冬季審査会2018 社会人黒帯 後記

December 12 [Wed], 2018, 19:25



今回のトニーこと須藤君とトマさんの昇段審査。
そのハードルの高さから生まれる熱気だけでなく、参加者たち相互の「想い」が折り重なる濃厚さがあったように思う。

この審査会の打ち上げで、ある古参の黒帯がつぶやいた。
「昔、一緒にやっていた同期が辞めてしまった時に、寂しくて泣いたこと思い出しました。。」と。

道場は人生の縮図。
そもそも出会った時には別れが1セットになって、道場では仲間ができる。

その人脈を繋ぐものはなんだろうか。
多くの場合は「志」ではないかと思う。


(以下編集中)

冬季審査会2018 キッズ黒帯 後記

December 12 [Wed], 2018, 12:28


寿美ちゃんが必死の表情で渾身の蹴りを放つ。
左中段回し蹴り。
上段に上がらないわけではない。
彼女は左のミドルキックと左のレバーショットを得意技としている。

師匠である僕に最後の力で思い切りぶつけてくるのは、「自分の好きな技」なのだ。
寿美ちゃんの気持ちがすごく伝わってきた。

みんなの声援が飛ぶ。
仲間の女の子たちも男の子たちも、年上の子も年下の子も、そしてご父兄も。。。

僕はこの寿美ちゃんの技を受けながら、改めていろいろな思いが胸に去来しては熱くこみ上げるものを必死に抑えていた。

小さい時に条件を満たせず、帯の審査を受けられなくて泣いたりしていたと思う。
大会で負けた時は、脆弱に泣き崩れていたと思う。
何度も何度も泣いていたと思う。

「負けず嫌い」とは当時正直思わなかった。
単純に望むものが今すぐに欲しい子なんだと思っていた。

「是は是 非は非」
何かをねだって安易に望むものを手に入れたいのであれば、武道はやらない方がいい。

代表である僕の方針ははっきりしている。

空手を誰にでも楽しんでほしい。
でも、実力で取るべき欲しいものがあるのであれば、そこには必ず挫折や葛藤は生まれる。
それを自ら好んで努力して継続して手に入れていけるよう成長してほしい。

果たして、2年前のK-1チャレンジチーム発足時に、まさか寿美ちゃんがチーム入りを志願してくるとは夢にも思っていなかった。

彼女の目にははっきりと「強くなりたい」という気持ちが宿っていた。
静かに燃える目があった。

声も小さく、か弱い女の子でも「強くなりたい」と思っていい。
僕は長男の黒帯取得にも並ならぬサポートをされていたお母さんのサヨさんに聞いた。

「本当に大丈夫ですか?」

サヨさんはきっぱりとこうおっしゃった。
「女の子なんで親としては戸惑いましたけど。。。本人がやりたいっていうので応援することにしました」
一度決めたら全力を尽くされる。
お兄ちゃんの時もそうだった。サヨさんもまた寿美ちゃんをしっかりとサポートしていこうという志を強く持っているのが伝わった。



親が子供を支援するということは本当に難しい。
いろいろなケースがあるが、僕の指導現場においては「子供がヒーロー(ヒロイン)となるべく物語」に、いつの間にか親がヒーロやヒロインとなって登場しようとしている、なんていうことがよくある。

僕も二児の父だから、そういうミステイクを実際に何度も重ねてしまっていることを告白しておきたい。
親として子供を守ったり、自信をつけさせたいと思って言動することが、実は子供の自立の芽を塞いでしまっているなんていうことが、山口家の場合も少なからずあった。

先日もある親子空手やっているお父さんと話していたら、「先日の大会に子供が負けたんですけど、家に帰ったら”ボク、頑張ったよね?"と聞いてくるんです。ちょっと思い当たったんですけど、彼は『お疲れ様賞』を期待していることが分かったんです。気がつきました。それじゃあダメですよね・・」と。
僕も大いに賛同して「ああ、僕もそれ経験しましたよ・・」なんて、親父談義したりしてました。

他者とのフェアな条件において自分で望んだものが思うような結果を生まなかった時に、「頑張った自分」や「可哀想な自分」を親に差し出しせば、ヒーロー(ヒロイン)のお父さんやお母さんが登場して救ってくれる物語は、ある意味子供と大人両方において中毒になり得る危険がある。

道場でヒーロー、ヒロインになるのは子供たちだ。

大人のクラスになれば、それは子供たちではなくて会員さんということになる。
その絶対的な考え方は、指導者としての僕の振る舞いにも未だに大きな疑問符や打撃を与え続けている。
指導者は自分が英雄だと勘違いしてしまいやすいからだ。
だから本音をいうと、僕は今年真剣に「指導の引退」を考えた。
本当の代表としての仕事に没頭しなくてはならないのではないかと強烈な疑問符を自分に打ち付けたからだ。
そのクダリは年末にもう一回書き残しておきたいと思っている。

話を戻すが、審査会の子供たちの頑張りには、涙を流すご父兄も少なくない。
きっと各ご家庭でも、空手を巡っていろいろなドラマがあるからだと思う。
そして審査会で、輝かしさも、喜びも、惨めさも、苦しさも噛み締めながら必死に頑張っているお子さんたちの姿に、純粋に応援者として感動をしているからなのだと思う。



手前味噌ながら、この道場の良さは競技力そのものよりも、空手を通して品格であるとか美徳といった「精神性の向上」に主眼をおけているところであると思う。それを生徒さんもご父兄も理解を示してくださった上で、愛好し継続をしているのである。

武道における精神性というのは、高貴なイメージがある一方で「美化」されやすいのも事実だ。そして危険である。

ややもすると、汗を流したり息を切らしたり、悔しい思いや挫折にも当たることなしに、「武道をやっている」と誇らしげにいうようになってしまうかもしれない。それではあまりにも陳腐だ。

武道は身をもって人の痛みが分かるようになるし、稽古中の「身体の貸し借り」を通じてフェアな感覚が養われるようになる。そのフェアな感覚から"思いやり"も生まれる。

例えば、なんでも人に優しくすればいいというものでもない。
その優しさが人を傷つけることだってあるのだ。

このクラスでは、多くの子が組手中の劣勢をもって練習後に相手や仲間から「優しくされる」ことを拒む。
精一杯自立しているのだ。だからこそ仲間も気にかけておきながらも、あえて優しい言葉などはかけないでおく。その代わり、仲間の肩を叩いて通りすがるようなこともあるだろう。

今回の審査会でもいろいろな子が、拳足に「プライド」を交えて尊重し合い、然るべきコミュニケーションをとっていたように思う。

十人十色、まさに能力も性格も年齢も様々な子たちが、「戦う」という非日常的な行為の中で、仲間たちの力を借りて「自分自身」を問いただす時間だった。



今回のもう一人の黒帯審査の受験者ブレイク君。
彼は1年前に無念の退会を考えていた。

どうしても「あと一歩が前に出ない」「緊張すると戸惑ってしまう」。
日頃からシャイなブレイク君がずっと悩んでいたことが、どうしても重たくなってしまった時があった。
そんな時に審査会で強行突破を図るも、やはり心配がそのまま結果となってしまったことがあった。

「是は是 非は非」
どんなに心苦しくても、僕はフェアであるべき結果を曲げることはない。
その代わり、もうこれ以上無理だと思うんですとおっしゃるブレイク君のお母さんに、僕は「絵」のことを伝えた。

実はもう少し前にお母さんのカヨさんは、ブレイク君のために「基本の絵」を事細かに描いて、一緒に確認されていたりしたのだ。それを思い出してもらったのです。本当に毎回毎回その絵を見てブレイク君と一緒に確認をして、基本稽古にあたっていました。

嫌いなものであれば、無理にやらなくてもいい。
でも、好きなものの前には勇敢である必要があるし、今まで看過してきたものに対して根気強く見つめ直さなくてはならない時期もあるのかもしれない。。

それを一度悟ってからは、より一層注意深くブレイク君は稽古に取り組み続けることができたように思います。お母さんのカヨさんも力強く縁の下の力持ちに専念されていました。

そして先日の大会では、ずっと苦手意識を持っていた大会にも出場。
非常にスピーディーで、本来のブレイク君らしい戦いを堂々と見せてくれました。

ブレイク君が小さい頃の大会。
お父さんのインディカさんが、その勇敢な我が子の戦いを見て非常に感動していたことがありました。

そのシーンが再び蘇ることを、僕も楽しみにしていました。

次は審査会。
お父さんが我が子の雄姿に感動し、その勇敢な心を惜しみなく讃える姿。
本当に心から見たいと。
そうすればブレイク君はまた英雄になれる。



そしてブレイク君は見事に英雄になった。

緊張も不安も自信の無さも、全て自分の力で払拭することができた。

僕が審査を終えたブレイク君を抱き上げて、お父さんのインディカさんの胸にお預けするときに僕は伝えた。

「すごい子ですね。あなたの息子さんです!」

お父さんが太陽のように明るい笑顔を弾けさせてくれて、お母さんのカヨさんが感極まり、弟のディラン君が兄を誇りに思うように見つめている。

仲間や他のご父兄からは割れんばかりの拍手。

ブレイク君の大きなチャレンジが成功に終わった瞬間だった。




寿美ちゃんも圧倒的な技術力を見せて、終わってみれば文句なしの「完遂」だった。

しかし、何度も何度も感極まって涙をこぼしそうになるのを堪えながら戦っていた。


4歳でスタートしてから3年生までは、決して大会でも上位カテゴリにエントリーされるような子ではなかった。大人しい子の部門で出場するのが精一杯。

この子の年代にも有能な男子が多くいる。
それが、まさか昨年秋からこの年代の上位カテゴリで優勝を獲得するまでに成長するとは誰が想像しただろう。

今や伝説となっている、昨年夏の「地獄のK-1チャレンジ特訓」をまさか耐え抜くとは。
あの特訓を境に、彼女は目覚ましく進化していったように思う。

つくづく「過去」はあてにならないものだと思う。
「今これから、自分でどうありたいのか」
本人がそうした意思や目標を強烈に持つことが、いかに大切かということを彼女にはたくさん思い知らされた。

普段は物静かな可憐な女の子。
振り返れば、幾らでも「逃げ道」はあったと思います。

でも、自分で選んだ好きな道。逃げ道は探しませんでした。
彼女の涙は「くやし涙」から「ヤル気涙」に変わって行きました。

つくづく思うのです。

ヒロインは寿美ちゃん。
でも、そのヒロイン物語の舞台を、黒子となっていつも支え続けたのがお母さんのサヨさんだった。
サヨさんの存在なしには、寿美ちゃんは輝けなかった。

「家族としては、女の子の彼女にはバレエやピアノやって欲しかったのですが(苦笑)、、、、でも娘がやりたいことをお応援してあげたいのです」

応援するけど、過剰には保護しない。とにかく自分自身の意思でチャレンジしてきたことを、どんな結果にせよ受け入れてあげて、次のステップを支えてあげる。サヨさんはいつもそれに専念されてきました。

決して表にはでないけど、子供を信じ続けて子供の舞台をサポートし続ける母親に、陰ながら大きな拍手を送りたいと思います。




最後に、こうした仲間の晴れ舞台を応援・協力しに来てくれている黒帯の子たちにも、この場を借りて心からの感謝を伝えたい。

今は黒帯を「単なる資格」のように捉える風潮も少なからず見受けられる。

でも、僕個人はそういうものではないと思っている。

黒帯論というのは武道論と同じくらい厄介で、それは人それぞれにあって然るべきなものなだと割り切ってはいる。

しかし、純暉くんや佑くん、杏奈ちゃん、朔くん、茶帯の礼門君のように「仲間のために協力したいです」と自ら申し出てくれる子たちに、本当に頭がさがる思いである。

「自他共栄」

武道でもよく示される言葉ではあるが、こうした精神を黒帯たちが大切にしてくれることに、大いに励まされている。

そこに次の世代へと伝承されていくべきかけがえのないものがあると考えているし、これからも道場の文化(心)として大切にしていきたいと思っている。


(終)

無拳流空手道秋季組手交流大会2018 後記

November 19 [Mon], 2018, 13:01


「スケアクロウはカラスを怖がらせていると思うかい?」
「勿論、そうに決まっている!」
「ところが違うんだ。カラスはスケアクロウを笑ってるのさ!」


スケア・クロウという大昔の映画がある。
1973年。ジーン・ハックマンとアル・パチーノの映画だ。

指導者同士の戦いの中に、代表の山口はこの映画を久しぶりに思い出していた。
この映画を友情育まれる"ロード・ムービー"だと括るむきは多い。
でも違う、人と出会うことによって、もっとそれぞれの人生と向き合う映画なんだと解釈している。

みんなスケア・クロウ(かかし)を演じては、烏(カラス)に相対したり、実はおどけて溶け込ませているのだと意味を見つける。

その場に立たなければ分からない感覚。
やってみなければ分からない感覚。
時が過ぎてこそ、初めて押し寄せてくる感覚。

それは果たして、自分が思っていた自分のものではない時がある。
そしてそれこそ、未だ知らない自分との出会いである。
自分は一体全体カカシなのか、カラスなのか、あるいは農夫なのか。。

昨日試合場に足を踏み入れた人たちは、今日になってまた去来する感情に包まれていることだろうと思う。

改めて、昨日の大会を振り返ってみたい。



幼年クラスは主に年長世代のエントリーが相次いだ。

MUGENのやり方は年齢やレベルでパッとクラス分けをしない。
「気質」と「ドラマ」も十分に考慮にしてクラス分けを行うのだ。

従って年長世代がほとんどの構成でで、実に4部門を形成することとなった。


同じ子が連続勝利する環境よりも、初勝利や久しぶりの勝利がなるべく生まれやすい環境を作りたい。
そう思って指導者同士でトーナメントのブラケット作成の会議をするのだ。

「負けて泣くのを初めて見ました。成長を感じられてよかったです」

「今まで何度も大会に出ては負けていましたが、昨日やっと初めて勝つことができました。諦めなくてよかったです」

こうした保護者からの声も届いている。

親が子に望んであげることは、必ずしも「勝利」や「優勝」ではない。
敗北の中に生まれる感情や念願の一勝の喜びの中に、成長を見出せることが大切。

子育てにおける競争シーンは、ややもすると神経過敏なダービーレースのようになってしまいがち。
武道の現場において、それは常に"一考する間"を必要とすると、無拳流空手道では考えている。

無拳流空手道の大会の場はただの競技場ではないし、親のリモコンで動く子供のリアルスティールな場所でもない。(*引用・映画リアル・スティール。娯楽作品としては楽しめる。。)

互いの身体の貸し借りの中に、敬意であったり、思いやりが生じること。
これは指導者や親の姿勢から育まれるものだと確信している。




小学生のトーナメントは、さらにドラマが深くなることを感じる。
親の世界からは一つ壁を作った「自分たち」だけのドラマ。
そんな世界が拡がるのが小学生たち。

全12部門。

ざっと子供たちの名前に目を通すと、(これまでよく続けてきたな。。。)と感慨深い子ばかり。
それぞれに数々のスランプの場面が過去様々にあったように思う。

それを高学年の部決勝の林辰壱くんと喜多純暉君の戦いが、全て映し出してくれていたように思う。
それぞれ幼少の頃からのライバル。

両雄。
いつも二人は決勝かワンマッチを戦う間柄だった。

それが昨年からは、道を少し別つようになる。
喜多君は武器術クラスをいわば"専攻"し、より武術に特化した技術と精神を学ぶ。
一方の林君はやはり昨年よりK-1キッズチャレンジに専念し、瞬く間に全日本の出場権を得るまでの連勝を重ねる。

この二人には光ばかりが差してきたのだろうか。
それは全く違うと断言できる。

喜多君は"文武両道"の精神を常に保つために努力し、時に苦悶しているようである。
勉強や撮影の活動がどんどん忙しくなる一方でも、空手を継続し続けているし、武器術クラスでは技術をよりいっそう伸ばしている。その状態を維持し続けていることに、相当の努力があることを感じている。

一方の林君は、K-1で5年生にして全国レベルのグループに入ってしまったことにより、6年生の巨体の子たちを相手に連敗を喫するという泥沼に苦しんでいる。なんでこんなチャレンジをしているだろう。もう他のことをやってもいいのではないか。いろいろな思いを噛み締めながら昨今の道場通いを続けていたところだった。

竹馬の友。

髪型もファイトスタイルも違う二人が、昔のような大熱戦を繰り広げた。
競技力に勝る林辰壱が渾身の突きを放てば、喜多君も華麗なステップで蹴りを応酬する。

心と心。

二人が久しぶりに拳と蹴りで出会った瞬間。
それは苦しそうでもあり、一方でとても楽しそうでもあった。

みんなが出会う意味は、決して同じ運命を辿っていくこととは違う。
それぞれの道を行く途中で出会い、これから行く道を語り合い確かめ合うため。

二人の激闘に、少年クラスの子たちの理想を見たようにも思えた。



一方でほろ苦い青春の戦いもあった。

伊藤元翼 VS 佐藤翔太 である。

中3の元翼君は中1の翔太くんの先輩であり、K-1チャレンジクラスで互いに志を重ねる仲間でもあった。

この大会の前日、元翼から中学生メンバーに発表があった。
K-1チームを卒業し、新たなチャレンジの場に進むことの決心。代表の山口もその次の段階については後押しをしていたため、事前に元翼と相談をした結果、試合前にそれを打ち明けることを決めたのだ。

元翼が帰った後、翔太が涙を流していた。
翔太は既に80キロ近い堂々とした体躯を持っており、K-1でも相手が見つからない状態が続いている。
今後を取り残された状態になったのだ。

代表の山口は声をかけた。
「翔太、人に運命を委ねるのはやめよう。みんなそれぞれに自分自身で運命を切り開いて行かなくちゃいけない。支え合うことは大事だけれども、そもそもみんな自由なんだよ。支えるばかりじゃない、支えられるばかりじゃない。距離を開けてこそ、確かな励みにできる仲もあるんだ。今度は君が決断する番だよ」

大きな身体が震えて、ぶら下げた両拳は腿の前でギュッと握り締められていた。
そこに涙が一粒か二粒、、落ちたかもしれない。

「そして明日は元翼に勝ってみろよ。まさか"勝てるわけない"なんていって試合やらないだろ。そんなこの1年半じゃなかったはずだ。応援を意地に変えて頑張ってみろ!!」

そう山口が言うと、翔太ははっきりとうなづいた。良い顔だった。

試合は、まさかの翔太3−1元翼で前半の60秒を折り返した。
翔太の動きが良すぎた。いや、丁寧にこなしてきた基本が生きている。

いつもならば一方的な元翼の展開。
それを技術でも並んできた1Rだった。

2R。
元翼の猛攻が始まった。瞬く間に3−3。
しかしそこから翔太も耐える。
3−4。元翼がこじあける。
しかし翔太も意地を出す4−4。。

そこで試合は終了した。

主審の山口が伝えた。
この先の決着は、この先の未来で決めるんだ。
お互いにどんな未来を歩んで応援しあえるか。それがこれからの君らの勝負だ。

二人の感極まった終礼に、山口の胸は締め付けられるようだった。

(みんな頑張れよな。。。)

こうやって数々の青春を見送り、最後に取り残されていくのが、山口や鈴木、そして須藤の仕事なのだ。

この仕事が大好きだ。たまらなく大好きだ。



最後に大人の試合に触れたい。

もしかしたら、自分の望むような試合ができなくて不甲斐なさを感じているような人もいるかもしれない。
でも、参加した人たち全員が尊かったです。
それは間違いない。

大人になって人前で戦うなんていう経験。
する必要なんかない。

でも逆にできる人間は本当に少ないはず。

「やろうと思えばやれるよ。でも忙しいんだよ」

そんな言葉は飽きるほど聞いている。

大人になって空手をしてみてすぐに気がつくことは、「全然脳みそで思ってることができないじゃん!」と言うことです。

汗も流さず、怠惰な日々を送って、若い時の自分の動きの残像だけで生きている人はたくさんいる。
そんな虚妄からくるハッタリなど虚しさ100万倍だ。
しかし現実にはこういう根拠なく威勢のいいサムい中年男性は多い。

また、女性でも旦那や彼氏、子供にあれこれと偉そうに言える人は多い。
でも、シビアに健康管理できている人ってどれほどいるんだろう。
武道に限らず、日常の場面できちんと勝負の場に出ることができる人ってどれくらいいるんでしょう。

正直、空手は大人の趣味としては「斜陽傾向」にあるのが、今の全体的な流れではないかと思う。
MUGEN-KARATEは大人が多く通う道場。
これは実はなかなか稀有なことだと思う。

空手が格好悪いわけがない。こんなに素晴らしい世界はない。
空手が大人から支持されなくなってきている世の中になってきているとすれば、それは大人がやりたいと思う環境がないから。それに尽きると思う。

MUGEN-KARATEはその現実に対して、いつもしっかりと取り組んでいる。
大人が通いたい場所であるように。

そんな環境作りの中で、試合は正直悩みの種でもある。
良い大人がわざわざ組手にチャレンジをしたいかどうか。。。

いつも常にとことん考えるのだが、
やっぱり最終的にこう思っている。

大人が頑張っている姿を見せられない社会に希望はないよな。。。
そうやって考えて「企画」に取り組み直す。

やっぱりうちの道場には「最強者決定戦」は特に不要の価値観だと思う。
それは格闘技の興行が幾らでも見せてくれるし、武道を学びにきている人の感受性に適うものではないと思っている。

大人が武道に求めるのは、自分が努力を重ねて試す場において、最終的に精神性の高さが宿って欲しいという願いではないだろうか。

自分が戦いの場に出る意味。

それは必ずしも技術や肉体の繰り出すパフォーマンスの高さではないし、勝利という結果だけではない。
どんな精神的的なドラマを描けるのかということ。それに尽きるのではないかと。

そういった意味では今大会のワンマッチは、多くの社会人クラスの会員さんの高い精神的なドラマがしっかりと滲み出ていた良い試合ばかりだったと思っている。



この場でその試合模様を振り返るべきではないと思う。

今回うちの若手指導員の須藤(トニー)がベテランの鈴木先生(四段)にチャレンジをした。

往年の50代の黒帯会員さんたちも、名球会オールスター的な味のある試合をしてくれた。

現役バリバリの20代〜30代の会員さんも、40代の新規に空手をスタートしてくれた会員さんも、女性会員さんたちも、大いに互いをリスペクトしあえる「意義のある戦い」をしてくれたこと。

その全ての試合が、本当に貴重だったと思います。
絶対にここの大人会員さんは、日常で空手経験者である事とか、社会的な高い立場でパワハラ的にイキったりするようなダサい人たちはいないはず。

子供たちも応援する中で、本当にあるべき大人の姿は、何も映画の中のスーパーヒーローのような人間なんかじゃない。

1979年の映画「The Champ」っていう映画を見ていない人は是非見て欲しい。
スケアクロウは観ないでいいけど、The Champは観てほしいです。

どんなレベルの人もキャリアの人も、みんな等しくそれぞれの人生の主人公です。
僕は大切にさせてもらいたいと思っています。

やはり時には辛い思いをする事もあるはずです。でもこの場所で皆さんが空手ドラマを思い切り展開して、逆転ホームランでも、逆転スクイーズでも、なんでもいい、皆さんの個性に応じた格好いい主人公になってもらえたら本望です。

ちなみに僕にとっての最高のドラマ終わりはこうです。

ある日、鈴木さんがこう呟くのです。

「なぁトニー、なんか今まで俺たち誰かと働いてたか?」

トニーが笑いながら言い返す。

「やだなぁ、代表。。俺たち長く二人だけで働いてきましたよ。そういえば来週の大会では最近入って頑張っている若いスタッフとの対戦ですね。怪我させないように受け止めてやりますよ」

道場の片隅には僕に似たキャラのぬいぐるみがなんとなく置かれている。(UFOキャッチャーで取れそうなやつ)

実はこのMUGEN STORYは、そもそも僕がいない日常だったという。。ドラえもん的なヤツです。笑

人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり

また精一杯空手やりましょ。

空手やれるうちのやれるだけ!


(終)

無拳流空手道秋季組手交流大会2018結果

November 18 [Sun], 2018, 21:07


幼年I
優勝 岡田さくら
準優勝 本間カンナ

幼年II
優勝 安田隼人
準優勝 山口蓮

幼年III
優勝 薄葉さき美
準優勝 斉藤絵茉

幼年IV
優勝 渡邉橙理

小学生 I
優勝 佐々木理啓
準優勝 佐々木光一

小学生II
優勝 竹内祐月
準優勝 加藤諒

小学生III
優勝 片山夏輝
準優勝 横山詩真

小学生IV
優勝 李せいち

小学生V
優勝 藤原聖沙
準優勝 芳澤和佳

小学生VI
優勝 梅村煌
準優勝 デファイ カリン

小学生VII
優勝 橋本大駕

小学生VIII
優勝 林辰太郎

小学生VIIII
優勝 メネソン サラ
準優勝 ブレイク

小学生X
優勝 羽鳥一平
準優勝 柴田凛々斗

小学生XI
優勝 田中杏奈

小学生XII
優勝 マダスキ アユミ

小学生XIII
優勝 林辰壱
準優勝 喜多純暉

○敢闘賞(鈴木賞)
山口覚守慧、加藤諒、外岡英侍、森田彩朱里

○敢闘賞(多賀賞)
梅村煌

○敢闘賞(山口賞)
本間奈緒子、吉本健太
杉山智紀&岡田みくり、田上英昭&石井邦知、塙浩孝&松嶋良治、野沢岳志&斉藤正和

【軽井沢キッズ合宿で話し合ったこと】〜K-1チームは解散してもいい〜

August 15 [Wed], 2018, 0:36


「K-1チームは解散していいと思うよ。本気だ」

僕は子供たちに従来からの"本音"を打ち明けた。

合宿三日目。
午後の稽古に残ったのは13名中たったの4名。
うち1名は空手以外の怪我による別メニュー参加で、前日に合流した太郎だった。
その4名にお腹を壊したため、自ら見学での参加を表明をしたタツイチが加わった。
動いて実習をしたいといって残ったのは、ミホ、ゲンスケ、ハナコの3名だけだった。

僕は休養を申し出た子供を責めることなく車で宿舎に送り届けて体育館に戻ると、ゲンスケ、太郎、美帆、ハナコが途方にくれていた。そして整腸剤をとってきたタツイチが加わった。

「この流れ、やっぱりおかしい。。」

そうした雰囲気というか不満。
僕はきちんと一人一人に耳を傾けた。
そして僕は口を開いた。

「やりたくないのに無理をすることはない。やりたい人間だけが明日以降も僕の指導を受ければいい」

ただ、"チーム"という括りについては見直した方が良いだろうと僕は告げた。

リーダーのゲンスケはスマホを片手にとると、サブリーダー的な位置にいるショータに電話をかけた。

「あのさ・・・。俺たち本当にこれでいいの?」

電話の向こうでは、次々に相手が代わり一様に "今日はリフレッシュしたい"という言葉がでてきたようだ。

ゲンスケがため息を重ねている。
ハナコが苛立つ。
太郎が目を瞑る。
タツイチがゆっくりと瞬きをする。
高校生のミホが僕の目をじっと見つめる。

結局午後から夜24時を回るまで、子供たちの話し合いは続いた。

僕はドライに割り切った方がいいと5人に提案したが、ミホを除く4人は「みんなで意見を合わせて、とにかく頑張らせて合宿を継続したい」と言って譲らなかった。

ミホは自らの経験上「全体」に気を使って流されるより、「個々の気持ち」が大切だという意見だった。
それは指導者である自分も全くもって同じだった。

今はチームより個々のモチベーション次第。やりたくなければやらない。
その代わり目標を意識する合宿からは、足を引っ張り合わずに離脱した方がいい。
その分成長はないわけだから、K-1や大阪の全日本大会出場も見合わせる。
極めて合理的な考え方だと思うし、一見ドライなようでいてお互いを尊重した自立した意見だと思う。

長い話し合い。
子供たちが意見をぶつけ合っているが、それはとにかくやらせてもいいと思っていた。
時折子供たちが論点を見失い混乱をすると、状況を整理して僕も説明をきちんと加えて行った。その時間もしっかりととった。

子供達は体の調子が悪いわけでもない。2日間の稽古で心身の疲れはある。
合宿でメニューを進めていくうちに、それぞれが自身の課題を浮き彫りにしたところで、改めてその課題に取り組んで行くのが、億劫になってしまったり臆病になってしまったりというのが現状だった。

「午後練習は休んで、最終日の明日に回します」
誰かが一人口走ると、次々に同調しあって大量の離脱者を生んだのだ。

奇しくもそんな折に、あるチームの実力者のご父兄から辛辣なメールが届いた。

「私はK-1チームに反対です。無拳流がどんどん変わっていくことに危惧を覚えています」

そういったような内容で、非常に長く切々と丁寧に心情を述べてくださっていた。

僕は一人部屋に戻って、文章にしっかりと目を通すとベッドに転がった。

(おっしゃることは100%正しい・・・それは分かってやってきたんだけど甘かったかな・・・)
噛みしめるように独りごちた。




二年前。
お盆休みで休暇に入った僕は、お母様に許可をいただき太郎と花子をプライベートで軽井沢の家族旅行に帯同した。武道場も予めリザーブをしておいた。

この夏、僕は髪を染めて太郎を待ち構えていた。
前年、沖縄に帯同した時に太郎はホテルで僕と喧嘩をした。もうNYに帰りたくない、先生たちとずっと一緒にいたい、でも僕はガイジンだから、目の色も髪の色も違うし、帰らなくちゃいけないんだ、みんなと一緒ではないんだ!そういって布団をかぶってしまった。

それでこの年は髪の色を染めて待っていたのだが染めすぎた。
そしてさらなるオマケもついて、より一層太郎は暗くなっていた。
「せっかっく日本に帰ってきたのに、仲良しだった空手の友達がみんないなくなっちゃった・・・」

それらの友達は他の格闘技へ移ってしまっていた。
僕がいろいろな理由から積極的に勧めて、その競技に進んだ子もいた。
そして彼らは「全日本」という冠のついた大会などにも出場をしてなかなか充実しているようだった。
それが空手狂の太郎には許せなかった。裏切り。
より一層 "孤独"と"闇"が極まっていたのだ。

だから僕は太郎に軽井沢で様々なことを教えた。
友達が移ってしまった他の格闘技の技術について。
僕はその格闘技については単なるビギナーにしかすぎないが、ちょっとだけは経験はあった。
全く何も知らない子供に身をもって伝えることはできたと思う。

スパーを経験をした太郎は「他の格闘技もすごいですね。こういうのをビギナーからやり直すなんて、やっぱりみんなすごいです」と少し卑屈になっていた心を改めたようだった。

「でも、みんないいですね。全日本とか世界目指すとか・・・。僕はそれでも空手が好きだから、どんどん独りぼっちになっていく・・・」

太郎はそういって、夜空の星を見上げていた。
少し肌寒くなった軽井沢の夜。
太郎の眼鏡が曇っていた。
そして震えるように泣いていた。
深く傷ついていたようだった。
せっかくNYから来て、一緒に汗を流す友達がいない。
まだ10歳の少年は厳しすぎる現実だった。

花子が遠くの野原で野ウサギを追いかけていた。
僕の息子のサスケは当時3歳。それを幸せそうに微笑んで取り巻いている。

僕は言った。

「髪の色はスベったけど、来年楽しみにしとけよ。それに空手仲間だって増える。大丈夫だ」

太郎が儚く笑った。

「いいです、僕は先生に会えるだけで・・・先生の空手が好きだから・・・」

僕はこういうことを言われて嬉しくなるような人間ではない。
ダメだ。世界が狭すぎる。

太郎にも他の生徒さんたちにも「早く僕を卒業してほしい」。いつも常にそう思っている。
そのためにも"何とかしよう"と決意した。
太郎にもその他の根っからの空手大好きな子たちのためにも。

当時は運動神経が良くて内部大会で常勝するような子たちは、そこで"歩止まり"だった。
内部大会で毎回同じ子たちとしかも同門で当たる。
高学年にもなれば、受験などで所属者も減り相手も固定してくるからなおさららだ。
マンネリ感も漂う。

モチベーションが高揚するようなシーンを作り出せていなかったのも事実だ。
大切なのは「武道」。
だから競技性を少なくしてもいい。
果たしてそれでもいいのか。。

いや、そうとばかりも言えまい。
やはり若い情熱が精一杯目指せるものを用意することも大切なのではないだろうか?
剣道や柔道だって、大きなトーナメントがあって若いうちは選手として大いに情熱を燃やす人たちが多い。

もちろん空手にもある。
無拳流空手道もかつては色々な組織からの呼びかけも多くいただいてきたが全て辞退した。
なぜか。あくまでも「MUGEN STYLES」にこだわりたかったからだ。
"無拳"と書いてMUGENと読む、その理想。
そこから離れてしまう空気を作るのが嫌だった。

一度はMUGENの全国組織を急ピッチで作り「全国大会」を作ることも検討した。
足りないものが多すぎた。

僕は若い情熱が精一杯情熱を燃やせる場所作りを検討するにあたって、以下の絶対要件を作っていた。

(1)安全性が他のトーナメントよりも高いこと
(2)武道性よりスポーツ性が高いこと
(3)一般的な人の知名度・認知度が高いこと

これが無拳流空手道とコンペティションチームが両立できる重要なポイントになると考えていた。
そして僕は密かに調べていた"ある方面"へのコンタクトをするために、その日から一年さらにそこの世界を間調べ続けていたのだった。



果たして翌年夏に太郎・花子が来日した折には、MUGEN-KARATEは「K-1アマチュア公認ジム」の認可を受けていた。早くも7月の初陣に参加することができるようになっていたのである。

アメリカでは組手大会の経験に乏しかった太郎と花子は大喜びした。
しかも「K-1」という誰でも知っているビッグブランド。

そして必ず僕は親御さんに言い足している。
「顔面パンチは無しです。そして空手ルールと一緒です」

安全性が通常のフルコン空手大会よりも、この上なく高いのがK-1アマチュアキッズルール。
そう断言して良いだろう。

7月の初陣には4人の参加。3人の勝利。
現在クラス昇格して活躍している林辰太郎は負けた。MUGENでは無敵の子も負ける。それがK-1だ。
太郎は秘策として授けた「胴回し回転蹴り」で勝利、花子もその身体能力の高さをいかんなく発揮し「側転蹴り」を連発、手堅く勝利した。

その後チームメイトは急激に増加した。
たった4人の出発から、10人の所帯へ。9月初旬の大会に出場することになった。
太郎と花子も帰国を延期。9月のK-1に臨むことになった。

今年夏の四国松山合宿で、ある年長キッズがしみじみこう話していた。

「先生、普通の空手大会だったら、僕らはK-1に出ている有名道場の子たちにはボコボコにされてましたね・・・」

後から身をもって理解できることもある。
僕が従来から「1年目の大躍進は作戦勝ちだ」と言っていることを、メンバーが身をもって分かったことは大きな成果だ。

僕は別に作戦を立てた名指揮官振りたいわけでもないし、その成果をアピールして名誉だと思う趣味があるわけでもない。それならば従来から違う空手道場の運営方式をとっている。

フルコン空手にせよ、伝統方式にせよ、硬式その他にせよ、僕は経験上知っている。
どの世界もコンペティションの世界は本当に厳しい。

今の僕らの道場のルーツであるフルコンについていうと、大会では「効かす打撃」を磨くことになる。
僕は子供のうちからそれを指導すること、それをとことん競わせることに抵抗感があった。

だからK-1アマチュアのボクシンググローブやボディプロテクターで守られた環境は魅力的だった。
勝つにせよ負けるにせよ「安全性に優れている」と判断できたわけである。

四国松山の名門・悠心館道場の空手に触れて、全国で通用する空手がどんなものか。
それを知ったのはメンバー及びその周辺の「勘違い」を拭うためにも、本当に良い経験だったと思っている。

初年で高学年重量級で全国制覇を成し遂げた後、MUGENチームが採用してきた奇襲攻撃は次々と他の道場に取り入れられてしまって、今や普通のテクニックとなっている。

当然今年に入り苦戦が続いている。
安全性が確保された環境の中で、「地力と実力をしっかりとつけて栄冠を目指すコンペティションチーム」を目指し、「アスリート意識」をメンバーが意識して実行していけるようにする。

それは「当初望んだ環境」に改めて立ち返ることだった。

K-1チームは無拳流空手道のオプション。

あくまでもそうなのだ。
無拳流空手道を頑張った上で、オプションであるK-1競技にもアスリートとして没頭する。
僕はそう位置付けている。

親も子供も「K-1ブランド」を自分の生活にあてがって喜ぶ風景は要らない。
また「キッズのお遊びアクティビティ」などという微笑ましい側面も要らない。

アスリートとして優れた挑戦をしてほしい。

「子供じゃない ファイターだ」
そういう気概を持ってほしい、それがK-1キッズチームに求めていることであり、無拳流空手道の青少年教育にオプションとしてつけたそもそもの意義だ。




大半の子供たちがコンペに向けた合宿に集中しきれず、生半可な状態が生まれてしまっている。

それならば僕は無理をしてやる必要はないと感じているし、適当な練習をしてコンペに望むのならば格好が悪い、やめたほうがいいと思う。

これは今も悩み続けていることだ。練習だけでなく、日常から糖分の恐ろしく高いスウィーツなどを普通に摂らせて喜んでいるご家庭にも正直困惑している。どうしたら分かってもらえるのだろうか。。
一方で、指導者や親に任せっぱなしで、自らトップアスリートを目指そうとしないのんびりした子供たちもいる。

僕が思うオプションチームは、一人一人が本当にアスリートとして自立したトップチームだ。
現時点での実力はどうでもいい。勝利など後からついてくる。
才能のある子でさえ、適当でお手軽なドラマに満足しているのがいやだった。

合宿。
子供たちは「最終日は心を入れ替えてきちんとやります。指導お願いします」という答えをまとめた。
決定までに長時間かかったのは、子供たちが「自分の本当の気持ち」について考え続け、"みんなで一緒に頑張る"という路線にリーダーたちもメンバーたちも最後までこだわったからだ。

僕は伝えた。
「先生自身は"はじめにチームありき"という考え、"みんなで"という考えを信用していない。好きではない。優れた者が自分を徹底的に管理して高みを目指し実力をつけていく過程で、志を同じくする人間が現れる。集まってくる。それが仲間でありライバルであり、同志と呼ぶんだと思う・・・」

また、こうも付け足した。
「志(こころざし)というのはサムライ(士)の心と書く。たとえ一人でも信念を貫くのが本当だ。ちなみに僕がみんなの立場だったら、すでに軽井沢にはいない。一人で東京に帰って東京のクラスで汗を流しているか、このチームを抜けているだろう。人に足を引っ張られる意味がわからない。だってこのクラスはオプションなんだろう。それなのに意識が低い。特別でもなんでもない。。。」

そう伝えて、とりあえず明日は仕事として先生は残った5人以外のメンバーの指導も続けることにしますと言い渡した。もちろん「仕事として」なんて割り切れるわけがない。みんな可愛い生徒さんたちなのだ。

だけど嘘はつきたくない。
常に遠慮なく正しいと思うことを言う。
行く道を行くためには、はっきりと主張して自分が行きたい方向をアピールする。

僕は同部屋の子供たちが眠ると、また起き出して朝方まで事務仕事に追われた。
東京での仕事が免除されるわけではないのだ。
合宿中はいつも朝方まで仕事をしている。

順番。
業者さんやご父兄、メンバーさんにメールやメッセージを返す。

ようやく「K-1反対」のご父兄に返事を書くことができた。
以下、先方のお名前を消してある以外は "ほぼそのまま"である。

親御さんは、子供が一所懸命に物事に打ち込んでいるのは素晴らしいが、無拳流が本来の姿からかけ離れていくことに危惧を覚えている。子供には早く無拳流空手道一本に戻ってほしいと願っておられていた。

僕は真心を込めて"本心"をしたためた。


"メールをいただいた時に、
ちょうど子供たちと話し合っていたところでした。
K-1キッズチーム解散についてです。

○○くんというK-1キッズチームの優秀なメンバーの親御さんのお立場からすると、より一層、無拳流が勝利第一主義に偏っているように思われるかもしれません。
所属者には、やる以上は相応の努力をしてもらっていますのでなおさらです。

しかし現在お預かりしている約300名のお子様のうちK-1チーム所属者は15名ほどです。
あとの285名は従来のように空手に取り組んでいます。
また社会人クラスの約150名はK-1にはほぼ関係がありません。

K-1キッズチャレンジは特に経営には何の効果ももたらしておりません。
それどころか全くの逆です。あらゆる意味で赤字事業です。

そして○○さんと同じようなお考えの親御様が多く、今回と同じようなご意見を常にいただいております。

K-1キッズは、大好きな無拳流の中に身を置いた上で、さらに外の世界にチャレンジしたいというお子様を応援するものです。
子供たちは無拳流の中でも「お手本」とされるような礼儀正しく優しい子達ばかりです。学業も優秀な子が多いです。
それでもその子たちは「チャレンジ」をしたがっています。

本来は私は○○さんと同じ考えです。
無拳流の道場で、そもそも叶えたい武道観・人間修養の理想と役割は完結できるよう尽力しております。

しかしこの道場に所属した上で、さらなる情熱を燃やしたいという子たちは、
私の経験から得た理想を受け取ることよりも、自分たち自身の青春を実際に燃やしたオリジナルの経験を得たいと思っています。
それが若さなのだと思います。

一年前にこのチームを発足した背景には、様々な人間ドラマがありました。
子供たちを自分の枠に入れずにチャレンジをさせる機会も創出すべきか・・・
私も苦渋の決断でした。
若い情熱を本当に応援するとはどういうことなのか。
本当に悩み抜きました

現在ディフェンス能力の高いK-1選手セミナーを大きな赤字を負って招致したり、ディフェンスを重視した名門ボクシングジムでの練習環境を提案しているのは、ごく一握りの○○くんたちのようなチャレンジャーたちの安全を少しでも高めたいからです。

それらの道筋をつけるために、K-1やボクシングジムの代表者たちにも然るべき「誠意」を示して、「趣旨了解」をしていただける努力を重ねています。
うちの子たちはそれらの組織の一般生よりも、厚遇を受けているはずです。

他の門下生やご父兄からは、K-1チャレンジのお子様にばかりかかりきりになっていると苦言を呈されることも多々あります。
ただ自分の生徒さんが戦いの場に果敢にチャレンジをする一方、惨めな敗北をする可能性もあるのに悠長にしていられるはずもありません。

ただし、生徒さんたち自身が努力を怠ったり、ご家族のご支持をいただけない背景が重なるのであれば、
私はいつでも解散したいと思っています。

今後、このプロジェクトに対してより一層ご不安が増されるようでしたらいつでもお申し付けください。
素直に受け入れさせていただく覚悟をしております。


山口 拝"


このメールに対して、ご父兄は気持ちの良い返信をくださった。
こんなにも先生は考えておられたのですねと。無拳流はやはり素晴らしいです、これからも宜しくお願いします!と大きな心で理解を示してくれたのだ。ありがたいとしか言いようがない。

ただ僕は今でも思っている。K-1チームはいつでも解散していい。
あくまでも無拳流空手道が本筋なのだと。



最後に、林辰太郎くんという2年生の子を紹介させてもらいたい。
彼は当初K-1で負け続けた。
あれだけ勝率の高いメンバーの中にあって、当時1年生だった彼は3年生までのカテゴリの中で無様に負け続けた。会場の隅では膝を抱えて悔し涙を流し続けていた。これが競技の厳しさであり現実だ。
今では急成長をして、全国大会リーグへの進出者としてクラスアップして活躍しているが、彼が挫折をする要素など幾らでもあった。

親御さんの見守り方も一貫していた。
「勝つまで工夫し努力し続ける」
結局はそれに尽きるのだ。

先日彼をうちのスタッフがインタビューしているとこんな言葉が出た。
「僕が負け続けた時に、山口先生はずっと信じ続けてくれた。だから僕はそのあとに勝ち続けることができました。嬉しかったです」

思いがけない言葉に、僕は目頭が熱くなった。
僕は次常勝チームを作って酔いしれたいわけではないのだ。それが目的ではない。
日本一を目指す。
そのドラマの中で学べることは計り知れず大きい。

これは僕が少年時代にサッカー全日本一を目指す過程で学んだことだ。
毎日が夢であり挫折であり葛藤であり、やはりそれでも大きな夢だった。

僕はメジャーな全日本少年サッカー全国大会では県大会3位で敗退したが、もう一つのクラブチーム選手権では日本一になった。

あの優勝を決めた時は土砂降りの雨だった。
クラブチームで表彰式が終わるとすっかり雨が上がっていた。本当に綺麗な夏の夕方だった。

子供ながらにいろいろな辛かった思い出に浸ったものだ。

セレクションでチームに残っていくたびに、だんだんと地元の仲間がいなくなって行った。
僕より当初断然にうまかった子たちでさえ消えていった。
僕は毎朝一人でボールを追いかけ続けた。夜も車のヘッドライトが当たる場所で遅くまで自主トレを続けた。

初めてレギュラーを外された時の辛さは、本当に地獄だった。
ライバルの存在を肯定して消化することができず悶絶した。

"ブレイクスルー"
自分自身の手で物事を突破する経験を味わってほしい。

僕がK-1チームを指揮する意義はそこにある。

「Noblesse Oblige」

そしてK-1をやる子たちにはこれも覚えておいてほしい。
K-1チームはある意味特権意識を生む。

合宿中に代表である僕を拘束することは、他の門下生よりも特別な位置にいるということにもなる。

僕がK-1関連のイベントにチャリティを組み合わせるのも、僕自身もK-1というブランド力をお借りする一方で浮かれることなく「社会的なバランス」をしっかりととりたいからだ。

家庭環境的に恵まれているから。
ミーハーで目立つものをやっておきたいから。
親の子育てドラマとして盛り上がるから。

僕はそんな理由でK-1チームを僕は作っていない。

原点・出発点は「無拳流空手」が好きで陥ってしまった、あの時の太郎と花子の「孤独」であり、あの寂しさの極まった軽井沢キャンプだ。

堕落したお飾りのチームになるのなら、僕はいつでもK-1チームを解散したい。
知名度なんてなくてもいい、無拳流を熱心にやれれば本望なのだ。

軽井沢合宿中、誰かがぽつりと行った。
「大阪の全日本、僕たちだけで行って来られないかな・・・」

それが現実に可能かどうかは別として、自分たち自身で未来を切り開いていこうという精神。
それを育てていける場であればこそ、僕はこのチームを作り出す価値を感じている。

ちなみに先日お世話になっている大橋ボクシングジムさんに行くと、

「山口さん、うちでお預かりしているそちらの生徒さんが"四国より軽井沢の稽古が断然にきつかった"と言ってましたよ」とトレーナーの方が教えてくださった。

僕はみんな弱いんで当然ですと言って、早々に息子と鏡の前に立ってシャドーを始めた。
次の合宿があるかどうかは分からない。

いつでもK-1チームは解散する用意がある。
それだけがいつも決まっている。

MUGEN KARATE 四国キッズ合宿 vol.7 〜EPILOGUE〜

August 02 [Thu], 2018, 19:41


最後までこのブログを読んでくださった方が何人おられたのか定かではありません。

指導や運営業務の合間を縫いながらの記述とはいえ、誤字脱字乱文乱筆の極み、お見苦しかったこと多々あったと思います。

この場をお借りしてお礼とお詫びを申し上げます。

2日目の夜の稽古後に「TONNY'S CHANNEL(公式)」を収録しました。

その時に矢野先生とともに出演してくれた渡部はるあちゃんが本当に印象的でした。
彼女は年長から空手を初めて、なんと小6まで芽が出なかったそうです。背が小さくてなかなか通用しなかったそうです。
それでも諦めず、ついに昨年の中2で全日本チャンピオンまで上り詰めたということです。

矢野先生が翌日さらにおっしゃってました。
本当にあの子はたいしたもんですよと。
どんなに辛い稽古があっても、顔色一つ変えないでついてくる。
延長が続くきつい辛い試合でも、あの小さい体で勝ってきよるんです。
そうおっしゃいながら、その時々の名場面を思い浮かべられていたのだと思います。
車を運転しながらお話ししてくださっていた矢野先生は、場面に応じて本当に苦しそうにされていたり、嬉しそうにされておられたように思いました。

6年生まで芽が出なくても、好きでずっと続けて来られる。
本当に素晴らしいことです。
はるあちゃんご本人や先生ももちろんですが、ご家族や仲間、仲間のご家族にも支えられてきたのだと思います。

三日目は釣りに行ったり、道後温泉街に連れて行ってもらったり、送別会をしていただいたりしましたが、どこも本当に楽しく良い思い出となりました。まるで空手をしていたなんて信じられないくらい平和でした。

矢野先生には、ここでは語るべきではない素晴らしい場所に連れて行っていただきました。
僕はそこで不覚にも涙がとめどなく溢れてきてしまいました。震えまくりました。
こんな自分にもそんなことがあるんだなと思い、信じられませんでした。でもとても貴重でした。
矢野先生は僕から吹き出てきた感情を受け止めてくれただけでなく、心に寄り添ってくださいました。
感謝しています。

矢野先生は僕にとっては「大先輩」です。
ですので昔のしきたりでいえば、口さえ聞くこともできませんし、パシリのような扱いを受けても仕方がないくらい、それくらい「高さ」が違う人です。
しかしもしその高さを意識しなければならないとしたら、僕は残念ですが矢野先生とはこうして出会ったり交流することはなかったと思います。
送別会でほろ酔いの矢野先生が鈴木先生のメガネをトークの流れから2度ほど優しく触れられましたが、それ以上のことはなく3回目もなくて安心しました。単純に眼鏡が気に入られただけだったようですね。ひやりとしたのは事実です。笑

多くの人が青春を燃やす時期を過ごし、やがて社会に没頭する時期を迎え、そして老境を迎えます。

僕もこれから50代を迎えていくにあたり、どのように社会に貢献していくのかを真剣に考えて行動しています。僕にもう青春はありません。「青春は年齢じゃない!」というセリフはいくらでも世の中に見当たりますが、僕はそうした感性に全く興味がなくなりました。

年齢に応じた楽しみ方や嗜(たしな)みというのはあって然るべきですし、それは空手でも追求していきます。何かに努力することをやめるわけではありません。

ただし「夢中」になることは、やはり若い人だけの特権です。
いや、そんなことはないという人がいたら、その人は間違いなく正しいです。
でも僕が見ている価値観はその人と絶対に違います。

そういう意味でも、矢野先生は素晴らしいです。

多くのお子さんたちの青春を担って、惜しみなく真心も体力も工夫も全て注がれています。
そしてお子さんたちが本当に「夢中」で頑張っていて、夢を達成されています。

矢野先生に、ご自身が若い時に大いに空手に没頭されていたことを教えていただいて合点がいきました。
半端ない空手への情熱に溢れていた時代に生きた方です。

五十代とは誰も思うことができないあれだけの素晴らしい動きをされる一方で、若い時の本当のトップスピードをきちんと認識しておられる。

だからこそ今もなお道衣に袖を通されつつも、次の世代・若い子たちの青春の礎になろうとしておられるわけです。僕は先生のこうしたリアリストである一面も尊敬しています。

"いかに次の世代の糧になることに尽力するか"

本当にこれが僕の今後の最大の仕事になります。

今後もまた松山の悠心道場さんときっと交流を重ねて続けていきたいと思っています。

そしてどんどん現れる若い世代の子が、生徒さんもインストラクターもどんどん夢を持ってお付合いできるよう「バージョンアップ」していけたら最高だと思っています。


矢野先生と悠心道場の皆様には、お礼をたくさんありとあらゆるところでしたためさせていただきました。
僕は言葉だけじゃない恩返しがしたいです。
だから早くも動いています。
それが早ければ来年「大きく動いたらいいな」と願っています。
楽しみにしていてください。かすったら、ご容赦ください。笑

それでは今回の物語を閉じさせていただきたいと思っています。
皆様ありがとうございました。

<完>



MUGEN KARATE 四国キッズ合宿 vol.6 〜ZONE〜

August 02 [Thu], 2018, 18:03


夜の稽古は素晴らしかった。
悠心道場の巧さ・強さ・優しさはさらに輝きを増し、それでいてMUGENの子たちも精一杯の力を振り絞っている。

悠心道場 × MUGENのコラボレーション。

それは松山名門道場の名伯楽・矢野先生の作り出すまぎれもないマスター・ピース(傑作)だった。

まぎれもなくみんなZONEに入っていた。

年長のタイシが力を振り絞って上段蹴りを精一杯あげている。
同じく年長のサスケが涙ぐみながらも前に出て、力強いパンチの連打を繰り出し続けている。

タイガ・イブキ・ユヅキ。
彼らなりに矢野先生が教えてくださったポジショニングにトライしている。
べそを書いていた初日が嘘のようだった。

コトミ・カリン・ハナコ。
みんなどこにそんな情熱があるのだろう。悠心の子たちの技を受けつつコピーしながら返す。その技の交換はテンポを増していく。

方や、シン・トモキ・タツイチの組手は素早く激しくもあるのに、まるで音のなくなった世界・しかもスローモーション・しかもモノトーン(白黒)の映画のように、突きと蹴りと汗と気持ちを悠心の子たちと交換し尽くしていた。

そしてヒロキ・太郎・ショータ。。。
すでに彼らは何かになりきっていた。
それは音であって音でない。言葉であって言葉ではない。
匂いにも近く、色にも近く、それでいてそれは風でもあり土であった。。

"JAZZ"
そうだJAZZ。
これはSession(セッション)。

もはやMUGENもYOU-SHINもない。
いろいろな子がいろいろな空手を精一杯表現している、楽しんでいる。
それが様々な突きとなり蹴りとなり運足となり、情熱を飛び散らせて輝かせている。


悠心道場。
代表の矢野先生が慈愛に満ちた微笑みで子供達を見つめている。
その矢野先生に脇を固めるのが、老練さを滲ませる松木先生と、爽やかで強い目の澄んだ宮内先生。
お二人の微笑みもまた暖かい。

MUGENRYU。
代表の僕を固めるのは鈴木先生とトニー先生。
トニー先生が両手を品よく前で重ねつつ優しい微笑みを浮かべ、鈴木先生は顎を豪快に撫で回してニヤリとしている。彼らも暖かく男だ。

そしてまた子供達を見守られているご父兄達も相変わらず暖かい。
MUGENの子も暖かく応援してくれていることが伝わる。
本当にありがたいことだ。


この日の稽古が終わった後。
なんと閉館した公民館の前で1時間弱、子供も大人も語り合っていたのではないかと思う。

記念写真を取り合っては盛り上がる子供たち。
本当に素晴らしい交流ができた。

MUGENの子たちも素晴らしい姿勢で稽古に臨んでいた。
それを僕も誇らしく思っていたし、彼らも清々しそうな表情を浮かべていた。

感謝。

僕は松山の夜空に星があるのかふと探し見上げてみた。
すると、ふとある小学生の男の子も夜空を見上げていた。

一休さんのエンディングテーマ。
さっきまでJAZZだと思っていたバイブスは一気に無くなった。
でもそれでよかった。
十分だ。

いいじゃん、一休さん、
いいよ、一休さん、
最高だぜ。

"可愛い子には旅をさせろ"


(続く)

「ははうえさま」
歌:藤田淑子
詞:山元護久
曲:宇野誠一郎

ははうえさま お元気ですか

ゆうべ杉のこずえで
あかるくひかる星ひとつみつけました

星はみつめます
ははうえのようにとても優しく

わたしは星にはなします

くじけませんよ 男の子です
さびしくなったら はなしにきますね 
いつかたぶん

それではまた おたよりします

ははうえさま 

いっきゅう










MUGEN KARATE 四国キッズ合宿 vol.5 〜PRIDEを賭けろ!〜

August 02 [Thu], 2018, 12:37


悠心道場さんとの最後の稽古。
それを前に僕は尋ねた。

「今日楽しかった人!」

全員が迷いなく挙手する。
表情は非常に明るく、というよりむしろ興奮状態。
やはり子供同士、打ち解けあえたのが大きいのだ。

「今日は挨拶もこちらの道場の流儀に則って、しっかりと頑張れていたと思う。そこ良かったよ!」
一同、僕の声に満足げだ。


「でも・・・・」

そう切り出すと、みんなの表情が少し陰った。

「きっとみんなはごまかしているよ・・・大切なものを・・・」

"大切なもの"とは何か。。
みんな考え始めているようだった。
僕は言葉を足した。

「なぁ、今日もスパーしたよね。やっぱり悠心のみんなは上手いな、強いなって思った人は?」

全員が手を挙げる。
自分のことのように張り切って手を挙げるものもいた。仲良くなったシンパシーがそうさせているのだ。

しかしシンの目だけはギロリと僕を睨む。
合宿中、終始面白くない様子を浮かべているのがこの子だった。
決して楽しくないわけではない。
そして悠心道場の先生も生徒さんの事もリスペクトしているのは間違いない。

「あのさ・・・先生が子供の時だったら、みんなのようにはならんな。。」

イブキが再び驚きの表情で口を開けて固まった。
カリンが腕を組がてら、もう一つの腕を立てて指を唇に当てる。
コトミは全神経をおでこに集め、改めて見上げるように僕を見つめる。
翔太が壁と同化しそうになるのを、鈴木先生とトニーが腕を伸ばして引き上げる。重労働だ。


僕は静かに口を開いた。

「みんな、もう悠心の子には敵わない・・・。そう思って楽になろうとしてないか???」

イブキがもう一度驚きの表情で口を開けて固まった。
ユヅキが首をかしげるようにして目をつむった。
タイガが目を大きくしてその奥に眠る感情を待機させた。
ハナコが少しイラついたそぶりを見せる。このミーティングの意味がわからないのだ。

「ハナコ、じゃあ聞く。今日はなんでライトなのに、思い切りローを相手の子に蹴り込んだんだ?先生が注意してからも、それは止むことはなかった。相手の子のコンビネーションがうまくて追い詰められたからだろう?だから、君は思い切りローを蹴り込んだんだ。相手の子は余裕で受けていたけど・・・」

ハナコがうなだれつつ、目線を外してどうでもいいという素振りを見せた。

「ハナコ、じゃあ、帰ろう。これからお母さんを呼ぶ・・・」

イブキの横で、花子も完全に驚いて口を開けたまま固まった。


「次にサスケ、お前も帰れ!」
サスケは親子なので、自分の"空気"がわかる、初めから真面目な顔をしてこの会議にミーティングをしていた。

「まずお前は、今日は下半身は寝起きのまま会場に集合した。挙句におねしょ防止用のオムツを履いたまま、帰りには"パンパース"などと呼ばれ可愛がってもらっていた。もちろん悠心の子たちにバカにするつもりなど毛頭ない。しかしそんな可愛がられ方など山口家としては屈辱に値する。今直ちに帰れ」

この合宿中はチーム内にあってほとんど別行動だ。父子のシーンはごくわずか。したがって別室の我が子の着替えなど知りもしない。当たり前だが自分自身でやるべきことだ。5歳児なら能力的には余裕でできることだ。

「それからトモキだ。お前はサッカーが好きなのか?」
この日智紀は日本代表の鮮やかなブルーのユニフォームを着ていた。お気に入りなのだろう。僕もサッカーは好きだ。生粋のサッカー少年で少6の時にはキャプテンとして全国優勝をした。

「悠心の子たちは全員が悠心のTシャツを着ていた。そのことだけは分かっておいた方がいい。それが決まりなのかどうかはどうでもいい。ただ、着るもの一つとって見てもその人のマインドセットが分かる」

サスケが目を真っ赤にして頬を下ぶくれにしていた。
これも父子だから分かるのだが、彼は本当に自分が恥ずかしいと思っているようだった。

また、K-1のBクラス昇格に王手をかけ続けてなかなか突破できないでいる智紀も思うところがあるようだった。

僕は続けた。

「今日、悠心の子と仲良くなって安心した子いる?」

全員が手を挙げた。
いくら空手が強いといっても自分たちと同じ小学生や中学生。
道場を離れれば一緒に遊べるシンパシーを持った友達になれるのだ。


「みんなの考えていることは分かるんだ。うちはライトとかノンコンタクトとか言っているから、何をどこまでの強度でやっていいかわからない。戸惑ってしまう。そうだろう?」

一同がうなづく。

「そのうちにライトだと思っていたら、思いがけず軽くあるいはたまに勢いよくインパクトの入った打撃が来る。それでどうしたら良いのかわからなくなってしまい、余計に怖くなっていってしまっていた」

「しかし今日はみんなが昨日より明らかに手を抜いてやってくれた。それで仲良くもなった。安心するよね。。」

一同がさらにうなづく。

「だけど、インパクト抜いても上手かったでしょ?彼らは?」

一同がさらにうなづくというより、我に返ったようだった。

「そうなんだよ、その現実に対してどう思える合宿にしたいんだ?みんなは。俺だったら、ずっとこの与えられた "知恵の輪" を考えるよ。それでまた敗れてもいいから、アタリをつけるね。考えまくるんだ。この状況をブレイクスルーするための方法を!」

イブキが顔をあげた。やはり驚いて固まっていた。
サスケは眉間にシワを寄せた。
タツイチが唸って手を組んだ。
太郎は黙ったまま何度もうなづいていた。

「せっかくの合宿だ。何のために来たんだ? 俺だったらそのまま埋もれないよ・・・もちろん悠心の子たちと仲良くするしリスペクトもする。大切なことだと思う。・・・・・だけど悔しさを忘れないよ。強くなってやるんだという憧れや希望を何かで覆い隠したりしないよ・・・」

シンが静かに気炎を上げているのが分かった。
以外にも杉山兄もそうだった。震えているようで燃えている。。ヒロキ、本当に変わった。
ところがカリンまで。。K-1クラスにも所属していないカリンまでが静かに強い眼差しを送ってくる。びっくりした。

人には得手不得手がある。
こんなことを言っている僕も、書道は嫌いだったし、スイミングは水着を公園で濡らして毎日帰宅していることがバレて親にこっぴどく怒られた。大人になった今でもダメなものはダメ。好きでも全然才能ないなと諦めるものもある。つまりはそれほど好きにはなりきれなかったということだ。

でも、この合宿に来ているほとんどの子たちは空手が好き。強くなりたいのだ。

気がつけば、トニー先生が(みんな、がんばってね!)と両手を品よく前で重ねつつ優しい微笑みを浮かべている。
鈴木先生は顎を豪快に撫で回してニヤリとしている。"マホガニー"という言葉が何故か似合いそうな気がした。

「解散!」

僕が伝えると、みんなが凛々しく立ち上がった。
最後の稽古、フェアプレーで良い勉強をしてきてほしい。
僕は心からそう願った。

そしてどんなに下手だろうと弱かろうと、PRIDEを持って頑張ってきてほしいと願った。


(続く)

MUGEN KARATE 四国キッズ合宿 vol.4 〜真の交流〜

August 02 [Thu], 2018, 8:53


2日目のスケジュール。
10:00~12:00 合同稽古
13:00~15:00 コーチング
19:00~21:00 合同稽古

朝食に集まった一同は元気をすっかり回復したようだった。

タクシーで教えていただたスタジオに向かうと、すぐに矢野先生やご父兄の皆様、門下生の子達が出迎えてくれた。

矢野先生の笑顔は、曇天の中でもひとしきり輝いていた。

MUGENの子たちも大きな声で挨拶をする。

「お〜、今日もよ〜来たね〜〜〜。みんな偉いね〜〜〜」

矢野先生は子供たちをやる気にさせる力が卓越されておられる。

お会いした瞬間に、前日のミーティングで前向きになった子供たちの顔が一層明るくなったようだ。

建物の最上階にあるスタジオに階段で駆け上がると、そこには20名近くの悠心道場の子たちが待ってくれていた。

「押忍!」
「押忍!」

押忍の一言で繋がれる。
悠心の子たちの笑顔が、今日も心からの歓迎を示してくれている。
嬉しい。

ご父兄の皆様も本当に優しくてあたたかくて、ただひたすら有難い。

「整列」

MUGENの子たちはさっと立ち上がり、悠心の子たちの挨拶に改めて倣う。

三顧の礼。

MUGEN一同、しっかりと大きな声を出す。

やはりシンの声が一番大きい。
そして太郎と花子が続く。
サスケの声も響く。今日は笑っていない。眉間にシワを寄せて下ぶくれの頬を作るあの表情だ。

稽古は"テクニック"が主体だった。
矢野先生のお手本の動きはとても五十代とは思えない。
そのキレキレの動きに、鈴木先生やトニー先生の目もほころんでいる。

とにかく美しいのだ。

僕はパワフルな動きよりも、流麗で"キレ"のある動きが好きだ。
矢野先生の動きには説得力がある。

格好いい。
陳腐な言い方に聞こえるかもしれないが、子供にとって「格好よさ」は大切なファクター。
そしてもちろん大人にとっても。

先生がご紹介されるメソッドの一つ一つを、悠心の子もMUGENの子も一体となって取り組んでいた。
そして手を取り合い、言葉を交わしあいながら進める稽古に、徐々に双方の心が通い始めているようだった。

そして最後は組手。

「打ち込むなよ〜。蹴り込むなよ〜」

ライトコンタクトということだ。
矢野先生がより一層こちらにご配慮くださっていることが分かる。

僕も今回は積極的に補助に努めさせていただき、ちょっと強めな打撃になってしまいがちの子や一方的になる展開の組には声をかけさせていただくことにした。

それにしても、悠心の子たちは上手いし強い。
フルコンタクト空手の王道の戦い方をしっかり「地」で行っている。
改めて素晴らしかった。



そして、昼休みに一緒にお弁当を取ると一気に子供たちの距離は縮まった。

追いかけっこをする子もいれば、話に興じる子もいる。

悠心道場の子は矢野先生の元、伸び伸びとして本当に優しい子たちばかりだ。
これは一見当たり前のようでいてそうではない。

大人たちの社会にもいろいろな個性の人間がいる。
その中で、様々な個性が集まりつつも「強く・あたたかく・助け合える集団」を形成することは、本当に難しいことである。

矢野先生の「チームビルディング」の卓越したビジョンとご父兄の皆様の熱心さがあってこそ、こうした素晴らしいチームを作ることができるのだと確信している。

そして悠心道場の子たちは、MUGENチームを単なるお客さんから「仲間」へと屈託無く引き込んでいってくれている。まさに悠心キッズはまさに"矢野チルドレン"。

子は親に倣う。

そう考えると、僕はまとまりのない髪型をなんとかしなくてはいけないのではないかとかいろいろと考えてはみたものの、カリンちゃんが僕と髪型一緒なので、ま、いいかと。。

「あの、この子は山口先生の子供ですか?」

振り向くと、悠心の女子メンバーひまわりちゃんが僕に話しかけてくれた。
指差しているのは僕と思いきや、シン。

シンが少しはにかむ。

「似てる?」と聞くと、「うん。髪型も似てる!」と。笑

ああ、先生の子はこっちと、サスケを指さすと「あ、みんな親子・兄弟だと思ってました!」と言うとともに、いろいろな子が駆け寄って来てくれた。みんな興味があったみたいだ。

そこから一気に会話もブレイクした。

「この中で優勝したことがある子いる〜〜〜?」

びっくりした。
ほぼ全員。2位も3位も何度でも。

後で矢野先生に伺ってわかったことだが、初日夜と昼は「強化選手クラス」の子達が集まっていたそうだ。
どうりで・・・。
そして悠心さんでは1年のうちに4つの全日本大会に的を絞って選手を送り込んでいるとのことだった。

"空手が本当に好き"

それが直球で伝わってくる。
様子見のカーブなんてない。"ど真ん中で勝負"

その気持ち良さに惚れる。

昼休み。
気がつけば子供たちが本当に混ざり合って遊び尽くしていた。

その光景を矢野先生が微笑んで眺めておられた。
"矢野マジック"

これもきっと矢野先生が意図した「特訓」なのかもしれない。

気がつけば、トニー先生が両手を品よく前で重ねつつ優しい微笑みを浮かべている。
鈴木先生は顎を豪快に撫で回してニヤリとしている。

午後のスポーツコーチングの授業は、どんな気構えで目標に取り組むかを細かく興味が持続するように教えてくださった。

本当は細かく様子をレポートしたいところでもあるが、矢野先生の「秘伝」ゆえ、あえてオフレコということにしたい。

「ではまた夜二。最後の稽古になりますね!」

矢野先生がホテルに送り届けてそうおっしゃった後、また僕らはホテルのロビーに"集合"した。

(続く)



MUGEN KARATE 四国キッズ合宿 vol.3 〜郷に入れば郷に従え〜

August 02 [Thu], 2018, 7:07


ホテルに着いてチェックインを済ませると、僕はそのままロビーの四角に囲まれたソファーに子供達と一緒に腰を下ろした。ちょうど今回参加した14人が座れる。

みんなすっかり疲弊している。
僕は開口一番伝えた。

「みんなボンボンだな・・・」

日本語に疎いNY花子が尋ねる。

「"ボンボン"って何デスカ?」

「ああ、花子だったらお嬢様ってところか・・・」

花子が首をかしげる。

ふとK-1試合の出場もあって疲れ切っていた辰壱が、疲弊したインコのような顔をして僕の顔を暗く覗き込んでいた。

「辰壱、例えば君は青山の子をボンボンと思ってないか?」

辰壱は潔くうなづきながら答えた。

「正直思ってます」

隣にいた兄弟のシンが、稽古中に強めた眼力を未だに強めながら"同意"とばかりにうなづいた。

僕は口を開いた。

「でもな、俺から言わせたらみんな一緒。全然見えてないもん、状況が。。」

NY太郎が素直に答えを求めるような眼差しを向ける。
コトミもじっと見つめる。カリンも見つめる。杉山兄弟は読めない。。サスケは何故か微笑んでいる。。。

「あのさ、この中で悠心道場の子たち強いなと思った子いる?」

全員がパッと手をあげる。

「それから、この中で悠心道場の子たち優しいなと思った子いる?」

やはり全員がパッと手をあげる。

悠心道場のお子さんたちは素晴らしくて、初日でもかなり気を使って稽古中や稽古後にまめに声をかけてくださったのだ。そして先生方も同じ。

「自分たちもああいう風になりたいと思う子は?」

やはり全員が手をあげる。

「よしOK、手を降ろして。。じゃぁさ、今日の出稽古で悠心道場の子になりきろうとした子いる?」

タイガが目を潤ませる。祐月が首をかしげて目を瞑る。イブキが黒目を大きくして驚いたように固まっている。。。サスケは何故か微笑んでいる。。。

「あのさ、みんな出稽古は旅行じゃないでしょ?学びに来てるんでしょ?」

一同がうなづく。

「そうしたら思い切り真似しないと。こちらのお子さんのやってることを!」

僕は一同の表情を確認しながら、もう一度台詞を繋いだ。

「"郷に入れば棒に従え"という言葉がある。。。」

"郷ニイレバ郷ニシタガエ…"
花子が復唱している。

"郷ニイレバ郷ニシタガエ…"
杉山兄もつぶやきながら何故かニヤッとしている。。間違いなく他のことを考えている。。

「みんな、悠心道場さんはすごく声をたくさん出すし大きいでしょ?」

一同がうなづく。

「今日それを真似できた人、一人もいなかったと思うんだよね。。」

僕の言葉に、トニー先生が両手を品よく前で重ねつつ優しい微笑みで(みんな、そうだよ。。)というような眼差しを向ける。鈴木先生は顎を豪快に撫で回してニヤリとしている。

「押忍!の言い方一つとっても、僕らの道場とは全然違う。でも、みんながこの合宿を学びに来たのであれば、即座に真似をすべきだ。そしてそれが滑稽に思われてもいいから、必死で真似するんだ。学ぶってそういうことだと思うし、先生は今までどこに言ってもそうしてきたよ」


お〜〜〜す!

即座にシンが返す。やはり気合が入っている。稽古中は悠心の子たちがあまりにも上手で上手かったのが悔しくて仕方がなかったのだ。この日K-1で2連勝を飾ったプライドがある。

続いて太郎と辰壱、花子が大きな声で返事をする。この子たちも伊達にNYから毎年一ヶ月を費やしにくるわけではない。

「まぁ、任せるよ、あくまでも自分ら次第。アーミーじゃないんだから。だけど、正直ここまで来たみんなは全く偉くない」

タイガが目を潤ませる。祐月が首をかしげて目を瞑る。イブキが黒目を大きくして驚いたように固まっている。。。タイシが幸せそうにサスケと揺れている。。

「それは親御さんの力だ。親御さんが旅費を出してくれたにすぎない。そうすれば誰でも松山に来られるし、それで疲れたなんていうのは誰でも言うことだと思う。。」

一同がだんだん意味を理解し始めたようだった。
僕はたしなめた。

「自分で"旅"を作るんだよ。疲れるのは何やってもそうだ。でも本当に優れたものを学びたいと思うならば、優れたものに成り切ろうと努力しなくちゃ。先ずは"郷に入れば郷に従え"。それに尽きる」

「オ〜〜〜ス!」

今度はほぼ全員が大きな返事を返した。

「まぁいいよ、ここはホテルだし、自分たちのスタイルで。。苦笑」

一瞬安堵しかけた子供達に僕は不意打ちをかけた。

「Le~t's ?」

トニー、とに〜、トニ〜、とにい、トニ……

バラついた返しをしながら、みんなが初めて笑う。
ずっとホテルの壁に同化する作戦をとっていたショータも齟齬(そご)を崩して笑っていた。
イブキの驚き顔も解消され、タイガもユヅキも甘い笑みを浮かべ、杉山兄弟も林兄弟も高橋兄妹も、コトミも、カリンも屈託無く笑っていた。タイシとサスケも小躍りしていた。

そして僕はもう一度、聞いた。

「Le〜〜〜t's?」

「トニ〜〜〜〜〜!!!!!」

トニー先生が両手を品よく前で重ねつつ優しい微笑みを浮かべる。
鈴木先生は顎を豪快に撫で回してニヤリとしている。

僕は歓喜しまくる子供たちを目の前に思った。

(もう僕46歳なんで・・・)

早くこういう役回りをトニーさんに任せて僕は静かに暮らしたいのだ。

軽井沢あたりで。
無伴奏チェロ組曲第1番を聞きながら、
コーヒーではなく、珈琲を嗜みながら、
アンリ・ルルーのキャラメルが最近のお気に入り。。。
暖炉の前のソファに深く体を横たわらせて、誰にも会うことのない読書に埋もれた1日を過ごすのだ。。

そんな妄想をしていると、たくさんの手が絡んでくる。

「先生〜、もう一回やろうよ〜!Let's Tonny〜」

僕もあと三日間、頑張らなければならない。。。

(続く)