赦し

2007年02月04日(日) 23時06分

以前、自分の汚れを見て、神に必死に助けを求めていました。

そのとき語られたみことば。


「もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐりだして、捨ててしまいなさい。
・・・もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。 マタイ5章29-30節」


しかしそれでも、誘惑に負ける自分がいました。

自分が罪から救われるより、自分のからだの一部が汚れたものとして捨てられるのを惜しいと思ったからでしょう。

そんなわたしに次に与えられたみことば。


「・・・あなたがたは、以前は自分の手足を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。 ローマ6章19節」


赦されました。

わたしが自分の手足を汚れものとして捨てることに惜しみを感じてしまうこと。


そしてこのみことばは、わたしが近頃よく考えさせられる【ことば】についても同じように思えました。

自分の一言で誘惑をつくり、人を義に招くより悪に招く。

だからわたしは、自分のことばづかいからまず直そうと心に決めました。


世に言う、最近の若者たちのひとつの大きな欠は、理由がわからない、ということにある気がします。

【それはどうして?】
【これってどういうこと?】

ぜんぶ、【うるせえ】【どうでもいいだろ】【関係ねえ】【黙ってろばーか】といったことばでごまかす。

聞いているこちらにも、そのものごとの目的や理由が見えてこない。

現代風なことばですべて覆ってしまう。

だからそれでこの世的な事柄が次々生まれていく。


わたしも所詮、世に言う、今どきの若者の一員。
年齢的に。

だけどそんな世に流されないために、まず自分のことばを改めることで、そのことばひとつひとつを神にささげたい。

誘惑や悪への招きをつくらないようにするために、いらぬことばは切り捨てたい。

そう思い、ことばを正しく使おうと思いました。


変なことばを使っているところを見たらずばっと注意してください。

お願いします。





汚れにちなんで(笑)。


この洗剤、いいらしいです。

部屋干ししても雑菌が繁殖しないため、におわず、書いてあるとおり室内干しができるそうです。

それに加えて漂白剤プラス。

お値段は内緒ですが、これであの値段は安いんじゃないかな?





向こうに行けばぜんぶ自分でやらなければなので、学ぶことが多いです。

でも楽しいしこういう知識は将来の備えのためにもいい勉強になります。





本日購入したものたちです。

この半透明BOXに衣服やら雑貨やら必要なものをつめて送ります。

もちろん、衣類は圧縮して、です。

そのために圧縮袋もきちんと購入。

見つかるかな??


どんなことばでも

2007年02月04日(日) 22時44分

こないだの生田丘の上教会でやったコーヒー集会、結婚の学び。
そこで教えられた【ことばの大切さ】について、今もなお考えさせられている。

昨日考えていてはっと気づき、なんだか励まされたことをシェアさせてください。


わたしはアドリブがきかない人。
その場に応じたうまい表現方法を用いることができない人。
ことばを発するのに時間がかかる人。
上手く伝えたくてまわりくどくなる人。
しつこくてくどくど述べてしまう人。
用件がまとまらない人。

ぜんぶまとめて、ことばが苦手な人。

だけど、その場に合ったうまい表現のことばとだけが、神と共にあるわけじゃない。
ちょっと聞いていてぱっとしない話し方でも、意味がよくつかめない内容の話でも、そこで使われることばひとつひとつは、ぜんぶ神とともにある。

やっぱり、相手に伝えるにはその場に応じて、相手に応じて、失礼のないように、またくどくどしないように要件を伝えるような努めは怠っちゃいけない気がする。

だけどそれが苦手だからといって、わたしは口を閉ざす必要はないことがわかった。


去年冬の通読セミナーのとき、参加者の一人だった人に、一緒に祈ってほしいと言われた。

食事をし終わってから二人で静まった場所を探し、座っていろいろ話を聞いた。
だいたい祈ってあげるべき課題は見つかった。
だけど、どう祈ろう?祈る前からそんな風に不安でいっぱいだった。

べつに相手が涙を流すほど感動する祈りじゃなくてもいいわけ。
べつにその祈りが神さまに完全に向いているなら、それでいいわけ。

でも表現が苦手なゆきこはどういうことばを使って祈ろうか、すごい困ったわけ。

だから祈りのことばを述べる前に、【神さま、祈りのことばを与えてください】って口に出して祈った。
そしたら、自分のなかからどんどんことばが溢れた状態で祈れた。


神さまはわたしが口下手なこと知っている。

だけどそのことばだって、神と共にある。

ことばが出ないとき、ことばを与えてくれる。
神とともにあることばを。

だからわたしは、話すのが苦手でも、うまい表現を考えるのが苦手でも、口を閉ざす必要はないと気づかされた。



なんかこの記事もまたくどくど述べちゃってる気がするけど、こうして強い励ましを受けたゆきこでした。

Noという答え

2007年02月04日(日) 22時03分

願いがあって、神さまに祈り必死に求めても、それが起こらないことがある。
どんなに時間を費やして汗鼻水流して祈ったって、願いどおりにならないことがある。

だけどそれは、聞いてもらえないわけじゃない。

神さまがNoサインを出している証拠。

所詮わたしは欲深いから、神さまの御心や、神さまが考えてくださる最善なんかどうでもいい。
今の願いがかなえばそれでいい。

だけど、そういうわけにはいかない。
神さまに愛されるものだから、なおさら、神さまはそうはさせない。

だからたとえ今かなえられなくても、神さまはNoサインを出すことで、わたしを心配してくれるんだと思えるようになり、ありがとうといえるようになった。

神さまが出すNoサイン。

不従順なわたしには見えないことが多い。
だから神さまに八つ当たりすることなんか、もっと多い。

だけどそのサインによって、わたしはこの世の誘惑に流されずになんとか立っている。

そのとき出されているものがNoサインであること、きちんと気づけるように、目をさましていなきゃ。



「だから、目をさましていなさい。
あなたがたは、その日、そのときを知らないからです。 マタイ25章13節」