ファンクラブイベント初日。このドレスお気に入り?

November 09 [Sun], 2008, 21:13

そういえば去年のお誕生祝いは24日に

November 09 [Sun], 2008, 20:53
事務所からのプレゼントで開きました。

日頃お世話になっている方や、真琴さんのお友達数人を含む

40人ぐらいのメンバーだったでしょうか?

つかさんもスタッフと一緒にいらして下さって

とても気持ちよく沢山飲まれて、

ちょっと思い出深いバースデイになりました。

終ってから、何処かにいこうか?ということになり

ホテルの中にあるカラオケルームに行きましたね。

私は歌は好きなのですが、人前で歌うのは苦手で

あーあ!カラオケか!!とは思ったのですが、

お祝いの日なので、最後までお付き合いしました。

本当に面白い日でした。あんなに笑ったことは

ありません。

今年はどうしましょう?疲れていて何もして欲しくないかしら?

お祝いしたい気持ちは山々ですが。。

スーザンの記者発表のリハーサルが有るのです。



ピンボケ東京ファンクラブイベント

November 09 [Sun], 2008, 13:00









11月1日結樺健さんが亡くなりました。眞美とDUETで共演して。。

November 09 [Sun], 2008, 11:38
其の前に『GODSPELL 』、『GENERATION S』、

その他で何かとご縁が有り親しくさせていただいていた。

『DUET』の出演が決まった時も、久々の舞台で緊張していた眞美が

音楽監督、健ちゃん、KOJIRO君と仲良しが揃っていらっしゃる事で

どれだけ頼もしく、喜んでいたか。。

それなのに、幕を開けるか開けないかのところで、

病気が発見され、頑張られたのに力尽きてしまった。

其の日に眞美はどうかな?ファンクラブイベントが終ったら

お見舞いに行けるかな?と携帯に電話をしたらしい。

でもおでにならなかった。亡くなっていたのだから。

2日イベントの本番が有って、お通夜に伺えなくって、

3日の日の告別式の前の時間に

奥様がお別れの時間を作ってくださった。

感情豊かな眞美のこと、泣いて泣いて泣いて来たに違いない。

でも心配した私に大丈夫です!と明るく言っていた。

地味だけど、暖かい方だった。心にブルースを持っていらした。

誤解を受けやすい眞美をしっかり受け止めてくれて、

そして歌を評価してくれた結樺健ちゃん、天国で楽しく

ジャムって下さい。ご冥福を祈ります。

今週のはなはなの勉強会の写真を載せ忘れました。

November 09 [Sun], 2008, 3:30
私が作った小さなアレンジ。             
こんなサイズでもキャンドルを立てると
素敵。15センチ程の高さで
7センチぐらいの口のカップです


ダイアモンドリリー、黒っぽい赤の薔薇
紫のカーネーション、ミニチュアローズ
白いバスケットが似合っています。      







オレンジの薔薇に白のダイアモンドリリー、
オレンジに黒い目のガーベラ、
マリーゴールド私の好きな
グリーンたっぷりのアレンジです。
同じ5000円のアレンジでも随分違いますね。
もうひむろの木が入りました。
クリスマスが間近なのを感じます。


 

西田ひかるのカレンダーの事を書いたら、

November 09 [Sun], 2008, 0:52
どうやって申し込んだら良いですか?

と御問い合わせが。。。

簡単です。マナセプロダクションの

ホームページで申し込み受け付けています。

余り沢山は作っていないので、早めにお申し込み下さい。

一昨日印刷屋さんにお渡ししましたので。。。

表紙画像を週明けにおみせしますね。?

お楽しみに。。
曲直瀬道枝プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:曲直瀬道枝
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1943年5月4日 神奈川県横浜市生まれ
都立九段高校卒
青山学院大学第二文学部英米文科卒
神奈川県横浜市出身、宮城県登米郡登米町に疎開。自然と親しむ。
両親の仕事の関係で上京。母親の死去後1973年六本木ゴトウ花店に入社。
2年間の修行後、Kフローリストでアルバイト経験を経て、1976年潟tルールはなはなを千駄ヶ谷で開店。池袋サンシャインアルタ店、麻布十番店そして、渇「花として西武百貨店・渋谷店ロフト館(現在の(株)ロフト渋谷店)に出店。千駄ヶ谷店を神宮前に移転後池袋店、麻布十番店を閉店。再び千駄ヶ谷に本店を移転。現在に至る。

潟}ナセプロダクション
 父正雄と母花子が1948年に設立し、四女信子と共に水原弘・山下敬二郎・ダニー飯田とパラダイスキング・ジェリー藤尾・坂本九・森山加代子・九重佑三子等を輩出した。又バトントワラーを日本で始めて育成。
正雄が病を得、事業を続けることが困難と当時所属の坂本九よりの要請で、花屋経営のかたわら1982年社長就任。
 1985年8月、日航機事故により、坂本九死去。以降、坂本九の日本で唯一ゴールデンレコードをいただいた歌手としての功績とその人柄を後世に伝える事を目標の一つとして家業を続ける。
 1985年9月、西田ひかるに出会い、マナセプロダクションを再建。
現在は、坂本九・西田ひかる他、系列会社潟Gフ・スピリットで真琴つばさ他のマネージメントと各々新人育成を手がけている。
 亡き先代社長の口ぐせであった「Simple,Light,Clean」を社訓として、事業及びタレント・アーティストの高品位、高品質を目標に業界のみにとどまらず、より高きをめざして、精進していくつもりです。