スポーツ紙の記者の方から

April 21 [Thu], 2011, 23:38

キャンディーズの田中好子さんが亡くなったと聞きました。
この頃少し知り合いが亡くなったという悲しい報せを
聞かない日々が続いて。。。。。
そんなことをはなしていたところでした。

渡辺プロダクション所属だったキャンディーズが
大活躍していらした頃は私は
渡辺プロとはお付き合いが無くて
最近そのマネージャーでいらしたアミューズの大里さんから
その想いを伺ったりして、少し身近に感じたところでした。
丸顔が可愛くてしっかりした雰囲気の
女性としての理想像にも思える方でしたね。

スターと一般人としての距離感は
なくなった今も感じます。
ご冥福を祈ります。

久しぶりに書きたくなりました。

April 13 [Wed], 2011, 0:01
アメブロにも書いたのですが
ひかるのファンクラブで
チャリティーバザーなどを支えてくれたP-STUFFの
Sさんは飯館村に住んでいらっしゃいます。
大変な状況でも屋内退避に耐えていらっしゃいました。
お年寄りを 抱えて職住のある、
そして地震の歴史を刻んだ土地から離れたくない、
離れたい気持ちがあっても
離れられない、はかりがたいけれども
そういう心境だと思います。

そんなときにレベル7でチェルノブイリと同等の
大きい原子力発電の事故だったと発表されて。。。
どれだけ戸惑い、切ない思いをしていらっしゃるか。

こんな国民全員が途方にくれている時に
地方選挙が必要だったのか?
1年延ばして現在の地方治世・経済状態も
しっかり把握している首長に頑張ってもらえなかったのか。

緊急のこの時はリーダーを信じて力を尽くすのがベストと
このブログに前に書いたかもしれませんが
その想いをひっくり返される程
がっかりしています。

野党である自民党も
あたかも民主党が原発の安全対策を
初めて手がけた党かのように非難し始めて。
もういい加減に国民を大事にしないで
党派のことばかり考える政治はやめて欲しいと
思ってしまいます。

何故かこちらのほうが文章が書きやすいので
突然憤懣をぶつけてしまっています。
少しずつでも良いほうに進みますように
願いながら。。。。。

曲直瀬道枝プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:曲直瀬道枝
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1943年5月4日 神奈川県横浜市生まれ
都立九段高校卒
青山学院大学第二文学部英米文科卒
神奈川県横浜市出身、宮城県登米郡登米町に疎開。自然と親しむ。
両親の仕事の関係で上京。母親の死去後1973年六本木ゴトウ花店に入社。
2年間の修行後、Kフローリストでアルバイト経験を経て、1976年潟tルールはなはなを千駄ヶ谷で開店。池袋サンシャインアルタ店、麻布十番店そして、渇「花として西武百貨店・渋谷店ロフト館(現在の(株)ロフト渋谷店)に出店。千駄ヶ谷店を神宮前に移転後池袋店、麻布十番店を閉店。再び千駄ヶ谷に本店を移転。現在に至る。

潟}ナセプロダクション
 父正雄と母花子が1948年に設立し、四女信子と共に水原弘・山下敬二郎・ダニー飯田とパラダイスキング・ジェリー藤尾・坂本九・森山加代子・九重佑三子等を輩出した。又バトントワラーを日本で始めて育成。
正雄が病を得、事業を続けることが困難と当時所属の坂本九よりの要請で、花屋経営のかたわら1982年社長就任。
 1985年8月、日航機事故により、坂本九死去。以降、坂本九の日本で唯一ゴールデンレコードをいただいた歌手としての功績とその人柄を後世に伝える事を目標の一つとして家業を続ける。
 1985年9月、西田ひかるに出会い、マナセプロダクションを再建。
現在は、坂本九・西田ひかる他、系列会社潟Gフ・スピリットで真琴つばさ他のマネージメントと各々新人育成を手がけている。
 亡き先代社長の口ぐせであった「Simple,Light,Clean」を社訓として、事業及びタレント・アーティストの高品位、高品質を目標に業界のみにとどまらず、より高きをめざして、精進していくつもりです。