昨日は『歓喜〜よろこびの歌』の初日at

November 23 [Sun], 2008, 7:40
前進座でした。エフの本多加奈とマナセの山田ジルソンが出演しています。

面白い。本当に傑作です。

演出の是枝さんの代表作とも言える作品。

役者としてもひょうひょぷとした持ち味をふんだんに

出していらっしや居ます。

山田ジルソンは特異な役を可愛げウォ持ってウェン自邸ますし、

本多は流石日芸出身の旨みを出しています。

芸達者が沢山でハーモニーを奏でているこの作品。

是非お奨めです。

こうした眠れない夜に九ちゃんのことを想うと

November 23 [Sun], 2008, 5:48
必ず心に引っ掛って思い出すことがあります。

『懐かしきLOVE SONG』『心の瞳』というシングルレコードを

発売してプロモーションに心を砕いていた頃、

曲の話し、レギュラーのいくつかの番組の話し、

これからの仕事の話の数々を話して。。

唐突に『ヒマラヤに登ろうとしている障害者が居るんだよ。

男の人なんだけど歩けないんだけどね、凄いでしょう!!

障害のある人が健常者でも登れない山に登れたら

皆に凄く希望や勇気をあたえられるとおもうんだよ!!

勿論俺は応援するんだけどさ!誰かスポンサーになってくれる

人とか企業とかないかなー!!お金が凄く掛かるんだよね!』と。

心当たりを探ってみるわね。そんな話をしたのがユックリ話をした

最後になってしまいました。

お手伝いをするどころではない日々の後、

まわりの方たちにお聞きしましたが

何方も聞いていないのです。

九ちゃんのことを想う時

何時も心に引っ掛って思い出す

あの日の会話でした。

明日のことを見つめて、沢山の目標を立てていました。

心残りだったでしょうか?

思うようにいかなかったり、もどかしい思いをしている時、

九ちゃんは思い切りよく『しょうがないよ!

色んな人が居るし、色んな考えが有るんだよ!』

と私を諭したり、勇気付けたりしてくれました。

『僕は生きている間やれるだけの事をしたよ!!』

と胸をはって言っている様な

気もします。

札幌の思い出。B

November 23 [Sun], 2008, 5:35
札幌を拠点に全道にある施設を巡り

活き活きとたくましく生きる障害のある人たち

支えるスタッフの方たちを紹介し続けました。

『僕のライフワークだからね。』と当時花屋の仕事に
 
中心をおいていた私を引っ張って連れて行かれました。

STVの社長、副社長、番組のアシスタントプロデューサー、

司会の方、地元でなければお会いできない方々に

一人一人紹介してくれました。スポンサーで支え続けてくださった

北海道電力のYさん始め何人かの方々にも。。

本気だったのです。

9年続いたこの番組も亡くなった年に

終る事になっていました。

ポリオ発生から20年、又次の方向へと。。

札幌の思い出。A

November 23 [Sun], 2008, 4:41
歌謡ショーを通して元気付け、できれば日本中の方たちに

窮状も訴えたいと言う趣旨を伺って、クリスチャンでもあった父は

協力を申し出たそうです。

其の頃絶大な力を持つタレントを擁していたプロダクションの

全タレントを連れて歌謡ショーを作り上げようと。

北海道電力のYさんという方がとても力を入れられ、

STVのスタッフの並々ならぬ熱意でプロジェクトは

始まったそうです。『ギャラは要らない!協力しましょう!』

そう言われた時は腰を抜かしました。』と当時の事を

野本さんから伺った時、深夜まで自宅にいらしてくださった

色々な会社のスタッフに理屈っぽく語っていた姿を

批判的に見ていた私は意外に思ったのを

昨日の事のように覚えています。

最初のショーにはジェリー藤尾も九重佑三子も

パラダイスキングも皆出演して下さっていたんですね。

そんな歌謡ショーが10年続けられ、

施設も充実し、次には障害を持った方たちの自立を

テーマにしたいと『サンデー九』という番組に移っていきました。

24日札幌で2回目の西田の野菜ソムリエとしての

November 23 [Sun], 2008, 4:24
トークショーがあります。

札幌は思い出の土地。

九ちゃんが生前10年にもわたって、福祉の番組を

つくり続け、隔週の収録で出演するだけではなく

小児麻痺の子ども達(晩年には大人たちになっていましたね)

の施設を訪ね、運動会や色々なイベントにも参加し、

心を砕き続けた地だったのです。

番組が始まる其の又10年前、札幌テレビの方が

ポリオ(小児麻痺)が蔓延した数年を憂い、

チャリティー活動を通して施設や手当ての

充実を訴えようとイベントを企画されました。

父が『九ちゃん!!』という番組で日本テレビと

親しく行き来している時。系列局であるSTVの

プロデューサーを紹介されてのお話でした。

其の後上田豊さんとは随分親しくさせていただきました。

メインのスタッフの中でも上田さんの様に

天国に召されてしまわれたり退職なさったり

今の現場には殆どいらっしゃらなくなりました。

福祉でご一緒したTさんをはじめとする

栗山のスタッフと子ども達が坂本九記念館を建設し、

運営して下さっています。

まだまだ九ちゃんの心が受け継がれていくのでしょう。


今日は23日勤労感謝の日。

November 23 [Sun], 2008, 4:01
昨日はいい夫婦の日だった。

周りで働いてくれている人々に

感謝の心を伝えられているだろうか?

是までの人生、いい夫婦であろうと

努力できているだろうか?

一年の日々が色々な意味づけをされて、

何かを想起させると言うのは

とても素敵な事だと思う。

慌ただしい毎日を過ごしていると昨年のこの日が

何をしていたか?何を考えていたか?

殆ど記憶していない。

そして又次の年のこの日に向ってしまう。

混沌とした世の中で人生の折り返し点を

疾うに過ぎ、社員を含め人をあづかる仕事を

していると、こんな風に時が過ぎていることに

戸惑い、あせり、空虚にもなる。

足元に鋼鉄のような確かな地面がある

わけでもなく、人の心に確信しているわけでもない。

だからこそ一日一日に意味のある日が

素敵だと思うのだろう。
曲直瀬道枝プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:曲直瀬道枝
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1943年5月4日 神奈川県横浜市生まれ
都立九段高校卒
青山学院大学第二文学部英米文科卒
神奈川県横浜市出身、宮城県登米郡登米町に疎開。自然と親しむ。
両親の仕事の関係で上京。母親の死去後1973年六本木ゴトウ花店に入社。
2年間の修行後、Kフローリストでアルバイト経験を経て、1976年潟tルールはなはなを千駄ヶ谷で開店。池袋サンシャインアルタ店、麻布十番店そして、渇「花として西武百貨店・渋谷店ロフト館(現在の(株)ロフト渋谷店)に出店。千駄ヶ谷店を神宮前に移転後池袋店、麻布十番店を閉店。再び千駄ヶ谷に本店を移転。現在に至る。

潟}ナセプロダクション
 父正雄と母花子が1948年に設立し、四女信子と共に水原弘・山下敬二郎・ダニー飯田とパラダイスキング・ジェリー藤尾・坂本九・森山加代子・九重佑三子等を輩出した。又バトントワラーを日本で始めて育成。
正雄が病を得、事業を続けることが困難と当時所属の坂本九よりの要請で、花屋経営のかたわら1982年社長就任。
 1985年8月、日航機事故により、坂本九死去。以降、坂本九の日本で唯一ゴールデンレコードをいただいた歌手としての功績とその人柄を後世に伝える事を目標の一つとして家業を続ける。
 1985年9月、西田ひかるに出会い、マナセプロダクションを再建。
現在は、坂本九・西田ひかる他、系列会社潟Gフ・スピリットで真琴つばさ他のマネージメントと各々新人育成を手がけている。
 亡き先代社長の口ぐせであった「Simple,Light,Clean」を社訓として、事業及びタレント・アーティストの高品位、高品質を目標に業界のみにとどまらず、より高きをめざして、精進していくつもりです。