無念の倒産

2001年06月30日(土) 17時23分
井筒屋のバーゲンといえば、“小倉そごう”の閉店で井筒屋の独占のような気もする。今のうちに頑張るべきだろう。

にしても小倉そごうの閉店は我々受験生に多大なる影響を及ぼしている。
小倉そごうには紀伊国屋があったが、そこは大いなる参考書発掘現場である。
井筒屋の本屋(クエスト)は、できたときは西日本一大きい本屋だったそうだが、受験参考書は肝心なところで品切れである。
例:基礎・中級編はあるのに上級編がない。//自分は7月号がほしいのに、まだ6月号があたかも「今月号ですよ」と言わんばかりに山積みに置かれている。//見たい本の前で女の子が立ち読みしていて、シャイな僕は取ろうに取れない。//エスカレーターで2Fから1Fに降りると、出口から遠のいてしまう。(反対側に降りたい。)//店員は十分可愛いが、愛想がない。//地下のCD屋はあまり知られてないがためにあまり売れてなさそう。(でもそこでヒーロー戦隊のCDを買った。)//できればお釣りを間違えてほしい。//・・・
そういう意味でも紀伊国屋は必要だった。。。

そごうのビルはどうなるのだろう…。駅前にそびえるあのビルは…。
そごうがなくなった今、井筒屋が頑張らなければいけない。と同時に店員が頑張らなくてはいけない。いわば、井筒屋の店員ひとりひとりが北九州市を支えているのである。女性店員に心ときめけば、男性客は商品を買いまくり、経済は安定になる。(?)男性店員に心ときめけば、女性客はその男性店員を誘惑し、商品を割安で買いまくるのだ。(?)
いずれにせよ、21世紀は井筒屋の時代である。屋上の乗り物もジェットコースターまで設置し、店のなかに作ったパイプの中を通るという仕組みでやってみてはどうだろうか?屋上から地下への急降下は、きっとチビるやつが多発するはずだ。そこで下着販売まで行い、儲かりまくりである。。。

休講

2001年06月30日(土) 16時47分
今日は講義がなかったので、特に予備校に行く理由はなかった。
だから予備校には近づかないようにした。というのも、今僕は逃亡生活中なのだ。

そう、あれは6/21日のことだった。予備校で同じクラスのH君が言った。

「面談した?」

全くなんのことだか分からなかった。
「何言ってんだ?面接の指導なんてあるわけないやん。どうかしたのかなあ?」
というのが最初の感想だった。

しかし事実はこうだった。

その日、担任との個人面談があった。。。

僕はやや狼狽した。なぜなら、成績が悪い上に不真面目だと、落ちたときに「ほら見ろ」と思われるからだ。これで僕は合格しか許されなくなってしまった。。。

あっという間のできごとだった。その前日にあったホームルームで「明日から面談をしますが、時間の都合があまりあわないのでほとんどの人は28日にやります。時間帯は掲示板に掲示しておくので見ていてください。でもまだ貼ってません。」というからてっきり28日だと思っていた。しかも次の日の2番目だとは夢にも思ってなかった。。。

そして、時は過ぎ、昨日もホームルームがあったのだが、間に合う時間に家を出た。

なのにバスは20分も遅れ、なんとか間に合うかと思ったら、井筒屋(デパートの名前)の“サマークリアランス(一日限り)”があっていて渋滞しまくりで、ギリギリ間に合わなかった。。。

で、結局逃亡生活が継続されたのである。

今日も

2001年06月27日(水) 20時38分
原因不明の頭痛で苦しい。。。

ものを考えようとすると頭痛がするのである。
何が原因なのだろう?
このままなにもなく痛みがなくなればいいのだが…。

前代未聞の病気で、余命3ヶ月という診断がされたらどうしよう
と思う今日この頃なのです。

そろそろ病院に行った方がいいのかなあ?
でも注射だけは勘弁してほしい・・・。(苦笑)

おもひでぽろぽろ・・・ 2

2001年06月27日(水) 20時33分
(スローモションで)

友達が咳をしてガムが空中に飛んだ。

ガムは放物線を描きながらエロ本コーナーへ。

彼もダイビングキャッチを試み、エロ本コーナーの海へ飛びこむ。

(とても痩せている彼はまるで新庄。ファインプレーになるかどうかがとても見ものだった。)

エアコンの空流でガムは失速。打球に伸びがない。

彼のメガネが外れ、メガネも飛んでいく。

ガムが地上に(エロ本上に)着地するまでもうあと数センチ。
どうだ・・・間にあうか?

ドカーン!!
エロ本コーナーに着地した彼の身体と地面がものすごい音を立てる。。。

彼の身体でガムが見えなかったので、僕はガムを見るためにその場から移動した。

過激そうな、外国人が表紙の本の上にガムが…。

好プレーにはならず、珍プレーになってしまった。

その後、散らばった本を元のように整理したが、ガムは本にこびりつく。

弁償するために買えばいいのだが、僕たちは中学生。誰がどう見たって中学生。
買えば犯罪。逃げても犯罪。

結局その場から離れることは出来ず、本屋は閉店を迎えた。

なんとか隠れつつ、店の鍵は閉まる。(僕らは店の中)

とりあえず、ガムつきの本を盗まなくてはいけない。

どうせ一冊盗むなら、もっと盗んであげることが本屋への礼儀と思って、
売れてなさそうな本を頂戴していく。

最後は裏口から出て・・・

御用であった。

おもひでぽろぽろ・・・ 1

2001年06月26日(火) 0時13分
体調を崩していて、咳をしまくっていると、昔の記憶が甦ってきた・・・

それは中学1年か2年の時の出来事だった。。。
中学時代といえば、部活が大変な時期であったが、ちょうどその日は休みだった。それと同時に、僕の不幸の神は御勤労であった。
いや、仕事に精が出ていたのは友達のS君の不幸の神かもしれない。
そんなことはどうでもいいことだが、おそらく歴史に名を残す驚異的事件を起こしてしまったのだ。

そもそもS君は、当時ユーモラスのかけらもなかった僕のお笑いセンスを見事見抜き(人に言うほどセンスないでしょうが…。)、その方向へいざなってくれた、いわば僕のお笑いの師匠である。クラス換えのあったその日にクラス全員の注目を集めるくらいだから、かなりの猛者である。

S君は、よくスーパーとかで売っている10円ガムが好きだった。
10円をセットして、コック(みたいの)をガラガラ回すとガムがコロコロと出てくるやつである。
不幸なことに、彼はその日もそのガムを口にしていた。。。
そして、彼は風邪をひいたのか、その日は頻繁に咳をしていた。。。

事故が起こる瞬間というものは不思議なもので、全てがスローモーションに見えるのである。この分野の勉強をしたことがないのでわからないが、これは人間が後から振りかえって考えてみたときにゆっくりに見えるのかもしれない。はたまた物理学的に時間の進み具合が違うのかもしれない。いずれにせよ、普段起きないことで、なおかつスローモーションだから印象に残るものである。事故が大きければ大きいほどこの感覚は大きくなるだろう。僕は『“ヤキソバUFO”のお湯を出すときにお湯を指に当ててしまい、「あっち(熱い)!!」と思って手を引いたら、フタが外れて中身が出た』ということを経験したが、そのときに麺が出ていくスピードはスローモーションだった。(仕方なく“一平ちゃんやきそば”を食べた。)

で、彼と本屋に行った。(彼との行動は98%本屋である。)
いつものようにエロ本コーナーを通過しつつ横目で見ていたが、彼が咳をしてしまった。。。ここからがスローモーション。

ガムはスローモーションで天空へ。(天井に当てればホームランなんてルールはない。)

重力に引っ張られ、自由落下運動へ。

エロ本コーナーへまっしぐら。

ガムが引っつけば弁償確実。彼はガムを追う。

彼もエロ本コーナーへ・・・

次号を待て

結局

2001年06月24日(日) 21時39分
今日は発熱がひどくなった。
熱が出るけど汗かかないという体温が単調増加していく悪循環である。
もちろん勉強などできるわけない。
かろうじて出来たのは。。。

ビジュアル英文解釈61番(←感動のフィナーレ)
“毎年出る英文法”の右ページ流し読み×2
センター地理実況中継の一回分
生物をほんの一滴

くらいである。やばい…。人より偏差値の低い自分は人より頑張らないといけないのに…。

災難な日(これは24日に書いてます)

2001年06月24日(日) 13時35分
今日起きたら喉まで痛くなりかけだった。。。
しかし、土曜は一日中自習をしまくる日なので、なんとか頑張りまくろうかと思っていた。。。

体調に異変が正式に現れだしたのはPM2時くらいからだった。鼻水が出だしたのである。ちょうど数週間前にアイフルのティッシュ配りから「おねがいしま〜す」の掛け声でティッシュをもらっていたので、何とかなった。。。それもティッシュがなくなるまでの話である・・・。

PM3時くらいに肩が痛くなってきた。もはやきつすぎである。このころから僕は発熱の予感がした。

PM4時、ティッシュ切れる。。。

PM5時、「もう帰りたい」と思う。

PM6時、発熱を確信。

PM7時、「もう限界」と思い、帰宅を決意。

帰ってからかなりの発熱の感覚がした。久々の感覚である。
その日の深夜、頭痛と鼻づまりと息苦しさと喉の痛みから「死」の予感がした。。。

重い身体を引きずりながら、震える手つきでとりあえず遺書を書いた。そしておぼつかない指先や重々しい頭痛を我慢しながらも友達にはメールを送った。
「せめて一度で良いから女の子と付き合いたかった…。」ともはや過去形である。

そして重大な事に気づいた・・・。

死ぬと思ってメールアドレス知ってる女子みんなに告っちゃったよ…。

僕の人生やいかに…。次号を待て!!

今日起きたら・・・

2001年06月24日(日) 13時19分
今日起きたらいきなり鼻腔が痛かった。
何が原因かは分からない。。。
もちろん鼻声である。

しかし熱の症状や、喉が痛いといった症状は見うけられない。
ただ単純に鼻腔が痛いのだ。

「ということは」と思ったらやっぱりである。

普段以上に鼻腔が振動するので、歌うと、鼻腔と口腔の共振によって結構良い声がでるのである。

僕は幼少のときに病弱だったが、やはりいつも鼻声だった。
今鼻声である自分によって幼少時代の記憶が甦る・・・夏になったらよく(同じアパートの)みんなと“花火”をした。花火といってもいろいろある。小さな子どもと遊ぶときはやっぱり手持ち花火である。誰しもせんこう花火は必ず競い合うものである。手持ち花火とは安全なものである。
一方、やんちゃな少年同士のときは“ロケット花火”が主流であった。ロケット花火は危険ではあるが、みな打ち合いとかをするものである。
「どこへ飛んでいくかわからない」というのが刺激的で楽しいのであろう。。。
夏というのは熱いもので、窓を開けているご家庭は多いものである。
あるとき、不幸にも僕らのロケット花火が、開いていた窓に入ってしまった。もちろん逃げたが、そのときの逃げっぷりはすざまじいものがある。おそらくピンポンダッシュに匹敵する速さと一生懸命さであろう。車で例えると黄色信号である。。。

青…進んでも良いよ☆
赤…進んだら命の保証はねえゼ!!(進むな!!止まれ!!)
黄…ターボしろ!!(アクセルを全力で踏みなさい!!)

地味な時期

2001年06月22日(金) 0時07分
小学5年のある日、僕は衝撃的な出遭いをしてしまった。。。

「キミ、スーファミ持っとう?」

それが僕の第一声だった。
当時、僕はまだファミコンとゲームボーイしか持っていなかった。そして、スーファミがほしいお年頃だった。お金はあったが、親が厳しく、なかなか自分のお金を自由に使えないという日々だったのだ。

彼は言った。

「うん、持っちょるよ。」

独特の口調(大分なまり)の声だった。聞いた話によると、彼は小学4年のときに大分から引っ越してきたようだ。

僕:「どうやって手に入れたん?」

彼:「え?」

僕:「親から反対とかないん?」

彼:「というか父さんがファミコン壊したけ父さんが買ってきた。」

僕:「俺さあ、親からの反対がさあ・・・」

(以下省略)

こんな感じのやりとりだった。そして数日後に僕はスーファミを購入することになるが、彼はこういった。

「どうやって親を説得したん?」

僕はこう答えた。

「おとうさんがミスってファミコンを4階から落としたけおとうさんが(スーファミを)買った。」

もっとましな嘘はつけなかったのだろうか。。。

話は前後するが、小学5年でクラス換えがあった直後(初日)、彼はみんなの脚光を浴びていた。みんなが期待のまなざしで彼を見ている。彼は一人でネタをやっていた。当時僕は小4でブレイクしたばっかりだったから負けるわけにはいけないと思って、とりあえず様子を見ていた。「クラス換え初日にみんなの視線を釘付けにするなんて並の才能じゃないな」というのが率直な感想である。
そして、担任が現れた。なんかキレている。

「イジメやねえか!!」

担任はバカだ。間違いなくバカだと思った。それが悲劇の幕開けなのであった。
そういうわけで、小学5、6年時代は良く発言するやつはキレられ、発言を控えるのが利口だと考えた僕はとことん発言を控えた。まさに地味な小学生である。

地味と言えば、イメージ的に勉強が出来なくてはいけないが僕は『運動できない』『勉強できない』でまるで“のび太”そのものだった。

そんななか、彼は僕を見下しのない“友達”と認めてくれたのである。
小学生にとっては全て運動で価値が決められるが、彼は運動とかに目をつぶってくれた。そして、その2年間は地味にネタを作り始めた。このままお笑い芸人を目指そうと思っていた。

今日から…

2001年06月18日(月) 23時40分
代ゼミ小倉校では今日から“無料健康診断”が行われている。これは代ゼミの近くにある病院で診察してもらえるという企画であるが、僕は「病院が怖いので行けない」というのが正直な感想である。「注射されたらどうしよう〜??」と半泣きで思っているありさまである。

おそらくこれは幼少時代の苦い記憶から派生したものであろう。

幼少時代、僕は病弱で、幼稚園も半分行ったか行かないかというくらい休んだ。それでしょっちゅう点滴とか血液検査とか普通の注射とかされてきた。しかし、小学校に上がってからは休みは以前の1/4くらいに激減して、たま〜に注射するくらいだった。小学高学年〜中学はほとんど健康体になった。そこでフラッシュバック現象が起こったのであろう。注射への恐怖がにじみ出てくるのである。

幼少の病弱といえば、僕の運動能力が低いのはこれのせいかもしれない。
おそらく幼児期に運動するしないで運動能力の根底ができあがるのだろう。僕は幼稚園の時から“かけっこ”はずっとビリで、負けビジョンしか思い浮かばない。人の背中が遠ざかる姿しか想像できないのだ。

そういう僕にとって“運動会”とは非常に苦痛なものであった。「恥をかく場」、「自分の無力さを思い知る場」でしかなかった。大人からみたらかけっことかの“順位”は気にならないと思うが、小中高校時代は“運動神経”がすべての権力を支配するのである。人生の始まりは運動で評価が決まってしまうので、運動ができる人はその後の人生も比較的明るく過ごせるのである。逆に、運動オンチの人は当分の間は暗い人格でやっていかねばならないのだ。

僕は小学生だったころ、みんなから「面白い」とか評価をもらっていたが、運動会を境にその評価は覆された。「運動ができないやつはバカにするに値する」という意識がみんなに備わっていた気がする。そんなこんなで小学生時代は暗い人生だった気がする。(でも僕を支援してくれた人もいたんでその人達には感謝感謝。)

小学校34年のときは派手に笑いを取りまくり、成績表に「人を笑わすのが上手い」と書かれたほどであったが、56年のときは地道に小人数に笑いを稼いだ。なぜなら担任が体育重視だったからだ。当時はすっかり萎縮してしまっていた。

後半へ続く
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