西田ひかるが久々で皆さんの前に生出演!!!

July 24 [Sun], 2011, 12:30

急なお知らせでごめんなさい!!

生で歌も1〜2曲歌います。

なんと2001年のSWEETBASILのLIVEと

東京大阪のDINNERSHOW以来

10年経ってしまいました。

勿論TVなどでは歌っていますが

生で見たい逢いたい方は是非この機会に。

こちらをご覧下さい。

http://www.manasepro.co.jp/hanako/hikaru_fc_odaiba.html

相変わらず写真のようなナチュラル感満々です。

暑さを吹き飛ばす明るさまっすぐ差で

楽しんでいただけると思います。

私に直接届けたいメッセージを希望していらっしゃる方が。。。

July 23 [Sat], 2011, 23:31

マナセプロのタレントに関するご意見やご質問は

http://www.manasepro.co.jp/mail/mail.html


そしてエフ・スピリットのタレントに関するご意見やご質問は


http://www.f-spirit.co.jp/mail/mail.html に。




個人的な返事が必要でしたらメイルアドレス入りで。

公開してよければアドレス無しで結構です。

下品なもの、人を傷つける種類のものには

ご返事できない場合も有りますので

よろしくお願いします。

大貫杏里から出産報告のメールが、フランスから。

July 12 [Tue], 2011, 13:56
とっても素敵なメールなので、そして大貫をご存知の方は

こちらにいらっしゃるかもなので

ご本人の承諾の元公開させていただきます。






はじめまして、テオです。
杏里の息子です。
よろしくおねがいします^^

僕は、2011年6月28日(火) 13時21分 51cm 4080gで、
南フランス カンヌの総合病院にて生まれました!

実は今、ママは傷口が痛んでほとんど動けずにいます。
でも、「早く大切な人たちに御礼と報告がしたい(涙)」と
ママがとても切なそうにしていたので、
ママの気持ちならぜーんぶわかる僕が、
ママの望みを叶えてあげよう!と思い、
人生初めての手紙を書いて
ママを喜ばせてあげることにしました!

この手紙は、僕がお腹にいたときにママがいつも話してくれた
「ママが大好きな人」たちに送ります。

日本で予定日と言われていた次の日。
朝5時半に目を覚ましたママは
「もしかして生まれる?」と感じたそうです。
(僕がもうすぐいくよって合図したんだけどね、ふふ^^)
すぐに陣痛が始まったけど、30分、15分、8分、
と急速に早くなる間隔に、
こんなにすぐに短い間隔になるなんてあり得るのかしら、、
初産では間隔が短くなるまでに何時間もかかると
勉強したのに、、とママは心配になって
母親教室でお世話になった助産婦さんに電話。
「もしかしたら本番の陣痛じゃないかもしれないから、
今から張り止めを飲んでお風呂に入ってみてね。
しばらくしても痛みが治まらなかったら陣痛よ!」
と言われたので
ママは数分おきに襲ってくる痛みに耐えながら入浴。

しかし間隔は早まる一方で、
お風呂を出たときには「病院に行く時」と教わった5分間隔!
間違いなく陣痛だ!と確信したママは
「病院に連れて行って!」とパパにお願いしたよ。
冷静を装っていたパパだけど内心はドキドキ!なパパは何を思ったか、
「俺もシャワー浴びなくちゃ!」とシャワーを浴び始めたんだ!
(もうパパったら〜笑)

パパはしっかり自分の髪の毛を乾かして、
ずぶぬれ髪のママの「生まれちゃうよ〜><?
の一声にやっと状況を把握!?
急いで車に乗り込み病院へ向かったよ!

すでに間隔は3分!
車椅子で直接分娩室へ運ばれて、
助産婦さんがチェックするとなんとすでに子宮口8cm開!
(赤ちゃんはこれが10センチになると出てくるんだって)
「大変もうすぐだわ!あなた、無痛分娩を希望してたと思うけど、
今からじゃ間に合わないから普通分娩で頑張りましょうね!」
普通か無痛か、10ヶ月間散々悩み抜いて、
痛みに弱い私のせいで赤ちゃんを危険にさらしたら嫌だから。
と決めたことだった。しかもフランスは無痛が主。
でも、ママは一瞬で覚悟を決めたんだって。

それから、ママはパパと手を取り合って2時間戦った。
もちろん僕も、早くママとパパに会いたくて、頑張ったよ。
13時21分。ママが僕を初めて見て思ったことは、
こんなに大きい子が本当に私のお腹から出てきたの!?
だったって。後から、
出産中本当に優しく強く導いてくれた助産婦さんがやってきて、
「あなた、赤ちゃん何グラムだったと思う?4080よ!!
そりゃあ頑張って上手にいきんでたあなたでも、
苦労して当然だったわね。本当に偉かったわ。
みんながあなたのように産んでくれたらって思うほどだったわよ。」って
優しくママを労ってくれたんだ。
会陰切開もしたのにプラス裂傷してしまって、
僕は申し訳なかった。。
それなのに、ママは言ってくれたんだ。
「本当に会いたかったよ。よく頑張って偉かったね。ありがとう。」って。

それに、僕が真っ暗なトンネルを通ってて怖かったとき、
「ほら!一緒に呼吸だよ!俺の顔を見て!スーハー!!頑張れ杏里!!」って
パパが一所懸命ママを励ましてる声が聞こえてきて、
あぁ、僕はなんて素敵な両親のもとに生まれるんだろう!って
勇気100万倍になったんだ!
こうして僕は生まれた。へへ(照)
あのね、ママがお腹にいるときから
何度も教えてくれたことがあるんだ。
僕は、幸せになるために生まれてきたんだって。
でも、自分は幸せになるために生まれたってことを、
なかなか感じられない人が世界にはいっぱいいるんだって。
みんなが心からそう思える世界に、僕はなってほしいなって思うんだ!
ちょっと大きすぎる夢だけど、
僕はまだ0歳だから、どんな夢を見てもいいよね^^
今日もね、最近片方しかお乳が出なくて困ってたんだけど、
「諦めなければミルクでるからね!!」
ってママが泣く僕を毎日励まし続けてくれて、本当に出たんだ!
僕とママ、感動して二人で泣きそうになっちゃった^^
こんな風に、色んなことを乗り越えて生きていくんだね。
日本のみなさん、僕はいつかみんなとお話ができるように、
日本語もフランス語も頑張って覚えます!
だからそれまで待っててね☆
あとママが動けるようになって、
自分で連絡できるまで、少し待っててあげてください。
僕の安産を祈って下さった優しい皆さん、
本当にありがとうございました><
南仏の空の下よりいっぱいの愛を込めて! 
テオより 2011.7.3


長いメールでしたけど
ご紹介したくなった気持ちは
分かっていただけると思います。
おめでとう!杏里!そしてher family!!

昨日500のアクセスがと書きましたが

July 03 [Sun], 2011, 10:53

間違っていました。

現在200から300です。

先月確認したときに500を越えていたので

驚きの気持ちも込めて書いてしまいました。

でも新しいブログに引っ越したのに

これだけの方が見てくださっているのは

感謝だし、驚きでした。

アメブロに引っ越しました。

タイトルは同じで

http://ameblo.jp/5-20-2/

上記のアドレスです。

そちらにどうぞ。

お手数ですみません。

アメブロに引っ越してからもう3ヶ月。

July 01 [Fri], 2011, 12:08

その間本当に色々なことがありました。

今でもこちらにいらしてくださる方が

500人ぐらいいらして、嬉しいような申し訳ないような。

西田ひかる・真琴つばさを始め

所属タレント・スタッフ一同元気に前向きに

生きています。

そうそうスタッフブログも始めましたし

私のブログもフルールはなはなのブログと

プロダクションのブログを2つを同時に始めました。

ヤプログさんからスタートして

とっても書きやすかったんですが

住所が変わってからは、

ルールも違っていて、一寸書きにくかったりしました。

あの頃は一日5〜7位書くのが当たり前になっていたので

ペースが落ちて良かったのかもしれません。

『出会い系』のコメントに辟易して引越しを決心したのですが

この一月足らずで35もの出会い系のコメントが入っていて

やっぱりとうんざりしました。

チャリティー写真販売をしていますが

寄付先の一つに

陸前の小学校・中学校が受け入れてくださりそうなので

給食の足しになるものを考えています。

1箇所ずつ、一歩ずつですが。

P−STAFFの方、アドレスを入れてくだされば

飲み会、食事会をするときに声をかけましょう。

68歳になったので

いよいよ残りの人生を考えるようになりました。

若い方たちに良い影響を与えられる人生を志したいと思っています。

曲直瀬道枝プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:曲直瀬道枝
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1943年5月4日 神奈川県横浜市生まれ
都立九段高校卒
青山学院大学第二文学部英米文科卒
神奈川県横浜市出身、宮城県登米郡登米町に疎開。自然と親しむ。
両親の仕事の関係で上京。母親の死去後1973年六本木ゴトウ花店に入社。
2年間の修行後、Kフローリストでアルバイト経験を経て、1976年潟tルールはなはなを千駄ヶ谷で開店。池袋サンシャインアルタ店、麻布十番店そして、渇「花として西武百貨店・渋谷店ロフト館(現在の(株)ロフト渋谷店)に出店。千駄ヶ谷店を神宮前に移転後池袋店、麻布十番店を閉店。再び千駄ヶ谷に本店を移転。現在に至る。

潟}ナセプロダクション
 父正雄と母花子が1948年に設立し、四女信子と共に水原弘・山下敬二郎・ダニー飯田とパラダイスキング・ジェリー藤尾・坂本九・森山加代子・九重佑三子等を輩出した。又バトントワラーを日本で始めて育成。
正雄が病を得、事業を続けることが困難と当時所属の坂本九よりの要請で、花屋経営のかたわら1982年社長就任。
 1985年8月、日航機事故により、坂本九死去。以降、坂本九の日本で唯一ゴールデンレコードをいただいた歌手としての功績とその人柄を後世に伝える事を目標の一つとして家業を続ける。
 1985年9月、西田ひかるに出会い、マナセプロダクションを再建。
現在は、坂本九・西田ひかる他、系列会社潟Gフ・スピリットで真琴つばさ他のマネージメントと各々新人育成を手がけている。
 亡き先代社長の口ぐせであった「Simple,Light,Clean」を社訓として、事業及びタレント・アーティストの高品位、高品質を目標に業界のみにとどまらず、より高きをめざして、精進していくつもりです。