思ひ出ぽろぽろ8〜中学1年の時の合宿☆2話☆〜

2006年01月30日(月) 22時31分
コタニが人質になってしまった。

班員はみな不安そうな顔をしていた。
リーダー格のハウスは叫んだ。
「コタニ〜大丈夫か〜!?」

そんな中、私は一人だけ笑い転げていた。

キチガイのおっさんが軽トラで激走+急ブレーキ+怒鳴り。
遠くに行ってみんなで悪口を叫んだ後のおっさんのブレーキと猛バックの逆襲。
バックで追いかけようという軽トラオヤジの発想。
田舎の静けさを破壊する軽トラ特有のバックの音。
ヨロヨロになりながら民家に逃げ込むコタニ。
バックで激走しながら容赦なく民家の中まで追走する軽トラ。
キチガイオヤジにコタニが殺されることを少し諦めた我々。

笑うところが多すぎてどれに笑ったのかは覚えてない。
また、もし我々がバックしてくる軽トラから走って逃げようとしたなら、どうなっているのかと考えると笑わずにはいれなかった。

班員はコタニを助けるべく、民家へ歩みよった。
民家の敷地を覗くと、コタニが奥にいて、軽トラオヤジがドアを開けて車の横に立っている状況であった。
事件の深刻さとは裏腹に、一見すると「いってらっしゃい、お父さん」という光景にしか見えなかった。

軽トラオヤジは叫んだ。
「お前ら何なんか!?どこの学校か?」

ハウスが対応した。
「○○中という門司の中学校です。」

人質をとった立てこもり犯である軽トラオヤジからコタニを返してもらうには時間がかかると思われたが、意外なことに、次の一言だけを残して去っていった。

「絶対先生に言うけの!覚えとけよ!!」

合宿が始まって以降、多目的ホールに呼び出されては説教の連続だった。
何かにつけてキレられたり、体罰を受けていた。
名前は「多目的ホール」なのに、説教というただ一つの目的にしか使われてなかった。

そんな中、地域住民から苦情が出たとあっては、徹底的な体罰を受けている自分の姿しか想像できるものがなかった。

後から明るみになると体罰が強くなりそうな気がしたので、ゴールしてすぐ、一番怖い先生に報告した。
すると、他の班も同様に、軽トラオヤジに罵声を浴びせられ、さらにバックで追いかけられたらしく、むしろ同情され、怒られずにすんだ。

しかし、合宿が終わってから、知的障害者にチ○コの露出を強要した事件に生徒の大半が関与していたことが明るみになり、大いなる体罰大会が開かれることとなった。

思ひ出ぽろぽろ7〜中学1年の時の合宿☆1話☆〜

2006年01月26日(木) 0時46分
たいてい、どの学校でも、集団行動を通じて規律を身につけるという名の下に合宿が行われる。
その中でも今日は、中学1年のときの合宿を思い出してみたい。

合宿は<a href="http://www.city.kitakyushu.jp/~kyouiku/sisetu/tse/tsegen.htm">市の施設</a>で行われた。
宿泊する部屋に荷物を置くと、すぐに「多目的ホール」に集合。
この施設で働くスタッフが自己紹介していた。

その中でも一番個性的だったのが、ノグチという人の自己紹介。
「はいみんな、こんにちは!さわやかノグッちゃんです!!」

解散して多目的ホールから出た生徒たちの口からは、「野グソのノグっちゃん」という名前が聞かれた。

また、田舎の広大な大地を利用した長距離のウォークラリーがあった。
ウォークラリーの終盤、車がギリギリ通れる狭い草むらの道で向こうの方から軽トラが激走してきた。

我々の前に現れたとき、急ブレーキをかけ、キチガイのように叫んだ。
「あぶねえやろうが!!バカ!!」
あまりにキチガイ顔で、犯罪の臭いがしまくったため、何も反抗しなかった。

<img src="http://www.geocities.jp/localumpen/0601261.gif">

赤い丸が我々で、一番後ろは足を痛めてノロノロ歩いていたコタニ(漫画オタクの女子)であった。
コタニは何がなんだかわかってなかったに違いない。

軽トラが行き去り、我々は冷静に「あいつ(軽トラのオヤジ)おかしいよね?道が狭いけ仕方ないやん。」とじわじわと怒りが出てきた。
そして、軽トラがコタニより向こう側に進んだときに叫んだ。

「お前の方がバカじゃ!!」
可愛い女子も「そうじゃ!!」と叫んでいたのが今となってはおもろい。

<img src="http://www.geocities.jp/localumpen/0601262.gif">

聞こえてないという確信のもとで叫んだが、その直後、我々は絶望的な気分になった。
私は今でも忘れない。
軽トラのブレーキランプとバックのランプが灯ったことを。

<img src="http://www.geocities.jp/localumpen/0601263.gif">

軽トラがバックで激走してきた。
道が狭いため、生きるためには自分で逃げ道を見つけるしかなかった。
一番危険なコタニは横にあった民家の敷地に逃げた。

すると、軽トラも民家の方に曲がった。
<img src="http://www.geocities.jp/localumpen/0601264.gif">

コタニが人質になってしまったのだ。
次回へ続く。

思ひ出ポロポロ6〜ガラガラの美容室〜

2006年01月25日(水) 2時08分
2004年の夏ごろ、私は美容室を変えた。

それまで行っている美容室がラリっていて、いつも店員が街頭で新規の客を探しているにも関わらず、予約しようとしても「予約が詰まっている」と言われ、半月以上後になるのであった。

そんなラリった店にうんざりしたので、ホットペッパーで見つけた、家から近いお店に行くことにした。

店に入ってみると、中には誰もいなかった。
少し待っていると、奥の方から店員が出てきた。
どうやらアシスタント(ホリケン似)らしく、「今、店長を呼びますね。」と言って店の電話から店長の携帯電話へ電話をかけていたが、店の電話は黒電話であった。

店長が来て、カットとパーマをしてもらったが、パーマはえらいことになった。
茶髪ということもあり、鏡を見るとアメリカの少年にしか見えなかった。
ただ、カットの段階では問題なかったので、次回からカットだけをしに行くようになった。

何度行っても店の中はガラガラで、客が来ていない状態が普通の状態であった。
たまに客が来ても、マニア(男女不問)であった。

 
 
2004年10月、この店のアシスタント(ホリケン)が違う店のスタッフとしてタウンワークに笑顔で映っているのを目撃した。
(繁盛してないこの店を)裏切ったとは思えない満面の笑みだったので、爆笑してしまった。

 
 
2005年2月末、いつものようにこの美容室へ行った。
そしていつものように、店長から「また次回来ることがありましたら、この割引券をお使いください」と、3ヶ月が期限の割引券を手渡された。

その夜、店の横を通ってみると、店が入っている建物にトラックが来ていて、荷物を積んでいた。
翌日、店の横を通ってみると、店が潰れていた。

店が潰れることがわかっているのに、何もないかのように演技して割引券を渡したと思うと爆笑せざるを得なかった。

思ひ出ポロポロ5〜コンちゃん〜

2006年01月24日(火) 1時44分
私は中学のとき野球部に入っていた。
中学1年の入ったばかりのとき、3年生は他校に比べて選手数が多く、必然的に体格が良い選手、技術のある選手、球速の早いピッチャーが淘汰された状態であった。

その中でも、今日はコンちゃんこと、コンドウさんを紹介したい。

コンちゃんはあまり部活に姿を見せてなかったので、初めて関わったのは「スーファミ貸して!」と言われたときである。
「1000円やるけ、1週間貸して!」という熱意溢れる説得に負け、貸すことになった。

「良いですよ…」と答えると、「○○日が給料日やけ1000円はそれ以降渡す」と言われた。
コンちゃんが部活に来なかったのはバイトか何かをしていたからのようだ。

3年生は「野球=人生」くらいの熱意で野球をやっている人しかいなかったので、周囲との温度差をもろともしないコンちゃんのあまりのマイペースぶりに驚きを隠せなかった。

コンちゃんは目が悪かったので、ボールが見えてなかった。
守備では全くボールが見えておらず、ベンチであった。

バッターボックスに入っていても、目から遠い低めの球は見えてなかったようだ。
たいてい、高めの悪球を大根切りでホームランの光景しか見ることはできなかった。

身長が180後半まであり、体格が良かったので当たればかなりの飛距離が出ていた。
身長の低い先輩が「俺かなり牛乳飲みよるのに背が高くならん。どれくらい飲んだらそれくらいになるん?」と尋ねると、コンちゃんはこう答えた。

「俺、牛乳好かんけ飲まん。」

背の低い先輩の努力が無に帰した瞬間であった。

そんな先輩たちにも引退試合が訪れ、我々1年はバットなどの道具を部室に戻して、帰っていた。
すると、学校の横にある川に野球部のかばんが捨てられていた。

運動神経の良い奴が川に下りて取って上がってきた。
そのかばんには「近藤」と書かれていた。

そんなコンちゃんは、ベンチだったにも関わらず、野球でスカウトされ、高校入学を果たした。

しかし、その年の4月、野球でスカウトされたのに、コンちゃんはゴルフ部に入っていた。

本当は怖い家庭の医学

2006年01月22日(日) 0時12分
屁の警告

昨日、友人達で集まって飲み会をした。
久々に集まったので、とても楽しいひとときであった。
飲み会も終盤に差し掛かったとき、私は温泉の匂いがすることに気づいた。

私は隣に座っていた友人Mに「天神でも温泉が湧きよんやね。」と言った。
すると、彼は「すまん、屁ぇこいてもうた」と答えた。
(屁と温泉は匂いに大差なく、温泉旅行に行くお金がないときは、風呂場で屁をこけば良いと思った。)

その後、友人Kの家でみんなでテレビゲームをした。
そこでも友人Mは屁をこきまくった。

友人M:「屁が出る」

ブッ

ブッ



夜中だったので、大音量の屁をこくことは近所迷惑なので、屁を分割させたのだろう。
あきらかに3発目は前2発でキレイに2等分できなかった分の調整であった。

彼は幾度となく屁をこきまくった。
たまに予言なしにこくこともあったので、「ブッ」という音がゲームの効果音と勘違いしていた友人もいたようであった。

しかし、これをただの屁だと思って放っておいたので大変なことになった。
彼は食中毒で入院してしまったのだ。
屁の連射は食中毒の警告だったのだ。

とめどなく屁をこいてしまうとき、迅速に病院に行く準備をしていたほうが良さそうである。

思ひ出ぽろぽろ4〜ションベン飛ばし大賞〜

2006年01月20日(金) 1時18分
小学生のころ、私の特技は「ションベンを遠くまで飛ばすこと」であった。

遠投が凄い野球少年なら「良い肩しとるなあ!」と褒められるが、遠飛が凄かった私に「良い膀胱しとるなあ!」と褒めてくれる人は誰もいなかった。

住んでいたアパートとアパートの敷地の外壁との間で、いつも友達と一緒にションベンを遠くへ飛ばす練習をしていた。
アパートと壁の間は5メートルくらいあったが、壁側から飛ばしてアパートまで届かせることができたのは私だけであった。

闇雲にションベンを飛ばすだけでは面白くないので、「ションベン飛ばし大賞」という名前の大会として活動していた。
誰かがションベンをして、欽ちゃんの仮装大賞のようにそれぞれの審査員の点数の合計を争って大賞を決めるというものだった。
(もちろん私は毎回優勝。)

もちろん審査員のコメントもあった。
「ションベンのアーチをもっとキレイにしてほしかった。」「もっと溜めてから出すともっと飛距離が出たと思う。」などと好き勝手にコメントしていた。

また、飛距離だけではなく、ションベンをカーブさせてその曲がり方などを競う、変化球大会もあった。
この大会は審査が難しく、あまり活発になることはなかったが、ションベンを変化させることは非常に楽しかった。

もしかすると、今後、ションベンを遠くまで飛ばして遊んでいる小学生と遭遇するかもしれない。
そんなときは、その子を褒めてやってほしい。
褒めれば、その子も飛距離も伸びること間違いないからだ。

昔の人間は、石を投げてその飛距離分がその人の土地となっていた。
未来の世界ではションベンの飛距離でその人の土地の広さを決めるようになるかもしれない。

息子よ、この土地どうする?

思ひ出ぽろぽろ3〜近所の家庭崩壊〜

2006年01月18日(水) 21時42分
今住んでいる場所がたまたま穏やかなだけかもしれないが、北九州に住んでいたころは、完全に家庭が崩壊した家が近所にいくつも見受けられた。

その中でも、特に記憶に残っているのは2つの家庭。
その2つの家庭では、毎日怒鳴りあいのケンカが行われていた。
家族が集まった時間帯にケンカがヒートアップするので、我々近所の住民は怒鳴り声を聞きながら夕食を食べざるを得なかった。

2つのうち1つは、まさに隣のマンションであった。
いつも母親と娘が怒鳴りあってケンカしていた。
毎回、父親がなだめようと入っていくも、娘から「お父さんには関係ないやん!!」と怒鳴られて、迫力に負けて黙り込んでしまうという展開であった。

その家族について、「あの家族の父親が『栄寿司』の車に乗って帰ってきたのを見た」という人の証言が出回った。
「『栄寿司』には気をつけよう」という気でいたが、栄寿司という名の寿司屋が腐るほどあるので、どの栄寿司に気をつければいいのかわからず、今だにすべての栄寿司を疑いながら生活している。

もう一つの家庭は、私の家から30メートルくらい離れたアパートの1
階であった。
その家庭は母親がガミガミしていて、うるさい印象があった。
私は毎朝、息子2人に怒鳴っている声が聞こえる中で登校していた。

「ゴミを出しすぎじゃ〜〜!!」「そんなお金がどこにあるかボケ〜〜!!」など、常軌を逸した奇声であった。
それに対し、息子たちは反論していたが、その都度、3倍返しの奇声が彼らそして近所住民を襲った。

下校のときも母親は何かにつけて奇声を発していた。
今更どうでもいいが、母親の顔は南こうせつに似ていた。

そんなある日、いつものように母親が奇声を発していたが、いつものような愚痴をぶちまける感じではなかった。

 
母親は大声で、「殺せ〜〜〜〜!!早く殺せ〜〜〜!!」と奇声を発していた。

息子がキレたに違いなかった。

九州大学

2006年01月15日(日) 23時57分
今日はTOEICを受けに九州産業大学に行った。
行ったのはこれで2回目になるが、やはり九産大は校舎がキレイであった。

いや、普段九大という老朽化しきった校舎で生活しているがゆえにキレイに見えただけかもしれない。
大学全体的に見て、九産大の校舎くらいのキレイさが普通なのかもしれない。
九産大を見た後に九大を見ると、北九州工業地帯にしか見えない。。。
アニメで言えば、天空の城ラピュタそのものである。

ただ、九大が勝っている点もある。
キャンパス内にアップダウンがない点。

九産大はキャンパス内のアップダウンが激しく、図書館と思われる建物に行くには山登りをしなければならない。(写真を撮ってないのが残念でならない。)
チャリでは絶対に無理であり、登山部やロッククライマーの練習にもってこいであった。
雪が降ったときは、坂で滑って、誰もあの建物にたどり着けないに違いない。

また、キャンパスの真ん中でパワーショベルなどを使って、何か大きなものを作っているようだったが、私にはダム建設にしか見えなかった。

それに比べ、九大は平らでアップダウンがない。
アップダウンがない代わりに、キャンパスが広すぎる。
アップダウンがなくて果てしなく広いので、どこかに地平線が見える場所があるに違いない。

あまりにも広いので、パトロールの人(警備とは違うんかな…?)は車で見回っている。
パトロールカーには常に2人のおっさんが乗っているが、いつも談笑していて、普通に車でグルグル回っているだけである。

この前、パトロールカーが新車になった。
友人によると、パトロールカーがキャンパス内で交通事故を起こして無残な姿になったらしい。
おそらく、キャンパスが広いことでスピードを出しすぎたり、よそ見運転したり、ドリフトしてみたりしたに違いない。
普通に不祥事である。。。

思ひ出ぽろぽろ2

2006年01月12日(木) 0時54分
浪人生活の2年目、私はさまざまな連中と出会った。
出会っているうちに気づくことは、「浪人すればするほど変人である」ということである。

2浪以上の人で普通の人はいなかった。
むしろ、どれくらい普通からずれているかの勝負であった。
ちなみに、私は2浪以上の人の中で一番普通に近かったように思われる。

記録を兼ねて、シリーズ化して何回にもわたって書いていきたい。
もちろん、人間関係のギクシャクやプライバシーに気をつけながら。

今日紹介するのは「おばちゃん」。

おばちゃんは当時25歳くらいであった。
彼女こそ下ネタのチャンピオンであり、手加減した状態の彼女の下ネタでさえついていける者がいなかった。
そんな彼女を慕う者は、彼女のことを「おばチャンピオン」と呼んでいた。

おばちゃんは家が金持ち。
たしか、大学入学、中退を繰り返して、代ゼミ生になるという経歴であった。
しかし、金持ちにも関わらず、風俗でバイトしてお金を稼いでいたらしい。

後述するかもしれないハゲとよくモスバーガーに来ていて、同じくモスによく行っていた私と3人になったとき、私は彼女の強烈な下ネタに精気を吸い取られていたものである。

今かろうじて思い出せるのは、「ク○トリスは英語でクライトリスって言うらしいよ。リピートして!クライトリス!!はい!!」と言われ、モスの店内で大声で「クライトリス」を連呼させられたことである。

おばちゃん今頃何しよるかなあ…?

思ひ出ぽろぽろ

2006年01月07日(土) 1時43分
小学1年生のとき、担任はスパルタ先生だった。

担任は女性教師にも関わらず、すぐに手を出していた。
調子に乗っている生徒の頭を叩いたり、忘れ物をした生徒にしっぺをしたりしていた。
当時、男子小学生の大半が半ズボンだったが(今も?)、頭を叩くレベル以上のことをした生徒は、その露になった太ももに思いっきりビンタされていた。

太ももに思いっきりビンタする様子はまさにサブマリン。
私の目には、当時ダイエーホークスにいた足利投手にしか見えなかった。

あの日、この先生はいつにも増して厳しかった…。

私のクラスでは、下校のとき、板書を連絡帳に写して、姿勢の良い列から先生に呼ばれ、書いた連絡帳を見せたら帰れるというシステムであったが、あの日はどんなに姿勢をキレイにしても、なぜかなかなか呼ばれなかった。

このとき、私はションベンを我慢していた。
ションベンでいっぱいいっぱいな私とは裏腹に、先生は「今日は姿勢がよくなるまで帰さないよ!それまでトイレにも行かせないよ!!」と言い放ち、気の弱い私としてはトイレに行きたいという意思表示がしにくい状況になってしまった。

どの列もいつにない姿勢の良さであった。

やっと呼ばれる列が出始めたが、1列につき10人いるため、呼ばれなかった場合、次を待つまでにかなり時間がかかった。
全部で4列あったが、2つ目の列が呼ばれても私の列は呼ばれなかった。

ションベンを我慢してそわそわしていた私が明らかに足を引っ張っていた。
2つ目にもなれなかったので、かなり時間がかかることを推測してしまい、気が遠くなり、我慢は限界を迎え、先生の元に歩み寄り、こう言った。

 
 
 
 
 
「先生、トイレに行きたかったです…。」
 
 
 

私はションベンを漏らしたのであった。

すると、先生は意外なことに「うん、行って良いよ」と答えた。
命令を忠実に守りすぎた私の悲劇には気づいていなかった。

G:「いや、漏らしたんです。」

先:「そしたら床のおしっこを雑巾で拭いて!」

私は床のションベンを拭いた。
もちろん、周囲がいつになく必死に姿勢を正している中で、私だけが床のションベンを拭いていた。
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