ちょっとした休みは成長を生む。

May 11 [Wed], 2011, 11:54
久々にセカンド全部終えました。カッチカチな体を苦笑しながら向き合う事がセカンドの醍醐味。
ポーズは目指さないで、あくまで目安としてやるのがマリコデラックス流。
明日からマイムーまで練習を再開デス。体が柔らなくなっても、頭の柔軟性がないのは個人的にナッシング〜です。


思い込みを外して、こだわりを減らしていく。
段々この作業も進みつつあります。

長く何かを続けていると、
いえ、続けられるように持って行くには
為すではなく、在ってしまった全てを受け流してくことです。

変化する事に意味を見出す時期はあったほうがいいと思うし、
ただし、これには限界があることを知っておいた方がいいかと思います。

努力して何か得るドーパミン系(と私は呼んでいます)は、
グナでいえば、ラジャシック。
利己的な努力ともいえます。

タマス卒業の為のラジャシックはええと思います。
ラジャシックから抜けれなくなるほど、はまるのはまずいかと思います。
やはり、エネルギー消耗が激しいのはラジャシックゆえ、躓いたとき、恐ろしい疲れがまっている。
サットバは疲れない行為(利他)が繰り返されることだと思うのからこそ、
生き方にやり方を模索してるようでは、同じ場所をクルクル回ってしまします。
在り方を模索して、このサイクルから徐々に離れていくもんだと思っています。

自分が幸せになりたいと思うとき、行動が生まれると思います。
きっかけはなんでもいいのです。
続けていくうちに、変化していくうちに、自分の思いも変化していく事に目覚めていればいいかと思います。

ダイエットも、美容も、健康も、地位も名誉も、何でも。

利己から始まって、続けていくうちに、続けられるように工夫していくうちに
利他のドアを開けるんだと思います。

出来る、出来ないの一喜一憂もよし。
そしていつか在る事の全てを裁かず受容できれば人生は思いのほか
楽しく、生きやすく、ニュートラルという感覚を体感できるんだと最近感じています。

ニュートラルは、パーフェクトな真ん中に立つ正しさではなく、
どうしようもないほど、愚弄な自分に出会った時、卑下も正当化もせず、
ありのまま認識できる芯の強さだと感じます。

失敗を引きずるのも、他責となって怒り散らすのも、
ありのままを主観的なフィルターから観てしまって認められない状態です。

自分、という意識が強い間は、正しさとは殆どが主観です。
それを外して、事実をありのまま毎日受容できますように、と日々自分に祈っています。

いい人に思われるためでもなく、
逆に思われたい自分がいるなら、それをありのまま受容し、
何故そうしたいのか?の問いから逃げず、
丸ごと日々生きていたいなぁと思う今日この頃です。

私にとっての練習は、そこまで繋がっていくもの。

いい人でありたい自分と正直さとの間に暫くゆれるだろうけど、
結局練習している全ての延長線にアウトプットがある。
私がもっともっと練習に結果を求めなくなれば、
仕事や、役割で結果を求められる重さから離れていけるはず。

結果を求める私がいろんな事をややこしくして、重くしている。
外側から言われたり、求められたりする事が私を重くしているのではない。

それに気付き、日々の生活の中で出来ることをしていく事で十分だと思う。
それ以上をする事はやっぱり結果に拘る事と変わらないからだ


今年に入ってから悩み続けたことも終焉を迎えそう。
そうやって練習が私をなにげなくサポートしてくれてることに感謝。

ちょっと休むと、また違う事も見えていいですね。
やっぱり何事も自分から生まれて、始まる。そして終わらせる事も自由です。
それを忘れないようにしていたいですね。
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