妻と二人三脚で近江・京都を巡る旅(43)    

August 11 [Sun], 2019, 5:38



安藤家の第12代にあたる安藤惣次郎は父祖の家業を継ぎ、福島で呉服屋を始めたとの記述がある。
私の生家も呉服屋であったから、そのことは私の個人的興味を大いにかきたてた。

何故、福島で始めたのか・・・・ちょっと事情は明らかではないが、想像では・・・・当時の福島は伊達という地域を中心にして絹関係の産業がことのほか盛んで財をなしたものが多く、このためか、東北では日本銀行の支店が最初に置かれたと聞いたことがある。
いまの福島とは少しイメージが異なる。
その名残か・・・・福島駅の近くの阿武隈川を望む地には、いわば官舎であるが、到底官舎とは思えない豪華な日銀旧支店長宅があり公開されている。
日銀の支店長というのは、いまでもそうかもしれないが、どこでも地方では第一等の知名人であり、県知事などよりも格式が高いとみられていたようで、この官舎は、それを象徴するものであろう。

少し余談になったが、福島の地に呉服屋を開業したのは、当時の福島は絹産業が大盛況で財をなした者が多いことから金目の呉服の需要もあるだろうとして、異郷の地も言うべき福島の地に呉服屋を開業したのだろうと思う。

呉服屋さんの商売は今は厳しくなっているが、以前は呉服屋は地域産業の中核的な性格があり、いまでも土蔵などが残り、その名残を感じさせるお店は古い街では見受けることがある。
安藤惣次郎が父祖の家業である呉服屋に目を付けたのは、そういう意味合いであったろう。
安藤惣次郎は『中村合名会社呉服店』を明治中期に開業していた。何故中村なのか・・・父祖のどれかが中村であったのかもしれない。
後のデパート、株式会社中合である。中村の中と、合名会社の合をとった。

その呉服屋の看板が残されていた。
立派なものである。
かねて交流のあった北大路魯山人の作である。1922年(大正11年)に制作された。魯山人40歳の作である。縦96センチ、横417センチ、厚さ9センチのケヤキの一枚板。どれほどの巨木であったろう・・・。
その筆致はまさに見事である。呉服の『呉』では亀の形を表し、『服』では鶴の形をを表し、社業の発展を象徴したものだともいう。




(第10925回)
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