世相探訪その416 『身の丈』発言。記事では、本人の能力、志、努力で乗り越えられる程度のものという認識ではなかったかと忖度、私は違うと思う。彼はいわば格差を作った側に身を置く人間。就職氷河期を中心にした『格差』の問題は尋常でない現在だけでなく、その未来はこのままでは既に余りにも悲惨だ。萩生田氏の発言はそれを十分に知った上での無関心だったと思う。無関心だから、ぽろっと出た発言だと思う。





「自分の身の丈に合わせて、頑張ってもらえば」。2020年度から始まる大学入学共通テストでの英語民間試験の見送りにもつながった、萩生田光一文部科学相の発言が浮き彫りにしたものとは――。
「身の丈」発言の後、萩生田さんは国会で「エールのつもりだった」と釈明していました。おそらく、あの発言に悪気はなかったのでしょう。
発言の背景には、萩生田さんの考える「教育格差」とは、本人の志・能力・努力によって乗り越えられる程度のものだ、という認識があったのではないでしょうか。とすれば、それはデータが示す実態とは異なります。「生まれ」によって大きく人生の可能性が制限されている現実が日本にはあるからです。
身の丈発言に、内心では同意した人もいるでしょう。社会にどれだけ自分の可能性を「諦めた」子どもたちがいるのかを想像せず、「格差はあっても、努力で乗り越えればいい。私はそうしてきた」というように。(朝日)

素敵な学び舎も汚染し、いまや・・・廃校の墓標

積まれた汚染物質

それが・・・いまや誰もいない街になった。


(第11095回)
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