台風が各地で猛威をふいましたね。

September 23 [Fri], 2011, 8:51

被災地の皆さんのことを思うと
重ね重ねの被害に
天に向かって『ふざけるな!』と
言いたくなります。

繰り返し同じように台風の通り道になる
九州四国の方にも毎年思っていました。
天に唾しても
降りかかってくることには変わりなく、
年々水害は少なくなっていて
今年は風の被害が多かったと聞くと
それでも心細い状況は変わりないわけで
都会生活を享受している私は
いわれの無い罪悪感を感じます。

是非乗り越えられて
少しでも明るく楽しく過ごされることを
祈っています。

都会生活を享受しているといっても
気がめいることが多く
活発に動けないと
悩みを語ったお相手のもう80歳を超える
ドレスメイカーの方が
日本中皆そんな気持ちですから
一人で落ち込まないでといわれて、
『悩みも皆で渡れば恐くない?!』と
笑ってしまいました。
歳をとっても前向きでお元気なNさん
笑わせてくれて有難う!!
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曲直瀬道枝プロフィール
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1943年5月4日 神奈川県横浜市生まれ
都立九段高校卒
青山学院大学第二文学部英米文科卒
神奈川県横浜市出身、宮城県登米郡登米町に疎開。自然と親しむ。
両親の仕事の関係で上京。母親の死去後1973年六本木ゴトウ花店に入社。
2年間の修行後、Kフローリストでアルバイト経験を経て、1976年潟tルールはなはなを千駄ヶ谷で開店。池袋サンシャインアルタ店、麻布十番店そして、渇「花として西武百貨店・渋谷店ロフト館(現在の(株)ロフト渋谷店)に出店。千駄ヶ谷店を神宮前に移転後池袋店、麻布十番店を閉店。再び千駄ヶ谷に本店を移転。現在に至る。

潟}ナセプロダクション
 父正雄と母花子が1948年に設立し、四女信子と共に水原弘・山下敬二郎・ダニー飯田とパラダイスキング・ジェリー藤尾・坂本九・森山加代子・九重佑三子等を輩出した。又バトントワラーを日本で始めて育成。
正雄が病を得、事業を続けることが困難と当時所属の坂本九よりの要請で、花屋経営のかたわら1982年社長就任。
 1985年8月、日航機事故により、坂本九死去。以降、坂本九の日本で唯一ゴールデンレコードをいただいた歌手としての功績とその人柄を後世に伝える事を目標の一つとして家業を続ける。
 1985年9月、西田ひかるに出会い、マナセプロダクションを再建。
現在は、坂本九・西田ひかる他、系列会社潟Gフ・スピリットで真琴つばさ他のマネージメントと各々新人育成を手がけている。
 亡き先代社長の口ぐせであった「Simple,Light,Clean」を社訓として、事業及びタレント・アーティストの高品位、高品質を目標に業界のみにとどまらず、より高きをめざして、精進していくつもりです。