妻と二人三脚で近江・京都を巡る旅(103)   

October 12 [Sat], 2019, 6:22



東福寺には、25の塔頭があることは既に書いたが、その塔頭は単に子院というだけでなく、それぞれに来歴が十分にあるところが興味深い。

龍吟庵というのは、本坊庫裏の背後の偃月橋を渡ったところの山すその平坦な地にあるが、東福寺の三世で南禅寺開山である無関普門の墓所として生前のうちに創建されたものだという。
即宗院は・・・・1387年、薩摩の武将で島津氏久の菩提を弔うため、剛中玄柔和尚を開基として創設されたという。幕末期には、この茶亭で西郷隆盛が僧侶の月照と討幕計画を話し合ったという逸話も残っているらしい。
また南明院は徳川家康の正室であった妹の菩提寺として、実兄の豊臣秀吉により創建されたものである。徳川家が将軍となってからは、歴代将軍の位牌を納める習わしが生まれ、繁栄を極めたという。徳川幕府も恐らくは・・・・秀吉の正室・ねねへの配慮に加え、京都での太閤人気などもあり、大いに配慮したということであろうか。
また・・・・光明院は1391年に金山明昶(きんざんみょうしょう)により創建された塔頭。重森三玲による「波心の庭」がある。公開されているから見物できるようです。別名「苔の虹寺」とも称されている。苔の美しい新緑や紅葉時には、禅寺らしからぬ華やぎを見せてくれるそうですよ。


願成寺は西暦800年の頃に、平城天皇の長子で歌人、在原業平の父である阿保親王による創建と云われ、当時は天台宗寺院であった。戦乱により荒廃したが乾元2年(1303年)に禅僧・宏海南州により再興され臨済宗に改宗する。その後、応仁の乱でまた荒廃の憂き目にあったが、江戸期に三度復興を遂げた。
ここも公開されている。

芬陀院。難しい呼び名である。何と読むのか・・・・。元亨年間(1321 - 1324)に当時の関白であった一条内経が父の菩提を弔うために創建した塔頭。
雪舟の作と伝えられる名庭があることから雪舟寺とも呼ばれている。
芬陀院も公開寺院である。



(第11052回)
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