西祐子さん2.

November 17 [Mon], 2008, 23:44
その後もディナーショウの振り付けをしていただいたり、

ブラッドブラザーでも演出助手でいらっしぃました。

英語が話せる西さんは演出のグレンさんの意図を繋げながら

決して分りやすい演出家ではないグレンさんの足りない所を

さりげなく補ってくれました。

光るでもお世話になっていたので、心置きなく相談できたんですね。

ライブCの演出の松浦雅子さんはその後も松浦亜矢さんのグリコの

ポッキーとかヒット作を作っていらっしゃいましたね。

懐かしいですね。『スーザン』もいつか思い出の一齣に成るのでしょうか?

皆さんにとって掛け替えの無い一齣に成るように

スタッフキャスト全員で頑張っています。

舞台は二度とないシーンの連続です。

しっかり目に焼き付けてください。

下の写真にも写っていますが西祐子さんが

November 17 [Mon], 2008, 22:41
演出助手で久し振りに御目に掛かりました。

お若くなられた感じ。ピンクのセーターの所為かしら?

其れとも恋してる?ウフフ。。。

退団して仕事を始めた最初の年。最後の企画がライブCでした。

なにしろ異次元の方かと思うほど、色々考え方感じ方が

違って。。私も妙に頑固で、こうと信じたら崩すのが怖くなるタイプ。

まだまだこの人をマネージメント出来るかしら?と不安で一杯でした。

キョードー東京のY社長とか演出のこうめいさんとか

舞台監督のNさんとか、音響のFさんとか代理店勤務で

色々知恵を貸してくれたKさんとか支えられた方は

沢山いらっしゃいました。西さんもそのお一人でした。

ライブCはテレビCMの売れっ子の演出家が演出をして下さって。。

公演日数の少ない舞台は予算も少なくて、

皆で色々苦労しながら贅沢な作品を作ってくれました。

一寸抽象的で、分りにくいといけないとパンフレットに

台本を差し込みました。

噛めばかむほど美味しいと

おっしゃってくださるファンの方も多くて

.報われた思いでした。

初の全員歌リハーサル。香寿さんも

November 17 [Mon], 2008, 22:08
小さい作品みたいに思っていたら、
ご都合が悪かった方もいらっしゃるのに
こんな沢山のメンバー。

さぞ26日のお披露目は迫力があるでしょうね。
下の写真はブログ用にと撮らせていただきました。
見てお分かりのようにとても仲良し。
真琴さんはこの頃紫がお好き。
さすがスミレの園出身ですね。
よく似合います。








今日からいよいよ『スーザンを探せ』の全体稽古。

November 17 [Mon], 2008, 15:17
これから出かけます。

帰ってきたら報告しますね。!!

未だ本番中の方たちもいらして、

全体と言っても全体じゃあないんだけどね。
曲直瀬道枝プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:曲直瀬道枝
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1943年5月4日 神奈川県横浜市生まれ
都立九段高校卒
青山学院大学第二文学部英米文科卒
神奈川県横浜市出身、宮城県登米郡登米町に疎開。自然と親しむ。
両親の仕事の関係で上京。母親の死去後1973年六本木ゴトウ花店に入社。
2年間の修行後、Kフローリストでアルバイト経験を経て、1976年潟tルールはなはなを千駄ヶ谷で開店。池袋サンシャインアルタ店、麻布十番店そして、渇「花として西武百貨店・渋谷店ロフト館(現在の(株)ロフト渋谷店)に出店。千駄ヶ谷店を神宮前に移転後池袋店、麻布十番店を閉店。再び千駄ヶ谷に本店を移転。現在に至る。

潟}ナセプロダクション
 父正雄と母花子が1948年に設立し、四女信子と共に水原弘・山下敬二郎・ダニー飯田とパラダイスキング・ジェリー藤尾・坂本九・森山加代子・九重佑三子等を輩出した。又バトントワラーを日本で始めて育成。
正雄が病を得、事業を続けることが困難と当時所属の坂本九よりの要請で、花屋経営のかたわら1982年社長就任。
 1985年8月、日航機事故により、坂本九死去。以降、坂本九の日本で唯一ゴールデンレコードをいただいた歌手としての功績とその人柄を後世に伝える事を目標の一つとして家業を続ける。
 1985年9月、西田ひかるに出会い、マナセプロダクションを再建。
現在は、坂本九・西田ひかる他、系列会社潟Gフ・スピリットで真琴つばさ他のマネージメントと各々新人育成を手がけている。
 亡き先代社長の口ぐせであった「Simple,Light,Clean」を社訓として、事業及びタレント・アーティストの高品位、高品質を目標に業界のみにとどまらず、より高きをめざして、精進していくつもりです。