穴を埋めない忍耐力

May 17 [Thu], 2012, 17:13
最近瞑想していると出てくる妄想。
瞑想じゃないですね、迷想ですね(笑)


小さい頃から、現実の状況が頭の中で違う映像で反映されます。


例えば逃げたい気持ちを諭すように、逃げたしても、なにも変わらないというのが、はっきりとわかる映像が出てきます。

砂漠にレンガのでっかい壁があって、行きたい向こう側にはそれを乗り越えるしかなく、向き合うのをやめて、楽な場所探して壁に沿ってあるいても穴もなく、逃げても結局意味がない、という事が小学生低学年ではこの映像がありました。



最近はこれ。


穴がぽっかり空いています。


それは傷や寂しさの穴。
人生の溝です。

穴があると耐えれない模様で、それを埋めて無くす為に、食べたり、物を買ったり、テレビ、インターネットをしたり、人と会話して埋めようとします。ともかくこの穴が耐えれない。もしかしたら、ヨガのポーズをする事事も時にはあるかもしれない。


寂しいまま、傷ついたまま、その状態のまま向き合う事を恐れていて、その時間を出来る限り別の刺激で誤魔化していたい訳です。


穴をどうしてそんなに恐れるのか?


寂しさへのネガティブな認知の問題でしょう。

最近傷ついた時、この溝っこに光を当てます。


紫外線で消毒します。
ついでに温めて血流の流れなど良くして、怪我の回復を促してみたりします。

溝が在ることが耐えれない事から、捉え方を変えて、感じ方を変えどんな反応するかみています。


必ず穴を埋める事がなくなるわけじゃないけど、穴に何かを詰め込んでいくことは徐々に控えめな感じになってきました。



食べすぎ、飲み過ぎ、買い物しすぎ、ネットしすぎ、色々。

寂しさと向き合う事を恐れての反応です。


寂しさは毒ではありません。

これを上手く取り入れ、一人の時間で寂しさを通じ、賢者になるのです。


寂しさを本当に癒してくれるものが沈黙の中にある自己へな慈悲なのです。


漢字の通り悲しみに慈しむ事。

それは静かで、状況をよくする為に動く計画や行動ではなく、変わらない状況のまま自分を自分に迎え入れる事。

そのイメージが穴に太陽のような光をテリテリ当てておく。


溝は埋まりもしないし、変わらないのだけど、溝の繰り返しと何も取り戻さない繰り返しで、いつか何もかもがなくなり、削られる物さえ持たずに済む日がきます。



それが囚われのなさ、けずり取られていくものは私の中のエゴ。


削られちゃってー。
そして出来るだけ埋めるのを卒業していく為の忍耐力。


物後を変える為にどっしり構える忍耐力ではない、変えない事、手を出さない事への忍耐力。


子育てにもいるだろうなあー。

自分育ては手ごわいのだ。

そんな瞑想でした。

息子のプールと雑務だー

May 17 [Thu], 2012, 15:55
仕事終わって、洗濯とご飯を炊いております。


支払や宅急便の送りなど、雑務と共に息子のプール送ってきます。


木曜日が一番のんびりできないかもー(笑)


ではいってくるなりー!

おはようございます

May 17 [Thu], 2012, 8:48
もう17日!
早いな〜。

10:30分からのアシュタンガハーフプライマリーは通常通り行ってます。

お時間ある方は遊びにきてくださいね。

そして明日からヨガスマイルが始まります。
建仁寺気持ち良いですので、是非お越しくださいね。
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