月末から「本屋」本店支店の棚に追加数点

September 30 [Tue], 2008, 21:35
9月28日からポツポツと棚に追加を入れています。

これは、興味深い新刊やNHKのラジオ講座のガイドブックが発行されたこと、および私の発行しているメルマガ『楽しい読書』に関連しての動きです。

まずは、本店「新しい生活のために/日本古典編」に、二点。

空海「秘蔵宝鑰」をよむ 心の秘宝を開く鍵 下
福田亮成/著 日本放送出版協会

(紹介文)NHKラジオ第二『宗教の時間』(第2日曜日 午前8:30‐9:0)のガイドブック。空海の思想を代表する「十住心論」の略論『秘蔵宝鑰』を、仏教教学の知識のない初めての人にもわかりやすく解説する。「下」では、10月以降来年3月最終回放送分まで6回分にあたる、「第五 抜業因種心」から「第十 秘密荘厳心」まで。

福翁自伝
福沢諭吉/著 昆野和七/校訂 角川学芸出版

(紹介文)慶応大学の創立者で、明治初期の大ベストセラー『学問のすすめ』の著者で、民の立場から西洋思想?西洋合理主義を日本に紹介した福沢諭吉が晩年口述した自叙伝。「日本の伝記文学の最高傑作の一つで、一生の間に一度はぜひ読んでおく価値がある」と哲学者・岩田靖夫氏も『よく生きる』(ちくま新書)のなかで薦める名著。角川ソフィア文庫版の新版。


次に、支店『初歩の哲学入門』「東洋の哲学・思想」の棚にも、同じ「空海「秘蔵宝鑰」をよむ 心の秘宝を開く鍵 下」を。

「西洋哲学<古代・中世>」にも二点。

ソクラテス
岩田靖夫/著 勁草書房

(紹介文)プラトンの初期対話篇からソクラテスの思想をさぐる。「反駁的対話」の方法から、ソクラテスの哲学?よく生きること?「正しく生きることが最高の価値である」を導き、「復讐の禁止」を、さらに「害悪を為すよりは、害悪を蒙る方が善い」という思想を導き、刑死を選んだソクラテスの人生における幸福論を解き明かす。

ソクラテス
ジャン・ブラン/著 有田潤/訳 白水社
(紹介文)なし

それから、支店『海外名作文学館』「英米文学」の棚に四点。

ポオ小説全集 2
エドガー・アラン・ポオ/著 大西尹明/〔ほか〕訳 東京創元社

(紹介文)ポー唯一の長編「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」を収録、他に「群集の人」など、巻末にはフランスでのポー紹介者ボオドレエル「エドガー・ポオ その生涯と作品」を併録。

ポオ小説全集 4
E.A.ポオ/著 丸谷才一/訳 東京創元社

(紹介文)ポーの探偵ものの名作の一つ「黄金虫」以下、「黒猫」「ヴァドマアル氏の病症の真相」「盗まれた手紙」他の短編と「暗号論」、江戸川乱歩のエッセイ「探偵作家としてのエドガー・ポオ」を収録。

黒猫/モルグ街の殺人 他6編
ポー/著 小川高義/訳 光文社

(紹介文)訳者が「黒猫」から連想する作品を集めたもの。心の中のもう一人の自分テーマといえる、小説7編(黒猫、アモンティリャードの樽、告げ口心臓、邪鬼、ウイリアム・ウィルソン、早すぎた埋葬、モルグ街の殺人)とエッセイ(本能vs理性?黒い猫について)を収録。「ウイリアム・ウィルソン」の訳で従来にない解釈を示している。

ユリイカ
ポオ/作 八木敏雄/訳 、岩波書店

(紹介文)長編散文詩、ポー晩年の大作である宇宙生成論的詩編。

既存分も、ポーの本のみ、紹介文を追加・修正しました。

これは、9月30日に発行したメルマガ『楽しい読書』9月号(第10号)「2008(平成20)年9月号(No.10)-080930-『黄金虫』海賊ゴッコから探偵ゴッコへ」に連動する意味です。

「ドストエフスキー」の棚にも追加二点。

新訳『カラマーゾフの兄弟』を読む
亀山郁夫/講師 日本放送出版協会

(紹介文)『カラマーゾフの兄弟』の新訳本の翻訳者、亀山郁夫を講師に迎えた新訳『カラマーゾフの兄弟』を読み解く10月から始まる13週(12月まで)のラジオ講座のガイドブック。

特別企画 カラマーゾフの兄弟 全5巻セット
ドストエフスキー/著 亀山郁夫/訳 光文社

(紹介文)面白い(らしい)けれど読みづらいといわれた名作の新訳。馴染みのないロシアの人名地名に読みにくさの一因があるが、この翻訳ではその辺も工夫され、若い人にも好評。『罪と罰』でもそうだが、ミステリ的な興味もあって、一度読み出したら一気に読める、魅力あふれる小説。一度は読んでおきたい名作。

これからは読書にふさわしい季節でもあり、10月は読書週間もあります。

人生に潤いと元気、知恵と勇気を与えてくれる名作・名著を紹介してゆきたいものです。

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左利きは不便ではあるが不幸ではない

September 21 [Sun], 2008, 11:44
「左利きは不便ではあるが不幸ではない。」

この言葉は以前にもあちこちで書いた言葉です。

実は、これはある人の言葉をもじったものです。
原典に直接あたったことがないので、偉そうなことはいえませんので、元の言葉についてはこれ以上は沈黙とします。


さて、私が言いたいことは、こういうことです。


「あなたは幸せですか?」と問われた時、どちらの答えにしろ即答できる人はいいのですが、アレッと考えてしまう人がいるといいます。

そういう人は、たいていその後「幸せ」を選ぶのだそうです。

で、それには理由があるのです。

「それは、幸せな人ほど、自分が幸せであることを意識せずに暮らしているからです。/幸せだから、幸せについて考える必要がありません。/外部からの質問で、改めてよく考えてみて初めて、自分が幸せであることを気づいたり、思い出したりするのです。」
(流音弥「名言ナビ」No.380 2008年9月18日発行分より)

そして、普段から不幸だと思っている人は躊躇なく「不幸」を選び、「分からない」とか迷ったりしないものだというのです。

なるほど、と思いますね。


そこで、始めの言葉です。

「左利きは不便ではあるが不幸ではない。」

今の世の中では、左利きであるということは、確かに何かと不自由なもので、不便を感じさせられます。

生まれつき左利きで、こういう状況のなかで育ってきたのだから、特に不自由は感じないとか、不便だとは思わない、という人もいます。

しかし、これは言ってみれば、あきらめです。
そういうものだという、思い込みです。

実際には様々な場面で、アレッとかウーンとかどうもなあとか、色々と感じることがあるものです。
そういうものを「特別に意識しない」ようにしているだけです。

言ってみれば、「不幸」を選ばないようにしているだけです。

実際につきつめてみれば、不幸なのです。
不便というのは、やはり不幸の一つです。

しかし、この不幸は改善できる、解決できる不幸である場合がほとんどだといえます。

この不便さからくる不幸は、そしてそれ以外の不幸も、たいてい改善できる、解決できる不便であり不幸なのです。


始めの言葉、「左利きは不便ではあるが不幸ではない。」は、現状では生活してゆく上で物理的に不便だが、そういう不便さはあってもそれが生きてゆく上での精神的な不幸にはつながらないのだ、精神的な不幸とは別物なのだ、という宣言です。

物理的な便不便は、元々は自分自身(と社会との整合不整合)に起因するものではあっても、それは本来は外にあるもので改善可能の問題ではあるが、現状ではどうにもならないことである。
それに引きかえ、精神的な幸不幸は、自分自身に起因するものだけれど、自分の内にあるものであり、心の持ち方しだいでどうにでもなるものである、といえます。


哲学者の岩田靖夫氏は、その著書『よく生きる』ちくま新書(2005)の中で、「本当の生きる喜びは、... 幸福は他者との交わりのうちにあるのです。」(33p)と書いておられます。

即ち、物理的環境が満たされなくても、他者との心の交わりにおいて満たされていれば、幸福と成り得るということです。


ここでまた、「左利きは不便ではあるが不幸ではない。」ということになります。

物理的環境は満たされていなくても、精神的な環境は自分を認めて受け入れてくれるのであれば、幸福になれる、ということです。

そこで、今、私たちのまわりを考えてみたとき、左利きを認めて心から受け入れてもらえるときは、幸せを実感できるけれど、そうでないときは不幸に感じてしまうということです。

残念ながら、現状では、そういう左利きを認めない、受け入れてくれない人もいるのです。
少なくとも条件付でなければ、といった人が。


古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、幸福は核となる純粋な魂の活動だけでなく、それを取り巻く外的な要素も含めて成り立つのだ、というのです。
例えば、富や名誉とか健康とかも含めて、です。
(岩田靖夫/著『ソクラテス』勁草書房(1995)「第十章 幸福」218-223p)

そして、アリストテレスに先立つ哲人ソクラテスの考えも同様だったと言います。

...「徳の至高性」を基本に据えながら、しかもなお、非倫理的な諸善をも幸福の小さな付属的構成要素として容認することが、人間の現実に適合しており、それがソクラテスの立場でもあった...(同236p)

そこでまた、「左利きは不便ではあるが不幸ではない。」です。

即ち、左利きの人にとって外的な要素―物理的環境が今ひとつと感じられるのが現状だとしたら、それは幸福にとってマイナスであり、いくら心の持ち方を充実させても幸福とはいえないことになります。

ましてや、左利きを認めない人、受け入れない人と遭遇したとしたら、これは悲劇となるでしょう。


何度も言うように、私は「左利きは不便ではあるが不幸ではない。」と思っているのです。

しかし、それを心から真実と言い切るためには、まだまだ越えていかなければならない問題が数多く横たわっているように感じるのです。

このことを一人でも多くの人が心に留めてもらえれば、と思いつつ、私は日々こういう文章をメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイ』やサイト『左利きを考える レフティやすおの左組通信』、ブログ『レフティやすおのお茶でっせ』などで書いているのです。

※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より「左利きは不便ではあるが不幸ではない」を転載したものです。

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初yapme!

September 15 [Mon], 2008, 23:19
「本当の生きる喜び ... 幸福は、他者との交わりのうちにあるのです。」
これは古代ギリシャ哲学が専門の哲学者・岩田靖夫さんの本『よく生きる』(ちくま新書564、2005年)の中の言葉です。


初yapme!の申請がありました。

正直yapme!の意味もよくわかっていません。
でも、基本的に「来る者は拒まず」の姿勢ですので、承認しました。

お相手も関西の方ということで、親近感が持てました。

なんかうれしいものですね。

ホッと温もりのようなものが感じました。
大事にしたいものですね。

所詮この世は、人と人との結びつき、交わりのなかで営まれているのですから。

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