養生術の習得

August 30 [Mon], 2010, 17:39
人間には、なすべき業(仕事)が多いのであるが、それを行なう道を術というのである。すべてのわざにはそれぞれ学ぶべき術がある。その術(方法)を知らないと、それを成しとげるのは困難である。
卑近な芸能であってもその術を学ばなければ何もできない。たとえば蓑を作ることや笠(傘)をはることなどは、それほど難しくはない小さな業であるけれども、その術を習わなければ作れないのである。まして人間は天地とともに三才といわれる。この貴重な身を養って命をたもって長シアリス生きするのは、きわめて大事なことである。その術がなくてはならない。だから養生術を学ばないでどうして長生きすることができようか。
ところが、いやしい小芸にはかならず師を求め教えを受けて、その術を習う。なぜか。技芸の才能があっても、その術を学ばなければできないからである。ひとの身はきわめて貴重であるから、これを養いたもつのはいたって大切な術であるのに、師もなく、教えもなく、学習もしないで、つまり養生の術を知らないで、みずからの欲望にまかせたのでは、どうしても養生の道を得て生まれついた天寿をたもつことができよう。それゆえに、養生をして長生きをしようと思うならば、養生の術を把握しなければならないのである。
その養生の術は大いなる道であって、精力剤小芸ではない。心してその術を学ばなければ、その道の修得は困難であろう。もし、その術を知っているひとから直接学ぶことができれば、千金にもかえられないといえよう。
天地・父母から受けたところのきわめて大切な身をもちながら、これをたもつ方法を知らないで、身をもちくずして大病になり、身を失って早世することは、まことに愚かなことである。天地・父母に対して大いなる不幸というべきであろう。
ひとは健康で長生きしてこそ、人間としての楽しみを多く味わうこともできよう。多病で短命であっては、いかに富貴をきわめてもどうにもならない。貧しくとも長命であることがよほどすばらしい。
私の郷里の青年をみると、養生の術を知らないで、放蕩して短命なひとが多い。またその村の老人の多くは、養生の道を学ばないで多病に苦しみ、元気おとろえて早く耄碌してしまう。これではたとえ百年生きても、楽しみがなく、苦しみが多く長生きの意味はない。ただ生きているばかりでは寿というわけにはいかないのである。
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