妻と二人三脚で近江・京都を巡る旅(85)    更新

September 22 [Sun], 2019, 6:25



私は・・・・・正直のところ、信仰心は皆無に近い。信仰心というのは、どういう意味かの理解にもよるが、例えば・・・先祖を偲ぶ、亡くなった親や祖父母などを偲ぶ気持ちは十分にある。毎日、我が家の仏壇にお供え物をし、お線香をあげ、チ〜ンとするのは私の務めですし、それは心を込めて行っているが、これがお寺や坊さんとは結びつかない。
彼らに、ある種、嫌悪感、怒りさえある。
誰も理解していない、何の意味もないお経をよみあげる。詐欺師の部類と言っても言い過ぎではないかもしれない。
京都の祇園などは、坊さんなどで持っているとの評もある。
私の住んでいる地域の古刹の坊さんにも、そういう風評を聞かないでもない。彼ら坊さんは地域の『上流社会』のメンバーである。
彼らの実態は、単なる葬儀屋さんでしかない。
そういう坊さんたちに、檀家と称される者たちが何故貢がなくてはいけないのか・・・・私が信仰心が皆無というのは、そういう意味である。



そのように信仰心は皆無であるが、困ったことに、お寺のというか、寺社の建築物は大好きという性向がある。
かなり好きなのである。
三十三間堂も、好物の部類である。
この丸みは少しもないような建築物は、相当に珍しいし、面白い。
単純な外観だが、見てて飽きないのですね。

何故・・・三十三間堂と称されたか。
解説によれば・・・・「ここで言う「間」(けん)は長さの単位ではなく、社寺建築の柱間の数を表す建築用語である」。
柱と柱の間の、「間」の数だというのです。
しかも・・・・「間」は、内側から見た「間」の数で、外側から見ると「間」は35になるのだという。
また、「間」の長さは必ずしも一定ではないともいう。これは分かる。意識してみてはいなかったが、思い出してみると必ずしも等間隔ではなかったようである。


三十三間堂の回りを歩いてみた。
表の入り口辺りの賑わいに反し、こうして歩いている人は多くはない。誠に少ない。
我が妻も歩きたくないという。入り口付近のベンチに座っているから、行ってらっしゃいと送り出されて歩いてきたが、この重量感は歩いてみないと分からない良さがある。



(第11009回)
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