5月25日発売のCD『SYMPHONY〜翼望〜』のジャケットが公開されました。

April 30 [Fri], 2010, 19:07

大きな画像でお楽しみ下さい。

今回の写真は等身大の女性を感じる。

頼り無いような、心細いような、悲しみも感じている女性。

強いものに憧れ、縛られてもいる。

はたけさんがこの写真を見て感じた絶対的な純粋さ。

空気の清らかさとを重ねたくって羽と青空を組み合わせたようです。

真琴さんの肩の向うには清冽な光が。。

SYMPHONYにシンフォニーとルビを振る指示も

はたけさんからでした。

いつもセンスの良いデザイナーの方と

はたけさんが微妙な青と紫の分量にも拘りました。

お陰でCDに収められている曲のコンセプトを

表している美しいジャケットになりました。

この衣装はワンピースが鳥居ユキさんの数年前のコレクションを

気に入って購入したものです。

ロングタンクトップドレスです。

胸のエンブレム模様にはビーズがついています。

皮のベストと首のベルトと皮のリストバンドが

今までの真琴さんらしい強さが。。。ですね。

こんな風な着こなしは流石です。

姉渡辺美佐はいつも若々しく回りの方を楽しくします。

April 30 [Fri], 2010, 17:31

渡辺ミキの誕生会の時の姉の笑顔です。

この日は赤いパンプスを履いて

赤のエルメスのハンドバッグを持っていました。

SレコードのMさんにエスコートされて

会場に入ってくると

小さい身体なのに

存在感抜群。

皆にその存在が伝わりました。

長女の姉と末妹の私、

年も離れていますし、

一緒に生活した事もありません。

母親が42歳の時の子供なので

私が大人になった頃は母は体力的に弱い存在。

姉達の時代は母も全力で会社の仕事をしていましたので

力強い存在だったと思います。

環境の違いも姉妹の雰囲気、考え方の違いにもつながったかも。

厳しくそして温かい姉は私にとっていつも尊敬の対象ですし、

そして多くの人の頼りになる存在でもあります。

いつまでも若く元気でいらして欲しいと

心から思っています。

私と一緒の時にどちらがお姉さんです?と聞かれるほど

若々しいんですけどね?

余りにも素敵な笑顔の写真で

つい身内の事を書きたくなりました。

今朝のスポーツ紙ご覧戴きましたか?スポーツニッポン、サンケイスポーツ、

April 30 [Fri], 2010, 13:28
東京中日各新聞に写真入で

真琴さんの5月25日発売のCD『SYMPHONY〜翼望〜』の

事を載せてくださっています。

販売所に走って下さいな。

毎日恋愛、結婚、離婚の記事が多いので

何処まで取り上げていただけるか?不安だったのですが

目立つ記事にしていただいて嬉しいです。

スポーツニッポンの記事は一際大きく

加藤和彦さんのお写真も入っています。

 本当に有り難うございました。

西条先生の告別式にうかがいました。

April 30 [Fri], 2010, 12:48

昨日は業界関係者が多かった所為か

男性が多かったのですが

今日は圧倒的に女性が多くて、

たくさんの生徒さんやお弟子さんがいらっしゃいましたから。

一番弟子とご紹介を受けた家城比呂志さんや仲間だった

小井戸秀宅さんもいらしていました。

九ちゃんをはじめとして代々お世話になりました。

日劇時代からのお付き合いのダンサーでいらした菊池さんが

地味にでも漏らさず

お手伝いを仕切っていらっしゃいました。

スクールメイツや古いところでは

スタジオNO.1ダンサーズの振り付けや、

教えもしていらして

そこから振り付けの先生になられた方も

少なくないのです。

華やかにお送りできて良かったです。

曲直瀬道枝プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:曲直瀬道枝
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1943年5月4日 神奈川県横浜市生まれ
都立九段高校卒
青山学院大学第二文学部英米文科卒
神奈川県横浜市出身、宮城県登米郡登米町に疎開。自然と親しむ。
両親の仕事の関係で上京。母親の死去後1973年六本木ゴトウ花店に入社。
2年間の修行後、Kフローリストでアルバイト経験を経て、1976年潟tルールはなはなを千駄ヶ谷で開店。池袋サンシャインアルタ店、麻布十番店そして、渇「花として西武百貨店・渋谷店ロフト館(現在の(株)ロフト渋谷店)に出店。千駄ヶ谷店を神宮前に移転後池袋店、麻布十番店を閉店。再び千駄ヶ谷に本店を移転。現在に至る。

潟}ナセプロダクション
 父正雄と母花子が1948年に設立し、四女信子と共に水原弘・山下敬二郎・ダニー飯田とパラダイスキング・ジェリー藤尾・坂本九・森山加代子・九重佑三子等を輩出した。又バトントワラーを日本で始めて育成。
正雄が病を得、事業を続けることが困難と当時所属の坂本九よりの要請で、花屋経営のかたわら1982年社長就任。
 1985年8月、日航機事故により、坂本九死去。以降、坂本九の日本で唯一ゴールデンレコードをいただいた歌手としての功績とその人柄を後世に伝える事を目標の一つとして家業を続ける。
 1985年9月、西田ひかるに出会い、マナセプロダクションを再建。
現在は、坂本九・西田ひかる他、系列会社潟Gフ・スピリットで真琴つばさ他のマネージメントと各々新人育成を手がけている。
 亡き先代社長の口ぐせであった「Simple,Light,Clean」を社訓として、事業及びタレント・アーティストの高品位、高品質を目標に業界のみにとどまらず、より高きをめざして、精進していくつもりです。