受験報告2〜故障〜

2002年02月28日(木) 14時31分
理科大の下見に行こうと、地下鉄に乗った。
ホームに下りると同時に電車が行ってしまった。
「ああ、待たないけん。。。」と思っていると次の電車がきた。
“元戻し”かと思った。

電車に乗り、発車したかと思ったら次の駅に止まった。
僕は思った。
「こんな近くに駅作らんでもいいやん。。。高橋尚子は何キロ走りようと思っとん?」

飯田橋駅で降りた。
駅の中ははっきり言って迷路である。
アスレチック公園の迷路より迷路である。
看板を頼りにしていくしかなかった。
最低でも、ワカゾーみたいに女子大に行かないように気をつけた。
しかし一つの決意はあった。
「万が一間違えて女子大の受験会場に行ったなら、女のフリをしよう」という決意である。

下見を終え、僕は代ゼミ代々木校に行ってみた。
パンフレットをカバンの中にいれ、出ようとしたそのとき、G-kun19才童貞は衝撃的なものを見てしまった。
それは荻野や吉野と言った怖い講師ではない。
“本物の”コギャルである。
僕は「目があった。。。怖い。。。」というのがモロに顔に現れていたに違いない。
僕は立ちすくんでしまい、さらに、全身の力が抜け、ひざまずいた。
警備員が駆けつけた。
警:「大丈夫かね?」

僕:「・・・」呼吸が止まっていた。

警:「救急車呼ぼうか?」

僕:「・・・」むしろ霊柩車を呼んでほしかった。

突然呼吸が戻った。

僕:「もう大丈夫です。」

警:「ホントに大丈夫かね?」

僕:「ただ赤い実がはじけただけですよ。ハッハッハ…。」

警:「惚れるなやー!!」

僕からすればコギャルは外国人より外国人なので、大変驚いた。
コギャルが行った後もずっと興味津々な眼差しで見ていた。

「ああ、怖かった。」
顔色は安堵の色に変わった。

そろそろお気づきかと思われるが、僕はスカウター、すなわち“女を見る目”が壊れているのだ。
これはモテなくてコンプレックスになりまくった生活を10年以上していないと分からない現象だろう。
可愛くなくても可愛く見えるのだ。
なにより、心が重傷なのだ。

代々木からホテルに帰るとき、茅場町駅近辺で道に迷ってしまった。
というのも、交差点をどっちに行ったらいいかわからなかったのだ。
全ての方向が同じような景色だったからである。
ということで、とりあえず目に入った吉野家で晩飯をたべた。
吉野家に行くのはこれがはじめてであった。

受験報告1

2002年02月26日(火) 23時50分
2月11日〜理科大前日〜

ついにこのときがやってきたかと思いつつも、新幹線に乗り込む前、天候は雪。
新幹線が雪で横転しないか心配していたが、その心配の必要はなかった。
小倉を出発して10分経って、運転手が「只今、世界最高300kmで走行しております。」と放送があると同時に、電光掲示板に「只今300km/h」と表示されたのを見て通常どおりに運行していると思ったからだ。

しかし、「ここで車体が瞬間的に時速0kmになったらどうなるのだろう?」という好奇心が湧いてきた。
とりあえず、我々客は新幹線の壁に衝突して即死だろう。
でも車内販売のカートはどうだろう?
新幹線が連結されている部分の扉を、おぼっちゃまくんの家のように何枚も潜り抜け、新幹線の先端の丸い部分を貫通して時速300kmでレール上を走るのではないか?
となれば、のぞみが通過する駅では不思議なことこの上ないだろう。
「のぞみが通過致します。」の駅内放送のあとで販売カートが時速300kmで通過するのだから。

もちろんお菓子とかコーヒーをこぼしながらの走行である。
だが、それらはおそらく山下清が消化管で処理してくれているだろう。
一文なしで旅しているんだから、おにぎりじゃなくても我慢すべきだろう。

で、僕は窓側だったのだが、新大阪まで進んだとき、反対側の窓側に若い女性が乗った。
「旅は道づれ」的な考えが潜在下であったのだろうか、なぜか僕はその女性と仲良くなりたかった。
補助席の存在を望んだが、新幹線は観光バスではないので不可能だった。通路という見えない壁が僕らを引き離しているような気がした。

東京に到着したころには、すっかり車内販売員のお姉さんの魅力に引き込まれていたことは言うまでもないことだが、東京駅からなかなか出られずに苦労した。
出ようと思っていた出口とは逆の出口から出てしまったので、仕方なくホテルまで歩くことにした。

東京は建物が大きいので、歩いても歩いてもなかなか進んだ気がせず、何度も足元に“スカイウォーカー”(通販グッズ)などがないか調べたが、何もなく、ただバスの中の人の目が「バスに乗ったら楽になるよ。。。」という誘惑の目をしていることに気をとられた。

休日+オフィス街ということもあって、店は休んでいるところが多かった。
一旦ホテルに荷物を置いて、それから理科大の下見に行った。

コナンの主題歌に倉木麻衣は合わないと思うG-kun

2002年02月11日(月) 19時53分
東京はやはり都会である。東京の人が全国の主要都市を「地方」と言うのも納得できる。

また、東京に来るといつも「世の中そんなに甘くないなあ」と思わされる。多い人口や巨大な建物を見せられると「俺ってちっぽけだな」と思わざるをえないのだ。

また、今日は「受験生が多いな」と思った。電車に乗っても周りは受験系の話ばかりだった。全国の受験生が上京したのだろう。
そういえばホテル税なるものが施行されるらしい。となればこの時期は儲け時になる。これから先、受験がさらに大きく経済を左右するようになるのかもしれない。

人間の成長は環境に左右される

2002年02月10日(日) 17時05分
人間が成長する際、環境によってどのように成長するかが決まってくるのは言うまでもない事実ですよね。今日はその事実について触れたいと思います。

まず、僕のプロフィールを見てもらえればわかるのですが、小学校の時は全く勉強していません。
なぜかって?
そりゃ周りが勉強しなかったからですよ。
みんな外で遊び、健康的に過ごす。これが少年時代の僕にとってみれば当たり前のことでした。
学校での成績はいつもビリ。
しかしいつも口癖がこうでした。
「なんでみんな分かるん?」

そう、少年時代の僕にとって、算数の問題や国語の問題を解くということは魔法を使うのと同じ位信じられないことだったのです。
確かに、今でもセンター試験が時間内に解ける人は僕にとって魔法使いです。僕からすると、センターは時間内に解けるわけがないのですから。

環境が変わればそれも変わる。

もし僕が勉強が全くできない集団の中に入ったら。。。
僕は魔法使いになるでしょう。

僕の高校の学力は全国的に見ればとても低いものです。
しかし、学区内では1番の進学校であり、生徒たちはそのことで満足さえしています。もし隣りの学区と合併したらかなりの劣等高校になるにも関わらず。
また、教師たちも向上心がないのです。
「才能のないやつは諦めろ」とか「何浪しても受からん」とかいった発言が飛び交っているくらいです。
もし教師たちが向上心に満ち、教員として有能だったなら。。。
もし僕らを取り巻く環境が今と全く違っていたら。。。
そう考えるとあの学校という環境で高校3年間を過ごしたことが無駄に思えます。
もちろん良い思い出もありません。
思い出もなく、ついた学力もたかが知れず、人間としての自信を失った。。。

もし過去の環境が違えば今僕はこんなことを書いてないでしょうし、腐った大人像を知らないで過ごしていることでしょう。

僕はたまに言う。
「なんでもかんでもあの学校のせいにしたくない。」
しかし友達は言う。
「いや、あの学校のせいやろう。」

“高校時代の思い出ワースト3”に修学旅行が入っているような学校を好きになるほうが無理。
おそらく同窓会とかには行かないでしょう。
「母校は代々木ゼミナール」と言いながら僕の一生は幕を閉じるでしょう。

思い出したくない過去。。。
これを断ち切るために、僕は記憶を塗り替えながら未来に希望を求め生きていくでしょう。
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