妻と二人三脚で近江・京都を巡る旅(75)   

September 12 [Thu], 2019, 3:31



慶雲館・・・・明治天皇の一時休息所として長浜の豪商が建てたもの。
まずは2階に上がってみました。
記述によれば、建設当時は南側と西側は琵琶湖に面しており、2階からの眺望は抜群であったらしい。確かに、当地に建てた意図も、琵琶湖の眺めも大いなるご馳走と考え、当地を選んだのでしょうが、いまでは琵琶湖を眺望するというわけにはいかない。埋め立てられてしまったからであるが、それだけ埋め立ての規模の大きさも思われ、残念なことである。
いずれにしても、ここに上がった明治天皇は、その眺めを満喫し、恐らく、傍に控えた慶雲館の施主に『誠に見事じゃ』とでもお言葉を賜ったのであろう。


施主の浅見又蔵。検索で浅見とすると、いきなり浅見又蔵が登場する。
私はテレビドラマの浅見光彦が、まず出るかと思ったが、又蔵さんの方が余程有名な存在であるらしい。

浅見又蔵は天保10年(1839年)の生まれ。長浜市の薬種問屋の3男に生まれたが、呉服商に奉公に出され、戻ってから播州明石の伊藤家の養子となったものの何故か、半年で破談になり、長浜のちりめん製造業の浅見家の養子になった。一時、義父と同様に浅見又之助と名乗ったが、後に又蔵と称した。
又蔵の活躍は目覚ましいものがあったようだ。
又蔵は、家業である『浜ちりめん』の育成・特産化に力を注ぎ、国内・海外博覧会に出品し、輸出にも取り組み、また、長浜町内の有力者として区長・町会議員・県会議員・長浜町長を務める一方、琵琶湖湖上輸送の推進、長浜港の整備に取り組み、汽船会社の社長にも就任。さらに、第21国立銀行設立に寄与し、頭取にも就任。大津の銀行の再建にも尽力、前の銀行頭取を辞した後に、ここでも頭取に就任するなど地元産業界・経済界への功績は目覚ましいものがあったようだ。

又蔵は経営者、資本家として名をなしただけでなく、生活に困った元彦根藩士達を援助し、長浜大火でも被災者支援に努め、あるいは病院設立に努力し、さらには学校を設立するなど、篤志家として幅広い活動をしたという。
まあ・・・いまの財界人で、そういう志を持っているものを一人でも見つけることはできまいが、浅見又蔵はその対極にあるような人物であったことは間違いないようだ。


玉座の間というのもあった。
明治天皇は、当然、ここに座ったのでしょう。
座ってはいけないとされていたから、座りはしなかったが・・・・座り心地は、どういうものでしょう。

後に、犬養毅も当地に寄ったらしい。その際に残した書が『天行健』という三文字であった。
どういう意味でしょう。
推察するに、天の指し示すところを我は行く、というような意味でしょうか。
まだ首相にはなっていないころでしょうから、今後の心意気を表したものか。
いまの政治家にも、少しは、そうした気概を見せてもらいたいものだ。
残念ながら、荒々しい粗雑な権力欲しか感じない。




(第10989回)
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