(故郷探訪549)  仏都・会津を巡る3人旅(113)   

April 27 [Sat], 2019, 6:30



司馬遼太郎は会津松平家の歴代藩主を祀っている墓所を訪れたときのことを、こう書いている。
『墓所といっても山一つが瑩(えい)域で、それもよほど登らないといけない。
山路はなんとも急で、五十歩ごとに息を入れた。途中、何か所か風倒木が道をふさいでいるのが、意外でった。それもよほど倒れてから年をへているらしく、朽ちはてていた。このあたり、私の会津若松市の市民についての先入主と、どうも適(あ)いにくかった。』


司馬はいつ頃、伺ったものか。その時期は不明だが・・・司馬が亡くなったのが1996年。この「街道をゆくの33巻」の分が週刊朝日に連載されたのが1988年だから、それ以前だということは間違いない。
私が会津松平家の墓所を初めて訪れたのが、実は2007年の秋であった。
そのときに司馬が見た光景と同じものを、私も見たような記憶がある。
確かに、そこそこ険しい山道を登っていくと、道をしばしば塞ぐように風倒木が無造作に転がっていた。
永らく・・・いかにも手が入っていない様子でした。


この3人で墓所を訪れた昨年の5月。私にとっては、2度目の墓所ということになるが・・・。
そのときには・・・無論、山道らしい山道であるが、道をふさぐような障害物は殆どなく、既に、かつての印象はなかった。
墓所の管理が会津若松市に移って、手入れが行き届くようになったということだろうか。

それにしても・・・2007年に初めて会津松平家の墓所を訪れたときの記憶は強烈でした。
墓所の場所を教えてもらおうと、とある不動産屋さんに寄ったときのこと。
不動産屋の社長さんが、話の途中で怒り出したのですね。
容保公が目の前にいるかの如く、あるいは、つい先日の出来事であるかの如く・・・あのバカ殿さまのお陰で会津の人々がどれほどの苦しみを味わったことかと・・・怒り出したのですね。
私はあっけにとられるばかりでした。
会津の人々は・・・先の戦争というと、それはいまだに戊辰戦争のことをいうのだと聞いていたが、それを実感しました。会津の人々にとっては、戊辰戦争はいまだに終わってはいないらしい。

それは・・・戦争そのものの苛烈さもさることながら、戦後に受けた復讐にも似た扱いが、会津の人々を苦しめたからであろう。
人は与えた苦しみは簡単に忘れるが、受けた苦しみは容易に忘れない。
世代を超えて受け継がれるものである。
日本が周辺諸国民に与えた惨禍も同様であろう。

また、こうも言うらしい。
会津の人々は・・・福島県の方ですかと聞かれると、はい会津です、と。


(第10698回)
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