ぷろふぃーる♪
↑HP版「おれおれお」へGO!!

Yapme!一覧
読者になる
«2008年12月 | Main | 2008年10月»
どんなときでも・・・ / 2008年11月26日(水)
ほんとに、ほんとに
寒くなってきた
鹿児島です

我が家、夜は
毎日、
エアコンのお世話になっちゃっています




デジカメのファイルを見ていたら

我が家のめめちゃん

さすが

好きのルンルンの

 娘 


 
これも



これも



これも



そして、そして、これも



そう、

どんなときでも

カメラ目線なんです

 
Posted at 18:03 / わんこ / この記事のURL
コメント(4)
冬がそこまで・・・ / 2008年11月22日(土)
しばらく、
またまた更新できない間に

とうとう
鹿児島にも
 
きちゃいました
今年は、早いみたいですよ

暑いのが苦手のれお姉ママ
好きだったのにな〜

あっという間に・・・・
秋、どこかに行ってしまいました

南国、鹿児島といえども
何回も雪、降るんですよ

今年は、なんかい降るかなぁ〜

ちなみに、我が家

れお父さん以外は
み〜んな、

大好きみたいです
猫の額みたいなお庭で
楽しそうに、走ります

特に、ルンルンが大好きでした

虹の橋にも雪、降るのかな〜



昨日は
りゅうちんの、4週間ぶりの大学でした
Htは42%に上がっていました
体重も9.2キロ
どこも異常は無いみたい

でも、お薬を減らすのは
年が明けてからにしました

先生、お正月休みが気になるらしく
もしもの時を考えて・・・・・
現状維持を選びました

我が家、
てっくんのこともあるし
お散歩も
もちろん、ドックランなんて・・・・
ずっと、ずっと、先みたいです
病院へ行く以外
よその、ワンちゃんたちとの接触も
なるべく、控えています

ちょっと、淋しいですけど
みんなの為ですものね
いつか、必ず、
お外で、元気にみんなで走り回れる日まで
我慢です




いつも、応援ありがとうございます
メールでご心配して下さってる方々
ほんとうに、ありがとうございます
れお姉ママ、
とっても、励みになっております
どうぞ、これからも、よろしくお願いいたします

 
Posted at 10:47 / わんこ / この記事のURL
コメント(2)
日本って・・・・ / 2008年11月09日(日)
◆トルコ船エルトゥールル号の遭難
明治23年9月16日和歌山県南端の大島で起きたトルコ船の遭難、
大島の住民の命がけの救出で助かった69名のトルコの人々、
今でもトルコの人々の間に語り告がれるエルトゥールル号遭難、
日本とトルコの友情のお話です。

--------------------------------------------------------------------------------

和歌山県南端に大島とうい島がある。
明治23年9月16日の夜、台風が大島を襲った。
 猛烈な風雨と激しい波が断崖を打ち、海は荒れ狂っていた。
台風で進退の自由を失った大きな一艘の軍艦、
全長約76メートルもあるその木造船が、
島の灯台の方に押し流されてきた。
灯台のある断崖の下は岩が乱立している。
遭難した船は真っ二つに割れ、
機関に海水が入り大爆発を起こした。
真っ暗な荒れ狂う海に乗組員全員が;海に放り出され、
波にさらわれ岩にたたきつけられた。
一人の水兵が、大波にさらわれて、
岩にぶつかり岩場に打ち上げられた。
意識を失なったが意識がもどると真っ暗な中に、
灯台の光が見えた、残った力をふりしぼり
40メートルほどの崖をよじ登り、
ようやく灯台にたどり着いた。
灯台守は、遭難したことはすぐに推測できた。
国など尋ねるが言葉が通じない。「万国信号音」を見せて、
トルコ人で船はトルコの軍艦であることや、
多くの乗組員が海に投げ出されたことがわかった。
傷ついた水兵に応急手当てをし、
遭難した人を救うには人手が要ると、灯台から一番近い、
樫野の村に夜道を駆けた。
当時、この村には約50軒の家があった。
船が遭難したとの知らせを聞いた人たちは、総出で岩場に下りた。
空が白んでくると、
海面にはおびただしい船の破片といくつもの遺体が見える。
むごく壮絶な光景であった。
「異国で無残な死」を思い、村人たちは、
「一人でも多くの人を救いたい」と思ったのでした。
浮かぶ船員を急ぎ引き上げるとまだ息がある!、
だが触ってみると、冷たくなって体温を感じない
村の男たちは、
裸になって、乗組員を抱き自分の体温で彼らを温めはじめた。
「生きるんだ!」と悲痛な思いで、
村の男たちは、我を忘れて温めていた。
次々に乗組員の意識がもどった。
しかし、乗組員は600人余り、
助かった人はわずか69名だったのです。
この船の名がエルトゥールル号であった。

救助された人々は、その島のお寺と小学校に収容されました。
当時は、電気や電話などはもちろんなく、
井戸もなく、雨水を利用していた
貧しい生活で充分な食料もない。
非常食の備えとして”にわとり”をかっていた。
貧しい山村に69名もの外国人が収容されたため、
台風で漁ができず、
ついに食料が尽きた。
もう食べさせてあげるものがない。
にわとりが残っていが、
これを食させてしまったら自分たちの食べるものがなくなる。
しかし村の人々は最後に残ったにわとりを料理し食べさせた。
こうして、トルコの人たちは、一命を救われたのだった。
大島の人たちは、引き上げた遺体を丁重に葬り、
異国の地での死を悼んだ。
このエルトゥールル号の遭難の報は、
和歌山県知事から明治天皇に言上され。
明治天皇は、即刻、医者、看護婦などの派遣をされ、
礼を尽くして生存者を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて、
トルコに送還なさいました。
このことは、日本中に大きな感動を与え
日本全国から弔慰金が寄せられ、
トルコの遭難者の家族に届けられたのだった・・・。

  日本ではこの話は忘れられていたが、
トルコでは学校でも教えられ、
トルコの人々は忘れていなかった。
イラン・イラク戦争の時、
1985年3月17日、イラクのサダム・フセインが、
「今から48時間後には、
イラン上空を飛ぶすべて の航空機を撃ち落とす」と、
航空管制を宣言した。
まだ多くの日本人がイランに住んでいた。
商社の家族や在住の人々が、急ぎテヘラン空港に向かったが、
どの飛行機も満席で乗ることができなかった。
世界各国は自国の救援機を出して、救出していたのだが
日本政府は素早い決定がでず、
空港にいる日本人はパニック状態になっていた・・・。
だがそこに、2機の飛行機が飛来してきた、
トルコ航空の飛行機であった。
日本人250名全員を乗せて、
成田に向けて飛び立ってくれたのだった。

タイムリミットの約1時間前であった。

なぜ、トルコ航空機が助けに来てくれたのか、
日本政府もマスコミも分からなかった・・。

トルコ側から
「エルトゥールル号の事故で
日本人がしてくださった献身的な救助活動を
トルコでは
子どもたちさえ知っています。
それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、
トルコ航空機が飛んだのです」と伝えられのでした。


このような事があったなんて
れお姉ママ、恥ずかしいですけど
知りませんでした

日本は、これでいいのでしょうか



 
Posted at 19:01 / その他 / この記事のURL
コメント(0)
立冬ですか??・・・ / 2008年11月07日(金)
毎回、お久しぶりですが・・・
と、なってしまいますが

お久しぶりで〜す

昨夜の鹿児島市
7時ごろからのスッゴイ  
ゴロ、ゴロ、ピカ、ピカ
大嫌いの我が家のみんな
10.5キロのスマートとは言え無い
ボディーのてっくん
まぁ〜、元気にソファーをほりまくり
あっちへ行ったり、こっちへ行ったり
あげくには、
もちろん・・・

抱っこ、抱っこ、抱っこ

こうなると、てっくんだけではなく
めめちゃんも

抱っこ

いつもなら、コリちゃんも、抱っこなんですけど・・
昨日は違って
ず〜と、固まったまま、
お庭を見つめていました

そして、そして、なんと

れお父さんまで

抱っこして〜

りゅうちんはというと
お二階でれお姉と居るので
できいてみたら

怖かったらこっちへおいで
と、いったら
れお姉が怖いと思ったみたいで
急いで側に行き
お顔をペロペロしてくれたみたいです



ちなみに今日は、
立冬ですよね・・・・・
鹿児島地方、
昨日の雷もさることながら
今日の気温は
なんと、26度
変なお天気でした



 
Posted at 18:49 / わんこ / この記事のURL
コメント(2)
P R
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:れお姉、れお姉ママ
読者になる
れお姉、れお姉ママで綴る、6匹のシーズーファミリーの、☆おれおれお☆です。ワンコのこと、日常の事、いっぱいお話しましょう
2008年11月
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
素材♪
メールフォーム
タイトル

内容
にほんブログ村 犬ブログ シーズーへ

 
GMO MadiaHoldings, Inc.