びっくり!!畑TWITTERでコーラス入れをしています。

April 09 [Fri], 2010, 22:38
そちらのコメントで歌を褒めていただいているようで。。。

嬉しいですね。

広がれー!!友達の輪!!


『デートリッヒ』の舞台のスタッフブログに風花舞さんと

April 09 [Fri], 2010, 21:14
振り付け助手のはるちゃん”こと玉城晴香さん!の仕事振りが載っています。

素晴らしいですね。

風花さんの台本や

玉城さんの描いたステージングの絵を

宝物のように感じました。

このブログを読むと

本来ならばデートリッヒの実像を写したとはいえないあの姿が

心を・生き方を映したものとして、素敵な作品になったのは

優秀なスタッフの皆さんが、和央さんを中心の舞台に隙間が出来ないように

物理的にも緻密なチェックと努力をなさった結果だと思いました。

応えて作り上げられた和央さん始め

出演者の皆さんは勿論素晴らしいと思いました。

そう長くは公開していないでしょう。

早めに見て下さいね。

山田ジルソンが出演します。

April 09 [Fri], 2010, 8:20

  衣装合わせから真剣なエンターテインメントだったというこの宣伝写真。
ミケランジェロの『最後の晩餐』を模した物だそうです。
ウォーリーならぬジルソンを探せ!!です。


裏面には又違う衣装出ています。
禁酒法時代のギャング?ちんぴら?
表と裏でそのぐらいの違いがあります。
今一寸思いました。
ブラッド・ピットみたい?!

加山雄三さんのパーティーは1000人を超す人数で盛大でした。

April 09 [Fri], 2010, 1:20
芸能関係者ばかりでなく
一般のズーット応援していらした方も。
お陰でとても温かい雰囲気でした。
日枝会長の乾杯の音頭と
実業界、政界、業界のそうそうたる方たちが 鏡開き。

加山さんはヒットの多い方ですから
ワイルドワンズをゲストコーラスに迎えて歌う曲の数々は
口ずさめるものばかり。
若い頃と変わらない朗々とした声で
何曲も何曲も歌って下さいました。
南こうせつさん、さだまさしさん、谷村新司さん、
加山さん、アルフィー、森山良子さん、という豪華なメンバーバンド“ザ・ヤンチャーズ”を招いて披露した新曲
「座・ロンリーハーツ親父バンド」をご披露くださって感動的でした。

ハーモニーという曲は奥様を壇上に呼ばれて
歌いかけていらっしゃいました。
ホテルもお持ちの美男俳優の御曹司として生まれて
デビューして直ぐに大スターへの道を歩まれて
(登場の時は星由里子さんと腕を組んで会場から登場なさいました。)
曲も次々とヒットして
そのうちに破産して大変な苦労を重ねられて。。。
決して平坦な道ではなかったのに
(上り坂・下り坂・まさかもありましたとジョークにしていらっしゃいましたけど。)
お子様も4人も育てられて
本当に幸せに暮らしていらっしゃるんですね。
奥様からも幸せオーラ一杯でした。
服部克久・前田憲男・森岡賢一郎・武部聡さんという新旧のトップアレンジャーが
いらして嬉しかった!!
日枝CX会長をはじめ渡辺美佐(スタートからの音楽サポートをしている)・
依田巽(現在所属のドリーミュージック会長)、音楽事業者協会会長尾木徹、
石井ふく子(10年間続いた連続ドラマ『妹』のプロデューサー)、
テリー伊藤、秋元康、加瀬邦彦(加山さんの弟分)、
ジュディ・オング、中尾ミエ、日野皓正、服部克久、THE ALFEE、さだまさし、谷村新司、
南こうせつ、森山良子、小倉智昭(とても上手で気持ちの良い司会でした。)、
TUBE、石井竜也、木根尚登、扇千景、坂田藤十郎、森口博子、海老名香葉子、中村あゆみ
北島三郎、和田アキ子、徳光和夫 (さんという呼称を割愛しました。ごめんなさい。)
本当に沢山の方たちでした。

ドレス姿でカメラを持っていなかったので
携帯カメラで撮りました。
様子が少しはわかっていただけるかしら?


曲直瀬道枝プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:曲直瀬道枝
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1943年5月4日 神奈川県横浜市生まれ
都立九段高校卒
青山学院大学第二文学部英米文科卒
神奈川県横浜市出身、宮城県登米郡登米町に疎開。自然と親しむ。
両親の仕事の関係で上京。母親の死去後1973年六本木ゴトウ花店に入社。
2年間の修行後、Kフローリストでアルバイト経験を経て、1976年潟tルールはなはなを千駄ヶ谷で開店。池袋サンシャインアルタ店、麻布十番店そして、渇「花として西武百貨店・渋谷店ロフト館(現在の(株)ロフト渋谷店)に出店。千駄ヶ谷店を神宮前に移転後池袋店、麻布十番店を閉店。再び千駄ヶ谷に本店を移転。現在に至る。

潟}ナセプロダクション
 父正雄と母花子が1948年に設立し、四女信子と共に水原弘・山下敬二郎・ダニー飯田とパラダイスキング・ジェリー藤尾・坂本九・森山加代子・九重佑三子等を輩出した。又バトントワラーを日本で始めて育成。
正雄が病を得、事業を続けることが困難と当時所属の坂本九よりの要請で、花屋経営のかたわら1982年社長就任。
 1985年8月、日航機事故により、坂本九死去。以降、坂本九の日本で唯一ゴールデンレコードをいただいた歌手としての功績とその人柄を後世に伝える事を目標の一つとして家業を続ける。
 1985年9月、西田ひかるに出会い、マナセプロダクションを再建。
現在は、坂本九・西田ひかる他、系列会社潟Gフ・スピリットで真琴つばさ他のマネージメントと各々新人育成を手がけている。
 亡き先代社長の口ぐせであった「Simple,Light,Clean」を社訓として、事業及びタレント・アーティストの高品位、高品質を目標に業界のみにとどまらず、より高きをめざして、精進していくつもりです。