みかんまつり。

2007年02月11日(日) 23時42分

現在わが家はみかんまつり状態。

昨日愛媛の実家からダンボールでいろんな種類のみかんが送られてきた。

デコポン、伊予柑、清見(きよみ)、はるみ。

ほかにも、ぶんたん、ばんぺいゆ(長崎原産)、はっさく・・・などの種類があるけど。

今年の伊予柑もなかなかおいしい。

去年のよりも甘みが増している気がするのはあたしだけか!?


まあ中でも一番は蜜柑とデコポンが好きなゆきこでありました♪

ちゃんちゃん♪♪




ダビデの【ただ一つの願い】

2007年02月11日(日) 22時32分

リビングプレイズ、知っている人は知っているでしょう。
賛美歌集。

今日の賛美では、このリビングプレイズの【ただ一つの願い】という曲を賛美しました。
メロディも優しくてすごく素敵な曲。
わたしはこの曲が大好き。


この曲の土台は、詩篇のダビでのことばにある。


「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。
主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。 詩篇27編4節」


ダビデの次に王位を継承したソロモンは
夜の夢の中で主から【あなたに何を与えようか、願え。】といわれたとき
【民の訴えを聞き分ける知恵】と答えた。

しかしダビデはただ一つのこととして、この詩篇27編4節のみことばを主に願った。

わたしが王位にいる者なら、ソロモンのように王位にいるものとしての願いを乞うだろう。

たとえていうなら、【王としてのつとめをきちんと果たせるように】とか
【民が争いをしないように】とか。

だけどダビデは、主はすべてのすべてであり、そのため他のものをすべて失っても
主の家に住むことができるならば、麗しさを仰ぎ見、その宮で思いにふけることができるなら
と、主のしもべとして主に願っている。

しもべダビデは、主が唯一万能の方であることを知っていたから
ただ主の家に住み、主を仰ぎ見、その宮で思いにふけることができれば
何を願うよりも、なによりもいい、という確信を持って主に願っている。

そのうえでなにを失ったとしても、と、主に完全に信頼している。

ダビデと主にしかわからない、ダビデと主の関係をわたしはよく知ることは出来ないけど
このように主に願うためには、生半可な信頼や、
気分次第で変わってしまうような主を拝する気持ちではできないことじゃないかと思う。


この曲の土台となっている詩篇27編4節のみことば。

ダビデの信仰に感動した。
そしてこのダビデの信仰を歌詞にしたこの曲、改めてとても素敵だと思った。


自分がしていたこと

2007年02月11日(日) 13時15分

「愛は隣人に対して害をあたえません。 ローマ13章10節」

自分は愛を持って相手に対して行っているつもりでも、受けた相手が嫌に思ったり、受けた相手のつまずきとなったり、相手の悩みの種にしてしまうなら、それはもはや愛の行いではないんだ。

愛は害をあたえない。

自分は愛ある者だと言うつもりはないけど、このみことばで、自分がどれだけ愛のない者であることを深く思わされました。


「あなたがたは、信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。 ローマ14章1節」

自信過剰な自分。
自己過大視ばかりで、高慢で高ぶってばかりな自分。
そうやっていつも人をさばくから、同年の子や年下の子に対して、【価値観の違いがある】ということばを壁にして逃げているんだ。

価値観の違いって、結構痛い。
その相手が同年の子たちとなると、自分の意見を言っただけなのに一匹狼にならざるを得ない状況になってしまうから。

でも神さまは、ちりで造られたわたしと全然かけはなれていて、価値観どころではない違いを持っている。
なのに神はわたしの話をよく聞く。
神から見れば、ちっぽけで視野の狭いおろかな考えにしか思えないであろうわたしの悩みにも、神は親身になって最善を尽くしてくれる。

なのにわたしはなんなんだ。
神さまだってこんなほこりみたいなわたしを見捨てなかったのに。

改めて神さまへの感謝を覚え、自分を変えていくために祈っていこうと思いました。