本当に良く喋り、良く歌いました。

November 02 [Sun], 2008, 23:25
ポジションMの7周年を真ん中にドンと据えて、

皆さんで
お祝いできて嬉しかったみたい。

とてもはしゃいでいたように感じました。

7年前の8月ごろYさんからの紹介でお会いして、

白紙の方をゼロから教えながらマネージメントしていくのが

社風なので、しっかり出来上がった方をマネージメントするのは

気が重いとお断りして、2週間置き位に3回おめに掛かりました。

でもレコーディングだけでもと言われて、もとのヤマハのスタジオに様子を

観にいって。。格好よかったんです。

私の知らないジャンルの格好よさでしたね。

久世星佳さんとか日向薫さんとか宝塚の方にkは

お仕事もご一緒しているし、存じ上げていたあのですが、

でもまったく違う生き物って感じでした。(失礼な意味ではありません。)

氷室京介さんみたいに硬質のクールなアーティストになれるといいなと

その時は思ったんです。私がやらせてもらうんならやり方は私流で。と

その時は言いましたが、アイディアウーマンの真琴さんのことですから

そんな一筋縄ではいかなかったですね。

でも真琴さんも途惑ったと思います。

真琴さんの研一のときから真琴さんを応援していると言う

二人のファンクラブのスタッフも会社に入ってもらって、

二人からは色々教えてもらいました。

思い出にふけりそう。又今度ね。

お待たせしました。ファンクラブ第一日目

November 02 [Sun], 2008, 23:13
無事というか皆さんご機嫌な気分で終了しました。

先日のさんま新教授の時のワンピースにファーのボレロ、
黒のサテンのパンツにヒールでした。
長い手袋?が決まっていました。
シルバーゴールドのベルトと
大き目のネックレスが控えめに〆ていました。   
真琴さんは7周年をしっかり意識した選曲。
ファンの方への愛を溢れさせていました。
控え室には沢山の衣装の数々。
テーブル一杯に段々になる様に並べてあって、
又違うテーブルにはアクセサリーが沢山。

未だ写真の整理が出来ないので、
一回目の最初の頃のをアップします。
曲直瀬道枝プロフィール
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  • アイコン画像 ニックネーム:曲直瀬道枝
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1943年5月4日 神奈川県横浜市生まれ
都立九段高校卒
青山学院大学第二文学部英米文科卒
神奈川県横浜市出身、宮城県登米郡登米町に疎開。自然と親しむ。
両親の仕事の関係で上京。母親の死去後1973年六本木ゴトウ花店に入社。
2年間の修行後、Kフローリストでアルバイト経験を経て、1976年潟tルールはなはなを千駄ヶ谷で開店。池袋サンシャインアルタ店、麻布十番店そして、渇「花として西武百貨店・渋谷店ロフト館(現在の(株)ロフト渋谷店)に出店。千駄ヶ谷店を神宮前に移転後池袋店、麻布十番店を閉店。再び千駄ヶ谷に本店を移転。現在に至る。

潟}ナセプロダクション
 父正雄と母花子が1948年に設立し、四女信子と共に水原弘・山下敬二郎・ダニー飯田とパラダイスキング・ジェリー藤尾・坂本九・森山加代子・九重佑三子等を輩出した。又バトントワラーを日本で始めて育成。
正雄が病を得、事業を続けることが困難と当時所属の坂本九よりの要請で、花屋経営のかたわら1982年社長就任。
 1985年8月、日航機事故により、坂本九死去。以降、坂本九の日本で唯一ゴールデンレコードをいただいた歌手としての功績とその人柄を後世に伝える事を目標の一つとして家業を続ける。
 1985年9月、西田ひかるに出会い、マナセプロダクションを再建。
現在は、坂本九・西田ひかる他、系列会社潟Gフ・スピリットで真琴つばさ他のマネージメントと各々新人育成を手がけている。
 亡き先代社長の口ぐせであった「Simple,Light,Clean」を社訓として、事業及びタレント・アーティストの高品位、高品質を目標に業界のみにとどまらず、より高きをめざして、精進していくつもりです。