。
紫色の夕空がみるみるうちに深い闇へと変わっていった。

タクシーはいつの間にかヘッドライトを灯し、低い山が連なる景色を眼前にどこか分からない町の中を走っていた。

「あれですね・・・」

タクシーの運転手さんが呟いた。

堀江公民館

かすかに子供達の声が響きわたっていた。

いよいよ・・・。

MUGEN-KARATE。子供14名。指導員3名。
僕らの胸は高鳴っていた。。

(続く)

大会後の子供との接し方について。

June 20 [Wed], 2018, 11:15


先日のKATANA TOURNAMETNの後に、非常に多くのご父兄の皆様や社会人クラスの皆様をコンタクトをとらせていただきました。

勝ったにせよ、負けたにせよ、皆様が前向きにこの機会を大切に次の空手や私生活につなげようとされていることが改めて分かり嬉しく思っています。

大会後の大なり小なりの心に残ったインパクトは、軽いパニックともいえます。それは勝利した側にも言えます。人間はパニックになると無駄な動きを多くするか、あるいは全ての思考を放り投げます。

僕は武道を志している人間として、それがとても危険なことだと知っています。
勝利に酔い舞い上がり浮つくことや、敗北を濁すために刺激的な行動に出たり、もう全てを投げ出してしまい「忘れたこと」にしてしまう。それらから日常に活きる強さは生まれません。

大会後に、親御さんからの"労い賞"として、大会の特別賞を同等のものを買ってプレゼントするなどという話を聞きました。自分自身は全く好きな感覚ではありません。笑 個人的な価値観の問題なのでそれは譲りますが、大会運営に対しても少し敬意を払っていただけると嬉しいです。せめてタイミングずらすとか。その話を聞いた時はなんとも言えす苦笑しか出ませんでした。特別賞をとった子の栄誉は消えますね。足りないものは親が買ってくれるのであれば。まぁ一種のギャグだと思うことにします。

MUGENの大会は「チャンピオン決定戦」ということを第一義にはしておりません。
綺麗事だろうとなんだと言われようと「人育て」のためです。

勝者と敗者が常に分かれる場所では、真の価値観が問われます。
いろいろな価値観があると思います。さっきの特別賞の話ではないですが、それは人それぞれかもしれません。

ただ普遍的な価値観もあります。勝利を目指す過程や敗北を受け入れる過程においては、孤独感を強く感じる一方で、周囲との人間の支えの有難さを本当に感じます。(僕はその支えを受け入れたくなくて、孤独に走ったことがありますが、やはりこの道を長くやるには戻ってこざるをえませんでした。変につっぱってしまいましたが、危ないところでした)

大会の敗北などで傷ついているお子様の親御さんについては、以下のことをご参考いただければ幸いです。

(1)そのまま放置しない。
(2)勇気出して試合に出ている子供に敬意を払う
(3)課題に対して、どう取り組むのか計画を立てる。(環境を作る)
(4)常に確認をして、その物語に達成感を感じていけるようにする。

ざっと4つの項目をあげました。

(1)の「放置する」は定義が狭くもなるし広くもなるんですけど、親が子供の持っている世界に興味を持っていないというのはちょっと心もとないです。

子供の取り組んでいる空手ってどういうものなのだろう。
大会ってどういうものなんだろう。

お子さんの後に入会されたご父兄が皆さん一様におっしゃるのが「基本の素振りなめてました!やってみると難しい!」ということです。今まで道場の横で見学してて(何でうちの子はみんなのようにできないんだろ。。)と思ってたけど、いざ自分がやってみたら全然できない。むしろ子供がやっていることすごいなと。

大会もそうですね。
「実際自分が出てみたら思うように技なんか出ないですね。。今まで子供に上からいろいろと言ってましたけど、これからは仲間として一緒に取り組みます!」とかおっしゃる親御さんもおられます。

"親子で空手やってください"の常套句は横に置いときます。営業どうでもいいんで。
で僕が言いたいのは、「それくらい横で見ているのと、実際にやるものは違う」ということなんです。

なので、本当に子供がやっていることに興味を持ってあげて欲しいです。
できればご家庭で一緒にやってあげて欲しいです。お父さんやお母さんが「こうすればいいんだよ」と思う通りに見せてあげてあげて、一緒に取り組んであげて欲しいです。子供が興味を持ち続ける限りは"定期的に"続けてあげて欲しいです。


(2)の子供への敬意。本当に大切です。
この敬意の払い方は実は難しいのです。フェアな概念が必要だからです。
敬意といっても、子供にお世辞やご機嫌伺いを並べることでもないです。
また、それ以前に「この根性無し」と我が子を罵ったり「うちの子はダメなんで。。」と落ち込んでいるのは、今すぐ辞めてもらいたいです。
お世辞もご機嫌伺いも貢物も、子供をダメだと貶める形容詞も全て、"飾り付け"など要りません。

子供の人生は親の人生とは違います。
親の人生の装飾のために、子供のドラマに介入するのは辞めたほうがいいですね。

"根性がない"とか"うちの子はダメだ"なんていう前に、じゃあ今すぐ理想を見せてくださいよと伝えると、「いや、親として言ったまでで。。」みたいな感じになる人がほとんじゃないでしょうか。なんですかね、親としてって。勇気を出して望んだ試合を罵る権利はないと思います。

親としては僕もそうなんです。子供の前で理想とかを見せてあげられるパーフェクトな親ではないんです。特に年齢的に体力も下降してきてやせ我慢も通じないんです。
だからこそ一緒に汗流して、「くっそ、俺は今日これが上手くいかなかったわ。。」とか息子と稽古してて言えるんですけど、「どんまい。ちょっとずつできるようになろうよ」なんて言われると、「おおよ」って言える。仲間なんです。お互いにできないことにチャレンジしている。だからリアルに尊重しあえるんですよ。慰め合うとかじゃなくて。

それがいきなり「パパも上手くいかなくてかわいそうだから、食事でも行こうぜ」とか言われたら、ちょっと傷つきそうです。それ子供が行きたいだけ、言いたいだけですよね。格好いいのはその台詞言ってる側。

もし、息子が試合で負けて落ち込んで「どっか面白いとこ連れてって」と頼んだり、期待するようになっていたら、それこそ落ち込みます。

一緒に空手やってようとやってまいと、試合出てようと出てまいと、子供は子供の人生ドラマを夢中にやっているのなら尊敬に値します。人の人生は自分にはできないんです。夢中で何かに夢を見て喜んだり傷ついている。誰も真似できませんよ。傍で静かに尊敬の"念"を持っておくべきことなんです。わきまえだと思います。

(3)の計画。
これはやったほうがいいですね。途中修正込みです。
"次は頑張ろうね"っていう漠然としたスローガン。それはよく聞きます。
でも、じゃあどうやって頑張るのでしょうか?
次の試合の時に、その場で頑張っても望む結果を生む可能性はそれほど高くはならないように思います。

僕はK-1キッズチームでは、ビジネスでいう「KPI指標」と「KGI指標」のようなものを活用しています。
最終ゴール設定と中間の目標です。

最終ゴールが「試合で勝つこと」とするならば、僕はまず「稽古回数」を増やします。しかも「継続的で定期的な稽古の回数」をあげますし、合宿などの「特訓」の場をしっかりと設定します。それをしっかりとこなしていくのです。

物事は48時間以内の反復学習が効果的とされている論がありますが、単純にほぼ毎日取り組んでいれば強いのです。学習以外に「発見」という要素もあるので。

K-1チームでは「頑張っているかどうか」の主観はNGです。共感はしますが。
例えば、10キロのものを持ち上げるという目標に対して、全速力で走る練習を繰り返し"頑張って"行っていても、目標には近づきません。また10キロのものを持ちあげることを念頭に置いていても、走ることも、休むことも、遊ぶことも入り乱れてスケジュール繰りに忙しくなると「頑張っている気分」にはなります。
でもそれはスケジュール繰りを頑張っているだけなのです。
何を何回繰り返して積み重ねていくのか。
明確に坦々とこなして行き、目標に役立つ機会はなるべく逃さずに上塗りをしていくのが良いと思います。

なんとなく「よし、次は頑張ろう」は危険です。


(4)努力の経過確認と物語としての達成感。
人間はロボットではありません。毎日の積み重ねに飽きます。
特に親子の取り組みの場合、ご父兄が飽きます。何か他のことをやりたくなるのです。

僕は指導においては「物語」を重視しています。
ヒーロー(ヒロイン)ズジャーニー。
全ての子をそのような物語に当てはめていくのです。

今はなんでも楽しいことがありますし、大抵の楽しい刺激や満足がお金で買えます。
物語でさえお金で買うことができます。
大人なら良いのではないでしょうか。みんなそうしていきますから。働いてお金を作って海外に旅行に行ったり、希少な経験を手に入れたり、贅沢に浸ったり。。
大人のになると、おそらく多くの人の人生においては、「汗と涙の努力の結晶」といった類はそういうお金で買える価値観に負けます。汗臭い努力より、快適な贅沢が選ばれているのです。

でも子供には子供の等身大の宝探しの物語があります。
その物語にはどんな登場人物が必要ですか?

僕が指導を始めたばかりの頃に、ある女学生が「フライ、ダディ、フライ」という本を読んでほしいと言って差し出してきたことがありました。その後映画も観ることになりました。
それを読んで分かったことは、事業拡大に勤しんでいる親御さんに対して、本来その女学生が共有したかった「物語」があるということでした。
お子さんにとって父や母は"最重要の登場人物"です。

親御さんの思い描く物語と、お子さんの思い描く物語。
それが違っても当然です。

でも時として、子供の物語感覚を改めて観察して見てもいいのではないでしょうか?

ちなみに僕は少年時代に「あしたのジョー」のように生きたかったので、父親に「ダッシュ用のタイヤ」を作ってもらった時はかなり盛り上がりました。夜に車のライトを照らしてもらって、シュートの特練などをした時には本当に嬉しかったのです。自分が主役でした。悪いけど、その時は僕の父親は丹下段平役でした。

すっかりおじさんになった今、僕は丹下段平にいつでもなりきりますし、ベストキッドの宮城先生やジャッキーチェンのようにでもなれるよう努力します。

子供等身大の物語。

それに寄り添うことを大切にしてあげたいと、僕も一人の父親として心がけています。

KATANA TOURNAMENT 2018 後記(社会人編)

June 18 [Mon], 2018, 20:11


「先生、俺はもう試合は引退します。道場もあと1年くらいで。。」

50歳を目前に控えた小峰雄介(アサヒ建工社長)の横顔が、ふと "社会人の表情"になったのは青山道場の施工を終えて間もない頃だったと思う。「それじゃ、次の現場がありますんで...」と急ぐように道場を立ち去った。

代表の山口が好きな会員さんの名言が幾つかある。
その一つに小峰社長の「人を真に愛せる人になるために、人は強くなる努力をしなくちゃいけない」というものがあった。

道場の創成期はMUGEN-KARATE BLACKSには少なくない経営者たちの成長期であり葛藤期でもあった。多くの人間が会社経営や独立に燃えつつ空手への情熱も熱く燃やしていた。

今考えると、みんなあんなに忙しく働いていたのに、よくもまぁ空手をあんなに激しく練習したものだなと思う。

みんなにとって「日々を生きることが近かかった時代」だった気がする。

KATANA TOURNAMENT 2018

小峰社長が胴回し回転蹴りを繰り出す。
決めるためではない。
試合終盤の積極性をアピールするためのものだ。

「先生、俺はまだまだ生き残りますよ」

香ばしい笑顔でそう口を開いたのが2年前だった。小峰社長が引退の撤回と試合への復帰を決めた。

人が一人勇気を持つことで、四方八方の人間が明るくなる。
小峰社長の"陣形"には正面はない。
全ての表であり裏である。
すなわち、それが愛の形なのだ。

そんな小峰社長の好きな武将が、「三国志(北方謙三)」の呂布。

『やめろ曹操。男には守らなければならないものがある』

『それは何だ?』

『誇り』

『お主の誇りとは?』

『敗れざること』


今もなお、小峰社長は破れずに斗(たたか)う男たちの一人である。

*************************************

昨日の社会人男性の戦いは一戦一戦がとても誇り高かった。
それに代表の山口は満足を得ています。

いつからだろうか、大人になってからへり下ることを覚え、誤魔化しの強がりと強がらなくてもいい権利を使うようになったのは。

そんなもの。。
本当は少しも面白くないはずだと男なら誰もが分かっている。


HIRO塙さんの胴回し回転蹴りは最高だ。
AIR JORDAN。まだまだ空中に飛んでいける男でありたい。

ルイさんのどつき合いは、低身長のハンディキャップを優に突き破っていた。
なぜか菅原文太さんの「一番星ブルース」が流れた。フランスオヤジ、最高だった。

バブルの申し子、マサトさんはとてもシブかった。
勝ち星にこそ恵まれなかったけど、帰り際の香ばしくも寂しそうな笑顔は東幹久でした。
"君の瞳をタイホする" 僕も三上博史の三上博史のようないぶかし顔で応戦しました。久しぶりにTOYOTA ハイラックスサーフを渋谷で垣間見たような幻想をみました。

先の憲介さん、HIRO塙さん、ルイさんに加え、宮本さんとダイスさんもMUGEN KIDSのパパです。
子供の前で試合を見せられるお父さんってスゴい格好いいなと思うんです。
勝っても負けてもですよ。そんなの関係ない。

宮本さんもダイスさんも闘いつつもフェアプレーで、それでいて大人の誤魔化し笑いとか全然しなかった。
それが格好良かったんです。とことん勝負に尽くしていて。
これを間近でみられる息子さんたちは、さぞかし誇りを感じただろうなと思うんです。

そうするとRYO堤さんとかも本当にそう。
二年間勝ち無しの子供と1年半は一緒に勝ちなしできました。負け続けた。
それで前回大会で初勝利で初優勝。その大会でも息子さんは負け続けたけど、今回初勝利で初優勝。

やっぱり勝者とは「勝つまで諦めなかった者」の事なんだと思います。
それを親子単位でできるって凄いです。並大抵じゃない。やめちゃえばいいと思うんですよ。正直、今の時代"価値観"なんてみんな買えるんです。それかフリーで手に入るんです。

でも勝敗をかけた勇気は買えないんです。何もしなかったら手に入らないんです。
そういうことを、空手している子供が分かっている手前、お父さんたちが安楽なステータスを買わずに頑張ってるって凄いんです。子供に勇気を与えるのは、親の行動です。本当にリスペクトしてしまいます。

そういう中で大人として成長しつつあるのが元翼(ゲンスケ)がいる。
最高の環境だと思います。
ゲンスケが対戦したトニーなり、アンディさんなり、伊藤悦男さんなり。
誇りをかけて戦える大人です。

ゲンスケも空手とK-1アマチュアの舞台を勝敗繰り返しながら本当に頑張り続けている。
悔しいけど、僕の中学時代より100万倍輝いています。

トニーが言ってたんですよ。「ゲンスケは強いけど、俺は負けたくないです。男として。指導員というのもあるけど、単純に勝ちは譲れないんです」なんていい大人なんだろうかと思います。

そういう意味では健太くんも「俺も9月にK-1出ますよ。ゲンスケくんだけじゃない。俺もいきます」と息巻いています。30代前半なんてあっという間にすぎるし、今のうちにやれるものはやっておいたほうがいい。今年の始めにその話してから仕事忙しくて道場に来られなくなった時もあったけど、今回見事に復活してくれたことが嬉しかったです。9月出場なるか。期待しています!

黒帯の中世古さんは僕ファンなんですよ。しなりのある蹴りが本当に羨ましいです。あんまり人の技が羨ましいってないんですけど、中世古さんの蹴りは別格です。
なんかこの人の空手愛は「死ぬまで」だろうなと思うんです。いっつも飄々としていて、それでいて芯のある空手見せてくれるんです。

悦さんに至っては、いつかもう闘ったまま逝ってほしいです。
引き回しからの上段回し蹴り。あれは昨日何度か見ましたけど、すごく綺麗でした。あれ50過ぎて普通できるかなと。。できればあの蹴りの瞬間で逝ってほしいのです。

最高の男たちは常に挽歌の傍にいる。

最後にその前線にいる「MUGENの武蔵坊弁慶」鈴木先生にはいつも感謝しています。

*******************************************

『やめろ曹操。男には守らなければならないものがある』

『それは何だ?』

『誇り』

『お主の誇りとは?』

『敗れざること』

(呂布)